きまぐれな日々

NHKの番組改変訴訟でのNHK逆転勝訴については、昨日のエントリにも書いたが、判決そのものもさることながら、それを伝えるマスコミ報道が腹立たしい。あまりにも権力に対して腰が引けすぎている。

今朝もTBSの「サンデーモーニング」を見ていたら、毎日新聞の岸井成格が判決を評価するコメントをしていた。その岸井でさえ、政治家の圧力問題を完全にスルーするのは気が引けたらしく、最後にゴニョゴニョ何か言っていたが、よく聞き取れなかった。それを受けて江川紹子氏が「国民が本当に関心を持っているのは、政治家(安倍晋三や中川昭一)の圧力を受けて番組が改変されたかどうかだ」と正論を述べていたのに辛うじて救われた。

それよりもいただけなかったのは朝日新聞で、同紙6月13日付紙面に、安倍晋三、中川昭一および朝日新聞社のコメントが出ていたので、下記に紹介する。

 判決を受けて、自民党の安倍晋三前首相と中川昭一衆院議員はそれぞれ、「最高裁はNHKの主張を全面的に認めた。判決は両議員が『政治的圧力を加えた』ことを否定した東京高裁判決を踏襲しており、朝日新聞の報道がねつ造だったことを再度確認できた」とのコメントを出した。
 朝日新聞広報部は「朝日新聞社はこの訴訟の当事者ではなく、判決も番組改変と政治家のかかわりについて具体的に判断していませんので、コメントする立場にありません」との談話を発表した。
(朝日新聞 2008年6月13日付紙面より)


朝日新聞は、自紙の報道を捏造だとする安倍と中川のコメントを紙面に掲載しておいてそれに反論もせず、うちとはかかわりのない訴訟だと言って逃げているのだ。得々と勝利宣言をしたNHKともども、朝日新聞も死んだと評するしかないだろう。

さて、「喜八ログ」経由で、民族派右翼の鈴木邦夫氏が「マガジン9条」に連載を開始したことを知った。喜八さんは、

「護憲派」の方も「改憲派」の方も揃って「スルー」されているように思える(単に知られていないだけでしょうか?)。

と書いているが、喜八さんのご推察どおり、当ブログ管理人は単に知らなかっただけだし、そもそもふだんからの鈴木氏の言論を知っていれば、特に驚くには当たらないニュースだ(ただ、鈴木氏の記事自体はとても面白い)。

もし仮に平沼赳夫や城内実が「マガジン9条」に連載を開始するようなことがあったら、それはとんでもない大ニュースになるが、そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ないだろう。

当ブログは、平沼赳夫については手の施しようのない人物だと考えているが、城内実に対してはそこまでの悪意は持っていない。しかし、城内実が憲法問題や防衛・外交問題について、オフィシャルサイトを見てもほとんど見解を示していないことに対して、強い不満を持っている。具体的に何も語っていない以上、当ブログとしては、城内実は彼と関係の近い平沼赳夫と同様の極右民族主義的なスタンスに立っていると考えるしかない。

城内実の応援を公言されている喜八さんには、そのあたりも含めたPRをお願いしたいところだ。

喜八さんは、佐藤優のPRにも熱心だが、「多文化・多民族・多国籍社会で「人として」」に、「脱「植民地主義」という鍵(その2)?「〈佐藤優現象〉批判」を読んで」というエントリ(1月22日)が出ている。この記事によると、

「〈佐藤優現象〉批判」では、佐藤優氏の右派雑誌や著作における主張が多くの実例を引用する形で紹介されているんですが、総合すると、戦争肯定の新・帝国主義を信奉し、理想とする国家はイスラエル……!?(*ロ*;) ギョギョ

とのことだ。

私は、佐藤優の本質が右翼だという認識はあったが、彼の言説は結構面白いので、彼の著書の「国家の罠」や「ナショナリズムという迷宮」(魚住昭との共著)を好意的に紹介したことがある。しかし、右派論壇誌における佐藤の文章はほとんど読んでいないので、ここまでアブナイ極右的な性格を持った記事を発表しているとはうかつにも認識していなかった。

「多文化・多民族・多国籍社会で「人として」」の管理人・仲@ukiukiさんは、左派と極右の共闘に警鐘を鳴らしているのだが、当ブログも最近の平沼赳夫批判を通じて、その路線をとり始めている。それに対して喜八さんは、私から見れば「左派と極右の共闘」の旗振りをしているように見える。

そういえば、最初にリンクを張った「喜八ログ」の記事中にある、

「護憲派」の方も「改憲派」の方も揃って「スルー」されているように思える

という表現は、当ブログの昨日付エントリにある、

城内を支持しているブロガーらは、今回の最高裁判決はスルーするのか?

という文言を意識して書かれたものだろう。

喜八さんには、逃げずに(「スルー作戦」などをとらずに)堂々とした言論を展開してほしいとお願いする次第だ。


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佐藤優当人からは強烈なサバイバル本能しか感じられないのですが、金光翔氏の指摘する<佐藤優現象>では、リベラル・左派の変質が問題視されていますね。
金光翔氏のブログhttp://watashinim.exblog.jp/
たしかに、佐藤優は右派・保守系の雑誌ではあまたいる書き手の一人(今、売れてます♪)程度の扱われ方ですが、『週刊金曜日』や『世界』などが彼を過度に持ち上げるきらいがあるのです。佐藤のためというよりも、彼を起用する自分たちのためにそうしているように見えるのですね。

2008.06.15 14:26 URL | nessko #aIcUnOeo [ 編集 ]

朝日新聞は ここで「朝日が政治家介入を暴いた記事は正しかった。政治家の介入で番組の大切な部分を削除したり改変したNHKは編集権を権力者に売り渡した。そのNHKと政治家を擁護し 国民の言論と表現の自由を却下した司法は死んでいる」とでも判決批判記事を書けば、読者のみならず元読者も拍手喝采するのに 腰砕けです。ジャーナリズム失格です。

佐藤優のイスラエル発言や「世界」に頻繁に登場することに わたしも違和感を持っています。佐藤優 わからない人物です。私が尊敬していた米原万里さんが 佐藤優の本をほめていたことがありました。米原さんがほめるくらいだから と私も自分が感じる違和感と他の人が絶賛するのの間で 困惑していました。なんかこの人 まだ私はよくわかりません。

また鈴木邦男が「マガジン9条」に登場していますか。鈴木の言うことには だいたい賛同してきました。でも靖国の映画中止のときのジャーナリストたちの発言の中では 彼のはちょっとおかしかったですよ。

2008.06.15 19:24 URL | 非戦 #tRWV4pAU [ 編集 ]

裁判を起こされた2001年当時、原告側の認識は「NHKの上層部からの圧力によって番組内容が改変され」、その結果「原告側の『期待権』を損ねた」というもので、これは今に至るまでこの裁判の本質として変わってはいない。要するにバウネット側の『期待権』をとるか、NHKの編集権をとるかというのが裁判で争われている事由である以上、判決が政治家の圧力に触れないのは、本質からそれるのでやむを得ないと考える。

この話が出てきたのは二審判決が出る直前の2005年のことであり、訴訟当時から分かっていた話ではないので、最高裁の裁判官が無視する理由は一応は成り立つ。
問題なのはこの『期待権』なる概念の扱いで、カネで枠を買える民放ならいざしらず、公共放送であるNHKにそれを要求するのは無理があると考える。今回『期待権』仮に認められた判決が出た場合、原告側にとっては当然朗報だが、この『期待権』が悪用されるケースを考えると、前例が作られなくて良かったと思う次第だ。

すなわち、もし『期待権』という概念が存在してしまうならば、例えばあるメディアが政府のある政策を取材し、その内容を政府に批判的に視聴者や読者に伝えた場合、政府側が『期待権に応えていない』として放送内容や掲載内容に介入する恐れが生ずる。そうなると報道が萎縮し、取材される側も『期待権に応えてくれる』メディアにのみ情報を提供するといった選別が行われてしまうだろう。つまり将来に禍根を残す判決だった訳で、政治家の介入云々ではなく、NHKが必死になって裁判を戦い、他のメディアが今回の判決を好意的に受け止めた理由がここにある。

問題は安倍及び中川の政治介入があったと記事を書いた朝日新聞と本多記者の態度であり、この記事に対して両者とも明確な形で総括を行っていないため、この記事を信用した人たちが、振り上げた拳を下ろす場所に困ってしまっている、というのが実情ではないだろうか?

最後に城内実元議員に関してだが、彼の父親は日本会議の大幹部の一人で、だからこそ安倍がスカウトし、平沼が支援しているのだと考える。しかし現在彼自身がこの両者から距離を置いているのは、元外交官としてのバランス感覚によるものでは、と思う。

2008.06.16 04:20 URL | Mcfly #- [ 編集 ]

 左派と極右を対立概念で捉えるのもやや古典的かと。
元々左右というは相対的な概念で、第3世界では民族主義は左翼に、先進国では右翼になります。第3世界では、いわゆる保守陣営が植民地時代に旧首領国と結びついて利益を独占していた資本階級とその利害関係者を利害関係者の末裔で、左派が独立志向派で植民地時代に虐げられていた層の末裔だったりします。ですから保守は親米的現実主義で、左派が反米的独立志向の民族主義派だったりしします。
 アジアで被植民を経験しなかった欧米型の右派、左派の対立構造に近いのですが、先進国でも反グローバル化の潮流から反米民族主義的な第3世界左派に近い勢力が胎動しています。しかし先進国では民族主義が移民排斥などに結びつき極右と呼ばれたりします。
 日本では極右政党は支持を得ていませんが、自民党が移民受け入れ的な政策を遂行すると極右政党が興隆する可能性はあります。欧米では労働者階級の右傾化が顕著に見られます。より安い労働力に職を奪われた労働者が、外国人に寛容なリベラル政党に飽きたらずに右傾化しているのです。日本では、まだ極右政党が胎動していないのですから、今のうちにリベラル政治家が労働者のハートを掴んで右傾化しなくても済むような政策を打つことが先決ではないでしょうか?
 そのためには単に極右を批判するだけでなく、極右政党が標榜している主張を一部取り入れることで、極右政党の生息範囲を狭めるという政治的工作も必要になってくるかも知れません。

2008.06.16 13:32 URL | kechack #1/Y8RI0s [ 編集 ]

「もし『期待権』という概念が存在してしまうならば、例えばあるメディアが政府のある政策を取材し、その内容を政府に批判的に視聴者や読者に伝えた場合、政府側が『期待権に応えていない』として放送内容や掲載内容に介入する恐れが生ずる。そうなると報道が萎縮し、取材される側も『期待権に応えてくれる』メディアにのみ情報を提供するといった選別が行われてしまうだろう。」
市民側の期待権は認めないが、政府側の期待権は認める。
市民側の期待権を拒む根拠として行使される「編集の自由」は認めるが、政府側の期待権を拒む根拠として行使される「編集の自由」は認めない。
安部や中川は、政府側の期待権を表明し、放送内容や掲載内容に介入したのであり、そしてNHK報道は萎縮し政府側の期待権に一方的に応えた。
「政治家の介入云々ではなく、NHKが必死になって裁判を戦い、他のメディアが今回の判決を好意的に受け止めた理由がここにある。」
「判決が政治家の圧力に触れないのは、本質からそれるのでやむを得ない」
トンチンカンな問題認識としか言い様がないですね。放送法に照らせば、政治家の圧力は同法3条の本質に係る問題ですよ。

2008.06.16 19:08 URL | Black Joker #- [ 編集 ]

kojitakenさま

以前、魚住昭氏の本に関連して、佐藤優氏に対する批判めいたコメントを書かせていただきました。kojitakenさんもたしか高橋哲哉著『靖国問題』にふれていらっしゃったことがあったと思いますが、私が最初に佐藤氏に関心を、というより疑問をもったのは、実はこの本について佐藤氏が書いた「とても同意できない高橋哲哉著『靖国問題』の罠」(『正論』2005年9月号)を読んだときでした。
 高橋氏が「靖国の論理に取り込まれないためには、家族を失って悲しいのに、嬉しいと言わないこと。自然の感情に従って十分に悲しむこと。」と提言しているのに対し、佐藤氏は、「「悲しいのに嬉しいと言わない」、「十分に悲しむこと」、この倫理基準を守ることができるのは真に意志強固な人間だけだ。悲しみを無理をしてでも喜びに変えるところから信仰は生まれるのであるし、文学も生まれるのだと思う」と反論していたのです。これに私は大変驚き、①私どものような一般庶民に「戦死を喜べ」「国のために死ぬことを誇りとせよ」と強要しているに等しい、もしそれが言い過ぎならば、その強要まであと一歩の発言と感じられました。
②悲しみを喜びに変換することによって信仰や文学が生まれる、という発想は、私の想像と理解を超えています。たしかに靖国信仰は生まれるでしょう。喜ぶこと自体そうなのですから。でもその他にどんな信仰が生まれ得るのか。それにもまして、どんな文学が生まれるのか。実証もなしにこんなことをいうのは、単に靖国を賛美したいがための思いつきではないか、それは宗教や文学を舐めていることではないかと思ったのです。コンラッドの『闇の奥』の翻訳者であり、『闇の奥の奥』の著者である藤永茂氏(物理学者)はもう80歳を超えているはずですが、本日(6月19日)のブログに「小説を読む、文学作品を鑑賞する(appreciate)とはどういう事なのか、どういう精神的経験であるのか? コンラッドの『闇の奥』を読み返しながら、絶えず考えていますが、相変わらず、私には難問です。」「これについては、やがて、本気で書いてみるつもりです。」と述べています。このような若々しく謙遜な発言に私は感動しますし、自然と尊敬の念が湧いてくるのをおぼえます。佐藤氏は信仰や文学についてご自身が大変な識見者のつもりでいるのでしょうが、上記の発言はいみじくもそうではないことを露呈していると思ったのです。
③佐藤氏は、中国人や韓国人が靖国を批判するのは、それぞれの物語があるのだから、それはそれで仕方がない。しかしロシア人やイスラエル人はそうではない(靖国を批判しない)と主張しています。彼らを靖国神社と遊就館に案内すると、「誰もが特攻機や人間魚雷「回天」の前で立ち止まり、涙を浮かべる」そうですが、このことが事実としても、ロシアやイスラエルは日本の侵略と植民地支配の当事者国ではないのですから、奇妙な論理展開だと思います。その後『国家と神とマルクス』では、高橋氏の「悲しいのに嬉しいと言わないこと」が実践できるのは選ばれた優れた人々だけだ、だから高橋さんの主張は選民思想で、左翼の「前衛」中心主義なのだ、といった見解を述べています。(荒唐無稽だと思いますが。)
この書評を読んだことで、私は佐藤氏に違和感を感じるようになったのです。これは直接的な政治ではありませんが(どちらかといえば私は政治が苦手なほうです)、広い意味では政治ですよね。戦前はともかく、戦後こういう人があちらでもこちらでも、あらゆるメディア媒体で賞賛されるというような現象はなかったと思います。新しい現象であることはたしかだと感じています。

2008.06.19 17:40 URL | junko #- [ 編集 ]













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