アクセスの比較的少ない土日の記事には、これまでも比較的軽く書き流す記事が多かったが、今日は、読者から石が飛んでくるかもしれない告白から始めたい。
まあまあ、冷静に冷静に。私は先日、ナベツネが書いた 『君命も受けざる所あり』 (日本経済新聞出版社、2007年)という本を読んだ。これは、昨年12月にナベツネが日本経済新聞の名物コラム「私の履歴書」に寄稿した記事をまとめたものだ。このコラムの連載当時、面白いから読めと、裏ブログ 「kojitakenの日記」 のコメント欄で勧められたのだが、「私の履歴書」なら本になるから、その時読めばよいと思って、当時はほったらかしにしていた。それをつい先日読んだものだ。
私がナベツネの著書を読むのは、『ポピュリズム批判』 (博文堂新社、1999年)、『わが人生記』 (中公新書ラクレ、2005年)、それに若宮啓文・朝日新聞論説主幹との対談をまとめた 『「靖国」と小泉首相』 (朝日新聞社、2006年)に次いで4冊目である。
なお、「ポピュリズム批判」という検索語でGoogle検索をかけると、当ブログの記事 「反ポピュリズム宣言」 (1月29日付)が10番目に引っかかる。実は私はこのエントリで既に、「隠れナベツネファン」であることを白状しているのだが、ナベツネとは主義主張がはっきりしており、全身全霊で批判したい気持ちになる男である。ある意味、「筋の通った敵」といえる。そして、筋の通らない味方は、筋の通った敵よりずっとたちが悪い。ナベツネは、たとえ世論の大部分を向こうに回しても、主義主張を貫く男だと思う。決して右顧左眄(うこさべん)はしない。ナベツネの著書名が示すように、ポピュリズム(大衆迎合主義)とはかつては政府に反対する側に張られがちなレッテルだった。そのポピュリズムを政府自ら行うようになったのがコイズミである。コイズミが国民をダマして「郵政総選挙」で自民党を歴史的圧勝に導いたあと、皮肉にも政局は波乱含みになった。政府側、反政府側を問わずポピュリズム的な言論が跋扈(ばっこ)する今日この頃だが、コイズミのワンフレーズ・ポリティクスに対して同じ方法で対抗してはならない。政府に反対する側には、国民の生活、国民の実感に沿った、足を地につけた言論が求められると思う。
さて、今回出版された 『君命も受けざる所あり』 は、大記者ナベツネの文章だけあって読みやすくて面白い本だが、当ブログとして決して推薦はしない。ナベツネが「最後の著書にしたい」といっている本であるにもかかわらず、その内容は、一昨年に出版された 『わが人生記』 とオーバーラップする部分が多いし、日韓条約締結や自自連立、自自公連立にナベツネが果たした役割など、本当に読者が知りたいことには、当然のことながら全く触れておらず、一方的なナベツネの宣伝本になっているからだ。私のようにナベツネに関心を持つ人間にとってのみ必読、といった位置づけにしかならない本だ。
それにしても思うのだが、自自連立、自自公連立の時にも政治家との密談を行った料亭から出てくるところを写真週刊誌に撮られまくったナベツネという男は、フィクサーと呼ぶにはあまりにも表舞台に出過ぎだ。今回の「大連立」協議に関しても、TBSテレビの「時事放談」などで何度も構想を語っていたし、何より8月16日付の読売新聞社説で、自ら「大連立」構想をぶち上げていたくらいだ。そして、「君命も受けざる所あり」の巻末の年表を見ていて、ナベツネが1974年に 『保革連立政権論』 (ダイヤモンド社)なる本まで出していたことを知った。現在の民主党が「革新」政党とはいえないことは措くとしても、「大連立」構想がナベツネが30年以上も温めていた構想であって、それを現実のものにしようとしていたとは、そのスケールの大きさには恐れ入った次第だ。しかし、フィクサーがあんなに前面に出ていては、容易に反対勢力や世論の反発を受ける。ナベツネの「陽気さ」は、フィクサーとしてはふさわしくない資質だろう。フィクサーはやはり児玉誉士夫のように陰にこもったキャラクターでなければつとまらないのではないだろうか。
ナベツネがあまりにも表に出てくるから構想が頓挫したのは、今回が初めてではない。今回の「大連立」騒動を見て、3年前のプロ野球再編劇を思い出された形も少なくないだろう。『君命も受けざる所あり』でも、この件に少し触れているが、ナベツネはナント竹中平蔵の依頼で、オリックスの宮内義彦と会い、球界再編を画策したものだそうだ。あの時、それまで宮内義彦と反目しあっていたはずのナベツネがなぜ、と思ったものだが、ナベツネはいつの間にか竹中平蔵と手打ちしていて、宮内と球界再編を共謀したのだ。竹中には、「プロ野球が再編されれば、国民にわかりやすい形で小泉政権の看板である構造改革の効果をアピールできるから、再編を進めてほしい」(『君命も受けざるところあり』 より)という意図があったとナベツネ自身が明記していることは注目に値する。幸いにも、民意は竹中やナベツネ意図とは異なり、プロ野球の再編は阻止された。
この過程を思い出していた私としては、今回の「大連立」構想も必ず頓挫するという確信を持てたし、事実そのように事態は推移した。
今週号の「週刊文春」に、日本テレビが日曜朝に放送している番組「ザ・サンデー」が、読売ジャイアンツの話題に移ったと同時に視聴率が下がり、その下がり幅は直前のCMの時間帯と比較して4%にも達したという記事が出ていた。熱烈な巨人ファンとして名を売った同番組の司会者・徳光和夫の顔色をなからしめる報道だ。今なおストーブリーグで阪神タイガースと猛烈な補強合戦を展開している巨人だが、その終焉の日は間近い。
いまや新自由主義政党と化してしまった自民党による政治も、読売ジャイアンツ同様に「終わりの日」は近いと思う。果たして、それはナベツネの目の黒いうちに現実のものとなるのだろうか。
#この記事は、「トラックバックピープル・自民党」 にトラックバックしています。ここにTBされている他の自民党関係の記事も、どうかご覧下さい。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

実は、私はナベツネ(渡邉恒雄)のファンである。
まあまあ、冷静に冷静に。私は先日、ナベツネが書いた 『君命も受けざる所あり』 (日本経済新聞出版社、2007年)という本を読んだ。これは、昨年12月にナベツネが日本経済新聞の名物コラム「私の履歴書」に寄稿した記事をまとめたものだ。このコラムの連載当時、面白いから読めと、裏ブログ 「kojitakenの日記」 のコメント欄で勧められたのだが、「私の履歴書」なら本になるから、その時読めばよいと思って、当時はほったらかしにしていた。それをつい先日読んだものだ。
私がナベツネの著書を読むのは、『ポピュリズム批判』 (博文堂新社、1999年)、『わが人生記』 (中公新書ラクレ、2005年)、それに若宮啓文・朝日新聞論説主幹との対談をまとめた 『「靖国」と小泉首相』 (朝日新聞社、2006年)に次いで4冊目である。
なお、「ポピュリズム批判」という検索語でGoogle検索をかけると、当ブログの記事 「反ポピュリズム宣言」 (1月29日付)が10番目に引っかかる。実は私はこのエントリで既に、「隠れナベツネファン」であることを白状しているのだが、ナベツネとは主義主張がはっきりしており、全身全霊で批判したい気持ちになる男である。ある意味、「筋の通った敵」といえる。そして、筋の通らない味方は、筋の通った敵よりずっとたちが悪い。ナベツネは、たとえ世論の大部分を向こうに回しても、主義主張を貫く男だと思う。決して右顧左眄(うこさべん)はしない。ナベツネの著書名が示すように、ポピュリズム(大衆迎合主義)とはかつては政府に反対する側に張られがちなレッテルだった。そのポピュリズムを政府自ら行うようになったのがコイズミである。コイズミが国民をダマして「郵政総選挙」で自民党を歴史的圧勝に導いたあと、皮肉にも政局は波乱含みになった。政府側、反政府側を問わずポピュリズム的な言論が跋扈(ばっこ)する今日この頃だが、コイズミのワンフレーズ・ポリティクスに対して同じ方法で対抗してはならない。政府に反対する側には、国民の生活、国民の実感に沿った、足を地につけた言論が求められると思う。
さて、今回出版された 『君命も受けざる所あり』 は、大記者ナベツネの文章だけあって読みやすくて面白い本だが、当ブログとして決して推薦はしない。ナベツネが「最後の著書にしたい」といっている本であるにもかかわらず、その内容は、一昨年に出版された 『わが人生記』 とオーバーラップする部分が多いし、日韓条約締結や自自連立、自自公連立にナベツネが果たした役割など、本当に読者が知りたいことには、当然のことながら全く触れておらず、一方的なナベツネの宣伝本になっているからだ。私のようにナベツネに関心を持つ人間にとってのみ必読、といった位置づけにしかならない本だ。
それにしても思うのだが、自自連立、自自公連立の時にも政治家との密談を行った料亭から出てくるところを写真週刊誌に撮られまくったナベツネという男は、フィクサーと呼ぶにはあまりにも表舞台に出過ぎだ。今回の「大連立」協議に関しても、TBSテレビの「時事放談」などで何度も構想を語っていたし、何より8月16日付の読売新聞社説で、自ら「大連立」構想をぶち上げていたくらいだ。そして、「君命も受けざる所あり」の巻末の年表を見ていて、ナベツネが1974年に 『保革連立政権論』 (ダイヤモンド社)なる本まで出していたことを知った。現在の民主党が「革新」政党とはいえないことは措くとしても、「大連立」構想がナベツネが30年以上も温めていた構想であって、それを現実のものにしようとしていたとは、そのスケールの大きさには恐れ入った次第だ。しかし、フィクサーがあんなに前面に出ていては、容易に反対勢力や世論の反発を受ける。ナベツネの「陽気さ」は、フィクサーとしてはふさわしくない資質だろう。フィクサーはやはり児玉誉士夫のように陰にこもったキャラクターでなければつとまらないのではないだろうか。
ナベツネがあまりにも表に出てくるから構想が頓挫したのは、今回が初めてではない。今回の「大連立」騒動を見て、3年前のプロ野球再編劇を思い出された形も少なくないだろう。『君命も受けざる所あり』でも、この件に少し触れているが、ナベツネはナント竹中平蔵の依頼で、オリックスの宮内義彦と会い、球界再編を画策したものだそうだ。あの時、それまで宮内義彦と反目しあっていたはずのナベツネがなぜ、と思ったものだが、ナベツネはいつの間にか竹中平蔵と手打ちしていて、宮内と球界再編を共謀したのだ。竹中には、「プロ野球が再編されれば、国民にわかりやすい形で小泉政権の看板である構造改革の効果をアピールできるから、再編を進めてほしい」(『君命も受けざるところあり』 より)という意図があったとナベツネ自身が明記していることは注目に値する。幸いにも、民意は竹中やナベツネ意図とは異なり、プロ野球の再編は阻止された。
この過程を思い出していた私としては、今回の「大連立」構想も必ず頓挫するという確信を持てたし、事実そのように事態は推移した。
今週号の「週刊文春」に、日本テレビが日曜朝に放送している番組「ザ・サンデー」が、読売ジャイアンツの話題に移ったと同時に視聴率が下がり、その下がり幅は直前のCMの時間帯と比較して4%にも達したという記事が出ていた。熱烈な巨人ファンとして名を売った同番組の司会者・徳光和夫の顔色をなからしめる報道だ。今なおストーブリーグで阪神タイガースと猛烈な補強合戦を展開している巨人だが、その終焉の日は間近い。
いまや新自由主義政党と化してしまった自民党による政治も、読売ジャイアンツ同様に「終わりの日」は近いと思う。果たして、それはナベツネの目の黒いうちに現実のものとなるのだろうか。
#この記事は、「トラックバックピープル・自民党」 にトラックバックしています。ここにTBされている他の自民党関係の記事も、どうかご覧下さい。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

- 関連記事
-
- 「陽気なフィクサー」ナベツネには「大連立」工作はムリだった (2007/12/01)
- 民主党は民意を見誤るな (2007/11/29)
- 児玉誉士夫とも創価学会とも癒着していたナベツネ (2007/11/15)
スポンサーサイト
Kojitakenさんがナベツネのファンだったとはびっくりしました。これまでにもいろいろと批判してきたから。でもたまに褒めていたこともありましたよね。
ところで、カウンター変えたんですね。季節に合ったかわいいカウンターだったので、私も真似しちゃいました。悪く思わないでくださいね♪
2007.12.02 05:15 URL | 美爾依 #HfMzn2gY [ 編集 ]
美爾依さん、
私のナベツネ批判は、「きまぐれな日々」開設以前からやっていて、インターネットを個人でやるようになったとほぼ同時に始めているので、もう10年になります。
なんというか、ルパン三世を追う銭形警部みたいな気持ちでしょうか。銭形はルパンのファンですからね。総理大臣の靖国神社参拝に反対する点ではナベツネと意見が一致しました。
カウンターは季節限定ですね。クリスマスまではこれでいこうと思っています。
トラックバックURL↓
http://caprice.blog63.fc2.com/tb.php/515-b1dc73ed