インフルエンザの呼称については、ニューヨーク・タイムズなどでは "new swine flu"(新型の豚インフルエンザ)と表記しているようだし、当ブログもそれに準じる。4月30日付エントリ「情報過多社会は却って重要な情報を見逃すのではないか?」で、うっかり
と書いたが、これは必ずしも正しくなかった。テレビでは確かに「豚」とは言わなくなったが、朝日新聞が「新型の豚インフルエンザ」と表記しているほか、ウェブ版では「新型インフルエンザ」としか表記していない新聞の中にも、紙面では「豚」の文字を適宜入れているところもあった。「豚インフルエンザ」から「豚」の文字が消え、「新型インフルエンザ」なる情報量を減らした呼称に変わった。
インフルエンザは、日本ではこれから1か月もすれば梅雨に入るし、報道も下火になるだろうが、この冬には脅威になる恐れがある。その頃には、総選挙も終わっているはずだ。
総選挙の日程だが、異様なまでにメンツにこだわる麻生太郎のことだから、サミットに出席したいだの安倍晋三や福田康夫なみの任期は務めたいだのとくだらないことを考えるに違いなく、それでも麻生の手で解散だけはするだろう。おそらく投票日は8月30日か9月6日で、実質的には任期満了選挙になり、自民党は負ける。但し次期首相が小沢一郎になる保証はない。
このところ気になって仕方がないのが1930年代とのアナロジーなのだが、当時の日本はイタリアやドイツのようなファシズム政権には分類されず、拡張主義的な軍事独裁政権とされているようだ。現在の日本は、国力の衰退が進むとともに、危険な排外主義の機運が高まっているように思う。世界経済危機に当たって10年間選挙を停止せよと発言したことのある平沼赳夫などは明白なファシストであると私は思うが、せめて歴史によく学んで、過去に人類が犯した誤りは繰り返さないようにしたいものだ。過去にもファシストたちは右も左も取り込もうとした。今後日本の政治も経済も大混乱は避けられないだろうが、日本は世界の中で生きていかなければならない。その一方で、日本経済が内需拡大を必要としている。今回のアメリカ発経済危機のように、大国に振り回されてもならない。内にこもってはならず、外に振り回されてもならない今後の日本の舵取りは非常に難しく、ファシストの平沼は論外だが、無能な世襲政治家どもにもとても任せられないと思う今日この頃である。
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>このところ気になって仕方がないのが1930年代とのアナロジーなのだが、当時の日本はイタリアやドイツのようなファシズム政権には分類されず、拡張主義的な軍事独裁政権とされているようだ。
「ファシズムは民主主義の鬼子」とすると戦前の日本は同盟国ドイツやイタリアのファシズムとは明らかに違うと思います。現在の日本の状況を「いつか来た道」と戦前の日中戦争~太平洋戦争へと破滅の道をひた走ったあの時代へたとえる意見をよく見ますが、私は同じ時代、ワイマール末期のナチス独裁へ向かったドイツに、より近いと思っています。
戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)は皇帝権の強いプロイセン憲法を手本にしたとされていますが、このプロイセン憲法をいだく「遅れてきた帝国主義」ウィリヘルム二世のドイツ帝国は第一次大戦をひきおこし、結局英・仏・露及び遅れて参戦したアメリカに敗れさりました。
その敗北を契機に起こったドイツ革命によって、ドイツ帝国が崩壊した後に制定されたのが自由権に加え社会権保障を考慮した当時世界で最も民主的な憲法とされたワイマール憲法でした。1919~1933年1月までのいわゆるワイマール共和国は自由と民主主義を掲げた国家のもとで文化・芸術が花開いた時代でした。
しかし、ヴェルサイユ条約によりドイツは過酷な倍賞金返済の義務をかせられ、それが1929年の世界恐慌に先立つすさまじいインフレの一因となってドイツ国民の暮らしを苦しめたのです。さらにドイツの再軍備にも厳しい制約を加えた事が「愛国者」たちの不満を鬱積させることとなりました。そして、1929年の大恐慌で壊滅的な打撃を受け、自暴自棄となった国民は全権をナチスにゆだねてしまったわけです。
大日本帝国憲法がプロイセン憲法を日本国憲法がワイマール憲法をそれぞれ手本としているというのも考えさせられます。
第一次世界大戦がもたらした悲惨な教訓を生かす事なく、ナチスを台頭させ再び第二次世界大戦を引き起こし、さらに悲惨な結果を招いた事実に戦後ドイツは真摯に向かい合いました。戦勝国による一方的で過酷な賠償の請求があったとはいえワイマール共和国という民主国家からファシズムを生み出してしまったまさに「自己責任」だからです。日本ももう一度そこまでいかないと目覚めないのでしょうか。もちろん、絶対にそうなってはいけないのですが、昨今のいろいろな動きを見ているとつい悲観的になってしまいます。
2009.05.07 14:40 URL | ぽむ #mQop/nM. [ 編集 ]
下記アップしました。
われ決意す、たとえ倒れようとも、痩躯(?)に鞭うち這ってでも前進し捨て石とならん、君ら我らに続け、未来は君たちのものだ!
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2009/05/post-1.html
↓「命落とすな自公を落とせ、選挙に行こう衆院選バナーです。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/0anime/jiminwotheend83B-S.gif
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/0anime/jiminwotheend83-2B-S.gif
2009.05.08 18:36 URL | SOBA #XPXthLJ6 [ 編集 ]
昨日5月8日は、ドイツの降伏によりヨーロッパ戦線での第二次世界大戦が集結したVE Day(欧州勝利の日)でした。
私がワイマール末期のドイツと現在の日本の状況が似ていると感じるいちばんの理由は、経済や社会の状況の類似点ではなく、民主的な憲法をかかげているにもかかわらず現実の民主主義が未成熟のまま崩壊に向かっていくという事です(日本はまだ崩壊しきってはいません。望みはあります……と、信じたいです)。
第一次大戦末期に起こったドイツ革命はドイツ社会や国民の意識を大きく変えるほど徹底したものではなかったので、ワイマール共和制になっても帝政時代の社会と精神は、そのまま引き継がれました。ことに強者には従順で、弱者には横柄、排外主義というファシズムになびきやすい権威的・官僚的な精神構造は根強く残ったままだったのです。一方、第二次大戦直後の日本はGHQの指導で農地改革・財閥解体など第一次大戦後のドイツより大胆な社会変革が行われました。しかし、冷戦の開始とともにアメリカの対日政策は日本を「反共の同盟国」とする事にシフトし、戦犯の公職復帰・財閥解体の放棄・警察予備隊(後の自衛隊)の創設等の「逆コース」路線が始まり、民主化も戦争責任の追及も徹底されぬまま今日に至っています。さらに封建的で権力に屈しやすい精神構造も変わらず、軍隊がなくなったとはいえ「企業戦士」などに見られるように軍隊精神や滅私奉公を賛美する風潮が常に潜在しているのです。
また、政局に目を向けるとワイマール末期では共和制の中心政党である中央党すらワイマール共和制を支持せずナチスとの連立内閣を画策していたというのも、今や自民党が戦後民主主義を否定していることを連想させます。
形式は民主国家ではあるけれど、民度が低い状態というのはファシズムが成長しやすい土壌で経済危機などで一気に急成長をとげるのではないでしょうか。
でも、私は歴史学者でも社会学者でもないちょっと歴史や社会学に興味があるだけの全くの素人なので、柄谷行人氏の説と並べられても恥ずかしいです。本当の思いつきみたいなものなのです。復活版朝日ジャーナルは読みたいと思いつつまだ入手していないので柄谷氏の記事も読んでいないのですが、
>1890年代以降に勢力を拡大した社会民主主義者やアナーキストが第1次大戦において国民の利益のために開戦に踏み切ったとしているが、
始めは戦争に反対していた彼らが国を超えた労働者の連帯より民族主義的な愛国精神になびいてしまったのですね。この時代を描いたフランスの長編小説「チボー家の人々」を思い出しました。「佐藤優現象批判」の金光翔氏も指摘されているように今の反貧困運動も外国人労働者問題などにどう対応していくかが試金石となりそうです。
ナチスを熱狂的に支持した勢力が下層中産階級だったといわれています。組合に入れない小売業者・農民・職人など基本的に保守的な考えの人々は中央党のような旧政治勢力に失望しつつも左派政党への反発も強く「右でも左でもない何か新しいもの」を求めてナチスに近づいたわけです。もっとも彼らを動かす事ができなかった上に、大敵ナチスを前にしながらイデオロギー論争に固執し共闘を組めなかった左派政党や知識人にも大いに責任があり、その点も現在の日本に通じるのではないかと思うのです。
2009.05.09 15:45 URL | ぽむ #mQop/nM. [ 編集 ]
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