20年ほど前、まだ公明党が連立政権に加わるずっと以前には、しばしば『潮』を立ち読みすることがあったが、公明党が右傾化するにつれ、立ち読みはしなくなったし、公明党が自民党と組むようになってからは、『潮』なんざ手にとることさえなくなっていた。だから、この雑誌を購入するのは今回が初めてである。
特集は、下記の5本の記事からなる。
- 特別インタビュー 世界が注目するフィンランド流「人づくり」(ヨルマ・ユリーン/駐日フィンランド大使)
- 社会全体で支えあう安心の社会保障 (橘木俊詔)
- 「自ら学ぶ」子どもを育てる教育で学力世界一へ (福田誠治)
- スウェーデンのエコライフは日本の“未来予想図” (飯田哲也)
- “不戦”を貫くスウェーデンの平和外交 (池上雅子)
冒頭の駐日フィンランド大使へのインタビューでは、いきなり、フィンランドの成功の秘訣は規制緩和にあったとか、フィンランドにおける郵政民営化に言及されていたりして、フィンランドは新自由主義国かと錯覚させられる。さすがは創価学会系の雑誌だと妙な感心をしたのだが、実際にはフィンランドはスウェーデンやデンマーク、ノルウェーと比較すると国民の税負担は少ないものの日本よりはずっと多い一方で、社会保障は充実しており、福祉国家といえる。また、下記のブログ記事
などを読むと、同国の郵政民営化によって著しくサービスが低下したことがうかがわれる。フィンランドにおいても、郵政民営化は成功したとは言いかねるようである。『旅する物理屋』より 「フィンランドの郵便事情 suomin posti」 (2005年9月7日)
http://suomi.blog6.fc2.com/blog-entry-176.html
『潮』の特集で2番目に掲載された橘木俊詔氏の記事を読むと、
と書かれている。北欧でも七割の税金と社会保障料を取られることに不満を言う人は絶対にいます。だから政権が社民党から保守党に移ることもある。
しかし、政権が移っても、どの国よりも福祉のサービスは充実していなければならないという信念がある。
(中略)保守党でも他の国よりも高い社会保障は認めているわけです。社民党は更なる福祉の充実を目指す、という立場になるのです。
(月刊『潮』 2008年8月号掲載 橘木俊詔 「社会全体で支えあう安心の社会保障」より)
さて、この『潮』の北欧特集でもっとも私の心をとらえたのは、NPO法人環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也(いいだ・てつなり)氏が書いた「スウェーデンのエコライフは日本の "未来予想図"」という記事だった。
飯田氏は1959年山口県生まれ。京都大学工学部と東京大学大学院先端科学技術研究センターで原子核工学を学び、原子力の研究開発に携わっていたが、80年代末にスウェーデンのエネルギー政策に関心を持つようになった。スウェーデンは、かつては原子力発電を推進していたが、1980年に国民投票で「脱原発」を決めた国だ。飯田さんによると、
とのことだ。(スウェーデンでは原発推進派と反対派の間で)政治的に対立はあってもそこに悪意がないので、議論によって痛みを分かちあいながら誰が見ても納得できる方向を導き出せる。そこが表面上はともかく一枚皮を剥けば依然として推進派と反対派が二項対立している日本と大きく異なります。そこがスウェーデンが成熟した社会といわれるところであり、根本的な信頼感がある国民性と言ってもいいでしょう。
(月刊『潮』 2008年8月号掲載 飯田哲也 「スウェーデンのエコライフは日本の "未来予想図"」より)
スウェーデンはバイオマス(生物性エネルギー資源。主に木くず)エネルギーが人びとの暮らしを支えているが、コージェネレーションを通して作られた電気は欧州全域の電気市場に売ることができ、発電した後に出る熱は地域暖房用に流す。飯田さんは、
と書いている。この地域のバイオマスエネルギーを支える社会システムは日本より10年から30年くらい進んでいるので、いわば手軽なタイムマシーンで近未来に行ったよう。
スウェーデンでは子育てや何かの事情で一度職を退いた女性が社会復帰する際、大学のマスターコースで最新の知識を身につけて管理職に迎えられるケースがごく普通に見受けられるそうだ。飯田さんは、これからは21世紀型の知識社会でなければ立ち行かなくなると思っている、豊かな暮らしとは、お金ではなく生活の質の高さだ、と書く。
日本はどうかというと、すぐに思い浮かべるのは何かというとスウェーデンを目の敵にする日本会議系の極右イデオローグたちだ。彼らにとって北欧、特にスウェーデンはよほど面白くない存在なのだろう。そして、そんな極右勢力とリベラル・左派が手を組もうなどという奇妙な動きがある。
リベラル・左派の間で最近はやり始めているのが「地球温暖化陰謀論」である。仮説を疑うのはもちろんリーズナブルな姿勢だが、それが行き過ぎて、「9・11陰謀論」と同様に、「地球温暖化仮説は明らかな誤り」というドグマ(教義)と化す傾向が顕著だ。これは「反知性」以外のなにものでもない。政権に反対する側が「反知性」に走ってくれれば、権力側にとっては願ったり適ったりだろう。そんな人間を操ることなど、権力にとっては赤子の手をひねるようなものであり、現に「地球温暖化陰謀論」は、経団連にとってはとても都合の良い議論だ。
飯田さんは、
と結んでいる。私もスウェーデンを訪れてみたくなった。機会があったら、スウェーデンを訪れてみてください。わずかな時間でも、成熟した社会、二十一世紀型の知識社会を、肌で感じることができると思います。
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私も、北欧型高福祉国家を理想としているのですが、これを日本に導入するには、やはり課題は大きいと思っています。
何よりも、北欧諸国は、その天然資源の豊かさに対して、人口が日本より極端に少ない。このため、国土からの恵みという利益を国民に再配分する上で、日本よりはるかに優位な環境にあります。また、少ない人口は、知識集約型産業でも、単純労働でも、就労機会を多く生み出します。そこがまた日本とも違う。
もちろん、国民の福利を最優先とする意識が政治になければ、高福祉国家にはならないわけで、日本の利権政治業者が長年政権を握る状況とは全く違うのですが、日本で北欧の真似をするためには、日本における富の源泉=加工貿易立国の主役である企業の、収益再配分システムを、国家が強制的にでもあらためさせ、国民に利益を還元するように持っていかないとだめです。
その姿は、かなり社会主義に近いものになりますが、必ずしも社会主義にしなくても、実現可能だと思います。
経済、社民主義。政治、自由主義。体制は可能な選択肢だと思っています。
結局は、明治以来の政財官の鉄のトライアングルに支配された日本の政治、経済構造を根本から見直さないといけないのですが、やはりそのためには自民党を政権から追い、利権の構造を潰すしかないと思いますが。
とにかく、北欧を模倣するだけでなく、資源がなく人口が多い日本が、国民の幸せを軸にした国づくりをするために、体制のあり方から、東アジア共同体構想も含めて抜本的なビジョンが必要でしょう。
2008.07.10 08:56 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]
反知性のラジオ屋です・・・・(笑
さて、北欧社会に見習う事はブログ主さんの言われる通り理想的ではあります。この事はすでに福祉国家のモデルとして60年代後半には注目されていました。ただ当時はこの地域の高齢者の自殺率が高く「福祉の行き過ぎか?限界か?」等の議論もなされていた記憶があります。自治体運営に住民参加するなど自ら「信頼できる政府」を持っている事が日本とは決定的に違うようです。学生時代の友人に北欧出身者がおりましたが、意外に表現の自由等は規制されていたりして「フルな自由」とはなっていない事もあるのだそうです(友人談)。彼らの言う「信頼できる政府」が確立できるかどうかが先ずは越えねばならないハードルだと思います。国民の金を預って雲散霧消させる政府・官僚機構ではこれらの達成は不可能ではないかと感じております。
さて、前エントリに関係してしまうのですが、昭和39年以来創価学会を見つめ続けている身から見るとこの『潮』は学会の外部向け広報誌として刊行され「建前」の部分を担った存在です。選挙臭がただよい始めるとこのような特集を組み、いわゆる「外部」にアピールしますが、実際の支持母体としての行動は「口頭」を以って指示され尻尾は掴ませません。公明政治連盟として地方議会に進出した当時、バランスの取れた政策を標榜して期待をもたせていましたが、昭和50年を目前に変質を始め以後イラク派兵等々右傾化の傾向があらわになり与党の「突っ込み役」は放棄されました。福祉政策もまた同様です。この『潮』別の役目も担っております。批判を恐れる組織(名誉会長)は今後力を持ちそうなライターやジャーナリストに時折原稿を依頼し、一種の監視下に置くようです。原稿料が非常に高額なのは知られています。結果として彼らの自己規制で学会は報道されなくなったのはご存知の通り。党首が元いた政党を訴えるなど日本の憲政史上なかった事が惹起している事から見ても異常で、翻って潮の記事を見るにつけそのギャップには歎息します。もちろん他のメディアについても自己規制は強要されている(笑)フシもあるようで特にTVでの広告代理店の存在が大きいのはこれもご存知の通りです。
政治ブログについてですが、残念ながら「数は力」の部分も多く、『小異の故に大同につかず』では力たり得えず「タコツボ化」していくのは無理からぬ話ではないかと思います。陰謀論・似非科学・あるいは新自由主義者やブログ主さんの言われる「極右政治家」等々を篩にかけた末に何人のブロガーが結集するのかと想像すれば集合論的に少数となるのは必定で、かつ選択肢は当面政権交代か否かの二つしかなく、読む者に迷いを生じさせてしまうのではないでしょうか?以前コメントさせていただいたように読む者に行動を促す「心に響く」各政治ブログであってほしいと思うのです。「水清ければ魚住まず」公明創価はもとより社民・共産の言う理想は正しいのでしょうが市井の人間の「感」は無視してはなりません。ポピュリスト小泉に引っかかったのも庶民です。しかしブログ主さんが声を大にし主張された「右翼ポピュリスト橋下を落選させよ」の声も空しく彼は圧倒的勝利を収め、現下の府民の評価もさほど当選当時と変わってはいません。猫の白黒ではなく「ネズミが捕れるかどうか」を市井の人々は見ていたと言えましょう。
反知性派の一人として、地球温暖化の二酸化炭素主犯論には懐疑的です。IPCCの成り立ちやその後の排出権取引の制度化の流れも不信感に拍車をかけています。これのややこしいのは化石燃料の枯渇や環境汚染の防止に備える事は悪い事ではないからです。そこまでを懐疑的に見ている訳ではないのですがあまりにも恣意的であると少なくも小生のアンテナはそう判断しています。データももう「何を信じるか」的領域にあり、似非宗教的論議のようになっています。嘘でもそれに乗っかって得をする奴は黙ってますし、「省エネは悪く無いじゃん」で止まればその向こうにある「言い出しっぺの真実」には近づけません。でもそんな所が市井の人々判断だとすればそれらをまとめるに「タコツボ政治ブログ」で何が可能か、そこらは小生の考えるところではありません。そう言った各政治ブログは反知性・無思想・現実主義者の小生には面白く読めるのがうれしいですし、ラジオ制作にも役立たせていただいていますので文句は言いますまい。このまま啓蒙的上から目線(なつかしい)で貫いてください。「人は理のみによって動くものではない」事を政治ブロガーには少し理解していただきたいのですが・・。長文すみません。
2008.07.10 11:48 URL | 秀太郎 #- [ 編集 ]
実はフィンランドには個人的に縁があります。
フィンランドの本当の強みは所得分配の公正さにある。
ノキアなどの企業の成功でGDPが増大した後、政府の所得分配機能を強化して、ジニ係数を0.2ポイント台の前半に抑えている。
フィンランドの平均所得は4万ドル。それなのに所得格差が極端に小さいため、産業間、地域間、職業間、企業間での人材の移動が容易になっている。(それでもフィンランド人は格差が広がったと言っているから驚きだ)
しかも高等教育の授業料は無料、病院の診察料は無料。
税金は無駄なく住民へのサービスに還元されている。
フィンランドを見ていると、財政支出の効率性は、格差が拡大したときではなく、格差が縮小したときに最大になるのが分かります。
この辺は小泉竹中政治への最大の反証と言えるでしょう。
2008.07.10 21:00 URL | sonic #GCA3nAmE [ 編集 ]
欧米の学会権威や大マスコミ、国家が唱えることが即ち、知性だなどと思うのはとても安易ですよ。
例えばイスラエル建国。百歩譲って迫害されたユダヤ人に領土を与える必要があったにせよ、2千年近くイスラム教徒が住み、聖地となっていた所を追い出して強引に「旧約の地」に建国する必要なんてありません。北米でも南米でも、豪州でも、人口がまばらで住みやすい土地を与えれば済んだこと。
我々が疑いの目で見なければならないのは、権威のない胡散臭い「陰謀論」だけでなく、権威が唱えるCO2削減運動も、チベット人の人権も、反テロも、エタノール生産拡大も、一緒です。
福祉国家のために増税することは反対しないとしても、では環境税という名目ならどうなのでしょうか?原発を増やすことは?食物をエタノール生産に使うことは?
2008.07.10 23:12 URL | cube #- [ 編集 ]
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