いつしかすっかり忌まわしい記念日となってしまったが、今年はようやく小泉郵政選挙を完全に打ち消す「政権交代選挙」が行われ、その後に「9・11」を迎えることになった。
今日は本当は高速道路無料化に関してコメント欄で今なお続いている議論を、多少整理して紹介しようと思っていたが、昨日、今回の総選挙で当選したさる無所属議員のブログにまたまた馬鹿げたエントリが上がり、それに関して徒労かもしれない記事をはてなの裏ブログの方に書くことに時間をとられてしまった。こういう日にはブログを休むべきなのだろうが、なんといっても9月11日であり、この日にはやはりブログを更新しなければ、と思い直した次第だ。
自分のブログであからさまにレイシズムを表明した政治家が、テレビなどで見かける外見はその意見表明が嘘のような誠実な人間に見えるからといって、「9条護憲」のバナーを自らのブログに張っているブロガーが、レイシズムの言辞に一言も触れずに「温かく見守る」と書いたことは、多くの読者の失望を招いた。
邪推かもしれないが、当該ブロガーは政治家のレイシズム的言辞よりもブロガー仲間の身内意識を優先したのではないか。そして、このことは、8日付のエントリで紹介した、関東大震災が起きた際に被差別部落出身者を虐殺した犯人たちを、村やその住民が庇い、献身的に身内を守り通したエピソードを否応なしに思い出させる。憲法9条を守ろうというのは立派な理念だが、レイシズムを表明して恥じない政治家を応援するブロガーを守り抜こうとするブログ村落共同体の体質は、9条護憲の理念からはあまりに大きく乖離していて、幻滅せずにはいられない。せめて、差別的言辞とみなされているあの文章は、本当はレイシズムの発露なんかじゃないんだと、論拠を示して訴える姿勢があれば、仮にその主張に納得できなくとも、論者の誠実さだけは感じることができるだろう。しかし、当該ブロガーは問題の件について何も語らず、単に「温かく見守る」としか書かなかったのである。実は私は、「水伝騒動」の際に見せた当該ブロガーの態度に感服するところがあった。それだけに今回、ブロガーが何の論拠も示さずに、ただ政治家を「温かく見守る」とだけ書いたことに対する幻滅は大きかった。これでは差別がなくならないはずだ。「自らの判断が間違っていた時、正直にそれを認める」のは、当該ブロガー自身には確かに当てはまっていることを「水伝騒動」の際に見せてもらったが、レイシストの政治家には全然当てはまっておらず、すぐ頭に血を昇らせては自身のブログを何度も炎上させているのである。
ところで、リベラル・平和系ともリベラル・左派系といわれるブログ群(郡?)にも、自エンド村とか、野党共闘村とか、護憲アマゾネス村、あるいは共産党支持者の集落、大きいけれども右系を半数近く含むはてな村など、さまざまな村がある。中には、リーダーがレイシストと化した村まである。三種の神器への崇拝が要求される新興宗教の村もあり、そこでは五角形が悪魔の象徴とされている。そして、それらのうちいくつかの村では、右側エリアを本拠地とする、信念を貫くレイシストが異様な人気を誇っているのである。
私は、村なんて捨ててもっと外の世界を見ようよ、といつも言っているのだが、なかなか通じない。ひとたび流れが決まると、それを変えることは非常に難しい。それは権力者たちにとっても同じである。今回、これまで政権を担ってきた自民党の政治家たちがいかに無能であったかが白日の下にさらされたが、彼らも自民党や政官業癒着構造の外の世界を把握することができなかった。
環境問題も同じである。京都という、わが国が誇る古都の名を冠した議定書に掲げた目標を達成するどころか事態を悪化させ続けてきたのが、これまでの日本だった。政権交代が成って、温室効果ガスの削減中期目標1990年比25%減を打ち出している民主党の岡田克也は「麻生首相のもとで出てきた恥ずかしい数字は、もう全部白紙に戻す」と言っているが、民主党の支援団体でもある電力総連や自動車総連は、岡田氏が「恥ずかしい数字」と言った麻生首相の1990年比8%減さえ認めず、経団連と同じ1990年比4%増を主張する「環境極右」ぶりを発揮している。
5月22日付エントリ「エネルギー政策を骨抜きにする経産省と、無策の麻生首相」に書いたように、1970年代にアメリカでマスキー法という厳しい排ガス規制が提案された時、日本の自動車メーカーは懸命の努力をして燃費の良い車を生み、それが現在の国際競争力につながった。当時の自動車業界の努力を報じる新聞を読んで、私は子供心にこの国の人々を誇らしく思ったものだが、いつの間にか日本人は開拓者精神を失い、労働組合は使用者と一体となって既得権益を死守しようとする権力側に立つようになった。かつて、経営者が先頭に立って燃費の良い車を開発した時代とは雲泥の差であり、これでは国勢が傾くのも止むを得ない。労働問題でしばしば経団連との妥協が批判される民主党だが、環境問題については経団連との立場の違いを明確にしており、好感が持てる。ただ、そうはいっても民主党は原子力発電推進勢力だし、上記の民主党支援労組にも足を引っ張られそうだ。社民党の福島瑞穂党首の入閣が内定したことでもあり、ここは福島氏を環境大臣に据えてはどうだろうか。社民党の環境・エネルギー政策には特徴があり、共産党と比較して唯一社民党に一日の長があるのがこの分野だと私は考えている。未来を見据える目をすっかり失ってしまった日本人に開拓者精神を取り戻すためにも、新政権の環境・エネルギー政策に私は大いに期待している。ぼやきで始めた「9・11」のエントリを、多少は未来への希望を述べる言葉で閉じたいと思う次第である。
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社民党の電気エネルギー政策の目玉は、九州大学の研究室と一緒に、大型風力発電の提唱をしている点です。
他方で、先日政府機関が、陸上での風力発電の立地点の限界から、洋上フロートに風力発電所を作ると言うプランを出しました。
私は風力発電の限界も含めて、洋上フロート利用の大出力風力発電所と、それに付属する燃料電池、バイオエタノール製造プラントのコングロマトリックスを提唱します。
洋上フロートでは、波を抑えるために、波力発電も実施してはどうかと思います。
電力系統に10万キロワット単位で変動する風力発電を直結するのでは制御不能になります。
そこで、風力でもってできる電力を、水素酸素電池や、エタノール製造工場で使い、それをタンカーで各地に配送する方法をとるのが合理的だと考えています。
水素・酸素での火力発電所も良いかもしれない。
こういったことも、省庁横断で、研究、開発をすればと思います。
2009.09.11 09:37 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]
社民党には期待していたが失望した。連立協議はともかくその後の猟官運動は酷いものだ。参院選に向けて成果を出そうと党利党略に走っている。これでは自民党の派閥の猟官運動と何か違うのか。政権交代を自党のために使おうとしている。こんな政党とは思わなかった。
今までは社民党に期待もしていたが失望させられた。もはや来年の参院選で民主党が勝つことを望むしかない。それで社民党をきるべきだ。猟官運動を進める社民党とは手を組めない。
2009.09.11 10:31 URL | 猟官運動 #- [ 編集 ]
結局、経済成長戦略抜きの環境保全政策など、現実にはありえないでしょう。だから眠り猫さんが挙げられたような新しい技術を積極的に導入して、「グリーン・ニューディール」を進めていかなければならないでしょうね。
無駄な公共事業抑制というのも、同時に代わりの景気対策を伴わなければ、必ず政権不支持に跳ね返ります。だれもが「背に腹は代えられぬ」ですから。
その意味でも、民主党の子供手当・高速道路無料化といった、末端の内需喚起政策ぐらいは、是非貫徹しなければならないと思います。
2009.09.11 10:38 URL | cube #- [ 編集 ]
城内実の酷さを知ったのは、こちらのブログのおかげだが
あれは「温かく見守」って何か実りがあるものじゃない。
せっかく当選したのに、改めて抱負を述べるより早く
ブログランキングにいちゃもんつける有様なのだから。
国籍法に対する件の例え話は、差別発言もひどいが
政治の混乱を警察官の立場でしか、とらえておらず
地方自治への想像力がスッポリ抜けている。
警察官、ようは中央集権的な役人の発想しかない者が
何を見て、何のため郵政民営化に反対したのか
「温かく見守る」人は、落ち着いて考えて下さい。
田母神人気のむなしさに賢明な保守派が冷や汗を
流すように、小泉改革批判ムラとって
信念信念の連呼がどんなに空恐ろしいものか
せめて反省する材料になって欲しい。
2009.09.11 17:50 URL | SW #mjPE0GIo [ 編集 ]
なぜ城内氏を支持するのか全く分からないし、理解できない。
悪Xペンタゴンにもドン引き。
彼らに対して持っているこの違和感は何なんだろう。
2009.09.11 21:15 URL | タワワ #fQdEaAVk [ 編集 ]
社民党は確かに甘い。
環境だ、新エネルギーだと言うなら、馬が良い、馬が。
一家に一頭、馬。
城内さんもブログになんくせつける暇があったら馬を飼おう。馬。
河川敷の草をくってりゃ「燃料」はok
廃棄物は道端におとす糞と小便だけで、全くの無害。
家庭の労働力としてだけではなく、家族の絆を取り戻す心のパートナーとしても最適。
しかも死んだら数ヶ月分の食料にもなる。
馬こそエコ。
トヨタ自動車よ、さようなら。
これからは岩手県産の労務馬の時代だ。
2009.09.12 01:29 URL | sonic #GCA3nAmE [ 編集 ]
私が政治系ブログを読み始めたのは2年前参院選の前あたりからですが、当時よく訪問したブログのひとつだったのが、問題のエントリをたちあげた護憲派ブログです。しかし、昨年くらいから閲覧の回数が減り始め、今年にはいってからは、ほとんどアクセスしていません。そのブログの本道であるはずの九条護憲や運動論からそれた「右も左も理解しあおう」みたいな主張をやたら繰り返すことにうんざりしてきたからです。そして、決定的な失望を感じたのが「嫌中・嫌韓の護憲派もいる」ことを護憲派層の確実な広がりを示すものと単純に肯定していたことでした。
「これはないだろー」と思いました。私は、戦争・軍隊を否定する九条は平和主義の条項というだけでなく、明治以来日本が歩んできた道~富国強兵と海外侵略~との決別の意味も含まれていると解釈しています。好き嫌いは人それぞれなどという言い訳は通らない「嫌中・嫌韓」から想起される排外主義・歴史修正主義と九条は相容れないもののはずで自他共に認める「護憲派ブロガー」が全くそこに言及しないことにがっかりしたのです。
「佐藤優批判」で知られる金光翔氏の言葉を借りれば「レイシスト的保護主義グループ」ということになるでしょうか。
レイシスト的保護主義グループの成立
http://watashinim.exblog.jp/9650470/
ポピュリズム批判とポピュリズム化の同時進行
http://watashinim.exblog.jp/9772040
二つ目に紹介したエントリで述べているように、氏は「マガジン9条」にも否定的です。しかし、今年5月同サイトに掲載された憲法学者・田村理氏へのインタビュー(http://www.magazine9.jp/interv/tamura/index2.php)にはかなり共感を示されています。
以下、田村氏へのインタビューから一部抜粋して引用。
>「僕が批判する護憲派とは「9条の条文が変わらなければいいから、自衛隊や日米安保などと9条の矛盾をどうするかは当面議論しない」という考えの人たち、「中身はどうでもいいから改正しないために大同団結しましょう」と主張する人たちのことです。
中略
>「世界情勢や国民意識の変化を理由に、かつてはあれほど反対していた自衛隊の海外派遣を朝日が認めてしまったことは、「現実主義」というよりは「なし崩しの論理」でしかない。これがまかりとおってしまえば、「世界情勢や国民の意識が変わった」からと、いずれ集団的自衛権の行使も認められてしまうでしょう。
>この種の護憲論には、理想を目指す意志が全く感じられない。憲法は、国家=権力の現実を本来あるべき姿に近づけるためにあるはずなのに。そして、あえて厳しい言葉を使わせてもらえば「卑怯」です。徴兵も行ないません、戦争はしません、だから国民は戦争に巻き込まれません、でも国は僕たちを守ってくれるはずだし、国際貢献は必要だから自衛隊さんは頑張って……。ご都合主義的で、僕たちが負うべきリスクや責任も知らないふりです。この卑怯さには皆が気づいている。だから鼻白む。改憲派の批判に正面からこたえられる護憲派は少ない。これこそ護憲派のアキレス腱です。護憲派がなすべきことは、中身を問わない「大同団結」などではなく、9条が目指す理想とは何か、それを実現するために何が必要かについてのコンセンサスを見解の対立の中で鍛え、リスクも含めて国民に誠実に説くことではないでしょうか。」
社民党にとっても耳が痛いことばでしょう。実際、現状を考えたら、社民党は「護憲政党」より「緑の党」にシフトしたほうが良いのではないかと皮肉まじりに思ったりします。
11'09"01/セプテンバー11(2002年)という世界11ヵ国、11人の著名な監督による11分9秒1フレームのオムニバス映画があります(日本からは故今村昌平が参加していました)。
「被害者・アメリカ」を強調するようなものではなく、この悲劇を生みだした「世界の構造」を問うことをメッセージとした作品でした。
中でもイギリスの名匠ケン・ローチの作品はロンドンに亡命中のチリ人男性の話を通して1973年に起きたもうひとつの「9月11日」の悲劇とあの「9.11」をリンクさせることでアメリカのダブルスタンダードを鋭くついていました。
選挙を通じて政権を獲得し、反対政党を含む複数政党の存在を認めるなど完全な市民的自由を保障した初の社会主義国の誕生は、当時同じ道を目指した西側諸国の社会民主党や共産党及びその支持者にとって大いなる希望でした。その希望は、「自由社会の守り手」アメリカによって無惨に打ち砕かれてしまったのです。
2009.09.12 22:41 URL | ぽむ #mQop/nM. [ 編集 ]
ぽむさん、
> 決定的な失望を感じたのが「嫌中・嫌韓の護憲派もいる」ことを護憲派層の確実な広がりを示すものと単純に肯定していたことでした。
これにはさすがに驚いたので、ネット検索をかけてみました。下記エントリですね。
http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-430.html
実は私は某所で「真正保守」をバカにする文章を書いたところ、「私の知っている真正保守の中には、他民族の尊厳を尊重する人たちもいる」とたしなめられたばかりです。百歩譲って右派を肯定するにしても、他者や他民族の尊厳を尊重しなければならないというのは、「リベラル・左派」として絶対に譲ってはならないところですよね。「嫌中・嫌韓の護憲派っていったい...」と呆れてしまいます。ひどい倒錯ですよね。
70年代の昔は、革新派の政治勢力だけではなく、一般市民の間でも高い理想を掲げる日本国憲法を誇りに思う気持ちがあったはずだと思うのに(少なくとも当時少年だった私にはその気持ちがありました)、いまや護憲派まで「嫌中・嫌韓」を大目に見る風潮があるとは、と愕然としました。
なるほど、そんな心性では城内実を「温かく見守る」気にもなろうというものですね。絶句してしまいます。
2009.09.12 23:34 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]
護憲派にとって一番手強い相手は、いわゆる極右翼勢力などではなく小沢一郎氏のような「筋の通った」改憲論者なのです(「えらぼーと」で見ると正確には彼は解釈改憲派のようですが)。氏は、日本の戦争責任もちゃんと認め、そのけじめをつけた上で「国際協力」として国連軍・多国籍軍へ参加するという主張を長年されています。平沼氏たちとの提携を拒否したことに加え、党内から極右勢力を極力排除したのも周知の通りです。氏の掲げる「普通の国」論はそれなりに説得力もあるし、国際的にも受け入れられやすい、など並大抵では凌駕できる相手ではありません。
ところが、肝心の護憲派がこともあろうに、いくら護憲派層を広がたいからといって日本国憲法が掲げる崇高な理想を忘れ、民族主義的右翼・歴史修正主義者・レイシストに寛容では、本末転倒もいいところで護憲運動を自滅へと向かわせているとしか思えないのです。
「九条の会」の立役者だった故加藤周一さんや故小田実さんがこの事態を知ったらどう思われたでしょう。
「城内実氏が護憲派」は小林よしのり氏の場合と同じでしょう。小林氏もイラク派兵に反対し「アメリカのために戦争に参加することになる現時点での改憲は反対」と言っています。それだけのことです。
2009.09.15 14:03 URL | ぽむ #mQop/nM. [ 編集 ]
ぽむさん、
> 護憲派にとって一番手強い相手は、いわゆる極右翼勢力などではなく小沢一郎氏のような「筋の通った」改憲論者なのです(「えらぼーと」で見ると正確には彼は解釈改憲派のようですが)。
これはその通りですね。
> 「城内実氏が護憲派」は小林よしのり氏の場合と同じでしょう。小林氏もイラク派兵に反対し「アメリカのために戦争に参加することになる現時点での改憲は反対」と言っています。それだけのことです。
ああ、そういえば小林よしのり式の改憲反対というか「現時点では」の但し書きつき改憲反対論もありましたね。小林は反中反韓だから、平沼・城内と主張が近いかもしれません。
それこそ「世間一般」(阿部謹也の本を読んだにもかかわらずこの語を濫用するのは好ましくないのでしょうけど)というか「2ちゃんねる」でさえ、小林よしのりなど半ば忘れられた存在なので、私も城内実を論じながらすっかり頭から去っていましたが、考えてみれば小林の影響がネットの「護憲派」に残っているようなものですよね。事実は小説より奇なり、といったところでしょうか。
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