佐藤栄作は、前首相・安倍晋三の大叔父であり、安倍は2002年に早稲田大学で行われた講演会で「戦術核の保有や使用は違憲ではない」とぶち上げ、それを『サンデー毎日』に報じられて批判を浴びたことは、当ブログでも何度か紹介した。
ところが、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作もまた、核武装論者だったのだ。しかし、広島と長崎に原爆を落とされ、大きな被害を受けた日本国民は、佐藤が首相をやっていた頃には核武装反対の世論が強かった。また、アメリカも日本の核武装を好まなかった。
月刊『現代』9月号に掲載された春名幹男・名古屋大学大学院教授の「「偽りの平和主義者」 佐藤栄作」は、最近公開された米政府機密文書を元に、佐藤栄作の実像に迫っている。今回のエントリでは、これを要約して紹介したい。
1964年の東京オリンピックのさなかだった10月18日、中国が核実験に成功し、首相就任を翌月に控えていた佐藤は、ますます日本も核武装する必要がある、と強く確信するようになった。そして、65年1月の首相としての初訪米を前にした64年12月29日のライシャワー駐日大使との下打ち合わせで、核武装論をまくし上げたそうだ。
米政府は佐藤の核武装論を好まなかった。佐藤は、リンドン・ジョンソン大統領との首脳会談で、核武装論を取り下げる代わり、日本が防衛のために米国の核抑止力を必要とする場合、米国はそれを提供するという約束をとりつけた。前記日米首脳会談後に発表された日米共同声明には、下記の文言がある。
大統領は、米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという安保条約に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認する。
この公約は、今も厳然と生きている。安倍晋三が総理大臣に就任した直後の2006年10月、北朝鮮が核実験を行った時に、中川昭一・自民党政調会長(当時)と麻生太郎外相(同)が、核武装を論議すべきだ、と言い出した時にも、ブッシュ米大統領とライス国務長官は、「米国は、日本に対する抑止と安保公約を全面的に満たす意思と能力があることを再確認する」と繰り返したのである。
春名教授は、
と指摘している。佐藤は意図的に、舞台裏で「核武装論」を展開して米側を驚かせ、「核の傘」という実を取る対米戦略で成功した、と言える。
とのことだ。したたかといえなくもないかもしれないが、呆れた二枚舌である。一九六九年一月十四日付でアレクシス・ジョンソン駐日米大使が帰任直前に国務長官宛に送った公電によると、佐藤は「非核三原則はナンセンスだ」と発言したこともあった。
だが公式の場では、佐藤は建前として、「非核三原則」を高く掲げた。
こんな佐藤だから、平気で「非核三原則」(「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」)を実質的に反故にする密約をアメリカと交わしている(昨年10月10日付エントリ参照)。
1972年の沖縄返還は、「非核三原則」に基づいて、「核抜き本土並み」でなければならなくなったのだが、本エントリ冒頭にも書いたように、佐藤は、沖縄への核兵器を持ち込みについて米ニクソン大統領と密約を交わし、それを記したキッシンジャー国務長官のメモの存在がマスコミでも報じられたのである。
佐藤のノーベル平和賞の受賞理由が、この「非核三原則」だから、受賞者自身がこれに背く密約をしていたことが明らかになった以上、佐藤栄作のノーベル平和賞は剥奪すべきだ、というのが当ブログの主張である。
春名教授は、
と書いている。「核抜き本土並み」は名ばかりだった。密約によれば、嘉手納、那覇、辺野古などの「既存の核兵器貯蔵所」は「緊急事態に活用できるよう」維持して待機している、とされている。
佐藤栄作は、加瀬俊一らの行ったノーベル平和賞獲得工作の末に、首相退任2年後の1974年に同賞を受賞した。そういえば、池田大作が同種の工作をしているとは、よく言われるところだ。
その受賞記念演説として、佐藤は「5つの核弊保有国が会議を開き、核兵器の使用について論議し、第一使用を放棄する協定を話し合ってはどうか」という提案を盛り込もうとした。そして、キッシンジャー国務長官にお伺いを立て、了承を取り付けようとした。しかし、キッシンジャーは即座にこの提案を拒否した。結局佐藤は受賞記念演説で「原子力平和利用の三原則」を提案したにとどまり、それに対して国際的反響はなかった。
二枚舌を使った佐藤の外交は、したたかであったかもしれないが、春名教授が書くように、「ノーベル平和賞に値する外交だったと言えるだろうか」とは、誰しもが思うことだろう。2001年、ノーベル賞委員会が出版した『ノーベル平和賞 平和への百年』は、佐藤への授賞は「日本では歓迎されず不信、冷笑、怒りを招いた」と問題の多いものだったことを認めているそうだ。
春名教授は、
と記事を結んでいる。(ノーベル賞受賞から)半年後の一九七五年(昭和五十年)六月三日、佐藤は脳卒中で死去した。晩年に突然、反核の平和主義者に変身して、一人だけいい子になることを米国は許さなかったのである。
それでも、核武装論でアメリカを脅して、「核の傘」を保障させるというのは、佐藤なりに日本の国益を考えた行動だったとは最低限いえるかもしれない。後年総理大臣になった安倍晋三は、アメリカに寄生して日本を軍事大国にしようとした。そして、従軍慰安婦発言でアメリカの怒りを買い、頼りにしていたアメリカにも捨てられてしまった。佐藤栄作もとんでもない政治家だったが、安倍は日本の国益のことさえ考えず、趣味の軍拡に走ろうとしたのだ。おそらく、最終的には北朝鮮に対して戦争を仕掛けたかったのだろう。
今また、吉田茂の孫である麻生太郎・自民党新幹事長が、民主党を「ナチス」にたとえる失言をして顰蹙を買っている。政治家は、二世、三世と世代を下るほど激しく劣化していくもののようだ。
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話を捏造してまで、佐藤榮作を名誉毀損しちゃいけないなぁ~。
60年代・70年代のマスゴミ人たち・それを鵜呑みにしていた国民たちは、本当に偏向甚だしかった。
佐藤榮作元首相の非核三原則ではなく、アメリカが小笠原諸島や沖縄を返還するほどに佐藤榮作内閣がアジアの平和に貢献していたことが佐藤榮作のノーベル平和賞の受賞理由。
非核三原則は、法律でも条約でもない。国会決議さえされていない、ただの原則に過ぎない。
2008.08.09 03:50 URL | Mochimochi #- [ 編集 ]
>Mochimochiさん
>話を捏造してまで、佐藤榮作を名誉毀損しちゃいけないなぁ~。
>佐藤榮作元首相の非核三原則ではなく、アメリカが小笠原諸島や沖縄を返還するほどに佐藤榮作内閣がアジアの平和に貢献していたことが佐藤榮作のノーベル平和賞の受賞理由。
こちら↓から、1974年ノーベル平和賞委員会Aase Lionaes氏による、" Presentation Speech" が読めます。
http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/1974/press.html
>アジアの平和に貢献
に該当する部分に先立って、次の文章があります。
As head of government, Sato frequently recalled that the anti-war provision in the Constitution must serve as a basis for the country's policy. He emphasised three principles upon which his government would base itself as far as nuclear arms were concerned:
"Never to produce arms of this nature, never to own them, and never to introduce them into Japan."
The Japanese people have supported this peace policy laid down by Sato, reacting very forcefully to any indication that developments might proceed in another direction. From time to time it has been said that the Japanese people have developed an allergy against nuclear arms. An allergy of this kind is a healthy sign, and other countries might well learn a lesson from this.
「非核三原則」がノーベル平和賞受賞の立派な理由であることは間違いありません。
2009.03.21 01:41 URL | sweden1901 #SVqLzQOU [ 編集 ]
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