私が雨宮処凛(かりん)の名を知ったのは遅くて、今年6月に朝日新聞社発行の論壇誌「論座」(7月号)を読んだ時である。1975年生まれで1995年の地下鉄サリン事件当時フリーターをしていた雨宮は、「サリン事件という無差別テロを決行したオウムに、私ははっきり言って熱狂していた」という。ちなみに同じ頃、私はおそらくは過労に起因する大病を得て病院に入院していた。地下鉄サリン事件の2か月前には、阪神大震災が起きていた。
その後小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」にはまって右翼活動にのめり込んだ雨宮は、1998年に出版された同じ小林の 『戦争論』 に心酔した。しかし、その後1年も経たずに右翼活動に「冷めて」しまい、今ではプレカリアートの問題に取り組んで、左派系と言ってよいスタンスで言論活動をしている。
「論座」の今年7月号では、その雨宮が、かつて心酔した小林よしのりとも対談している。小林は右翼とはいえ反新自由主義の「反米右翼」であり、雨宮のようなスタンスの左派とは相性が良く、対談では意気投合していることはいうまでもない。
それにしても、昨日アンコール放送されたNHKの「ワーキングプア」を見たり、雨宮の著書 『生きさせろ!』 を読んだりしていると、現在のこの国のすさまじいばかりの「格差社会」、否、「階級社会」の現実に慄然とさせられる。
そんなことを考えながら、新聞記事のスクラップを眺めていたら、昨年7月23日付日本経済新聞の読書面に載った記事が目についた。法政大学の小池和男教授の「成果主義に「長い目」必要」という記事で、ネット検索では引っかからないので簡単に紹介すると、世間一般ではアメリカの会社では個人の働きぶりによって収入に大きな差が生じると思われているが、実際には必ずしもそうではなく、アメリカの課長級の報酬は査定つきの定期昇給で上がっていき、前年より基本給が下がることはめったにない、課長級と部長級の報酬の差も日本と同程度の差しかない、アメリカ企業の給与に占める「業績給」の割合は、日本企業のボーナスと同等かそれより少ないのに、日本では「成果主義」の名のもとに基本給の減給まで導入された、などと指摘されている。

(画像をクリックすると拡大表示されます)
要は、90年代に各企業が競って導入した「成果主義」の人事処遇制度は、本家のアメリカ顔負けの過激な新自由主義的制度だったということだ。正社員だって全然楽ではなく、正社員の座を守るために法外な長時間のサービス残業を強いられる例は山ほどある。しかし、新自由主義者による「自己責任」のプロパガンダによって、正社員たちの自分たちより「下」の階層の人たちに向ける目はまことに冷淡なものだ。
よく、エピゴーネン(亜流、追随者)は本家本元より過激なことが多いといわれるが、新自由主義に関して、日本にはお手本のイギリスやアメリカ以上に過激な新自由主義者が多いこともその一例に数え上げられるべきかもしれない。
NHKの「ワーキングプア」は第3回(12月16日)の放送で、イギリスやアメリカの「先進」新自由主義国家の貧困対策を紹介するという。本家本元のイギリスやアメリカでも新自由主義への見直しが行われているということだ。放送を楽しみに待ちたいと思う。それなのに、日本ではコイズミや竹中平蔵の「日本はまだまだカイカクが足りない」などという寝言がいまだにまかり通っている。政府は、防衛費の無駄遣いには頬かむりしながら、社会保障費の減額にばかり熱心で、いくつかのブログに取り上げられた毎日新聞の記事に報じられているように、厚生労働省の検討会は、生活保護基準(生活保護費の水準)引き下げを容認する報告書をまとめた。私はたまたまこの日の毎日新聞を買っていたのだが、毎日新聞には比較的記者の自由裁量が大きいためムラが大きいが、キラリと光る記事は他紙より多いように感じる。
それにしても、厚顔無恥なまでの新自由主義者たちのやりたい放題がまかり通る社会になってしまった。いまや、日本は世界一苛酷な新自由主義国ではないか、と書こうとして、中国がいまや世界一過激な新自由主義国になり、すさまじい貧富の差が現出しているという指摘を思い出した。だが少なくとも、日本が世界でも有数の過激な新自由主義国であることは疑いないように私には思える。
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全く同感です。
既に9年連続の、世帯賃金の低下が確認されているのに、依然、既に誤りが証明されている成長率底上げ戦略をお題目のように唱える竹中は、もはやカルト宗教の教祖のようです。
コイズミの社会保障削減既定路線が、ここにきて、ようやく修正されつつありますが、既に削減された分を取り戻すのは難しいでしょう。一体コイズミや竹中は、何のために新自由主義を推進したのか、「カイカク」とは何だったのか、総括すべきときでしょう。
いまだそれに手をつけないマスコミはやはり操作されているのでしょうか?
2007.12.11 07:30 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]
本来、国民に支払われるはずの失われた金利は毎年10兆円以上、これらのお金をちゃんと国民に支払ってこそ景気が回復するのに、国民経済を疲弊させる政策ばかりでは、最終的には国家も破綻するだけだと思うのです。今や日本の社会は、国民が従米の政治家や高級官僚に奉仕するだけの国になってしまっている。まさに壊れかけのJAPANです。美術品ばかりに桁違いの値段がつく世界なんて異常だと思いませんか。
2007.12.11 09:12 URL | scotti #- [ 編集 ]
過去10数年、テレビでしゃべっていた連中が言っていたアメリカの競争主義、実力主義の賃金制度は本当は存在していなかったようです。
サラリーマン技術者の特許をめぐる待遇を大きく改善したとされる中村修二さんも、日本型晋自由主義賃金を導入させるためのに利用されたのではないでしょうか。
3年前に書いたものですが、ご参照ください。
「中村修二氏をめぐる思い込みと、不遇なアメリカの技術者たち」
http://gold.ap.teacup.com/vodka/18.html
2007.12.11 10:06 URL | sonic #- [ 編集 ]
実はアメリカは日本人が夢想する実力主義社会ではない、にもかかわらず甘い言葉で誘ってゴリ押しを…これは単なる、いや立派な詐欺ですね。
2007.12.11 19:03 URL | mash #- [ 編集 ]
はじめまして。
あるブログを紹介させていただきますが、結構興味深いエントリだと思います。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/day-20071214.html
2007.12.14 19:13 URL | 泉谷 #lJ80wi4M [ 編集 ]
新自由主義は資本主義の本質であり、
その手法としての考え方そのものは否定しない。
しかし、手法を用いるには目的があるはずで、その目的が企業の存続であるとするから
話がおかしくなる。
恐らく企業が存続しなければ、全ての従業員
が行き場を失うだろうということを当然の前提としているのだろうが、
あくまでそれも手段のひとつである。
本質的な目的があって手段が選ばれるはずだ。
企業理念には美しい事が書いてあるが、
そこには何ひとつも真実などないじゃないか。
勿論倒産など論外だが、一方で結果的に国を滅ぼす方向だけの安易な選択肢しかなかったのか?
商品や資源の自由市場取引はあったとして、はたして生産資源のここまで自由な移動がそこまで許されていいものだろうか?
海外赴任10年経験者の私としてはとても複雑な気分だ。
2007.12.24 09:06 URL | #- [ 編集 ]
>新自由主義は資本主義の本質であり、その手法としての考え方そのものは否定しない。
アダム・スミスの自由主義経済は、重商主義における特権的大商人の独占に対して、中小資本の自由な経済活動と労働者の賃金上昇および大商人の利潤率縮小の3点によって、「不公正な格差の是正」を目指すものです。
新自由主義は、自由主義でもなければ資本主義でもありません。
それは、はじめから格差の拡大と固定を目的とした野蛮への回帰に他なりません。
「アダム・スミスに帰れ」と彼らは言いますが、アダム・スミスが生きていたならば間違いなく新自由主義への抵抗の先兵となるでしょう。
道徳哲学者、倫理学者だったアダム・スミスは、経済活動に良識や道徳を繁栄させることを狙いとしていました。
大資本が無秩序に利潤を拡大して貧者を増やすことを正当化したわけではありません。
アダム・スミスの自由主義経済・市場原理の理屈は、新自由主義とは相容れるものではありません。
>考え方そのものは否定しない。
新自由主義の理論は、フリードマンに遡ってボロクソにやっつけて構いません。
彼らはその根本からして間違っています。詭弁家だと思います。
アダム・スミスも読まずに「スミスに帰れ」と言っていたに違いありません。
完全に否定してやってください。
2007.12.30 11:53 URL | ぷー #- [ 編集 ]
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