きまぐれな日々

 サブプライムローン問題に端を発したアメリカ発の金融危機によって、東証の株価も下げ続けており、それとともに衆議院の解散もどっかに飛んでいってしまいそうだ。

 当ブログは土日をお休みしたし、その前は2日続けてプロ野球の星野仙一を批判する記事だったので、政治に関する記事は当ブログには4日間書いていなかった。その間、東京都内で脳内出血を起こした妊婦が7つの病院から受け入れを拒否されて死亡した問題について、厚生労働大臣の舛添要一と東京都知事の石原慎太郎が醜い悪口の言い合いをするなど、普段なら飛びついてブログの記事にするような題材はいくらでもあったのだが、重大な歴史の転換点に立っているという意識が、そうした問題をブログで取り上げることを阻んだ。なお、あの問題では医師不足は当然厚労省の責任であって、舛添に分が悪い喧嘩であり、何よりあの切れ方には舛添の無能さがよく現れていたが、それを批判する石原にしても、日本の現状を「高福祉低負担だ」と評していたのに呆れた。1999年の都知事選以来の遺恨なのかもしれないが、身勝手な政治家同士の程度の低い言い争いにしか見えなかった。だが、世界大恐慌へ突入かという事態の重大さを思うと、犬同士が吼え合っているような舛添と石原のくだらない喧嘩について、長々と文章を書き連ねる気にはなれない。

 アメリカ人や日経新聞が神のようにあがめ奉っていたアラン・グリーンスパンが、ついに米国議会で23日、自身の自由市場理論の欠陥を認め、「世界観が間違っていた」と言ったのである。数十年間にわたって、「自由市場理論が例外なくうまく機能する事例を見てきた」グリーンスパンは、現在の状況に「強い衝撃」を受けているのだと言う。

 先月、「ニューズウィーク」は、「戦犯、その名はグリーンスパン」と題した記事で、

 定評ある市場「感覚」で神様ともてはやされたグリーンスパンに対し、多くの人が、金融緩和が住宅ローンバブルを加速させた責任を問う。しかしはるかに大きな問題は、彼が「最小限の規制」を信奉したことだ。

と、グリーンスパンを厳しく批判した。

 今回、米国議会でグリーンスパン自身が、デリバティブの規制に対して反対の姿勢をとってきたことが誤りだったと認めたことの意味は大きい。ここ数十年、世界を支配してきた規範が、今転換されようとしているのだ。

 ところが、グリーンスパンが厳しい批判にさらされている同じ時期に、竹中平蔵はテレビに出まくって、さらなる規制緩和の必要性を力説していた。昨日(26日)のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で辻元清美が、竹中平蔵や宮内義彦も国会に呼んで追及しなければならないと言っていたが、その通りだろう。この期に及んで、あの父っちゃん小僧のにやけ面で、いけしゃあしゃあと「規制緩和」を説く竹中平蔵の顔を見ていると、テレビをぶっ壊したくなる衝動に駆られる。

 世界同時株安は、麻生太郎の足もすくませた。アメリカの大統領選では金融危機は共和党のマケインに不利、民主党のオバマに有利に働きそうだが、日本でも政権政党に不利に働くのではないかとの不安が、内閣支持率の低下と相俟って、麻生に解散をためらわせたものだろう。当ブログ管理人の地元でもそうだが、自民党議員はすでに選挙運動を始めていた。それは野党の議員や候補者も同じだろう。私は、いったん下野して新政権の施策を批判し、支持を拡大することが自民党にとってベストの選択肢だと思っていたが、いったん権力の座を手にした麻生太郎は、その道を選ばなかった。

 だが、遅くとも来年9月までには選挙が行われる。グリーンスパンが「世界観の誤り」を認めているほどだから、いまだに「コイズミカイカク」の総括もできない自民党に勝利の目はない。麻生太郎のなし崩し路線変更は、落選必至の「コイズミチルドレン」の反発を招いて、執行部への求心力を弱める結果にしかならないし、一方で「構造改革」の核心を否定できない以上、政策も中途半端なものにならざるを得なくて、効果は全く期待できないのである。

 ところで土曜日(25日)、大阪まで辺見庸の講演会を聴きに行ってきた。辺見さんは、病を得て体が不自由な上、風邪を引いているとのことだったが、休憩を挟んで3時間、熱のこもった講演を聴くことができた。自宅に帰り着いた時には午前1時を回っていたが、大枚をはたいて大阪まで行った価値があったと思えた。会場にはNHKのカメラが回っていたし、11月末には毎日新聞社から辺見さんの書き下ろしの新刊が出版されるそうだ。

 だから、講演会の内容を長々とブログで紹介したりはしないが、印象に残ったことの一つは、今後これまでの新自由主義に代わって、国家による統制をよしとする言論が支持されるようになり、それに伴って国家社会主義の変種ともいうべき者が、「革新づらをして」現れるだろうという辺見さんの予言だった。

 当ブログも10月16日のエントリで世界大恐慌突入(1929年)の2年後、1931年の満州事変を引き合いに出して、「歴史に学べない民族」の汚名だけは着たくないと書いたが、辺見さんの講演でも、まさにその満州事変への言及があり、過去に学ぶしかない、自分たちの手で日本人の自画像を描くべきだと力説されていた。

 ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)も、その正式名称が示す通り、出発点は社会主義だった。現在でも、反新自由主義が国家主義と結びつく傾向は一部に見られるし、「右も左もない」という言い方でそれにすり寄る「左」と思われている人たちもいる。これも辺見さんの指摘だが、戦前はナショナリズムの高揚とともに転向の時代がきた。同じ誤りを繰り返してはならない。

 以下は私の主張だが、憲法9条と憲法25条は不可分の関係にあり、両者を関連づけて論じなければならない。戦前と現在でもっとも大きく異なるのは、明治憲法と日本国憲法の違いだと思う今日この頃なのである。
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「右翼の本義とは何か。その歴史の考察
http://blogs.yahoo.co/jp/valuejapan36/

2008.10.27 10:32 URL | 南十字星 #- [ 編集 ]

ご無沙汰しておりました。反知性派ラジオアザーサイドジャーナルです。
今回のエントリを読んであえて星野批判を読み直してみました。多くのコメントが寄せられたそうですが、他のブログや掲示板等でも同様に大きな欠落が見て取れましたのでここに書き込みをさせていただきます。

監督としての星野氏への多くの批判は参謀「島野育夫」の存在を無視して論じられています。私は島野なき星野はすでに監督としてその能力の大半を失ってしまっていると感じております。ですので北京五輪の敗退は予想通りでありました。本来ならばラジオネタとしては「おいしい」のではありますが、すでに監督として「死んだ」以上鞭打つのは忍びなくあえて話題にはしませんでした。

「金しかいらない」とTVで豪語するたびに私は星野氏の「怯え」を感じていました。それを思えば急激に読売グループなかんずくナベツネに擦り寄った時期は、島野氏の病状と符号しています。おそらく彼は自分の限界が「島野の限界」と同じだと感じていたに違いありません。島野氏とチームメイトであった楽天の野村氏はこの事実を知っているが故に先日の会合をかき回すような発言ができたのです。野村氏自身もヤクルト入りする際には「松岡ユニット」でコーチ陣を編成して優勝させたのと同じで、ゲームはグラウンドばかりでなくベンチもチームとしての能力が勝負なのです。

星野氏の監督としての栄光は島野育夫なくしては語られません。この事実は島野氏本人の性格や立場を反映したのかほとんど知らされず報道もされていません。私はブログ主さんにここにスポットを当てたエントリで書かれた星野批判であってほしかったと思います。日の当たらない真実や人にに思いをはせる事こそ既存メディアに対する我々情報発信者の矜持ではないでしょうか。

新聞報道や知識人の書き物から編み出される読者が容易に類推できるようなものではなく、期待されるのは自身の一歩踏み込んだ解析なり思考であっていただきたい。あえて苦言を申し上げます。我々読者はブログ主ならではの視点・論点を期待しているのであって、進歩的文化人の伝え聞きではないのです。

以前、ブログ主さんのモチベーションが下がったとのエントリを読んでいち早く応援のコメントをした一ファンとして書かせていただきました。

2008.10.27 11:18 URL | 秀太郎 #- [ 編集 ]

今日の記事のたタイトルを見て、一瞬ギクッとしました。「国家社会主義」といったら、かつてのナチス・ドイツを思い起こすからです。和田春樹氏によると、ナチス体制と日本の高度国防国家体制は、ソ連のスターリン体制から派生したものでいわば兄弟のようなものだとか。


それはともかく、本家のグリーンスパンが誤りを認めているというのに、我がヘイゾー氏はあいも変わらず、コーゾーカイカクを唱えているようです。輸入された「学説」を報じているものだから、どこが誤りなのか思いつきもしないのでしょうね。


ご指摘の国家社会主義イデオロギーですが、日本では天皇制と差別拝外主義を核にした極右イデオロギーが、民族主義の衣を被って登場してくるのではないでしょうか。安倍晋三、平沼赳夫らの今後の動向に目が離せません。


ちなみに和田春樹氏は「歴史としての社会主義」(岩波新書)という著書の中で「国家社会主義」を、従来型の社会主義体制(ソ連、東欧はもちろん中国、朝鮮にも)の意味で使用しています。

2008.10.27 12:42 URL | ポンポ・ナイナイ #- [ 編集 ]

金融の番人がこれですから、たまったものではありませんね。日本にも金融の番人で村上ファンドとつるんでぼろもうけをしようとしていた姑息なやつがいましたが、サッチャー、レーガンなど市場を甘やかす政治家が排出されて以来、ゴミのような輩が権力を握ってやりたい放題だ。まさにこの30年間は“悪徳の栄え”であった。

CDSの市場規模は、2000年の10兆円からこの夏には6京円に達していた。CDSは「金融版の大量破壊兵器」でもある。<リーマンを救済せずしてAIGを救済した真の目的はそこにあった。> BIS(国際決済銀行)は、以前からこれをとても懸念していた。しかしグリーンスッポンはリスクを分散するうえで重要な役割を果たしていると主張し続けてきた。ウォール街金融テロリストを仕切っていたやつは、やはり金融テロリストだったのだ。

こんな世の中になっているのに、マスゴミにまだ時々登場してくるKYのダメナカ。ダメナカ、自らの過ちを認めるのかと思いきや、まだ新自由主義経済をほざいている。いかれすぎでは・・・!?

日本のマスゴミはこの件(グリーンスッポン)について小窓でしか扱わないが、本当にクズのマスゴミだ。歴史的にどれだけ重要で悪徳な人物であったかを全く認識できていない。情けなさ過ぎる。

2008.10.27 14:32 URL | ∝&‰ #sSHoJftA [ 編集 ]

辺見庸さんの講演を一緒にお聴きしていたんですね。

わたしは後半の部分、
>国家による統制をよしとする言論が支持されるようになり、それに伴って国家社会主義の変種ともいうべき勢力が、「革新づらをして」現れるだろうという辺見さんの予言だった。

ここが恐ろしかったです。

「資本と権力はなんでもやる。」「それはある日突然ではなく、dark change、長いプロセスの中で、小さな何気ないことから、立ち上がってくる」怖さでしたね。

有事法制をなんでもない、日常は変らないと言うメディアに騙されているうちに、駆けつけ警護の検討などと大変なことになってきました。

メディアと政治家のほかに言論人の言動にも注意です。新ペン部隊は、露骨にではなく、巧妙にエセ記事を書きますから。わたしたちは一人一人がしっかりと考え、変だと思うことを一つ一つそのままにして過ごしてはいけないですね。

2008.10.27 21:30 URL | 非戦 #tRWV4pAU [ 編集 ]













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