きまぐれな日々

 黄金週間に入って月が替わり、今日(5月1日)はメーデーだが平日。今年の黄金週間は後半(3日〜7日)が5連休で、今日と明日は仕事という人が多いだろう。私もそうだ。それで今年は黄金週間中もブログを更新する。

 2月から3月にかけての森友学園事件追及の流れが一転し、米朝関係の緊張が政治の話題の中心になった。安倍政権は緊張を煽って「共謀罪」法案成立に勢いをつけようとしている。しかし、あまりにも杜撰な法案であるため、法相の金田勝年が国会でまともに答弁できない事態を招き、金田法相が野党やマスコミの集中砲火を浴びていることは周知の通りだ。

 しかし、金田法相がまともに答弁できないのは、法相自身より法案に問題があるからであって、本当に批判されるべきは、「現代の治安維持法」としか言いようのない「共謀罪」法案を強引に成立させようとしている安倍晋三であることはいうまでもない。然るに、野党やマスコミは金田法相ばかり批判している。これを、「『安倍一強』の政権の緩み」だとする論調がマスコミの主流になっている。しかし、そのような一種の「連帯責任」を負わせるような論調は、巨悪である安倍晋三を助けるものでしかない。

 私は、これは野党やマスコミの安倍晋三に対する「忖度」と位置づけられるべきだと考えている。

 思えば、森友学園事件の追及に政党がびくともしなかったのは、追及する側の野党やマスコミに、安倍晋三やその妻の安倍昭恵に対する「忖度」があったからだった。

 たとえば、民進党の福山哲郎が質問した時、安倍晋三が「妻を犯罪者扱いするのか」と切れた時、「そんなことは言ってません!」と福山が声を張り上げた場面があった。その場面を思い返すと、福山は「昭恵夫人は被害者だったんじゃないかと思います」と言いながら、「官僚の忖度はあったのかなかったのか」という論法で質問をしていたのだった。ところが財務官僚のせいにしようとしている福山の質問に対して安倍晋三が「妻を犯罪者扱いするのか」とブチ切れたことによって、安倍昭恵がそれまで想像されていたよりもずっと深く森友学園事件に関与していたことが明らかになった。要するに安倍晋三が自ら墓穴を掘ったわけだが、野党やマスコミ、それに世間一般の「リベラル」たちは、せっかく安倍晋三自身が掘ってくれた穴に安倍夫妻を埋めようとせず、安倍夫妻への「忖度」に終始して好機を逃してしまった。

 この事件に関しては、菅野完が籠池泰典に食い込んだことによって、役人とのやり取りを録音していた籠池から提供された録音テープによって安倍昭恵の口利きがますます明らかになってきている。しかし、安倍昭恵の証人喚問を求める世論はいっこうに盛り上がらない。昭恵の証人喚問自体は、あの腰の引けた民進党代表・蓮舫でさえ要求しているのだが、ここ数年安倍昭恵の「家庭内野党」の虚像(それは明らかに安倍夫妻や政権のブレーンによる批判勢力に対する懐柔策だった)に騙されてきた政権批判勢力が、未だに昭恵へ未練が捨てがたいのか、攻撃の矛先を鈍らせていることを私はずっと批判している。

 その最大の悪例は三宅洋平だろう。三宅は森友学園事件について貝になってしまった。また、昨年の参院選で三宅を応援し、投票したりした人間も、森友学園事件について口を開かない三宅を批判できない。もちろんこれも「忖度」の一例だが、三宅に対する忖度は間接的な安倍昭恵(や安倍晋三)に対する忖度にほかならない。

 まとめると、「忖度」ではなく安倍夫妻による「口利き」が森友学園事件「財務省・安倍夫妻ルート」の核心だが、民進党はその核心である安倍晋三・昭恵夫妻への直接の追及を回避して、「財務官僚による安倍夫妻への忖度」の構図を描いての追及を試みたが、当然のごとく「忖度などなかった」という答弁にいとも簡単にはね返された。また、マスコミや世論も安倍夫妻の口利きをとがめることが全くできていない、というのが現時点の状況ではないか。

 先月は、つい先日ついに大臣を更迭された今村雅弘の「失言」が話題になったが、野党やマスコミはこれを「政権の緩み」だとして批判した。これに対し、「緩みではなく本音」だとする指摘がされている。昨日(4/30)のTBSテレビ『サンデーモーニング』でも西崎文子が「緩みではなく本音では」と言っていた。ところが最後にコメントした岸井成格は「政権の驕り、緩みだ」というマスコミ人士の常套句を口にしたので失望させられた。

 昨年春、安倍晋三の不興を買って『NEWS23』のアンカーを下ろされた(後任の元朝日新聞特別編集委員・星浩の腑抜けぶりは周知)と言われている岸井成格でさえこれだ。

 「緩みではなく本音だ」と指摘した言説の中で、もっともよくまとまっていると思うのは、先週も紹介したブログ『読む国会』の記事(下記URL)だ。
http://www.yomu-kokkai.com/entry/shitsugen-yurumi

 記事の中で、共謀罪法案の審議中に、東京18区選出の自民党衆院議員にして元武蔵野市長の土屋正忠が露呈した「本音」は、まさに心胆を寒からしめるものだ。以下引用する。

(前略)

 「共謀罪」法案を審議した二十一日の衆院法務委員会で、法務省の林真琴刑事局長の席に詰め寄った民進党議員に、自民党の土屋正忠理事が「テロ行為だ」とヤジを飛ばしたとして、民進、共産両党が抗議した。
東京新聞


■ 共謀罪の根幹を揺るがす土屋発言

共謀罪(テロ等準備罪)における土屋正忠議員の発言である。共謀罪法案の根幹を揺るがす発言だ。

単なる冗談や軽口ではすまない。

この発言によって、土屋議員が、内心では「テロ等準備行為」という言葉そのものが、自分たちにとって都合の悪いことを潰す、言論に対する脅しとしての要素を持っている、と認識していることが明らかになったからだ。

これは曲解ではない。思っていなければこの種の軽口は出ないだろう。都合の悪いことを潰すために「テロ」という言葉を使っているのではないか?という疑念は、全く解消されていない。

(中略)

「東京より東北が震災にあったほうがまだ良かった」

「民進党がこそこそ打ち合わせをしているのはテロ等準備行為だ」

そのような姿勢・人品そのものが問題であり、議員としての資格を問われるものだ。

大臣に関しては、任命してしまった責任も免れ得ないだろう。


■ マスメディアは、即刻「ゆるみ」という言葉を使うのをやめるべき

「ゆるみ」という言葉を使ってしまうことによって、まるであたかも議員が執行部の言いつけを守れないことが問題であるかのような論調になり、もっとも重要な資質の問題や、首相の任命責任はどこかに行ってしまう。

国務大臣というのは、失言をしなければいいわけではない。人間的に的確であるかを常にチェックされ、監視されるべき立場にいる。失言そのものではなく、その裏にある人品をこそ問題にしなくてはいけない。

マスコミは、二階発言に恫喝されることなく、

なぜなるべきでない人間を復興大臣に任命してしまったのか?
本当にテロ等準備罪はテロを予防することを目的とされているのか?

このような論点を、きちんと主張し、発信していただきたい。

(『読む国会』 2017年4月28日付記事「政治家の失言は『政権のゆるみ』ではなく、『本音の吐露』だ」より)


 論旨明快で間然するところのない記事だが、さらにつけ加えれば、最近しばしば指摘されている通り、現在の安倍政権は、どこまで「本音」が通用するのか試しているようなところがある。これを別の言葉で言い換えると「露悪」になろうか。たとえば森友学園事件で知らぬ存ぜぬ、書類は廃棄してしまったなどの強弁がどこまで通じるか、ミエミエの嘘をついて(=露悪的な態度をとって)試してみる。通用すれば、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」式のゴリ押しをやる。

 上記のフレーズは1980年にビートたけしが言い出したものだ。この1980年という年は、選挙戦中に大平正芳首相(当時)が急死した衆参同日選挙で自民党が圧勝し、米大統領選でレーガンが圧勝するなど、右傾化や新自由主義化のエポックメイキングな年だった。1993〜94年(衆院選小選挙区制の成立)、1999年(小渕恵三と小沢一郎による「アブナイ」法案の数々の成立)、2001年(小泉純一郎政権成立)、2005年(郵政総選挙で自民党圧勝)、2012年(第2次安倍内閣成立)などと並ぶ、悪い思い出の多い年だったが、上記のフレーズを発して以来、私はずっとビートたけしという芸人を嫌い続けている。政治に関しても、いくらたけし本人が「9条護憲」を口にしても、たけしが司会を務めるテレビ朝日の『TVタックル』(都議選と同日に行われる兵庫県知事選への出馬を表明した勝谷誠彦が常連の出演者だった)が視聴者の右傾化に大いに資したことは見逃せない。

 ビートたけしが「赤信号……」と言い出した1980年にはブラックジョークだったものを、今や日本国の総理大臣が率先してやるようになった。だから先日筒井康隆がTwitterで発した慰安婦に関する暴言もギャグにならず、産経「正論」系極右人士ら(その代表格が先日死んだ渡部昇一だった)の煽動に踊るネトウヨ、否、最近は一般人もそれに加わっている有象無象が発する暴言と何も変わるところがなかった。ギャグのつもりで老筒井が発したTwitterは何の異化作用も持たず、只野、もといただの老ネトウヨの暴言に堕してしまったのだ。筒井、老いたり。そう思った。

 恐るべき忖度と露悪と崩壊の時代。最後に『広島瀬戸内新聞ニュース』の簡潔な記事(下記URL)を引用して本記事を締めくくる。
http://hiroseto.exblog.jp/25733394/

安倍ジャパン】「忖度」ではなく「ご下命」、「緩み」ではなく「露悪」だ

「安倍ジャパン」(安倍晋三総理(皇帝)・昭恵(皇后)「両陛下」とそのお友達が、「法の支配」や「立憲主義」を無視した立法行為や行政行為を行い、国家を私物化している状態)を批判する側も、「初動」を誤った感はあります。

森友学園問題では「忖度、忖度」と言い過ぎた。
官僚は忖度で仕事をするものではない。
「ご下命」に近いものがあってはじめて仕事をするものです。

ここへ来て、まだ国有地の売却が決まる段階で、籠池のおっさんに詳細なマニュアルが財務省サイドから渡ったり、田村という財務省の担当室長が「特例です」と言った録音記録が暴露されたりしています。

安倍昭恵さんの関与は明らかです。

ハッキリ言ってしまうと、特に民進党の一部議員やマスコミこそ「安倍総理や安倍昭恵さんに対して忖度=追及の手を緩めてしまった」と言わざるを得ないと思います。

さらに、今村復興大臣の「東北で良かった」失言や、山本地方創生大臣の「学芸員一掃」発言。

これらを、安倍総理は「緩み」と表現し、それ(「緩み」という認識)をそのままマスコミも是としています。

冗談ではない。「緩み」なんかではないのです。

今村復興大臣(当時)の発言は緩みなんかではなく「安倍政権の閣僚としての平常運転=露悪」なのです。

安倍総理は、今年の3.11において、記者会見を打ち切りました。これが安倍総理の本音でしょう。その総理の本音を体現したのが「東北で良かった」という今村大臣の発言ではないのか?

山本大臣のそれも、結局は、文化というものを金銭的な価値でしか測れない、そうした安倍政権的なるものが露悪的に出てきただけです。

(『広島瀬戸内新聞ニュース』 2017年4月29日付記事より)

 今日は更新を止めようかと思ったが、考えてみれば来週はもう黄金週間の真っ只中なので、今週更新しておかなければブログの存続も覚束ない(?)と思い、全く気の乗らない記事を書いて更新することにした。

 共同通信の世論調査で、内閣支持率が58.7%を記録した。「単純比較はできないが前回から6.3ポイント上昇」とのこと。調査方法の変更か何かがあったのだろうが、ここに来て一段と安倍政権支持率が高まった。
https://this.kiji.is/228775846727501300

 一昨年7月を底とする安倍内閣支持率のV字回復について、これまで、岩盤が堅くなったというイメージでとらえていたが、明らかに権力者夫妻の「お友達」に不正な利益供与がなされた森友学園事件を持ってしても内閣支持率が膨らみ続ける現実を目の当たりにすると、風船が膨れ上がるイメージでとらえるほかないのではないかと思うようになった。

 正直言って、ここまで安倍内閣支持がバブル的に膨れ上がる事態は想像しなかった。先月内田樹は『AERA』に

 劇的な成功を遂げた政治家たちは例外なくイエスマンを周りに集め、ついにはその中で最も臆面もなく阿諛(あゆ)追従するものを「具眼の士」とみなすようになる。そして、手厚い褒賞でその炯眼に報いようとする。そのプロセスは歯車仕掛けの悲劇のように進行する。私たちは今その終幕近くに立ち会っている。

と書いたが、内田樹の楽観的な予想はもののみごとに外れた。
https://dot.asahi.com/aera/2017030800065.html

 とはいえ、今のような政治のあり方が「持続可能」であるはずはないだろう。膨らみ過ぎた風船はいずれ弾ける。「崩壊の時代」はいつかは終わる。しかし、その時に日本という国がどうなるっているかは想像もつかない。

 日本の政治の現状については、昨夜このブログにいただいた鍵コメにて知った『読む国会』に手際良くまとめられている。それらのエントリ3件のダイジェストと前述の共同通信の世論調査が記された鍵コメは、『kojitakenの日記』に転載した。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170424/1492986278

 同じブログに、今朝「『疑わしきは罰せず』は、権力者に対して用いる言葉ではない」と題したエントリが公開されたので、以下に抜粋する。
http://www.yomu-kokkai.com/entry/innocent-until-proven

(前略)司法と行政が結託すれば、もはや国民が対抗出来る手段はない。

 だからこそ、司法の場においては、例え政治家・公人に対してであろうと、推定無罪の原則は固く守られるべきである。それは司法の価値を守るために、必要な原則だ。

なぜ権力者は、疑惑に対して潔白を証明する責務があるのか

 上で述べたように、推定無罪の原則というのは、あくまで司法が過ちを犯す事を前提とし、あるいは、ときに為政者の意のままに操られるというリスクを勘案し、個人の権利や言論の自由を守るために存在するものである。

 今般の安倍総理をめぐる一連の問題は、全く別の話である。

 むしろ、為政者の疑惑というのはもみ消され、闇に葬られることが多い。絶対的な権力のもとで、権力者に不利な証拠など、出るはずがない。

 だからこそ、三権分立が存在しているのだ。行政府は予算の執行や法案の成立に関して立法府の承認を必要とし、憲法に適合しているかは司法府が判断するのだ。

 そして、立法府が行政府の権力を監視する手段として、独自に国政調査権が認められている。

(憲法第62条の引用を省略)

 証人喚問や、参考人招致は、この憲法62条が定めるところの国政調査権によって担保された権利である。

 「疑わしきは罰せず」というのは、あくまで司法の場においては推定無罪を原則にするというルールであり、証拠をもみ消せば政治的に責任を取る必要がない…という意味ではない。

我々は何をすべきか

 私がしつこく書き続けているが、これは外形的には政治的な口利きにしか見えない。

 ある国家の首相夫人が名誉校長になり、特殊な思想の学校に賛同した。そこから極めて異例なスキームで、土地価格の値引きがされた。更に財政状況が怪しい中で、府の認可が降りた。

 そして、その国の内閣は交渉記録などの証拠の提出や、夫人の証人喚問など、潔白を証明するためにクリティカルな行動を拒んでいる。

 これが通常のデュー・プロセスである、というなら、なぜこのようなことが起こったのかストーリーを説明する他に無い。

 そして、それを説明するためには、内閣が徹底した調査をするしか無いのだ。

 もし政府に「疑わしきは罰せず」という原則を適用するなら、あらゆる疑惑は闇から闇へ葬られるだろう。なぜなら、原則的に言えば、あらゆるデータや物的証拠は政府の内側にあるからである。

 つまり、政府の汚職疑惑は、内部調査によってしか明らかにならないのだ。

 我々は、司法の場における「疑わしきは罰せず」の原則と、行政府や立法府の場における「疑わしきは罰せず」を分別する必要がある。

 政府の説明が足りない時は、めげることなく「きちんと調査しろ」といい続けるしか無い。なぜなら、我々がいい続け、監視しない限り彼らがわざわざ内部の不正を調査するメリットなど存在しないからだ。

 「自浄作用」という言葉が忘れられて久しいが、そんなことを今の政府に期待するのは、高望みというものだろうか。

 権力者の沈黙に対して、声を上げることを諦めた時にやってくる世界は、私にとって今よりも不快なものであろう。だから、私はしつこく「証拠を出せ」「ちゃんと答弁で説明しろ」と言い続けることにする。

(『読む国会』 2017年4月24日付エントリ「『疑わしきは罰せず』は、権力者に対して用いる言葉ではない」より)


 正論そのものだ。

 しかし、現実には安倍政権支持者のみならず、政権批判派の中にも、これまで政権が意図的にでっち上げてきた(としか私には思えない)安倍昭恵の「家庭内野党」の幻影を振り払えないのか、きちんと安倍昭恵の証人喚問を要求できない老舗の「リベラル」ブログすら存在する。同ブログは、安倍昭恵の「参考人招致か証人喚問か(記者)会見」を求めてはいるが、籠池泰典が証人喚問された当日の2月23日に自民党と民進党が合意して行われた、翌24日の財務省前理財局長・迫田英典の参考人招致が疑惑解明に何らの貢献をもたらさなかったことを思えば、同ブログの腰の引けた姿勢は安倍政権の逃げ切りを助けるだけのものでしかない。

 市井のブロガーでさえこのていたらくだから、野党の惨状もそれに見合ったレベルだ。民進党は7月2日投開票の東京都議選を機に、本当に崩壊するとしか思えない。同党は都議選候補にするつもりだった現職あるいは前職・元職を「都民ファーストの会」に引き抜かれて離党しても、もはや対抗馬を立てる力もなければ、離党を認めず除名処分にすることさえできない。国会議員の長島昭久は除名処分になったようだが、これは党の大物だったからだ。そんな民進党をあてにしてきた「野党共闘」も風前の灯火といえる。

 昨日のTBSテレビ『サンデーモーニング』は、90年代の「政治改革」の局面で小選挙区制を推進した田中秀征や岸井成格らによる、さながら「懺悔大会」の様相を呈していた。これを見ながら私は「今頃やっとかよ。四半世紀遅いぞ、気づくのが」と思った。山口二郎が岩波新書から小選挙区制の推奨が書かれた『政治改革』を出してから24年。鳩山一郎や田中角栄がやろうとして果たせなかった小選挙区制が社会党を巻き込んで実現してしまった過程に呆気にとられた私は、ブログを開設してからも一貫してずっと小選挙区制に反対し続けてきたが、「政権交代」待望全盛期の2009年前後には相手にされなかった。一昨年に再び小選挙区制反対論を書いたら、ふざけたコメンテーター(spiritと名乗る人間だ)にふざけたTweetを書かれたので激怒して昔から小選挙区制に反対していたぞ、と証拠を示す記事を書いたことがあるので、下記にリンクを張っておく。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20151129/1448763347

 民進党が崩壊したらいやでも新しい政党が立ち上がらざるを得なくなるだろうと思うが、その政党には小選挙区制廃止と比例代表制を中心とした選挙制度の樹立を公約として掲げてもらいたいものだ。私の意見では中選挙区制の復活ではダメで、あくまで比例代表選中心の選挙制度であるべきだ。数年前に消滅したみんなの党の提案が、定数の大幅削減以外は良い案だったと記憶する。

 しかしそれ以前に、日本という国がまともに存続し得るだろうかという不安が先に立つ今日この頃なのである。
 アメリカと北朝鮮との間に緊張感が高まり、森友学園事件がニュースの中心から去った現在、妙な現象が起きている。そもそも米朝の緊張関係が本物かどうかについて議論が分かれているのだ。

 「リベラル・左派」の間では、金正恩は自らの政権を守りたいだけだ、脅威を言い立てる安倍政権の思惑に乗ってはならないとする議論が人気のようだ。しかしこの議論は、北朝鮮の脅威についてはその通りだと私も思うけれども、北朝鮮の非ではなく脅威についての考察が完全に抜け落ちている。

 それは「トランプの脅威」だ。

 トランプ政権が何をやるかわからないことは、先のシリア攻撃で証明された。だが、これに関しても奇妙なことがある。

 昔からアメリカ国民には、大統領が他国を攻撃するとそれを熱狂的に支持する特徴がある。私が今までで一番呆れたのは、1998年にビル・クリントンがモニカ・ルインスキーとの不倫を暴露されて支持率を落とした時にアフガンとスーダンを空爆して支持率をV字回復させた時だ。

 それでは今はどうなっているのだろうかとネット検索をかけてみたがよくわからない。あるサイト(下記URL)によると、「トランプ大統領の支持率は3月中旬で43.8%まで落ち、就任直後よりは良いものの、就任期間中ではかなり低い数値となってい」たが、「ロイター通信が発表している情報をもとに支持率を分析してみたところ、現時点での政権支持率は46.6%となっています。これは3月中旬の支持率の落ち込みから考えると、大分挽回しているように見えます」とのことだ。
https://chanare.com/archives/1138

 上記サイトには「これは今のトランプ大統領の動き方に対して好感を持っているアメリカ国民が増えているということなのかもしれません」と書かれているが、私はそうは思わない。3月中旬の43.8%に対して4月中旬が46.6%なら横バイだろう。シリア攻撃と北朝鮮への強硬姿勢では支持率を目立って上向かせることはできていないように思う。

 一方、シリア攻撃でいち早くトランプ支持を表明した(政府筋は「決意を支持した」だけだと言い訳しているが、そんなものは日本国内でだけしか通用せず、朝日や毎日に腰の引けた記事を書かせるだけの効果しかない)安倍政権の支持率も、読売新聞の調査で4ポイント上げている(下記URL)。しかも問題はその中身だ。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20170416-OYT1T50104.html

米の対北圧力「評価する」64%…読売調査
2017年04月16日 22時07分

 読売新聞社は14~16日、全国世論調査を実施した。

 核・弾道ミサイル開発を進める北朝鮮に、米国が軍事力を背景に圧力を強めていることを「評価する」は64%で、「評価しない」の27%を大きく上回った。北朝鮮のこうした動きに脅威を感じる人は、「大いに」60%と「多少は」33%と合わせて93%に達し、「大いに」は前回調査(3月18~19日)から6ポイント上昇した。

 安倍内閣の支持率は60%(前回56%)、不支持率は29%(同33%)。北朝鮮への脅威を「大いに感じる」とした人に限ると、支持率は64%に上った。

 外国からミサイル攻撃を受ける前に、相手の基地などを攻撃する「敵基地攻撃能力」を日本が保有することを検討すべきだと「思う」は58%、「思わない」は35%。米軍のシリア政府軍に対する攻撃で、安倍首相が化学兵器の拡散と使用を抑止する米国の決意を支持する考えを示したことを「評価する」は54%、「評価しない」は35%だった。

(読売新聞 2017年04月16日 22時07分)


 そもそもこの世論調査そのものに「トランプの脅威」という観点がないし、トランプに盲従する安倍政権を支持する日本国民が多く、「北朝鮮の脅威」については読売やNHK(岩田明子ら)の宣伝が行き届いてか、警戒する人たちが多数派のようだ。

 統計的に有意差が出ているわけではないが、印象論としては、「実際にシリアに軍事行動を起こしたトランプのアメリカより、トランプへの盲従をいち早く表明した日本国民の方が、より時刻の独裁者を強く支持している」ように思われる。

 しかし、実際には「リベラル・左派」の多くの人の意見の通り、北朝鮮は攻撃を仕掛けなければ自らアメリカや韓国や、ましてや日本に攻撃を仕掛けることは考えられない。真に警戒しなければならないのは、シリアでトランプがやったような軍事行動だ。

 核抑止論の最大の問題点として、おかしくなった独裁政権による核兵器使用を止められないことが昔から言われているが、自らの命が危ないと思った時の金正恩は、まさにそれに典型的に当てはまる。そして、世界各国の戦力から言って、北朝鮮が自ら核攻撃を仕掛けてくることがないことは明らかだから、より深刻な脅威はトランプ(政権)にある、としか考えられないのである。そんなことは誰が考えてもわかることだろうと私は思うのだが、現実はそうではない。安倍政権は日本にとって最大の脅威であるトランプに盲従し、多くの国民はトランプを信頼して北朝鮮に脅威を感じ、政権批判派の国民は北朝鮮の脅威などないと力説するもののトランプの脅威には鈍感だ。後者は、北朝鮮がアメリカに攻撃された時に北朝鮮が本物の脅威になることを見落としている。当然ながら、日本のなすべきことはトランプにブレーキをかけることであってトランプに盲従することではないはずなのだが、安倍独裁政権に飼い慣らされて常日頃から読売新聞やNHK岩田明子の宣伝を真に受けている日本人にはそれがわからない。これが現状ではないか。

 その「鈍感さ」の典型例を見たと思ったのが、昨日(4/16)のTBSテレビ『サンデーモーニング』に出演した毎日新聞の幹部級科学記者・元村有希子だ。同番組の常連で私が好まない寺島実郎が、日本は国連を中心とした問題解決を行うようアメリカに働きかけるべきだという普通の意見を発したあと、元村有希子は「国連はロシアや中国の拒否権発動によって無力化されている」と言った。これは番組の最後の方で寺島実郎から再反論を受けたが、さらに元村氏は「安倍総理は『外交上手』と言われているが、その手腕が問われる」と言ったが、安倍晋三を「外交上手」などと言っているのは、読売やNHKに加えて、あんたのところで「世界のアベ」とか「安倍首相は賢いから日本会議を距離を置こうとしている」などと宣伝した「異能記者」伊藤智永らだろうが、と画面を見ながら毒づいてしまった。今回に限らず元村有希子からはいつも、括弧付き「リベラル」または都会保守、という私がしばしば批判している市井の某ブロガー氏と似たような印象を受ける。そして、この手の「リベラル」(都会保守)こそが安倍政権最大の補完勢力になっているのではないかと思う。

 よく午後のコンビニで目にするのは夕刊フジの「斬首作戦」の見出しで、私はそのような日本が核攻撃を受けるリスクを煽る見出しをつける極右夕刊紙の編集者の神経が全く理解できないのだが、そういえばこの夕刊紙は、トランプが当選を決めた直後に、まだ大統領がオバマだったにもかかわらず安倍晋三がトランプに媚を売りに行った時に安倍がトランプの「攻略」に成功したかのような見出しをつけていた。しかしいま現実を見ると、したたかなのはどう見ても習近平をも動かす「ディールの政治」の独裁者・トランプの方であって、中国の独裁者・習近平でさえトランプの前では「格落ち」のように見える。まして安倍晋三は「外交上手」どころか、森友学園事件で見せた「瞬間湯沸かし器」的短気によって籠池泰典を証人喚問の場に自ら引きずり出したあげくに「首相夫人付」(安倍昭恵の「秘書」)のノンキャリア経産官僚の「FAX」が暴露されて傷口を広げた一件から明らかな危機管理能力の絶望的な低さを持つ無能な政治家でしかない。私の感覚では、日本は北朝鮮の次くらいに自国の安全保障リスクの高い国になってしまっているように思われる。もちろんトランプに手玉にとられる習近平にせよ、安倍晋三と比較するとはるかに格上だ。ましてやトランプやプーチンとでは安倍晋三とはまるで比較にならない。しかしそれにもかかわらずまだ政権側の「宣伝」が有効であり続けているために、安倍政権は当分続くとしか思われない。まさに絶望的な「裸の王様(夫妻)」を戴く帝国、それが今の日本だ。

 下記『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事(下記URL)は、これまで書いてきたようなことを考えている私がもっとも納得できるものだ。
http://hiroseto.exblog.jp/25697988/

 どうも最近晋三の顔色が悪い・・「日本最後の総理」になる可能性が強まり、ガクブルではないのか?

 朝鮮(金正恩帝)については、ハッキリ言えば、「皇室安泰」が一番です。要は戦中の日本が「国体護持」にこだわったのと同じこと。従って、アメリカ側から攻撃がなければ金正恩側から攻撃することは考えられない。その意味で「北朝鮮は脅威ではない」という言い方も、正しいという見方も出来る。

 特定秘密保護法やら安保法やらをごり押しするために、朝鮮をネタにしてきた面はある。

 しかし、トランプが前のめりに金正恩を攻撃すれば、自衛権の発動として金正恩が反撃するのは明らかである。そもそもが、朝鮮戦争自体が「終戦」していないのだから。

 トランプにとっては黄色人種の国がどうなろうが関係ない。
 他方、トランプ政権内で「アンチ・クリントン/ブッシュ」のチャンピオンであるバノンが失脚した結果、トランプと事実上大連立を組んだクリントン・軍産複合体一派も、別の考え方(欧米民主主義を至上とする考え方)から、日本会議と関係が深い安倍には批判的である。

 そして、韓国と日本が壊滅すればクリントン/ブッシュ系列の大手企業の復興需要も望める。

 「安倍ジャパン」は国民を巻き添えにしつつ、「トランプ・クリントン大連立政権」によって死刑台におくられようとしている。これが、実像ではないかと思う。

 それを知っているが、自分ではどうにも後戻りが出来ない。さすがに安倍晋三も、それを隠し通せるほど賢くはないので顔色が悪いのではないか?

 今まで、朝鮮をネタにして国民を脅してきた路線が、いつのまにやら国を滅ぼすことになったことにさすがに愕然としているのではないか?

 安倍は10年前、ブッシュからアフガン派兵(給油)継続を求められたが、参院選惨敗でそれが果たせず、政権を投げ出したという説がある。

 今度は、政権を投げ出すときにはもはや、手遅れ、ということになりかねない。

 一刻も早く、この男を引きずり下ろすことだ。

(『広島瀬戸内新聞ニュース』 2017年4月15日)


 一刻も早く安倍晋三を政権の座から引きずり下ろさなければならない。私もそう強く思うのだが、トランプが北朝鮮への強硬姿勢を示し、いち早く安倍晋三がトランプの支持を表明すると内閣支持率上昇でそれに応えてしまう日本国民が自らの手で安倍晋三を引きずり下ろせるとは日々思えなくなってきている。

 そんなわけで、ブログ開設まる11周年を迎えて12年目に入った最初の記事でも、できれば使いたくはない「崩壊の時代」という言葉を持ち出して記事を締めることになってしまったのだった。嗚呼!
 新年度に入り、トランプ政権のアメリカがシリアを攻撃して安倍晋三が直ちに「支持」を表明した。また北朝鮮をめぐる情勢も緊迫の度を増し、極右夕刊紙の『夕刊フジ』などはトランプのアメリカが金正恩の首を獲るとの見出しを頻繁に掲げて煽動している。日本国内では民進党の長島昭久の離党届提出が話題を呼んでいる。

 こうしたニュースの数々によって森友学園事件はすっかり影が薄くなった。籠池泰典の証人喚問で疑惑の中心が安倍昭恵に移ったことによって注目度が下がった稲田朋美に至っては、一時期の「辞任必至」ムードはどこへやら。結局安倍晋三・昭恵夫妻も稲田朋美も迫田英典も松井一郎もみんな逃げ切ってしまいそうな勢いだ。しかもその過程において安倍政権は「閣議決定」の連発によって、オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実、代替事実、などと訳される)の製造マシンと化し、リアル『1984』のオーウェル的恥知らず政権の正体を剥き出しにするようになった。そんな戦後最悪の政権を国民の約半分もの人間が支持している。

 まずアメリカのシリア攻撃について、これに批判的な論評をした朝日新聞と毎日新聞が同じ言葉を用いている。

http://www.asahi.com/articles/ASK475FWTK47UTFK00T.html

米のシリア攻撃、苦肉の支持 政府、化学兵器を前面に
小野甲太郎
2017年4月7日21時50分

 トランプ政権によるシリア攻撃に対して、日本政府は7日、「米国政府の決意を支持する」と表明した。日本独自の情報は限られ、国連安保理決議も採択されない中での米政権による「単独行動」。ただ、同盟国である日本は化学兵器の非人道性を前面に掲げ、米政権の軍事行動ではなく、その政治姿勢に支持を示す苦肉の策を講じた。

 攻撃判明から約2時間後の7日正午すぎ、岸田文雄外相は「事実関係の確認と調査に努めている」と記者団に繰り返した。外務省幹部は「日本政府としての対応を決めるのに、あと数時間はかかる。まず状況を確認しなければならない」と語った。

 同日午後3時すぎ、首相官邸で国家安全保障会議(NSC)の4大臣会合を開催。その場で政府の対処方針を確認した上で、終了後に安倍晋三首相が米政権の決意に対する支持と、ミサイル攻撃は「これ以上の事態の深刻化を防ぐための措置」だと位置づけて理解を表明した。

 今回、化学兵器の使用についてアサド政権が否定する中で、日本政府は「シリア軍が化学兵器を使ったという証拠を持っていない」(政権幹部)という状況だった。さらに、米政権による攻撃の正当性を担保する根拠も判然とせず、外務省幹部は「国際法的な根拠に乏しく、米政権への『支持』まで表明できない」と率直に語っていた。

 そこで日本政府が編み出したのが、英国が表明したような軍事行動そのものへの支持ではなく、米政権の姿勢に焦点を当てる手法だった。まず、化学兵器の使用についてはアサド政権を名指しせず、「化学兵器の拡散と使用は絶対に許さないとの米国政府の決意」を取り上げて支持。その上で、軍事行動をいったん「これ以上の事態の深刻化を防ぐための措置」だと位置づけ、それに理解を示すという表現にした。

 官邸幹部は「手放しの支持ではない」と認める。さらに、今回の攻撃により米ロ関係が緊張するのは必至で、ロシアのプーチン政権と北方領土交渉を進展させたい日本政府は、日ロ交渉に与える影響を懸念する。

 攻撃判明後に米政府を含む関係国から情報収集し、「決意支持」表明に至った日本。では、米国からの事前通告はあったのか――。菅義偉官房長官は7日の記者会見で問われ、「我が国と米国は常日頃から緊密に連携をとっている。コメントは控えたい」と明言を避けた。(小野甲太郎)

(朝日新聞デジタルより)


https://mainichi.jp/articles/20170408/k00/00m/010/177000c

米、シリア攻撃
日本政府 苦肉の「支持」「理解」
会員限定有料記事 毎日新聞2017年4月8日 00時32分(最終更新 4月8日 01時21分)

 米国のシリア攻撃に対し日本政府は「米政府の決意を支持」しつつ、国際法上の根拠がはっきりしない攻撃そのものへの評価は「理解」にとどめた。北朝鮮の核・ミサイル開発という身近な脅威を抱える立場で、同盟国・米国に最大限の協調姿勢を示す苦肉の表現。安倍政権はロシアとの関係も重視しており、アサド政権による化学兵器の使用を否定するロシアにも配慮したとみられる。

 過去の米国の軍事行動でも、日本は微妙な対応を迫られてきた。(後略)

(毎日新聞より)


 毎日新聞の記事は「会員限定有料記事」とあるので、無料部分のみ引用したが、朝日・毎日両紙とも「苦肉」との言葉を用いている。これはいうまでもなくニュースソースが同じことを意味する。

 私には、両紙ともアメリカのシリア攻撃を「批判」しながらも、「苦肉」の表現を用いた安倍政権に「理解」を示しているようにしか読めない。腰が引けている印象だ。ましてや、シリア攻撃を支持した読売や産経の記事がどんなものであるか、実は読んでいないのだがさぞかしひどいものに相違ない。

 いくら「苦肉の策」であろうが、アメリカがやらかす暴挙に真っ先に「支持」ないし「理解」を表明するアメリカの属国としてしかみなされないのは当然だろう。私自身は当然ながら今回のアメリカのシリア攻撃に理は全くないとの立場だ。

 その安倍政権が、一方ではアメリカが嫌うであろう教育勅語の学校教育での使用には大いに前向きだ。これには朝日・毎日はおろか日経・読売にまで批判され、支持している主要メディアは産経だけである。

 繰り返し指摘するが、「安倍政権は日本会議と手を切れ」と書いた立命館大教授・上久保誠人ら「グローバルインテリ」の提言は受け入れられなかった。毎日新聞の伊藤智永は、安倍首相は賢いから日本会議とは距離を置き始めているとの見通しを先月末の『サンデー毎日』に書いたが、先週号の同記者のコラムからはそのトーンが消えた。代わりに、安倍昭恵の右翼思想が安倍家に嫁に入って培われたこと、森友学園事件には安倍昭恵と籠池諄子という妻同士の強い結びつきが引き起こしたものであることを指摘している。

 伊藤記者はまた、毎日新聞のコラムに、安倍昭恵に「秘書」がいることや昭恵の「右翼趣味」をメディアは知っていながら、安倍晋三の妻ならこんなものかと慣れっこになっていたと書いている。つまり毎日(や朝日)を含む各メディアは、昭恵が首相公邸に陣取って「秘書」たちを従え、玉座に座ったまま面会者に「謁見」していることも、昭恵が極右であることもみな知っていながら、伊藤記者の表現を借りれば「昭恵氏の政治『権力』にまるで鈍感だった」、つまり昭恵による国政の私物化に問題意識さえ持たなかった。それどころか安倍昭恵の「家庭内野党」という虚像を作り上げるのに積極的に協力までしたのだから、毎日や朝日を含む「リベラル」系メディアの罪はあまりにも重い。

 おかげで「リベラル」はすっかり腑抜けになってしまって、安倍昭恵の証人喚問すらまともに要求できない「リベラル」が続出するありさまだ。このところ森友学園事件の追及の機運はやや下火になっているが、今回の事件を通じて、安倍昭恵が安倍政権の最大のアキレス腱であることがはっきりわかった。昭恵に関してこれまでメディアが報じなかった「黒い疑惑」やトンデモぶりが次々と明らかになっている。森友や加計などの極右教育者に対する数々の口利き疑惑に始まり、「水からの伝言」を盲信するトンデモや、あげくの果てには暴力団員との交際まで報じられた。まるでスポーツ選手か芸能人みたいだ(そういえば三宅洋平とも意気投合していた)。

 安倍晋三は昭恵について追及されるとすぐキレる。昭恵の実像を暴くことは、これまで「昭恵=家庭内野党」の虚像に騙されていた「リベラル」を初めとする人々の幻滅を誘うとともに、安倍晋三の失言を引き出す可能性がある。

 正直言って、私は安倍昭恵の追及を突破口にする以外、ここまで「安倍政権支持」で岩盤化した民意を変えさせることは難しいのではないかと思う。正攻法で挑んでも固い岩盤にはね返されてしまう。2015年の安保法案の攻防をめぐる「立憲主義」の威力は絶大だったが、最終兵器ともいうべき「立憲主義」(この保守思想は「両刃の剣」だと私は考えているが)をもってしても、毎日新聞の世論調査で安倍内閣支持率を32%に下げるのが精いっぱいだった。あの時、「リベラル」たち(私が思い浮かべるのは高橋源一郎だ)は「法案は成立したけれどSEALDsが出てきた。負けたけど勝ったようなものだ」と浮かれていた。あるいは安倍晋三が「戦後70年談話」に「4つのキーワード」を入れたことで、「これでネトウヨらの支持も安倍政権から離れて、政権が倒れる日も遠くない」と喜んでいた、自身を「中道」と思っているらしい「リベラル」のブロガーもいた。しかし、後者については、「安倍さんって極右だと思ってたけど、戦後70年談話に争点となっていた4つのキーワードを入れたりして結構普通じゃん」と思った人々の方が多く、自称「中道」氏(私は「都会保守」とみなしている)の思惑はみごとに外れた。SEALDsと共著を出した高橋源一郎の思惑もまたみごとに外れ、SEALDsの後進の団体が立ち上げられたが、彼らのデモに集まる人たちの数は激減した。

 最後に夏の都議選と長島昭久の民進党離党届提出に触れる。間違いなく「都民ファーストの会」(別ブログでは「都民ファ□ストの会」と表記しているが、こちらのブログでは正式名称で表記する)の大躍進が見込まれる都議選だが、民進党から大量の離党者が出て「都民ファースト」に参加するのが目立つ。長島昭久は自らの地元から離党者が出た責任をとって都連幹事長の役職を辞任したのだが、呆れたことに同じ日に長島自身も民進党の離党届を提出した。

 この件に関して、民進党にいては当選が覚束ないと危機感を抱く現職や元職の都議が一斉に「都民ファースト」に走ったというより、小池百合子への共感を蓮舫が表明して協力を申し出たことに対してすげない態度をとった小池百合子(やその手下である「極右中の極右」野田数)が、民進党の協力を拒絶していながら民進党の現職・元職の引き抜きを行うという外道もいいところの暴挙に出ていることを指摘しておかなければならない。民進党から「都民ファースト」に移籍した者の間から、「都民ファーストからのアプローチがあった」との複数の証言が出ているようなのである。

 しかし、「安倍昭恵=家庭内野党」という虚像に簡単に騙され、昨年末に「小池都知事と公明党と民進党の協力にちょっとワクワクして」いたような自称「中道」は、無邪気に長島の離党を喜ぶていたらくだ。小池百合子はまぎれもない極右であり、本当の中道であるならば危険視及び敵視をしなければならない政治家だと私は確信するのだが、「都民ファーストの会」の悪意を疑うこともなく、「小池新党合流に警戒も、民進党の中道路線&野党共闘に期待」などと書いていられるお花畑ぶりには呆れるほかない。

 いや、前記お花畑氏は極端な例だけれど、それ以外の「リベラル・左派」諸氏に対しても、「都民ファーストの会」への警戒心が弱すぎると思う。なんで長島昭久のような国会議員が「都民ファーストとの独自の連携」を追求すると報じられるのか、疑問に思わないのだろうか。誰が考えても、「都民ファーストの会」は単なる地域政党ではなく、かつて橋下徹がやったような国政進出を視野に入れている、というより都議選前に衆院選が行われる可能性が低いことを考えると、都議選での躍進を踏み台にして、次期衆院選に大量の候補者を立てるとしか私には想像できない。

 ここで、なぜ都議選前に衆院選が行われる可能性が低いと考えるかといえば、来年9月の自民党総裁選に3選されるつもりでいる安倍晋三は、今年9月までに衆院解散・総選挙を行うと、自らの総裁任期中にあともう一度解散総選挙を行わなければならなくなるからだ。だから安倍晋三が都議選前に解散総選挙を行う可能性は低い。「都民ファースト」の国政政党版からの立候補を考えているであろう長島昭久も、都議選前の衆議院解散はないと計算したから民進党離党に踏み切ったものと思われる。仮に都議選前に解散をやられてしまうと、長島は自民党に入るくらいしか生き残る手段がなくなってしまう。長島は東京の民進党では柿沢未途の次に得票力のある議員なので(それでも前回は選挙区で負け、海江田万里を落選に追い込んだw)民進党を離党できたが、そうではない議員はおいそれと離党できない。しかし、柿沢と長島の次に得票力があり、かつ極右である松原仁あたりは離党できる力はある。松原が離党するかどうか微妙だとは思うが。

 概して、「リベラル・左派」は小池百合子と「都民ファーストの会」を甘く見すぎだと思う。このままだと、近い将来日本の国政は自民党と「都民ファーストの会」の国政政党版という、世界でも他に類を見ない「極右二大政党制」が実現してしまう。そうなると「野党共闘」など吹っ飛んでしまうと危惧する今日この頃なのである。
 新年度に入ったが、前年度(2016年)終わりの疲れが全く抜けないままの冴えない出だしとなった。

 4月といえばこのブログを開設した年で、16日で満11年になる。来週と再来週も更新するなら、次の次の回から12年目に入る。いつまで続けるかは全く心許ないが。

 先週は共同通信と日経・テレビ東京の世論調査で、籠池泰典の証人喚問が安倍内閣の支持率をほとんど引き下げなかったために、野党の攻勢が鈍った一方、安倍政権側は強気に出た。

 道徳の教科書でパン屋を和菓子屋に書き換えさせる文科省の検定意見が出たり、銃剣道なる名前も知らなかった「武道」が中学校の指導要領に明記されるなどの反動的政策が一気に噴出した。

 さらに注目されるのは、安倍内閣が学校の教材に教育勅語を用いることを否定しない、という驚くべき「閣議決定」を行ったことだ。以下朝日新聞記事から引用する。
http://www.asahi.com/articles/ASK305RC2K30UTIL03Y.html

教材に教育勅語、否定せず 政府「憲法に反しない形で」
水沢健一
2017年4月1日00時43分

 安倍内閣は31日、戦前・戦中に道徳や教育の基本方針とされた教育勅語(ちょくご)について、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。だが、教育勅語は、過去に国会で排除・失効決議が出ており、答弁書との整合性や、教育現場でどのように使われるのかが問題になりそうだ。

 民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。

 教育勅語は、明治天皇が1890年に国民に授ける形で示した「教え」。両親への孝行など一般的な道徳を表す項目がある一方、国民は君主に支配される「臣民」とされ、国に「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくせ」(旧文部省図書局の通釈)とも書かれている。

 だが、戦後の1948年、国会が「主権在君並びに神話的国体観に基づいている」ことから、「基本的人権を損」なうなどとして教育勅語の排除・失効の確認を決議。森戸辰男文部相(当時)は同年6月の衆院本会議で「教育上の指導原理たる性格を否定してきた」とし、憲法や教育基本法などの制定で「法制上明確にされた」と答弁した。

 今回の答弁書でも「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導」は「不適切」としている。松野博一文部科学相はこれまでの記者会見で、憲法や教育基本法に反しないような配慮があれば「教材として用いることは問題としない」と発言していた。

 一方、第1次安倍政権時の2006年の国会で、伊吹文明文科相(当時)は「戦中の教育に対する反省などから、天皇陛下のお言葉を基本に戦後の教育を作ることは、そぐわないということになり、教育基本法が作られ、衆参両院の議決によって教育勅語は実質的に廃止されたと理解している」と述べている。

 教育勅語は、学校法人「森友学園」が運営する幼稚園で園児が暗唱していたことが報道などで取り上げられるようになり、国会でも勅語をめぐる閣僚の認識が論点になった。(水沢健一)

■権威主義的な使い方されかねない

 島薗進・上智大教授(日本宗教史)の話 問題は「教育の唯一の根本」かどうかではない。臣民である国民に天皇の命ずる教えに従うことを強いたことが問題。権威に従う態度を強い、神聖な天皇に命を捧げるということまで含む。個々人の命が軽んじられた歴史を学ぶためなら必要かもしれないが、教育現場で一方的に教え込む権威主義的な使い方をされかねない。日本の未来に関わる判断であり、時の政府の都合で閣議決定などすべきものではない。

(朝日新聞デジタルより)


 これが幼稚園児に教育勅語を暗唱させていた森友学園への利益供与に首相夫人である安倍昭恵が関与(口利き)していた事実が明らかになった一連の「森友学園事件」で内閣支持率がたいして下がらなかったことを受けての安倍晋三の「回答」だ。

 誰に対する回答かといえば、森友学園事件を機に、あるいは事件発覚前から政権にすり寄る一部の学者やジャーナリストたちから安倍晋三が期待されていた、「日本会議を切り捨てて保守の王道を歩め」という要望に対する回答だ。具体的な人名を挙げれば、立命館大学教授の上久保誠人だ。

 かつて民主党への政権交代があった頃、民主党政権への期待を表明する記事を書いていた上久保は、今では「森友学園問題に見るスキャンダルが安全保障リスク化する懸念」を表明し、安倍政権を守ろうとする側に立っている。それでいながら、上久保は

学校法人「森友学園」への国有地売却を巡る問題は、安倍政権・自民党と保守勢力の「不適切な関係」を切る、絶好の機会とすべきだとも考えている。

と書いた。

 そんな上久保たちに対する安倍晋三の回答が、上述の「教育勅語を教材として用いることを否定しない」という「閣議決定」だ。これは、今はやりの言葉でいえば「ゼロ回答」である。安倍晋三は、「上久保センセ、あんたのご要望には応えられないよ」と言っているわけだ。

 また毎日新聞の「異能記者」であるらしい伊藤智永が『サンデー毎日』に4ページにわたって書いた文章で、安倍首相は実は憲法改正に不熱心だとか、安倍は賢くて日本会議を切り捨てにかかっているなどと論評していたが、それも伊藤記者の思い違いだったことが明らかになった。

 安倍が本当に日本会議を切り捨てにかかっているなら、教育勅語の教材としての使用を否定しないという馬鹿げた「閣議決定」など行うはずがない。ついでに書いておくと、安倍晋三はこの「閣議決定」を「代替真実」(オルタナティブ・ファクト)の製造方法として用いている。「昭恵夫人は私人」とか、「夫人付きの職員は私的な行為に対する支援は行っていない」など。「4年早いトランプ」安倍晋三の面目躍如だ。

 要するに上久保誠人や伊藤智永らが書いたことの反対が事実に当てはまっていると思えば良い。たとえば、「森友学園問題のスキャンダルが安全保障リスク化する」(つまり安倍晋三が安全保障リスクに対する抑止力になっているのに、それが脅かされている)のではなく、安倍晋三その人が日本にとって最大の安全保障リスクであることを森友学園事件が明らかにしたのだ。

 また、安倍晋三は賢いから日本会議を切り捨てようとしているのではなく、安倍晋三は頭が悪いから日本会議を切り捨てられないどころかズブズブにはまっているのだ。

 皮肉なことに、安倍晋三を筆頭とする極右人士たちの一斉の掌返しを受けて、日本会議系列の人たちの本性を思い知ったと思われる森友学園新理事長・籠池町浪の方が、従来安倍晋三が第1次内閣で改悪した2006年改正教育基本法の理念に則った教育を行っていたことを改め、今後は安倍による改悪前の1947年教育基本法の理念に基づく教育を行うとの声明を発表した。

 つまり上久保誠人や伊藤智永らの希望あるいは観察とは正反対の事態になった。この延長線上に何が起きるかといえば、ワイドショーでさんざん笑われた塚本幼稚園そっくりの幼稚園や小学校や中学校が全国に続々と現れ(というより、それはあまり報じられていないだけで今も多数あるだろう)、一方塚本幼稚園がもし存続しているなら、まともな教育を細々やるという未来だ。

 上久保誠人はおそらく(というか間違いなく)新自由主義者であり、一方2006年に当時総理大臣だった小泉純一郎をこき下ろしたことで知られる伊藤智永は、昨日(4/2)のTBS『サンデーモーニング』に出演していた寺島実郎などとも共通する「まともな保守」を追求する人間だろう。

 だが、それら別々の立場から日本会議を厭う人たちが安倍晋三に親和的な態度をとり続けたことが、日本国の「日本会議化」を後押ししているのではないか。

 同様のことが野党(特に民進党)、あるいは市井の「リベラル」にもいえる。たとえば民進党議員たちは「忖度」なる言葉で政府を追及するが、「忖度があったか」と言われれば「なかった」と返されてそれ以上追及ができないだけではない。仮に「忖度があった」としても、それは権力者夫妻の意向を想像した官僚が勝手にやったことにしかならないのだ。大阪府知事の松井一郎が「安倍総理は忖度を認めるべきだ」と「批判」していると報じられたのは、間違いなく松井が「安倍さんよ、忖度した官僚のせいにして幕引きしてしまえよ」と言っているに等しい。

 その松井一郎の言葉を「安倍政権への批判」と捉えてしまうくらい、マスコミの市井の「リベラル」も批判能力を失っている。

 また、市井の「リベラル」が安倍昭恵に対してどうしようもなく甘いのも痛い。安倍昭恵の「家庭内野党」の宣伝はここまで功を奏していた.

 日刊ゲンダイや週刊朝日などが、安倍夫妻は「仮面夫婦」だとする記事を垂れ流しているが、私はこれを全く信じない。むしろ、安倍昭恵の「家庭内野党」とのイメージの方が間違いなく仮面だ。安倍昭恵は極右教育者には森友学園の他にも加計学園の件にも見られる通り口利きしまくりだが、沖縄の山城議長の保釈や脱原発に関しては何らの政治的影響力も発していない。安倍晋三・昭恵夫妻は「夫唱婦随」の「おしどり夫婦」であるとみなすほかない。

 しかし、安倍昭恵の「リベラル」なイメージに幻惑された市井の「リベラル」、たとえば私が定点観測しているあるブロガーなど、安倍昭恵の「秘書」をやっていた政府職員のFAX発覚にショックを受けて「プチ圧力」みたいだと書き、最近ではようやく安倍昭恵の関与を認めざるを得なくなったようだが、安倍自民による「幕引き」を警戒する記事を書く今になってもまだこのブログ主が安倍昭恵の証人喚問を求めた記事を書いたことは一度もない。いや、市井のブロガーだけではなく、民進党の山井和則も安倍昭恵の証人喚問に消極的な発言をした。

 これでは「安倍一強独裁」も「日本国の日本会議化」も止めようがないだろう。

 今年度は、夏の東京都議選という不気味な日程もある。結局いい加減止めたいと思っている以下の決めゼリフで今年度最初の記事を締めざるを得なくなった。

 「崩壊の時代」はまだまだ続く。出口は見えない。