昨日、8月9日は長崎原爆忌と前日の北京五輪開幕というニュースが重なった。
予想通り、長崎原爆忌についての新聞の扱いは小さく、『広島瀬戸内新聞ニュース』は朝日新聞の「しょぼすぎる長崎報道」を批判している。この件は、『フンニャロメ日記』も取り上げているが、
http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007111501000145.html
長崎原爆に関しては、地元紙・長崎新聞のサイトがさすがに充実している。同紙の「Nagasaki Peace Site」(下記URL)を是非ご参照いただきたいと思う。
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/index.html
それにしても、かつての朝日新聞だったら、いくら北京五輪の開会式と重なったからといって、長崎原爆忌をここまで小さくは扱わなかったのではないか。このところ、朝日新聞の日経化を感じることが多い。
大きなニュースが重なった時、それらをどう扱うかによって、メディアの真価がわかる。
たとえば、スポーツ報道に限って言っても、その種目で日本人が初めて金メダルを獲得する快挙を達成したのと同じ日に、プロ野球の人気球団が優勝したとしたら、どちらを優先するか。
私は、2000年のシドニー五輪女子マラソンで優勝した高橋尚子選手のことを思い出しているのである。高橋選手が優勝した日、それを伝える中継を見届けて、私は岡山経由で大阪に出かけた。大阪では、高橋選手の優勝を伝えるスポーツ紙の号外が出ていた。神戸新聞や山陽新聞(岡山)は、兵庫県出身で岡山の天満屋に勤める山口衛里選手の入賞も大きく扱っていた。翌日は、朝日・毎日・読売の三大紙が、高橋選手の快挙を一面トップで称えた。
しかし、東京発行のスポーツ新聞の一面を飾っていたのは、プロ野球読売ジャイアンツのリーグ優勝だった。私はこのことをテレビで知り、呆れ返った。ジャイアンツの親会社・読売新聞でさえ、高橋選手の優勝を優先的に報じているというのに、なんたるていたらく、と憤った。
つまりこれは、当時のスポーツ紙がジャイアンツに頭が上がらなかったということだ。権力に弱いのが商業マスコミの泣きどころといえる。たとえば、大新聞は地方紙と比較して思い切った政府批判ができない。右翼はよく朝日新聞を「左翼紙」だとして批判の的にするが、あれは左寄りの論陣を張っていた方が売れた時代の話であって、その頃でさえ、ここ一番という局面になると朝日は突如として政府に都合の良い記事を書いたものだ。これは、普段から政府寄りの記事を書く読売や産経が政府の提灯記事を書くよりもはるかに効く。さらに、今では普段の記事に関しても朝日新聞が政府に批判的だとはあまりいえなくなっている。たとえば、湯浅誠は、著書『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年)の中で、生活保護基準の切り下げについて、2007年12月に西日本新聞(福岡)・中国新聞(広島)・神奈川新聞(神奈川)・信濃毎日新聞(長野)などが社説で相次いで反対の意思表示をしたが、全国紙で反対の社説を載せたところは一紙もなかったと指摘している(同書198頁)。
ところが、ブロック紙や地方紙は地元財界に弱いのだ。たとえば、中日新聞がトヨタの批判をほとんど載せないことは有名だ。2000年のスポーツ紙が、日本スポーツ史上に燦然と輝く高橋尚子の快挙をそっちのけにジャイアンツに恭順の意を表したのも、同じメカニズムによる。
当時から私は、「プロ野球は間もなく傾き、数年後には地上波で放送されなくなる」と予言していた。当時はブログを開設していなかったので証拠を示せないのが残念だ(笑)。2004年の球界再編騒動は、右派コメンテーターだった竹村健一にまで批判され、これを機にプロ野球、特にジャイアンツの人気は大きく傾いた。その一方で、地元に密着した球団は、現在も人気を保っており、パ・リーグの地方球団の本拠地近辺では人気はむしろ高まっている。
このジャイアンツとパ・リーグ地方球団の消長は、今後の日本の中央及び地方の政治を考える際にもヒントになるのではなかろうか。コイズミの新自由主義カイカクは、むしろ中央集権を強めようとするものだった。「メイク・ドラマ」(1996年)や「ONシリーズ」(2000年)は、長嶋茂雄をジャイアンツの監督に復帰させて、プロ野球の人気をいま一度盛り返そうとしたプロジェクトの一時的な成果だったが、その後ジャイアンツの人気は急激に衰えていった。
そして、かつて高橋尚子の快挙よりジャイアンツのリーグ優勝を大きく報じたスポーツ紙の歴史には、恥辱だけが残り、こうやって後世から批判される羽目になったのである。コイズミ?竹中の「構造カイカク」を持ち上げたマスコミや著名ジャーナリストたちにも、同じ運命が待ち構えている。
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予想通り、長崎原爆忌についての新聞の扱いは小さく、『広島瀬戸内新聞ニュース』は朝日新聞の「しょぼすぎる長崎報道」を批判している。この件は、『フンニャロメ日記』も取り上げているが、
くらいの記述は設けよ、との指摘は、昨日のエントリでこの件をスルーした当ブログにとっても、耳の痛い指摘だ。『フンニャロメ日記』からもリンクの張られている、この件を報じる共同通信の記事に、当ブログからもリンクを張っておく。旧長崎市外の区域に住んでいたために被爆者には認定されなかった「被爆体験者」の被爆者認定を求め訴訟が提起されている。
http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007111501000145.html
長崎原爆に関しては、地元紙・長崎新聞のサイトがさすがに充実している。同紙の「Nagasaki Peace Site」(下記URL)を是非ご参照いただきたいと思う。
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/index.html
それにしても、かつての朝日新聞だったら、いくら北京五輪の開会式と重なったからといって、長崎原爆忌をここまで小さくは扱わなかったのではないか。このところ、朝日新聞の日経化を感じることが多い。
大きなニュースが重なった時、それらをどう扱うかによって、メディアの真価がわかる。
たとえば、スポーツ報道に限って言っても、その種目で日本人が初めて金メダルを獲得する快挙を達成したのと同じ日に、プロ野球の人気球団が優勝したとしたら、どちらを優先するか。
私は、2000年のシドニー五輪女子マラソンで優勝した高橋尚子選手のことを思い出しているのである。高橋選手が優勝した日、それを伝える中継を見届けて、私は岡山経由で大阪に出かけた。大阪では、高橋選手の優勝を伝えるスポーツ紙の号外が出ていた。神戸新聞や山陽新聞(岡山)は、兵庫県出身で岡山の天満屋に勤める山口衛里選手の入賞も大きく扱っていた。翌日は、朝日・毎日・読売の三大紙が、高橋選手の快挙を一面トップで称えた。
しかし、東京発行のスポーツ新聞の一面を飾っていたのは、プロ野球読売ジャイアンツのリーグ優勝だった。私はこのことをテレビで知り、呆れ返った。ジャイアンツの親会社・読売新聞でさえ、高橋選手の優勝を優先的に報じているというのに、なんたるていたらく、と憤った。
つまりこれは、当時のスポーツ紙がジャイアンツに頭が上がらなかったということだ。権力に弱いのが商業マスコミの泣きどころといえる。たとえば、大新聞は地方紙と比較して思い切った政府批判ができない。右翼はよく朝日新聞を「左翼紙」だとして批判の的にするが、あれは左寄りの論陣を張っていた方が売れた時代の話であって、その頃でさえ、ここ一番という局面になると朝日は突如として政府に都合の良い記事を書いたものだ。これは、普段から政府寄りの記事を書く読売や産経が政府の提灯記事を書くよりもはるかに効く。さらに、今では普段の記事に関しても朝日新聞が政府に批判的だとはあまりいえなくなっている。たとえば、湯浅誠は、著書『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年)の中で、生活保護基準の切り下げについて、2007年12月に西日本新聞(福岡)・中国新聞(広島)・神奈川新聞(神奈川)・信濃毎日新聞(長野)などが社説で相次いで反対の意思表示をしたが、全国紙で反対の社説を載せたところは一紙もなかったと指摘している(同書198頁)。
ところが、ブロック紙や地方紙は地元財界に弱いのだ。たとえば、中日新聞がトヨタの批判をほとんど載せないことは有名だ。2000年のスポーツ紙が、日本スポーツ史上に燦然と輝く高橋尚子の快挙をそっちのけにジャイアンツに恭順の意を表したのも、同じメカニズムによる。
当時から私は、「プロ野球は間もなく傾き、数年後には地上波で放送されなくなる」と予言していた。当時はブログを開設していなかったので証拠を示せないのが残念だ(笑)。2004年の球界再編騒動は、右派コメンテーターだった竹村健一にまで批判され、これを機にプロ野球、特にジャイアンツの人気は大きく傾いた。その一方で、地元に密着した球団は、現在も人気を保っており、パ・リーグの地方球団の本拠地近辺では人気はむしろ高まっている。
このジャイアンツとパ・リーグ地方球団の消長は、今後の日本の中央及び地方の政治を考える際にもヒントになるのではなかろうか。コイズミの新自由主義カイカクは、むしろ中央集権を強めようとするものだった。「メイク・ドラマ」(1996年)や「ONシリーズ」(2000年)は、長嶋茂雄をジャイアンツの監督に復帰させて、プロ野球の人気をいま一度盛り返そうとしたプロジェクトの一時的な成果だったが、その後ジャイアンツの人気は急激に衰えていった。
そして、かつて高橋尚子の快挙よりジャイアンツのリーグ優勝を大きく報じたスポーツ紙の歴史には、恥辱だけが残り、こうやって後世から批判される羽目になったのである。コイズミ?竹中の「構造カイカク」を持ち上げたマスコミや著名ジャーナリストたちにも、同じ運命が待ち構えている。
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*権力に弱いのが商業マスコミの泣きどころ
そのとおりだと思います。
*高橋尚子の快挙をそっちのけに
ジャイアンツに恭順の意を表したのも、
同じメカニズムによる。
これはいかがでしょうか?
当時の新聞記者の気持ちを推し量るに、
1前日の朝早くのスポーツニュースを
一面に置きたくない。
(この論理で、時々海外のスポーツの結果、
例えばゴルフの本人大活躍より、
前日夜の芸能ネタが1面に来たりする)
2長嶋茂雄最後の優勝ということに
野球担当が幅をきかせる
スポーツ紙整理部が動かされた。
あたりと思います。
マスコミ(新聞)は、
権力により何かを意図的に書かない、
ということはよく生じますが、
権力により(しかも読売ですよ)
スポーツ同士のネタで
一面をさしかえるというのは、
感覚的に考えにくい気がいたします。
以上体感的な発言ですが、、、、、、
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