きまぐれな日々

3連休を利用して、以前ブログのコメント欄でおすすめをいただいたデヴィッド・ハーヴェイの 『新自由主義』 (渡辺治監訳・作品社、2007年)を読んでいる。左派系のイギリス人経済地理学者による本で、分厚いハードカバーの本なので読みにくいかと思いきや、なかなか読みやすくて面白い。だが、まだ半分くらいしか読んでいないので、今日は紹介できない。

そんなワケで、手抜きかもしれないが、「何のためにブログをやるのか」シリーズで、ここ数日続けているコメントの紹介を、今日も行いたい。

コメントをいただいた順番からは逆になるが、まず、最近ブログへのアクセス数が8万件を超えたたんぽぽさんのコメントから。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-508.html#comment2318

>ネット右翼系、リベラル・左派系を問わず、
>ポピュリズムに走りたがるブログが後を絶たない。

じつは、ずっと前から、そういう状況だったようで、
10年くらい前から問題視している人も、いたりするんですよね...
http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/jiten-hujioka.htm

藤岡信勝氏が話題の中心なので、「転向」批判とか、
「つくる会」批判とかに、関心が集中してしまいがちだけど、
いちばん言わんとしているのは、「ミギもヒダリもみんな、
ポピュリズムに走りたがる」だと思います。

わたしは、すごい興味を惹いたので、思わずくりかえし読んだし、
自分でも、前にこんなのを書いてみたんだけど...
(ぴんと来ないのか、あまり読んでもらえなかったりする...)
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/pseudo/planet.html

いずれにしても、1990年代でこの調子ですから、
2000年代の「郵政選挙」は、なるべくしてなったとも言えるでしょう。

(たんぽぽさんのコメント)

熱心な共産党員だった「つくる会」の藤岡信勝氏が、突如転向したあと、民青時代からの方法論を右翼運動に持ち込んで「つくる会」を大きくしていったという話だが、実は最近読んだ魚住昭の 『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』 (講談社、2007年)の 「あとがきに代えて」 で、魚住昭さんが次のように指摘している。

 取材をつづけるうちにおぼろげながら見えてきたのは、「生長の家」の谷口雅春氏の思想を核にして育ってきた、村上さんをはじめとする一群の人々の姿である。
(中略)
 皮肉なことに、彼らの運動は、敗戦直後から60年安保を経て全共闘へとつづく左派の運動形態とよく似ている。特に日本会議の現事務総長である椛島有三氏らがとった、地方から中央へ攻め上る戦略は、中国革命の「農村から都市を包囲する」という毛沢東戦略の亜流と言ってもいいのではないか。

(魚住昭著 『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』 (講談社、2007年)より)

魚住さんは、さらに民族派右翼の鈴木邦夫氏が、運動の方法論を左翼から学んだと述べたことを紹介したあと、ほかでもない「つくる会」の内輪もめや参院選の自民党惨敗に触れ、「(以前は)右翼運動のなかに自由があった。愛国心を疑う自由まであった」のに、今では「本当の覚悟も何もなしに、自分と国家がすぐにポンと一体になっちゃうんですよね」という前記・鈴木氏の言葉を再度紹介している。

ポピュリズムに走ると、運動はどうしても自己目的化してしまい、それが右翼運動の場合だと「自分と国家の一体化」というドグマ(教義)に縛られ、運動が硬直化するということなのだと思う。これが、右派、左派に共通する落とし穴なのだろう。魚住さんは、「自分と国家がすぐにポンと一体」化してしまうところに、右派言論への違和感を感じると書いているが、私も同感である。そして、右派言論がはまったのと同じ穴に、リベラル・左派系のブログもはまっているのではないかと、このごろ特に強く感じるようになった次第である。

次に、黒猫亭さんのコメントを紹介する。こちらには、管理人の余分な駄文は付け加えない。長いがたいへん真摯なコメントなので、是非最後までお読みいただき、読者各自で思いをいたしていただければ幸いである。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-508.html#comment2317

初めまして、何度かTBを送らせて戴いた黒猫亭と申します。kojitakenさんのブログは硬直的なスローガン一辺倒ではなく、情勢に応じて持論を身軽に修正されることもある辺りが信用出来ると思いますので、政治ネタを書く際にいつも参考にさせて戴いています。

一般人の一ブロガーの身で、必要な情報が必要なタイミングですべて入手出来るわけはないですから、新たな局面で適宜状況判断が変わるのは寧ろ当然ではないかと思いますので、どんなことが起こっても主張の内容が変わらないブログのほうが「どうなんだろう」と思うことがあります。ここ数日の、小沢や民主党を巡るご意見の揺らぎは、その意味で誠実に記事を書いておられると思えて興味深く拝読させて戴きました。

オレのブログは元々政治専門のブログではないので、こちらにコメントするのも筋違いかとも思いますが、オレが時々政治の話を書くのは過日の郵政選挙の苦い経験が忘れられないからで、言うべきことを言うべきタイミングでキチンと言うことが重要だと考えるからです。あの当時はブログを持っていませんでしたから、公的な場で意見を言わなかったというのは当然ですが、ではチャットや掲示板や現実生活の範囲内でちゃんと小泉政治に警戒すべきだという意見を発信していたかと言えば、可能な限り言葉を尽くしていなかったという反省があります。

そちらに比べるとオレのブログのアクセスなど知れたものですが、その範囲内でも伝えるべきことがあると思いますし、少ないながらオレの意見に耳を傾けようとして下さる方々に、政治については門外漢だからという理由でそれを控えるのも一人の社会人として違うんではないかなと思います。

ただ、普通一般に言う政治ブログと距離を感じるのは、オレがブログを公開する動機が合目的的な何らかの活動の為ではないからです。たとえば安倍晋三を辞任に追い込む、たとえば自民党政権を打倒する、その目的を実現する為の合目的的な言論を展開することが動機ではなく、オレという一ブロガーが、安倍晋三の政治をどう評価するのか、現在の自民党政治の何処がまずいと考えるのか、それを表明する言説を発信したい。

たとえば福田政権を打倒するという現実的な目的の為の言説においては、福田康夫に対して肯定的な評価を下すことは「不利」ですよね。だから、内心この人は割と有能でいい人なんではないかと思っていても鬼畜な悪党のように罵る。それは一種、小さな嘘を吐いていることになるんではないかと思うんですよ。福田康夫が悪い人間だからそいつのやることは悪いことなんだ、もしくはやってることが悪いことなんだから福田康夫は悪い人間なんだ、という持ち合いのロジックは、小泉純一郎は正義の味方だから構造改革は正義なんだというロジックと原理は同一で、いわば情報戦の範疇の事柄です。如何に福田政権を打倒したくても、オレという個人はその種の嘘は吐きたくないわけです。

TBPの活動も有意義だとは思いますが、ブログ言論の糾合それ自体が社会を動かして自民党政治を打倒するという青写真をリアルなものだとは思えないのですね。ブログというのはそこまで現実社会に影響力のあるツールではないと思いますが、それでも相応の影響力があるのであって、そのブログの記事を読んだ人間の現状判断に対して間違いなく大きな影響力を持っている。オレという個人は、そのような節度において自分の言説を捉えています。

kojitakenさんが仰るように、政治的言説は不特定多数の意志統一の為のスローガンと化した瞬間に正義としては胡乱なものにならざるを得ない。それは目的達成の為の規範でしかないわけですから、そのスローガンが目指す大同目的が妥当なものであるという前提においてしか成り立たないものです。だとすれば、スローガンを連呼して意見を付すという形でブログを書くことは、但し書き附きの投票用紙と同義になってしまうのではないかと思います。それが悪いということではないですが、ブログにはもう少し違う可能性があるのではないかとオレは思います。

ご紹介のあったみちるさんと同様、行き当たりバッタリに他人様に意見しても聞き入れてもらえるとは限りませんが、ブログで纏まった意見を公開することで、それを読んだ不特定多数の人間のうちの誰か一人でも意見を変えて下さるかもしれない。他人様の意見を変えるということは本当は物凄く大変なことですが、ブログにはそのような力があるのだと思います。草の根民主主義的に言えば、一人の人間が言葉によってもう一人の他人の意見を変えることが出来る、それだけでも凄いことなんではないでしょうか。

一人の人間がもう一人の人間を誠実に説得することの意義を否定したら、民主主義というのは意味がなくなると思うのですよ。そうでなければ、物凄い数の人間の意見を自由に操縦出来た小泉純一郎は物凄く偉いということになってしまいます。

おそらく、アクセス数の規模が大きなところにはその影響力なりの責任として合目的性というものが求められるのかもしれませんし、オレのところのように少ないところは少ないなりに、個としての誠実な言説を心懸けるのが相応かと思います。少なくともオレは、マジョリティを糾合する為のスピーディーなツールという側面だけを重視してブログを書いているわけではなく、有象無象の個人による床屋政談であろうとも意見を公開し得る、個が全体に対してハンディなく情報を発信し得る公正なツールとしての側面を重視して政治的な見解を書いています。

それでは、長文失礼いたしました。

(黒猫亭さんのコメント)



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わたしのコメント、ご紹介してくださって、ありがとうございます。
(80000アクセスなんて、こちらやあちらとくらべると、
ぜんぜん少なくて、おはずかしいかぎりです、はい。(笑))

2007.11.24 14:27 URL | たんぽぽ #ZiqE0vWU [ 編集 ]

ご丁寧なご紹介に与りまして恐縮です。こちらのブログは、特定の運動の推進者としてではなくkojitakenさんという個人の真摯な意見表明の場としていつも興味深く拝読させて戴いていますので、これからも思うところ信じるところをご自由に語って戴きたいと思います。

社会とか世界とかいう大きな括りは曖昧でわかりにくくて独自の力学で動くものでしょうから、社会や世界に向けて語る言葉は個人にとってわかりにくいものになりやすいと思います。それでも、人の営みの大元になっているのは個人の考えだと思いますし、その個人に届いて個人を動かしていき、間接的に社会や世界を動かしていくのがブログの言葉だとオレは思います。

2007.11.24 17:17 URL | 黒猫亭 #pSJ6Fihk [ 編集 ]

11/23に
こんなの書きましたが
余計なことでしたよね!
http://blog.goo.ne.jp/ayapapa2951yama/e/301dfa37166c085d5992eb4e27bc9504

2007.11.25 02:23 URL | kimera25 #JalddpaA [ 編集 ]













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議員の行動は、国民に公開されていることが当然
 額賀福志郎財務相の防衛利権問題は、自民党の体質を証明している。  この一事をも

2007.11.24 21:40 | ジョディーは友達