この種の事件が起きたからといって、いまどき「自己責任論」を振り回す人などほとんどいないだろうと思っていたのだが、2ちゃんねらーのようなネット右翼だけではなく、社民主義者を自称する人たちの間にまで自己責任論が蔓延しているのを知って、ちょっとショックを受けた。ネオリベにダマされている人はかくも多いのかと、暗澹たる気分になったのである。
日本をこんな国にしてしまったA級戦犯は、いうまでもなくコイズミである。コイズミ自身は何らの知性を持たない男だが、嗅覚というか動物的勘だけは人並み外れたものを持っている。私などは野球の長嶋茂雄を連想するのだが、それは私が大の巨人嫌いであるせいかもしれない。だが、大仁田厚が涙を流したあの郵政解散の時、すでに総選挙での勝利を確信していたというコイズミの喧嘩強さは、常人には真似できない。私はあの解散の時、これで自民党政権は終わりだと小躍りしたものだった。だがそうはならなかった。
コイズミの「刺客作戦」は血に飢えた国民の心をとらえ、日本人はコイズミを勝たせた。「抵抗勢力」を血祭りに上げることに、国民は、「格差社会」に対する不満のはけ口を見出した。その「格差社会」はコイズミが作り出したものであるにもかかわらず。
これは、21世紀初頭の日本最大の悲劇であり、あの総選挙でコイズミ自民党に反対する票を投じた私にとっては、あの選挙でコイズミを支持した人たちに責任を取ってもらいたい気持ちでいっぱいだ。岡山のプラットホーム突き落としも、秋葉原の通り魔殺人事件も、極言すれば、みなコイズミを支持した人たちが引き起こしたようなものだ、そう当ブログは主張する。あの選挙で自民党や公明党に投票した人たちの罪は、限りなく重い。
とはいえ、いつまでも3年前の悪夢の総選挙にこだわっていてもしかたない。昨年の参院選は、郵政総選挙の裏返しのような自民党の惨敗になり、衆参で勢力分布が全く異なる「ねじれ国会」になった。だが、これで自公政府の新自由主義路線に歯止めがかかったかというと、はなはだ疑問だ。
参議院選挙で民主党が大勝したあと、民主党が「国民の生活が第一」という路線を徹底できなかったのは、民主党が寄り合い所帯であって、福祉国家指向の人もいれば、前原誠司のように、自民党に移ったほうがよさそうな新自由主義者もいるからだ。民主党は、もともと自民党の田中角栄系列と社会党が合わさってできたような政党で、社民党というのは旧社会党の中で「9条護憲」に特化した人たちが「9条改憲」に容認的な民主党をよしとせず分かれた(というか本体に残った)政党だ。田中角栄は、いわゆる「1940年体制」がうまく機能していた時代の政治家で、田中の政治は結果的に富の再分配をもたらしたが、田中およびその系列の政治家は必ずしも福祉国家を目指していたわけではない。しかし、福田赳夫の系列(現在自民党を支配している清和会の流れ)と比較すると、はるかに社会党との相性が良いとはいえるだろう。その両者が合同して発足した民主党は、腰の定まらないふらふらした動きをするのが常なのだ。だが、政権交代が実現すると、いやでもその中心は民主党にならざるを得ない。
本当は、政権交代でできる新政権が福祉国家指向の政策をとるためには、リベラルが結集しなければならない。それには、自民党内で少数勢力となったリベラルの人たちを引き抜く形が一番自然だろう。ところが、現実は全然そうなっていない。
数日前、加藤紘一が森喜朗に謝罪し、「加藤の乱」から8年ぶりに手打ちが成立したと報じられた。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080610AT3S0902H09062008.html
きっかけは、佐藤優が「文藝春秋」5月号に書いた記事で、「加藤の乱」の当時、首相だった森喜朗が佐藤に「おれはもうダメかもしれないが、加藤政権になってもおれを支えるのと同じ気持ちで加藤を支えてくれ」と頭を下げたというエピソードを知った加藤が、森と和解する気になったのだという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080611-00000062-san-pol
だが、これはあくまで表向きの話で、実際にはともにコイズミと緊張関係にある森喜朗と加藤紘一が、コイズミ・竹中「カイカク」路線の直系の後継者と見られる中川秀直らを牽制するために手を組んだものだろう。加藤は、超党派の勉強会を立ち上げたりして脱自民党を念頭に置いていたかに見えた時期があったが、民主党と平沼赳夫一派の接近を見て、そのタカ派傾向を強く批判するようになった。平沼赳夫一派が民主党にすり寄ってきたのに対して、小沢一郎や鳩山由紀夫らが色よい反応を示したものだから、リベラルの結集どころではなくなったのである。これだから、元自民党の政治家だとか、一度反乱に失敗して腰が引けてしまった政治家はだめなのだ。かつて加藤紘一を強く押しとどめた谷垣禎一は、いまや中曽根の直系である与謝野馨同様の財政再建論者となり、もはやリベラルとはいえないだろう。財政再建論者と「上げ潮路線」の対立など、不毛もいいところであり、両者とも再分配の強化など指向していない。特に「上げ潮路線」は竹中平蔵直伝の典型的な新自由主義政策だ。
以上は、実は6月9日のエントリ「リベラル・左派は右派の「反新自由主義」勢力と距離を置け」にいただいたkechackさんのコメントを受けて書いたものだ。kechackさんは、
とコメントされているのだが、それに対して観潮楼さんが、極端な保守主義を標榜する勢力を排除した上で、当面リベラルが反新自由主義保守と組むのは悪くないと思います。
(中略)一部の極端に偏狭な保守主義者を名前を上げても意味ないです。けっこうまともな保守主義者もいますから、そういう人達との共闘を少しは考えたらどうでしょうか?
とコメントされており、これが私の感覚に近い。数合わせのために極右の平沼赳夫などと手を組もうなどという軽挙妄動は、福祉国家指向の政策を実現させる上で百害あって一利なしだと思う。「まともな保守主義者」は旧宏池会の良識派あたりだと思いますが、正直具体的な名前が浮かびません。「ラーの会」なる超党派組織のメンバーあたりがヒントになりそうですが。
上記のエントリには、昨日たんぽぽさんからもコメントをいただいているが、そのコメント中にリンクされている「たんぽぽのなみだ?運営日誌」のエントリ「アインシュタインの予言(3)」をご参照いただければわかるように、平沼赳夫というのは、「物理学者のアルベルト・アインシュタインが、日本の天皇制を礼讃した」という事実無根のトンデモ(通称「アインシュタインの予言」)を信じている、とても知性の高い政治家だ。
政界が正常であれば、まともに相手にされるはずもない平沼赳夫などという極右トンデモ政治家が送ってくる秋波に反応してしまう民主党を見ていると、日本の政治がよくなる日はまだまだずっと先で、その間いかなる艱難辛苦が待ち受けているだろうと思うと、気が重くなる今日この頃なのである。
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「本当は、政権交代でできる新政権が福祉国家指向の政策をとるためには、リベラルが結集しなければならない。」
仮にリベラルが結集しても(そもそも「結集」が具体的に何を指すのか、どうやるのかよく判りませんが)、反リベラルの方が多ければ、政権交代は無理でしょう。
そもそも京セラの名誉会長が後押しして旧民主党と旧自由党を合併(これも一種の結集ですか?)させたのは、政権交代を目指す(というより財界にとって望ましい政策を競わせる)ためではあっても、福祉国家指向の政策をとる(政策交代を目指す)ためではなかったはずですが。
「自民党内で少数勢力となったリベラルの人たち」
反リベラルの方が多ければ、政権交代は無理でしょう。それ以前に、今の自民党に福祉国家指向の政策をとるべしと真面目に考えている人が少数でもいるのでしょうか。
http://www.katokoichi.org/thoughts/index.html
http://www.katokoichi.org/ltt/index.html
加藤紘一にしても、彼はリベラルではないのでは。
2008.06.12 19:42 URL | Black Joker #- [ 編集 ]
管理人さんの嘆きは理解できます。民主党の母体は、村山政権を支えた人々によって誕生しましたが、旧新進党に議席で上回ることはできませんでした。新進党の解体がなければ、今の民主党は有り得なかったでしょう。
この問題を考える時に、僕は旧社会党のことを考えてしまいます。何故、細川政権前に政権が奪えなかったのかと…
安保闘争や国鉄闘争に代表される労働運動が、国民意識から離れたものになってしまったのが大きかったのではないかと考えます。
大阪府の労働組合のように『5兆円の借金を作ったのは我々の責任ではない』と抜かすような組織ではとても支持されません。何故、建設的な提案がなされないのしょうか?できていれば、政治家の器ではない人物を知事になる事態を防げたでしょう。
民主党の立場というのは、リベラルを代表するだけでは政権が取れません。かつて自民党を支持した保守の方々や政治そのものに関心のない人々からも支持を得なければなりません。
戦後の自民党が一貫して選挙に強かったのは、利益を誘導していただけではありません。国民に必要な政策を練り、着実に実行してきたからだと言えると思います。
『生活が第一』が文字通り、民主党の生命線になります。自治労や連合にも(自己保身の為でなく)国民の視点に立った労働政策を提案して欲しいと思います。
2008.06.14 04:19 URL | 葉隠 #CRmGiUQU [ 編集 ]
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