きまぐれな日々

坂口安吾が、1932年に発表した「FARCEに就て」という文章の中で、以下のように書いている。

 文学のように、如何に大衆を相手とする仕事でも、その「専門性(スペシアリテ)」というものは如何(いかん)とも仕方のないところである。どのように大衆化し、分り易いものとするにも、文学そのものの本質に附随するスペシアリテ以下にまで大衆化することは出来ない。その最低のスペシアリテまでは、読者の方で上って来なければならぬものだ。来なければ致し方のないことで、さればと言って、スペシアリテ以下にまで、作者の方から出向いて行く法はない。少なくとも文学を守る限りは。

(坂口安吾 「FARCEに就て」 より?新潮文庫 『堕落論』 所収)


この文章の「文学」を「(自然)科学」に置き換えれば、たんぽぽさんの「疑似科学批判」になるし、「政治」に置き換えれば、ポピュリズム指向ブログに対する当ブログの批判になる。

たまたま批判の対象となったブログが同一だったことから、「陰謀説」がささやかれたが、対象のブログには、自然科学に対しても政治に対しても同じような接し方をする欠点(私から見て)があったに過ぎず、くどいようだが、たんぽぽさんと私では批判の動機が異なっていた。

一つだけいうと、当ブログは社会科学や政治について、十分な「専門性」を有していないことを自覚している。だから、ブログで取り上げる対象に関する自らの知識レベルを上げていかなければならず、そんな水準だから、読者に「わかりやすい」ブログ記事など書きようがないと考えている。だから、「最低のスペシアリテ以下にまで、作者の方から出向いて行く」どころか、「政治に詳しくない」と自認するブログが、「わかりやすいブログ」を標榜するという態度が、私には全く信じられないのである。自分がわかっていないのに、どうやって読者にとって「わかりやすい」記事などを書けるというのだろうか。

ところで、今回の大阪府知事選の論評をめぐって、また「B層」論議が起きているが、「B層」という言葉については、私がまだブログを開設する前に掲示板で論争していた、「郵政総選挙」当時は、コイズミ支持者たちに向かって、「あなた方が支持している小泉や竹中が、あなた方を馬鹿にしているぞ」という意味で用いた。この件が、共産党議員の国会での質問や、「サンデー毎日」の報道によって世に知られるようになった時、これが大問題となってコイズミ自民党が選挙で敗れるのは必至だと思ったものだが、その予想はもののみごとに外れた。この事実は、「B層」なるものが実在すると仮定しなければ説明がつかないものであった。だから、私はこの言葉が権力側が大衆を見下して用いたものであることを承知の上で、確信犯的に「B層」という言葉を用いてきた。ブログ開設後、私がこの言葉を多用したのは、東京都知事選と昨年夏の参議院選挙の時である。「ゆとり教育」に関しても、「B層」という言葉を用いて、新自由主義の思想に基づいた政府の愚民化政策が国民の知性を劣化させた、と批判した。当該エントリは強い反発と批判を受けたものである。

しかし、言葉は世につれ、人につれて変わる。今回の大阪府知事選、特に結果に対する論評で、私は「B層」という言葉を用いるのを意識的に避けた。参院選で民主党などの野党に投票した大阪の有権者の多くが、橋下徹に投票した事実を、深刻に受け止めなければならないと考えたからだ。

橋下徹は、昨日のエントリでも紹介した毎日新聞の1月28日付社説が、
 橋下氏は知名度抜群で、「子どもが笑う、大人も笑う大阪に」をキャッチフレーズに、駅前・駅中の保育施設整備、公立小学校校庭の芝生化といった身近なテーマを重点的に訴えた。
 だが、財政問題については「全事業をゼロから徹底的に見直す」と述べるにとどまった。正面からの政策論争ではなく、イメージ戦に終始した印象が強い。
と指摘しているように、郵政総選挙におけるコイズミばりの、イメージ戦略、ワンフレーズ・ポリティクス戦術を用い、これが奏功して選挙に圧勝した。

現在の野党第一党である民主党は、相手にこのような戦法をとられると脆い。それを克服するのに、「目線を下に落として、B層の視点からわかりやすく語らなければならない」とか、「見栄えの良い、大衆受けする候補者を立てたほうがよい」などという意見が続出したことに対して、私は非常に強い危機感を覚えた。それは違う。目標とする社会のあり方や政策において、自公与党、というより新自由主義からはっきり決別する方向性を打ち出し、それを選挙前だけではなく日常的に訴え続けなければならないと考える。

選挙の論評で、「B層」は用いなかったかもしれないが、意味の通底する「ポピュリズム」は多用したではないか、とのご批判があると思うが、光市母子殺害事件でテレビの視聴者を被告弁護団の懲戒請求へと駆り立てた橋下のやり口が、「大衆煽動」という意味での「ポピュリズム」でなくて何だというのだろうか。「ポピュリズム」という言葉で、私は「大衆」より橋下徹をターゲットにしたが、橋下徹に投票した大阪府の有権者に対してもポジティブであり得ないのは当然だ。だが、3年前と比較しても、現在の国民は追い込まれている。東京や名古屋と比較して経済が好調とはいえない大阪は特にそうだ。そういう状況にあって、確実に国を破滅へと追い込むと私が信じている新保守主義や新自由主義の勢力伸張をいかに食い止めるか、これを当ブログは課題としたいと考えている。そのためには、今までのように「B層」という言葉を安易に用いるわけにはいかない。しかし、「ポピュリズム」批判は今後も続けていくつもりだ。

なお、当エントリを公開するきっかけになったのは、ブログ 「世界の片隅でニュースを読む」 の下記のエントリである。
http://sekakata.exblog.jp/6746587/

上記リンク先のブログ管理人さんが受けた批判は、当ブログにも向けられていると思う。以前 「ゆとり教育」 批判をした時に、「B層を啓蒙するつもりが、B層製造装置になっている」との批判を受けたこともある。これを機に、当ブログも、「大衆を啓蒙しようなどというつもりでブログの記事を書いているつもりは全くない」と言明しておく。

ただ、管理人さんにお願いしたいのは、「今回でもう懲りたので、しばらくは「ポピュリズム」問題には触れるつもりはない」などと仰らないでほしいということだ。批判を恐れず、堂々と持論を展開していただくことを期待したい。


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私はポピュリズムを単純ポピュリスムと悪意のポピュリズムに分けて考えています。
 本来のポピュリズムは「減税」などの大衆受けする政策を掲げて当選を狙う行為で、単純な行為です。日本の保守主義者の間では「国民が嫌がる政策をきちんと説明して実現する政治家が一流」というストイックな価値観が根強く、ポピュリズムは批判されてきました。
 新自由主義におけるポピュリズム手法というのは、そもそも一般大衆に支持されることが困難な新自由主義をどのように実現させるかということが研究されて構築された主張です。新自由主義を実現するためには、多少大衆を騙すのは仕方ないというのが結果的に新自由主義者の間で支持されました。
 日本で、今までポピュリスムを批判してきた保守主義者の多くが、小泉政治のポピュリズムは非難しない理由が理解できると思います。

2008.02.03 14:43 URL | kechack #1/Y8RI0s [ 編集 ]

政治のお話をしたいとか、政治がわかるようになりたいと、
本気で思っているなら、自分のレベルが上がるよう努力するはずですよね...
 
それをしようとせず、不勉強を自己正当化するのは、
「自分は政治のことが語れるんだ」とか、
「自分は共闘していて、政治活動やっているんだ」と思いたい、
というだけであって、社会情勢の危機とか、「世の中のため」、
なんてのは、むしろ手段ないし口実ではないかと思います。

意識が高くなった気分に簡単になれる陰謀論に、
こういう人たちがなびきやすいのは、ある意味当然なのかもしれないです。

参考資料。
(これを書いたかたは、本当にポピュリズムに悩まされたんだと思う。)
http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/jiten-otiai.htm

2008.02.03 14:43 URL | たんぽぽ #ZiqE0vWU [ 編集 ]

FC2ブログランキングの表示が変になってますよ。


最新記事:2008/02/03 16:57 [安倍政権はいつまで続くのか?] [もはや完全にトレンドから外れた安倍晋三内閣の末期症状] [朝日新聞は日経・読売より毎日・中日と主張を競え]

「安部政権いつまで続くか」って言われてもと、笑っちゃいました。一瞬、ここが実はネットウヨクの人のブログで、サヨクの人が未だに「安倍、安倍」と批判しているのをおちょくっているのかと思いました。

これで表示は良いのでしょうか?何かのバグではないかと思いましたので、大きなお世話ですが、一言。

2008.02.03 19:58 URL | 小さな親切大きなお世話 #1a7qPI96 [ 編集 ]

小泉の大衆扇動型ポピュリズムは、マスコミの協力なくしては成り立たない代物ですね。
そして読売や産経などのマスメディアがその役割を果たした。
橋下はそのやり口を真似たのだと思いますよ。
ただ、あれほど下手糞な橋下のパフォーマンスでも通用するのが怖いですね。
大阪府民の特性なのかはわかりませんが、あそこまでインチキ丸出しでも信じて?投票する。
要は、この手のイベントに参加するような人達は信仰をもちたいだけなのかもしれませんね。
信仰する対象はイワシの頭の様なもので充分なのかもしれません。
いやむしろその方が楽でいいのかもしれません。

2008.02.03 23:00 URL | 風太 #seTEoywg [ 編集 ]

 私は、大衆の目線に立つことは大事だと思います。
 文学は、一種の娯楽であり、そこに追い付けなくても国民生活に支障はありませんが、政治は、国民の将来に直結しています。
 ですから、政治を志す(政治家とは限らない)人は、国民の多数の視線に立つことは必要で、それは決して大衆迎合主義ではないと思います。
 橋下の例から、タレント候補探しに狂奔するのは、確かに大衆迎合主義ですが、一方で、そこまで国民をばかにしているということでもあります。
 政治や政策を国民に理解してもらうための方策をさまざまにめぐらすのも、政治にかかわる者の義務と思います。
 高みで高邁な思想を唱えながら、孤立している某政党は、市民生活の面では国民に密着しようとしながら、政策やその実現策において、執行部の独善があるために、衰退を続けているのではないかと思っています。

2008.02.04 03:41 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]

「ビジョンをいかに伝えるか」が肝心かと思います。
どんなにいい政策を掲げても、いきなり複雑な文章から入っていったのでは、忌避されてしまいます。

だからといって、芸人並みのパフォーマンスをしろ、というのではありません。
橋下新知事の場合、知名度もさることながら、府民に対して挑発してましたよね。「ダメなら、財政再建団体だ!」と。いくら知名度が高くても、政策の中身はもとより、知事になるにあたっての覚悟が示されないと、本気度が計れません。
その点、熊谷さんも梅田さんも、「力強さ」も足りなかったなと感じます。

小泉さんが人気を得たのは「もし、自民党が私の改革を邪魔するなら、私が自民党をぶっ潰します!」ですよ。
熊谷さんは学者ですから、その点で厳しかったでしょうが、梅田さんが、もし、「私は共産党の推薦を受けた。でも、共産党にも容赦はしない。オール野党でも私は、みなさんのために戦う!」ぐらいのメッセージがあればな、と思いますね。

2008.02.04 11:34 URL | wakuwaku_44 #- [ 編集 ]













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