きまぐれな日々

予想通り、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審(広島高裁)は死刑判決だった。

昨日のテレビのニュース番組はこの話題で持ち切りだった。当ブログはこの判決を歓迎しないが、今日は多くを語る気にはならない。ただ、被害者や親族の気持ちに思いをいたすことはもちろん大事だが、ジャーナリズムがそれに流されてはならないと思う。

朝日・毎日・読売3紙の社説を読んだ。厳罰化の流れに対しては、毎日がもっとも慎重だ。

 死刑は究極の刑罰で、執行されれば取り返しがつかない。「その適用は慎重に行われなければならない」という永山判決の指摘は重い。しかし、死刑判決は増えているのが実情だ。

 遺族は法廷の内外で、事件への憤り、無念さ、被害者・遺族の思いが直接、伝わらない理不尽さを訴えてきた。被害感情を和らげるためにも、国が総合的な視点に立った被害者対策を進めるのは当然だ。

 差し戻し裁判を扱ったテレビ番組について、NHKと民放で作る放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員会が「一方的で、感情的に制作された。公平性、正確性を欠く」とする意見書を出した。真実を発見する法廷が報復の場になってはならない。バランスのとれた冷静な報道こそが国民の利益につながる。メディアは自戒が求められている。

 来年5月に裁判員制度が始まる。市民が感情に流されない環境作りが急務だ。死刑か無期かの判断を迫られる以上、市民は裁判員になったつもりで今回の事件を考えてみる必要があるのではないか。

 被告は上告した。最高裁には裁判員制度を控えて、国民が納得できる丁寧な審理を求めたい。

(毎日新聞 2008年4月23日付社説より)

上告は早晩棄却されるとの見方をとる人もいるが、毎日の社説は最高裁に丁寧な審理を求めている。

また、同社説はマスコミ報道の自戒を求めている。毎日は、今までも他紙や他の媒体と比較すると冷静な報道をしていたとされているが、それでも自社の報道はどうだったかを検証してほしいと思う。

朝日も同様の主張だが、毎日より腰が引けているような印象だ。
 見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。こんな裁判の仕組みを軽視した番組づくりは、今回限りにしてもらいたい。
と書くが、テレビ番組の中には朝日新聞の編集委員が出演している番組も含まれているのではないだろうか。

読売は、メディアの報道の問題には全く触れていない。読売自身が過熱報道に加担しているも同然というべきだろう。

ところで、今回、救いを感じたことが一つあった。それは、被害者親族の本村洋さんが、死刑判決について、
厳粛な気持ちで判決を受け止めている。遺族にとっては報われる思いがあるが、被告と妻と娘の3人の命が奪われることになった。これは社会にとって不利益なこと
と話したことだ(4月23日付朝日新聞より)。

厳罰論を主張する「きっこのブログ」(4月23日)も、
「死刑」と「無期懲役」との間に、一生、刑務所から出て来られない「終身刑」があれば、これほどまでに極刑を望む声は上がらないと思う。今回の事件のご遺族の本村さんは、今日の会見で、死刑の判決を「正しい判決」として納得した反面、「私の妻と子供、そして、加害者の3人の命を失うことになってしまった」と言っていた。だから、もしも「終身刑」があったのなら、本村さんも、「加害者の命をも奪うこと」よりも、「一生を刑務所の中で反省しながら暮らすこと」を望んだんじゃないかって思った。
と書いている。

当ブログも、この事件の犯人には、一生生きて罪を償わせる刑罰を科すべきではないかと思うのである。「拘置され、もはや社会に危害を与えない者を殺すのは、国家による殺人にほかならない」という国民新党・亀井静香氏の主張に、当ブログも賛成である。


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毎日の社説ですか。
「正確性、公平性、客観性等を徹底追求した冷静な報道こそがジャーナリズムの正道につながる。」
「正確性、公平性、客観性等よりも大衆受けする演出を優先したセンセーショナルな報道は、視聴率や売上部数の増加と、メディアと広告主の商業的利益につながる。しかしそれはジャーナリズムの正道を外れたやり方である。」
「メディアが人権よりも営利を優先する主義に流されない環境作りが急務だ。」
…とでも書けばいいのに、
「バランスのとれた冷静な報道こそが国民の利益につながる。」
「市民が感情に流されない環境作りが急務だ。」
などと書くのは、ちと姑息かと思いますが。

それから「感情に流されない」云々は何を指すのかよく判りません。少なくとも「死刑にせよという主張は感情に流されているが、死刑反対という主張は感情に流されていない」などということとは違いますよね。情状酌量自体「犯人に同情的な感情を挿む」ということですし、亀井氏の主張にしても然りでしょう。

2008.04.23 17:58 URL | Black Joker #RtNpiJ3M [ 編集 ]

『BPO報告』が出ていたにも関わらず、
辛坊治郎は今朝、それに社説で言及した「朝日」「毎日」を
「感情論だ!」と叩いてました。天に唾。
もう一つ。今朝のラジオで吉田照美は
「死刑廃止を言う人たちは時期を選んで訴えている」
「こういうときこそ訴えるべき」といいました。
「時期」じゃなく「内容」の問題ではないか。
金輪際そう言わないと勘違いしていないか。
昼ワイドの感覚で言ったんでしょうが、不見識。

2008.04.23 19:11 URL | 観潮楼 #- [ 編集 ]

>吉田照美

自分が有利な時だと思って殊更に言い立てるのは卑怯で下品ですね。それこそ時期を見てものを言って貰いたいものです。

「こんな時こそ言え」というのは、ひっくり返せば、まるっきりそういうことになると思いますけど。

2008.04.23 23:04 URL | Gl17 #EBUSheBA [ 編集 ]

本村さんは最初からこの国で最も重い刑罰をお願いします。
と、言っているんですよ。
それが現状では死刑だから死刑にしたまでの事。

元来、少年法の適用外年齢では人を一人殺したら死刑に該当可能なはずなのに、なんで法的拘束力の無い判例など使われるのか、おかしいではないか。
と、本村さんは言っているんです。

だからblog主の言う判決に納得できないという答えの方が納得できないと思います。
弥生さん殺害は事故の可能性があっても、そのお子さんははっきりと殺意があったのでしょうから。

2008.04.24 00:31 URL | らんらんるー #- [ 編集 ]

犯罪を生み出す背景が自己中心的な考えに支配されてしまい「他人の痛み」の解る想像力に欠如していることにあると思います。
 
判決がこの社会の深淵に踏み込みが足らず精神的にも幼い被告の深層心理に迫る事を拒否し荒唐無稽と感情的に一蹴する権威主義に基づいている限り自らもこの深淵から抜け出せないでしょう。
国家が「見せしめ裁判,人質裁判」で被告を「生け贄」にすることで「被告を育てたのも私たちがつくり出したこの社会」という本質を隠蔽し、自らを観客席に置く事で責任回避をする社会心理には嫌悪します。

この判決が弱い人間にたいする「思いやり、やさしさ」が感じられない現在の風潮を現していることに気がつくべきでしょう。けっして「厳罰化の流れ」ではこの問題を解決はできません。それは精神の荒廃以外の何ものでもありません。

2008.04.24 13:45 URL | 匿名 #- [ 編集 ]

この裁判は メディアの自己反省が特に必要です。自社のことは反省していないようですが 毎日も朝日も被告と原告団を一方的に非難するテレビ番組を批判したことはよかったです。
判決を受けての森達也さんと綿井健陽さんの文がとてもよかったので取上げてください。

2008.04.24 18:45 URL | 非戦 #tRWV4pAU [ 編集 ]

もし、裁判員制度の自分が選出され「光市母子殺害事件」のような事件を採決するなら、社会に原因があるとか、精神的に幼い(幼いとは5~6歳の事だ。ならば知的障害者という事になる)とかの加害者擁護論には絶対与しない。
一部メディアの「厳罰化は犯罪抑止力にならない」とかの論理は、議論のすり替え。
被害者が苦しんでいる個別事件に乗じて、TV新聞で主張するのは被害者を重ねて傷付ける事であり、死刑反対を主張するメディアこそ想像力不足であり過剰反応である。
死刑反対や少年犯罪厳罰化に反対するなら、普段から主張すれば済む筈であり、殊更、この事件に託けての主張は殺された婦人と赤子の命魂を冒涜してる。

2008.04.26 00:24 URL | AZ #- [ 編集 ]

一流のビジネスマンで読売・朝日・毎日を購読している人は少ないのではないでしょうか。日本唯一のクオリティペーパーである日経新聞の社説にも論評されてはいかがでしょう。私は日経の社説が最も正鵠を射ていると思いましたが。

2008.04.27 00:57 URL | 日経人 #JyN/eAqk [ 編集 ]

上の方のおっしゃる日経の社説とはこれでしょうか。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080422AS1K2200122042008.html

例えば、死刑の残虐性に関する判例を挙げて”これを敷衍すれば、…(中略)…裁判官は専門家の「量刑の適正感」でなく、国民の「何が適正な刑罰か」の感覚をくむべき、といえよう”などと述べていますが、判例は、当の社説に記載されている内容によれば、死刑が憲法に言う残虐刑の禁止に触れるかどうかを言っているのであり、量刑の問題とはまた別だと解されます。なのに、何を根拠にして判例を「敷衍」してそんな結論を導き出そうとしているのでしょうか?
「一流のビジネスマン」なら上記のような社説を評価するのであれば、その「クオリティ」は知れたものです。

2008.04.28 16:19 URL | tenthirtyone #svZ8dwT6 [ 編集 ]













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