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きまぐれな日々

OECDの国際学力調査の結果が発表された。おそらく今日のインターネットではこの話題を取り上げたブログが多数あるだろう。当ブログでは、9月27日に 「福田内閣支持率50%に見る日本人の知性の劣化」 という挑発的なエントリで 「ゆとり教育」 を批判し、一部で激しい反発を受けた。当時の主張は今も変わっていないから、同じことを繰り返すつもりはない。だが、この調査に見られる理科への関心の薄さは見過ごせない。そう思って記事を書こうとしたら、毎日新聞が社説で取り上げていた。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20071205k0000m070153000c.html
(「追記」参照)

しょうがないから、毎日新聞の社説が触れていない部分を指摘しておきたいと思う。

新自由主義に政策の舵を切った日本で科学技術が衰えるのは当然である。サッチャーのイギリスもレーガンのアメリカも、自国の製造業を衰退させた。新自由主義とは、金融業のような何の付加価値も生み出さない虚業のみを栄えさせ、実体経済を衰退させる悪魔のイデオロギーだと思う。実体経済なしには社会は成り立たないが、新自由主義国家はそれを他国から搾取する。そんな馬鹿げた政策を、よりにもよって「技術立国」とうたわれた日本がとってしまった。これは、世紀の、いやミレニアムの大失政というしかないだろう。OECDの国際学力調査では、イギリスやアメリカの生徒の数学や科学に関する学習到達度は、日本以下の低さだ。日本は、よりにもよってそんな劣等国家を手本にしようとしてしまったのである。

こんな日本で、「30歳くらいでどんな職に」という問いに、科学関連の職業を挙げた生徒が8%しかいないと言われても、そりゃそうだろうよ、としか思えない。毎日新聞の社説は、「ゆとり教育」元凶説に否定的だ。だが、自然科学を学ぶのに必要な基礎知識の量は、人文科学や社会科学を学ぶのに必要なそれより多い。よく、理系の学生が専攻を文系に変更するケースがあるが、その逆は極めて少ない。それだけ理系の学科はハードルが高いということだ。学生が勉学に費やす平均時間も、理系の方が文系よりずっと多い。それなのに、政府が製造業を衰退させる新自由主義政策をとるのでは、理系に進学して科学技術関係の職業につきたいと思う生徒が増えようはずがない。

それだけならまだしも、理系の基礎になる自然科学のものの考え方は、人文科学や社会科学の基礎ともなるものだ。人文・社会科学は、自然科学の方法論を取り入れることによって学問として成立したと私は考えている。この方法論にあまり親しんでこなかった人は、どうしても「トンデモ」に走りやすい。このところ私は、右翼も左翼も「トンデモ」やポピュリズムに走りたがる傾向に苛立ちを抑えることができないが、それもこれも科学的なものの考え方を軽視する日本の社会が根深い問題を抱えているのだと思う。
[追記]
毎日新聞 2007年12月5日付社説
社説:国際学力調査 順位より「低意欲」こそ問題だ

 経済協力開発機構(OECD)の国際学力テスト「学習到達度調査」結果が出た。多くの人はまず日本の順位に注目しただろう。日本はこのところ順位があまりパッとしない。しかし、もっと深刻な現実がのぞいた。学習意欲のあまりの低さ、つまり「やる気」の薄さだ。

 2000年に始まった調査は3年に1回、15歳(日本は高校1年生)を対象に「読解力」「数学的活用力」「科学的活用力」の3分野をみる。いたずらに知識の多寡を測るのではなく、理解と応用の力をみようとする。今回は科学的活用力に重点を置いた。

 その日本の順位は参加国(OECD加盟30カ国、非加盟27カ国・地域)中6位で、前回の2位からは後退した。だが全体でみれば上位で、見方によっては「誤差の範囲」ともいわれる。この数字に一喜一憂するより、日本の生徒たちの日ごろの理科学習に対する関心や意欲の調査結果を考えたい。

 例えば、「30歳くらいでどんな職に」という問いに、科学関連の職業を挙げた生徒は8%という。え?と言いたくなる結果である。OECD加盟国平均では4人に1人が挙げた。また理科の勉強の目的も「自分に役立つので」と挙げた日本の生徒は4割余で、7割近いOECD平均の中で際立って低い。動機づけや学習活動面で日本は最低レベルに位置している。

 なぜか。理系の職業や社会的地位は、発展途上国で相対的に恵まれ、子供のあこがれが強いという事情もある。先進国では職業が多様に分化し、選択肢が増えるという側面もある。日本では理系の職種が必ずしも厚遇されていないからという指摘もある。でもそれだけでは日本の子供たちの関心・意欲が「ずば抜けて低い」(文部科学省)調査結果は説明できない。

 実は、こうした傾向は理科教育に限らず、既に多くの学校や子供たちの生活の場で指摘されていることだ。経済的な豊かさ、少子化と受験競争の緩和など、さまざまな要因が挙げられる。「生きる力の育成」を強調した「ゆとり教育」も、本来この状況の打開や改善を目指したものだった。

 前回のOECD調査で読解力の順位が下がったことで、ゆとり教育批判がにわかに強まり、教科学習を再び増やす学習指導要領の改定決定や、全国学力テスト実施に結びついた。ゆとり教育の手法や成果、OECD調査結果との因果関係について十分な検証が行われないまま、「ゆとりが学力低下の元凶」論が高まった面がある。

 今回の結果で、実験を工夫するなど理科教育の改善が進むことは期待したい。しかし、「やる気の薄さ」はこの分野に限ったものではなく、社会全体の問題、これからの日本の幅広い人材育成で避けて通れない問題、ととらえる視点と覚悟が必要ではないだろうか。

 単なる授業量増加が即効薬ではない。意欲、動機づけ、興味、関心などは、なかなかつかみどころがなく、これまで本格的に掘り下げて取り組みにくかった問題だが、もう先送りにはできない。

毎日新聞 2007年12月5日 0時15分


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 学問の歴史について、少し誤認があると思います。多分、理系の思考方法として、合理的、論理的なものの考え方を念頭においていらっしゃるようですが、これはそもそも、中世以前の貴族の教養であった、修辞学が内包した論理性が、宗教改革を経て、自然科学に目が向けられたときに採用されたものです。
 ですから、私のように、論理を中心とする法学部(社会科学)出身のものにも合理的思考方法は備わります。(まじめに勉強していれば)
 私の持論では、子どものうちから、論理的、合理的思考能力を涵養する教育があってしかるべきだと思います。その上で理系なり文系なりに進めばよいと思います。

2007.12.05 12:02 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]

眠り猫さんの言い分にも一利あるな.論理でがちがちに固められた法学部出身者ならば,確かに私たち理系とまともに話ができる(笑)

眠り猫さんも大学における学問の生成についてはもうちょっと説明が足りないと思うな.中世の大学そのものは元々神学部が基点で,そこから自然科学を扱う医学部と政治を扱う法学部(教会法)との3学部体制に変わったのよね.

修辞学は実は大学に入る前のギムナジウムや修道院などの「予科」で教えられていたものです.そこでは前期としてラテン語の文法学・弁証学(つまり論理)・修辞学(つまり作文)が教えられ,これらのラテン語の力のない連中は次の後期へ進めませんでした.後期は自然科学ばかりで,数学(算数)・幾何・音楽(学)・天文学が教えられていました.ラテン語の讃美歌を聴くと分かると思うけど,非常に数学的に組み立てられたものだと分かります.

眠り猫さんが修辞学をことさら強調されていた理由は,その前のローマ時代にキケローが定義した修辞学主義のせいやないかなと思います.キケローはさっき書いた自由7科のことを「基礎的教育」(puerils institutio)と言い,さらに大学に入ってからの哲学などの教養を「高度の教養」(politior humanitas)と呼んでいます.しかもキケローは大学教育を受けた人間のことを「教養のある雄弁家」(doctus orator)と呼び,これが博士号の起源となっているようです.

あと,長くなりましたけど,古代ローマにおける修辞学での「演説」には;「法廷演説」「審議演説」「演示(練習)演説」の三種類があり,共和制期には3者ともに発展したものの,帝政期になり思想や言論の自由が失われてくると「練習演説」のみが「修辞学」として中世に受け継がれ,ただの「美しい作文の書き方」へ堕落してしまったということも一言付け加えておきます.

2007.12.05 20:28 URL | kaetzchen #HfMzn2gY [ 編集 ]

おお、さすが、kaetzchenさん。
勉強なりますね。藤田省三氏が「諭吉講義」で、
ロゴス「=合理的思考&議論」は諭吉が「学問のすすめ」で書いたのが 初めて、と。
此処の「学問」とは「理性」のことやという風に解説してました。
[キエフ公国やノブゴロド通じて]ロシアでさえ、ギリシア正教とともに、10世紀から11世紀に、古代ギリシアの教養、在ったのに[ま、13世紀以降のモンゴル・タタール占領期に歪んでしまいましたが]。ここら辺の差は大きいンでしょうね。その辺が東アジア諸国民全般に焦りを感じさせているンかも?
ま、純粋な工学的手工技術等は、中国律令制のなかでも、分業開発体制、職人伝承制度として在ったでしょうから、日本でも京都中心に高度化していたようですが。或いは外交的権謀術策とかも、それなりに・・。

2007.12.05 23:37 URL | 三介 #CRE.7pXc [ 編集 ]

三介さん,ども.おほめにあずかりまして.でも,大学の教養部でラテン語を選択した人なら,私が書いた内容は耳にタコができる程に聴かされてるはずですが.(^^;)それだけラテン語を選択する奴が少ないんだな

注:恩師の坂本賢三『科学思想史』(岩波全書)あたりが入門書.駿台予備校の山本義隆『磁力と重力の発見』(みすず)とか名大の伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』(名大出版会)なんてのも参考になると思う.

『学問のすすめ』に関しては,丸山真男が『
「文明論之概略」を読む』(岩波新書)で軽く説明されてましたね.ただ,彼もロゴスが合理的思考&議論とイコールとは考えていなかったようです.なぜならロゴスというのは二元論の哲学・宗教から発しているからです.神仏混交状態かつ死者がよみがえったりオバケになって出て来たりするような価値観の日本には,ロゴスという思想は浸透しないのでしょうか.夏目漱石のノイローゼの原因も,恐らくそういう所にあるのでしょうね.

ちなみに,私の祖先は室町時代に朝鮮から拉致されてきた学者・技術者・医者などのインテリ集団です.亡くなった祖父の長兄つまり本家の土蔵へ入ると,室町時代からの家系図や天皇家へ納めた「仕事」の一覧などが大量に残っていて圧倒されました.やはり日本は支那と朝鮮の属国に過ぎない(そもそも天皇家自体,百済から拉致された貴族です),自分で工学や医学を生み出す力はなかったんだと実感しましたね(笑)

2007.12.06 08:28 URL | kaetzchen #HfMzn2gY [ 編集 ]

そうそう,三介さん,ギリシア正教(ロシア正教)が伝わったキエフ公国時代のロシアはまだウクライナ共和国より小さい範囲でした.タタールが攻めてきても,何分にも国土が広いので,一体どこが国境線なのか分からないというのが現状でしてね(笑) 結局タタールの内部事情で撤兵せざるを得なくなった頃にモスクワへ都が移転され,ロシアが国土拡張政策を取りだしたと見るのが,東欧の歴史を見る上で公平な立場じゃないかと思いますよ.(一応,第一外国語はロシア語だったもんで (^^;)ロシア正教の聖書を読んでると面白いです)

2007.12.06 08:42 URL | kaetzchen #HfMzn2gY [ 編集 ]

kaetzchen さん、どうも、です。
>属国に過ぎない
そういえば、内田樹氏も「属国論」っていうの書いてましたね。
kojitakenさんの講義、もう一つ2つ、聴いてもいいですか。今、カトリックとギリシア正教が、和解に向けて歩み寄りの兆しありますから。
>ロシア正教
此処が、抵抗していてなかなか進まないっていうのをどこかで読んだんですけど、見通し明るんですかね? キリスト教会レベルでのロシアと西欧の接近・・。
もしよかったら、中国の沿岸省なんかも、クリスチャン多そうですし、韓国にも多い。
ここら、僕にはさっぱり分からないんです。
あ、そういえば、大阪枚方に隠れキリシタンの里って「摂津峡」の辺りにあるんで、そこらも、もしご存知でしたら、教えてくれませんか。

あ、そうそう、漢字の文化に関する新書を書いてはる加藤徹氏のHP
http://www.geocities.jp/cato1963/
見てたら、リンク集で、真柳誠さんっていう人のHP、発見しました。
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/chubun/mayanagi.html
「解体新書」より前に、解剖学の巻物書いてた人がいたとか、水戸学の漢方医学、結構レベル高かったんかなと思える内容もあって、面白かったです。
現代の日本の保守が和洋どっちつかずのややこしいねじれの原因って、明治政府がここら辺を無理やり統合しようとした反発にも由来しているのかな?(まあ左派にもそれは言えますけど・・)と思いました。井出孫六さんの『アトラス伝説』の影の主人公=佐久間象山の評価とかも絡むんでしょうね。

2007.12.06 20:27 URL | 三介 #CRE.7pXc [ 編集 ]

三介さん,こんにちは.

ロシア正教に関らず,東方正教というのは東欧諸国にそれぞれ1つずつあるという面倒な構造を持っています.カトリックやプロテスタントのように国境線を渡るという概念がないんですよ.だから,東方正教,特に大本山のギリシア正教がまとめ役になって,ちまちまある東方正教の大会議をしなければならないという側面があるわけです.

カトリックやプロテスタントはもともと汎国家主義ですから,ドイツが東西に分かれていた頃も,それぞれにカトリック教会もプロテスタント教会もありました.ソ連からバルト3国が逸早く逃げたのも,実は中世からドイツ騎士団によって開拓されたハンザ同盟都市だという理由もあります.ポーランドもカトリックですよね.

んで,いまカトリックが東方正教やプロテスタント諸派と手を結ぼうとしているのは,前の教皇の遺言でもあり,カトリックの教勢が特に南米で衰退したことへの焦りだとも言えるのではないでしょうか.ただ,カトリックが主導権を握ろうとするため,なかなか他の教派と話し合いがうまく行かず,ロシア正教などは途中で会議を抜けてしまったなどというエピソードがあります.

中国に関しては香港経由でもともとカトリックが南岸から上海にかけて点在していました.ただ,文化大革命の影響で,カトリックもイスラームも中国政府の支配下に置かれ,宗教原理主義を禁じていたために,バチカンにとっては面白くない訳ですな(笑) それで中国の大主教とバチカンが直接繋りを持とうとしたというのが三介さんの言われた意味ではないかなと思います.

韓国は日本の犯罪的行為のせいでクリスチャンが多い.なぜって,朝鮮半島古来の民間宗教や仏教や儒教を根底から叩き壊されて,伊勢神道へと一本化され「少国民」化されてしまった.敗戦によって日本が撤退すると,韓国人の心は空洞になってしまったのですよ.だから北は金日成主義に染まってしまったのだし,南は西側諸国の影響でクリスチャンが圧倒的に多くなった.逆に言うと韓国では何度も続くクーデタや内戦によって,財産を得た韓国人が多数,ドイツやアメリカへ出稼ぎに行ってしまったという負の側面もあります.宗教が同じだから彼の土地に溶け込みやすかったということもあるんですけれども.

これ以上のことは専門的になるし,長くなるのでとりあえずカットさせて下さい.

2007.12.07 09:32 URL | kaetzchen #HfMzn2gY [ 編集 ]

kaetzchenさん、有り難うございました。
>東方正教というのは東欧諸国にそれぞれ1つずつ
キリル文字っていう現地向けの道具があったのが大きいんでしょうね。カトリックの方は、ヘブライ語か、ギリシア語か、ラテン語で、特にローマ帝国後は、ラテン語は優勢になって中央集権的な色彩が濃かったんでしょ? 当方は群雄割拠の封建的なバラバラさが漂う?だから、西側に比べて、国民国家の形成も遅れたんでしょうかね?
あ、たしかキエフ公国やノブゴドロは、ドニエプルー黒海ルートの水運で、ヨーロッパ最東の貿易ルートでしたね。ウクライナの西半分がNATOやらEUに入れてくれ~、っていうのも、その頃からの付き合いを思い出してのことでしょうかね? ヒトラーに協力した云々よりも・・。

また、お時間のよろしいときに、宜しくお願いいたします。

kojitakenさん、お邪魔しました。

2007.12.07 18:37 URL | 三介 #CRE.7pXc [ 編集 ]

三介さんもできれば言語学を新書本でいいから一度学んで欲しいなぁ.「キリル文字」という言い方は知ったかぶりの人が言うもので,もともとロシア語の「キリリッツァ」を直訳した「キリル・アルファベット」が正確な意味です.

スラヴ語は一般的にこの「キリル・アルファベット」(言語学ではスラヴ・アルファベットと言う)で書き表しますけど,中欧のチェコスロバキアなどの緩衝地帯ではラテン・アルファベットと両方が使われてたりします.何を隠そう,チェコ語とスロバキア語は同じ言語で,前者がラテン・アルファベットで後者がスラヴ・アルファベットだったり.(笑)

スラヴ語,特にロシア語・ウクライナ語・ヴェロルシア語は非常に方言が少なく,これら3言語も文法や語彙にほとんど差がなかったりします.例えばロシア語では「チェルノブイリ」と言いますが,ウクライナ語では「チョルノブイリ」と言います.

北海に接するカリーニングラードもロシアの軍事的飛び地だと悪口を言う人がいますけど,実態はもともとハンザ同盟都市で,たまたま中世からロシア人入植者が多かったというだけの話で,勿論彼らはロシア語の母語と生活するためのドイツ語とのバイリンガルです.要するに言語を異にする民族が入り交じって生活しているのがヨーロッパだという定義をすれば,ヘンに西洋史をねじまげて「解釈」する必要性はまったくなくなります(笑)

萩尾望都のマンガにも出て来ますけど,ドイツのギムナジウムでは母語のドイツ語のみならず,英語・フランス語の現代語と,ラテン語・ギリシア語の古語は必須科目になっています.私も子供の頃,萩尾望都のマンガでそれを知っていたので,高校時代からドイツ語を始め,ドイツ語で受験し,大学の第1はロシア語,第2はフランス語,第3はラテン語,そして単位にならないけど第4はギリシア語コイネー方言を学びました.教養部というのは語学を学ぶための期間なのです.勿論私は理系ですから,学部に行って困らないだけの数学や物理の力をつけるという意味もあったんですが(笑)

2007.12.08 10:24 URL | kaetzchen #HfMzn2gY [ 編集 ]

kaetzchenさん、どうもです。
kojitakenさん、こんちは。
>キリル・アルファベット
あ、そうですか? でしたら、NHK講座とかで使われているの『ハングル文字』っていう表現も変ですね。あれも、「口びる」の形とかを象徴した表音記号ですから、ハングルアルファベットの方がいいのかも?しれませんね。
ところで、アルファ・ベータの略でしょ、アルファベットって、イロハみたいに。ヘブライ語ならアルファはアレフだったとか。でも、これだって、もっと遡れば、象形文字からつくられていったんでしょ? 楔文字とかは、あれなんて云いましたかね、クレタとかで発見された線文字、これらは象形文字からなのかどうかピンと来ませんが・・。

>ロシア語の母語と生活するためのドイツ語とのバイリンガル

交易が栄える時や戦争難民状態になる時ほど、そうせざるを得ない人増えますね。

ダンテなんかが、各地の歌を集め、それらのいいところを総合すべく、美しい『新生』イタリア語を創ろうしたのは、聖書ラテン語等は賢い人等にとっては常識だけど、大多数の民衆は、俗語に堕した『乱れた』ラテン語とか、母語(おかあちゃんに育てられた時のクチ伝えの言葉)、つまりは耳からの言語で生きていて、それを表記することが一般的でなく卑しいことだった「詩」、実際あんまり何処の地方語も美しくなかったからでしょ?
古代の万葉集も、中世の和漢混合文や、鴎外らの色んな著述にも、そういった『総合』への熱意、感じますが、如何でしょう?
確か、ルターの聖書ドイツ語訳もある意味ダンテの試みの延長線上にあり、世界語を目指したエスペラント語なんかもそういえるのかもしれませんね。あまり普及はしてないようですが。
あ、そうそう、2年ほど前に、ジョイスの『フィネガンズ・ウェーク』っていう本、四天王寺の古本市で、見っけたので、嬉しがって、買って開いてみたんですけど、何処をめくっても、チンプンカンプンのお手上げ状態にて放置・・。文庫化されてましたので、こないだ日本語訳、とりあえず、第1巻だけ買いました。ナンデこう難しいというか、あたらしい表現や形式を生み出さなきゃならないんだろう、そういう方法でしか表現できないと確信してはるからなんでしょうけど、勘弁してくれ~、って思うこともしばしばです。

2007.12.08 11:29 URL | 三介 #CRE.7pXc [ 編集 ]

『週刊金曜日』が、とくに信頼をなくしたのが、
『買ってはいけない』のときだったようだけど、非科学性が露呈すると、
その政治活動は、大きなダメージを受けるのかもしれないです。
(科学なんて自分とは関係ない、と思って遠ざけていると、
たいへんなことになるかも...)

ちなみに、非科学とポピュリズムの結合というと、
わたしが思い出すのが、「あるある大辞典」。
政治とは直接関係ないけれど、「コイズミ的なもの」の
象徴のような気が、わたしにはしていますよ。
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/pseudo/aruaru.html

2007.12.15 15:27 URL | たんぽぽ #ZiqE0vWU [ 編集 ]













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