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きまぐれな日々

昨日のエントリは、最近時々意識的に書く、問題含みのものだったので、管理人にとって興味深いコメントをいくつかいただいた。

ブログ 「反戦塾」 の管理人・ましまさんから、下記のようなコメントをいただいた。ましまさんは、たいへん信頼できる筋金入りの護憲派ブロガーの方である。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-506.html#comment2307

 記事の答えになっていませんが、国際環境の中の日本に目をうつしています。反グローバリズム、共同体指向、日本ではまだトンデモ発言のようですが、世界の潮流は無視できません。TBさせていただきました。

(ましまさんのコメント)

ましまさんにトラックバックいただいた記事は下記。

「反戦塾」 より 「日中韓連合に期待」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_2adf.html

  20日、シンガポールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日・中・韓)で、プラス3だけの会合が行われ、今後はASEANから離れて3国だけのサミットを持ち回りで開くことが決まったという。

 これは、毎日新聞が1面で報じたが、わが塾にとっては大きなニュースである。というのは、非戦、安全保障問題ではじまったEUのアジア版にならないか、という淡い期待からである。そこで各新聞の社説に目を通してみた。

 その中で、「将来の東アジア共同体をにらんでの協調も……」と書いたのは朝日だけであったが、小泉・安倍と受け継がれた靖国問題や歴史認識問題の解消をとりあげ、相互信頼のもとでの3カ国の連携を歓迎するという、さきの戦争を意識した意見は、毎日でも共通していた。

(中略)

 このたびの温首相の発言「日中関係は重要な発展の歴史的段階、転換期にある」や、福田首相の「戦略的互恵関係」「新福田ドクトリン」の中身が明らかでないので過大な期待はできない。しかし、欧州連合が、中世以来の民族間抗争や第一次、第二次大戦を経て、戦争の根を絶つための英知と根気と努力の積み重ねで今日のEUに発展した、という経緯を踏まえてのことであれば、大賛成である。

 ひるがえって、福田、小沢大連立構想の話も下火になったが、かりに両党から小泉・安倍的要素を排除し、前向きな平和・安全保障政策で安定勢力を作る話ならば応援したくなる。自民か民主か、と言っているだけでは問題解決にならない。安倍氏は早くも右派再興に向けて動き出すという。これが成功するような悪夢だけは決して見たくない。

これはたいへんに興味深い記事である。日中韓の関係というと、三者が互いに反目し合っているというのが通常の認識だと思うが、東アジアで力を持つ三国がそれぞれいがみ合って一番得をするのはどこかというと、それはいうまでもなくアメリカである。このふざけた「現代の米帝」の支配に風穴を開ける意味でも、日中韓の関係改善に期待したいのは当ブログも同じである。自民か民主かなどと言っている場合ではないというのも同感で、たとえば民主党代表就任直後に中国を敵視する発言をして物議をかもした前原誠司などは、野党だからといって「共闘」などしたくない人物である。一方、福田はコイズミや安倍と比較するとよほどマシな政治家であることも認めざるを得ないだろう。もっとも、コイズミや安倍がひどすぎただけといえばそれまでだが。

「大連立」などは論外だが、自民党・民主党がそれぞれ抱える新自由主義勢力を排除した上で、他の野党も加えた上での連立政権であれば、一顧だに値しないという態度をとるには当たらないだろう。最近、民主党の鳩山幹事長が発言したという、「解散総選挙のあとは、自民党の一部となら連立もあり得る」という発言は、明らかに自民党の分裂を念頭に置いたもので、思わずニヤリとさせられた。ただ、当ブログとしては、自民・福田、民主・小沢の組み合わせが良いとはあまり思わない。この組み合わせだと、政官業癒着構造を改めるところまではいかないのではないかと思うし、何より、先日の「大連立」協議では、この2人で憲法解釈の変更について話し合われたとされている(追記の森田実さんの記事を参照)。

しかしともかくも、大事なのは枠組みではなく中身であると思う。「自民党打倒」や「野党共闘」は、国民生活を良くするための手段であって目的ではない。ちょっと前まで、自民党と民主党はともに「カイカク」の速度を競う新自由主義勢力が多数を占める政党だった。それが、自民党がコイズミの「郵政総選挙」圧勝以来新自由主義政党として「純化」を強め、民主党はそれに対抗して政策を新自由主義色を薄めて社民寄りに転換しつつあったと思っていた。外交・安全保障政策でもコイズミ・安倍の対米従属一本槍とは違いを出しつつあった。

そんなところに、いきなり「大連立」騒動が起きたものだから、動揺するのは当然だろう。民主党が自民党との違いを出しつつあったのは、単に政権に近づくための見せかけで、やはり中身は自民党となんら変わらないのではなかろうか。そんな疑念を起こさせるに十分なできごとだった。そう思うのだが、一部のブログは全く動揺することなく、従来と同じようなスローガンを連呼していたので、もしかするとこれはキャンペーンが自己目的化しているのではなかろうかと思った次第である。

もうすでにだいぶ長くなったが、もう一通紹介する。みちるさんからいただいたコメントである。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-506.html#comment2309

初めまして、kojitaken様。一読者です。

>「庶民的」とか「庶民の感覚」っていったい何なのか。

私はブログを書いてはいない、読むだけの一読者で、まったくの庶民です。新聞、テレビは少々視聴していたものの、釈然とせずネットで情報を求めようとしはじめた者です。参院選も、その前の都知事選も、色々なブログからの情報を随分参考にさせていただきました。

庶民の一人、ブログの読者の一人として申し上げたく、コメントさせていただきます。庶民の感覚というのは「何かがおかしい」です。「でも、その何かが何なのか分からない」です。そして「何を信じていいのか分からない」という本当に「不安」な気持ちです。

勉強不足、努力不足、なにもかも、毎日をあくせく暮らして深く物も考えない自分をなじられているように聞こえます。kojitaken様のおっしゃることはもっともです。でも、誰でも最初から詳しかったり何でも分かってたりするはずが、ないですよね。何かがおかしい、とふと思った時、じゃあどうしよう、、、と、まずは途方に暮れます。そして、おそるおそる、自分の出来そうなことから始めます。これが、わたしの庶民感覚です。そして、わたしの周囲の人たちもそんな感じです(オール庶民)。そして、ブログを読み始めたのです。

上記記事のコメントでmew様(尊敬してます)が、

>私も眠り猫さん同様、小さい頃から選挙による
政権交代が夢なので

と、おっしゃってます。庶民から見ると、その感覚は腰が抜けるほど「スゴい」ことで、しっぽをまたの間に挟み込む犬みたいな気持ちになります(畏怖とビビリで)子どもの頃は、遊ぶことと欲しい物のことしか考えませんでした。そのまんま成長して、結婚して、子ども生まれて今、なんか「社会がおかしい」「こわい、不安だ」と思うようになった、、、もう遅すぎるのでしょうか。こんなに気付きが遅い人間は怠慢すぎて許せないと、kojitaken様はお思いですか?

「野党共闘」のトラックバックなどの件、一読者の立場から拝見していると、本当に気が沈むし理解に苦しみました。なぜ、そんなにねじれた問題になるのか、なにがいけないのかサッパリで。でも、kojitaken様の言葉を読む限り(そして意見を同じくする方々の意見も)「野党共闘」のトラックバック、というのは、ブログを運営しているブロガー様たちにのみ、発信されているものなのかな、と思えます。だから、誰が、どういうふうに言い出した、ということが、あれほど問題になるのでしょうか。一読者から見ていると恐いです。例えば、違う人が提唱した『野党共闘」という入り口から入って、 kojitaken様たちの「野党共闘」に近づこうとしたら「お前は間違った入り口から入って来たんだから近寄るな」と言われるような、そんな感じがします。ブロガーじゃない読者は、眼中にないのでしょうか?不勉強な庶民は、いっぱしに意見なんか言うな、と思われますか?

もっと、自分にとって今の世の中がよく分かるように、政治がよく見えて、人とも話せるようになりたい、と、それくらいの志から始まって、でも一票は持ってます。人とも「選挙、どうしよう、悩むね」と話します。そんなレベルの低い人間も見ています。どうか、「庶民的」とか「庶民の感覚」みたいなものを切り捨てないで下さい。軽蔑されても、こちらも人間です。選挙権も持っていて、少しでもよい世の中にするために一票投じたいと思っているのです。

(みちるさんのコメント)


みちるさんからは初めてのコメントで、まずお礼を申し上げたい。たいへん真摯な内容だと思う。

当ブログ管理人は、子供の頃から政治に関心はあったが、政治思想や経済学について専門に勉強したわけではない。ただ、新自由主義や軍国主義的な傾向によってどんどん日本がおかしくなっていき、特に新自由主義政策がもたらす弊害については、十数年以上にわたって肌身で感じてきたので、止むに止まれぬ気持ちから自らの意見をブログで発信するようになった人間である。

だから、「政治に詳しくない人たちのためにわかりやすい記事を書く」ことは当ブログにはできない。管理人にはそこまでの能力はなく、そもそも書き手が相当に政治経済に精通していなければ、政治に詳しくない人にわかりやすい記事を書くことなどできないはずだ。

だから、当ブログは「庶民」を切り捨てるのではなく、ああでもない、こうでもないと考えながら仮説を立て、それが現実に合っているかを検証し、仮説に修正を加えていくという方法論をとっている。これは、自然科学、人文・社会科学を問わず、オーソドックスなアプローチだと考えている。決して庶民を切り捨てるなどという考え方をしているわけではない。

みちるさんがご指摘のように、前のエントリは、ブログを書かない読者より、ブロガーの方を意識して書いたという側面がある。それは、反「自民党」、あるいは「野党共闘」の前提が崩れかねなかった今回の「大連立」騒動及びそれをめぐる民主党・小沢代表の言動について腫れものに触るような姿勢をとるブログが主導するブログキャンペーンに何の意味があるのか、という問いかけをしたかったからでもある。

無力感を感じるくらい狭い政治ブログの世界であっても、一定数のアクセスを得ているブログにはそれなりの責任があると思うが、政治ブログの世界には、ネット右翼系、リベラル・左派系を問わずポピュリズム(大衆迎合主義)が蔓延していると私は考えている。それは、世論とは言わぬまでも、近い関係にあるブログ及びその読者たちをあらぬ方向に導きかねないと思うから、自らが正統的と信じる方法論で持論を展開していっている。

当ブログはかねがね、「メディアの報道やブログの記事にわかりやすさを求めてはならない、自分の頭で考えなければならない」と主張している。わかりやすさというのは、ものごとの複雑な側面を切り捨てた結果得られるもので、メディアがわかりやすさを追及することは、大衆にアピールするスローガンを用いて世論を一方向に誘導するファシズムにつながりかねないと私は考えている。

その意味で、みちるさんが不安を感じながらご自身の頭で考えようとされている姿勢はたいへん貴重だと思う。私が望むのは、ブログの記事なんかは管理人の価値観が強く入り込んだものなので、あくまで参考とする程度にとどめておいて、ご自身の意見はご自身で形成してほしい、ということだ。

それから、ご指摘のあった「野党共闘」をめぐるトラブルの件については、誰が言い出したからAは正統性のあるキャンペーンで、Bは別の誰かが言い出したから正統性はないなどと当ブログが主張したことは一度もない。ただ、Bのキャンペーンの唱道者のブログと当ブログでは主張に相容れない部分が多々あるので、もっぱらそれを批判している次第です(笑)。

ちなみに、当ブログは「野党共闘」というのは政治家が考えれば良いことで、当ブログとしては主張したいことを主張し続けるだけだ、と考えており、もともと「野党共闘」に対する関心はそんなに強くない。現状からいうと、民主党が小沢代表の不規則発言(笑)を容認し続ける限り、民主党と共産党の距離より民主党と自民党の距離がはるかに近いのであり、これをどうとらえるか、ということに対して「野党共闘」論者は真面目に言及しなければならないと思う。

他にも何件かのコメントをいただいた。それぞれについては、前のエントリのコメント欄をご参照いただければ幸いである。
[追記]

「森田実の時代を斬る」 (2007.11.21)より

2007.11.21
森田実の言わねばならぬ[744]

平和・自立・調和の日本をつくるために【532】
小沢民主党代表インタビュー(朝日新聞2007年11月16日付朝刊)へのコメント[その5]
福田首相と小沢代表の密室談合による「解釈改憲」(憲法解釈の180度転換)を許してはならない

「無手の者よく打つ」(日本の諺)
[技巧に走らない者のほうが、かえって物事はうまくいく]


 首相による解釈改憲は違法行為である。私は絶対に反対である。しかも、首相と野党第一党の代表の二人だけで憲法解釈を変えるというのは、独裁政治そのものであり、民主政治に反する。政府は解釈改憲などという姑息な卑しい行為をしてはならない。憲法の問題は国会の問題である。長い間確立され一種の国民的合意になっている憲法に対する認識を、政治権力者が一方的に変更するようなことは許されない。憲法改正が必要だと考えるなら、堂々と憲法第96条に従って改正すべきである。政府の恣意で憲法の条文の解釈を180度変えようとすることは「法の支配」の否定である。民主主義のもとではこんなことは絶対にしてはいけないことである。
 福田首相と小沢代表との密室会談において解釈改憲が話し合われたことは、小沢氏の「首相は…憲法解釈を180度転換しても構わないと、そこまで言い切った」の発言によって裏づけられている。
 福田首相と小沢代表は憲法を守る気があるのか、と問いたい。自民党と民主党の大連立政権ができれば二人は政治権力を握ることになる。この二人の権力者による憲法解釈の180度転換など、とんでもないことだ。 小沢氏は新進党党首だった頃(1996年)に、国連決議による自衛隊の海外派遣を主張し、解釈改憲を唱えたことがあった。最近の小沢氏の言動から解釈改憲論が消えていたので、もうこういう姑息で卑劣なことは断念したと思っていたが、そうではなかった。小沢氏の解釈改憲志向は変わっていなかったのだ。同氏が長い間しまっていた解釈改憲論が、7.29参院選に勝利して、大連立の話が進み、権力の座が近づいてから、再び表面に出てきたのだろうか。
 小沢氏が解釈改憲による自衛隊の海外派兵を主張することは、きわめて危険なことである。しかも自公と民主の大連立により大政翼賛的体制ができ、小沢理論で合意すれば、日本は従米・従国連の軍国主義国家になってしまう。小沢氏が民主党代表の座にあって解釈改憲による自衛隊の海外派兵を主張しつづけるかぎり、われわれは民主党を批判しなければならない。日本国民は「小沢氏の解釈改憲論」に反対しなければならない。解釈改憲による自衛隊の海外派兵は従米・従国連の軍国主義国家への道である。阻止しなければならない。


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初めまして、時折貴ブログを読ませていただいている一読者です。私はインターネット
ラジオを放送してしていますが、貴殿のある種のモチベーションの低下については理解
できます。

安倍政権の突然の崩壊・大連立構想からくる二大政党制の危機、強いて言えば小沢党首の
真意、等々番組のネタには事欠きませんが、貴殿のような高いレベルの議論はあえて
しないように心がけている次第です。何故なら貴殿の言われるとおり「庶民」はさほど
切実に考えてはいないと思っているからです。参院選挙も有権者の「懐具合」に直結する
から「風」が吹いた訳で民主党の努力はさほど功を奏したとも思えません。

かと言って現状を肯定している訳ではありません。自民党政権は倒すべきですし、その
手段として不満もありながら民主党政権を待望しています。もちろん前原議員の危険性
も承知の上での事ですが・・(笑

貴殿の記事にある

>当ブログはかねがね、「メディアの報道やブログの記事にわかりやすさを求めてはなら
>ない、自分の頭で考えなければならない」と主張している。わかりやすさというのは、
>ものごとの複雑な側面を切り捨てた結果得られるもので、メディアがわかりやすさを追
>及することは、大衆にアピールするスローガンを用いて世論を一方向に誘導するファシ
>ズムにつながりかねないと私は考えている

という議論には若干の異論があります。「自分の頭で考える」きっかけとしての分かりや
すさは大事ではないかと言う事です。それはもちろん貴ブログのような完全な説明が出来
ないと言う当方の浅学菲才によるものではあります。そこで私の杜撰な頭で考えた事を音
声に乗せて行く事で「突っ込みどころ」から自分で考えるきっかけが出来ないかと思い立
ち、もう四年になります。

多くの読者を持つ有名ブログにありましたが、都知事選の折、反石原を主張していたもの
の結果として再選されました。この事について有権者を見下すが如き記事を見ました。
それは結局は分かりにくさに起因し、高度かつ「善」であっても分かりにくければ敗北を
喫する結果を招く事になる証左かもしれません。。

選挙と言う手段において、考えた一票も考えない一票も同等の価値をもちます。即ち丸か
バツかの選択しかない訳です。したがって荒っぽい事は承知の上で先ずは危機感からの投
票行動の喚起が必要だと考えます。

音声ならではの手法ですが例えば「民主主義は馬鹿に持たせてはならない」とか
テキストでは「炎上」しそうな事を私は音声にのせて言ったりもします。・・(笑

私はこの時期、政権交代のクセを付けねばならないと考えています。それによって政権の
成否は有権者にあるのだと言う事をそれこそ「庶民」に知らせる事が大事ではないでしょ
うか。「駄目ならまた代えればいい」と。

そのきっかけが「分かりやすさ」だと思うのです。コイズミ改革の欺瞞に引っかかった結
果からもその事は意外に重要だと感じるのです。そしてその「痛み」はだまされた者が引
き受けなければならない事も地方にあっては身に沁みている方も多いはずです。

政治ブロガーの多くは大所高所に立っていわゆる「庶民」に「知らせてやろう」「教えて
やろう」の意識があるやに想像します。右も左も読者に理想を語り現実との乖離を論じて
くれます。しかし「理解」の後の「行動」に繋がっているかと言えば否でしょう。

日本にあっては政治ブログがアメリカほど影響力を持たないと言う議論がなされてきまし
た。実際、前政権でも世耕議員がブロガーを集めたりもしましたが効果のほどは検証され
たとは聞き及びもしません。浅い・深いは別にして自分の意見を主張する習慣のない日本
人には限界もあるのかも知れません。

毒蝮三太夫という人がいます。主にラジオでパーソナリティをされてますが、ご老人には
昔から人気があります。「よく来たな、このババァ」とか「この死にぞこない」等と悪態
をつきまくりますが決して非難を受けたりはしません。

アメリカンスタイルではなく、読者の「気持ち」に入り込む事が日本版政治ブログのある
べき姿ではないかと思ったりもするのですが・・。

極端な話、憲法改正についてなども「変えたければ、変えればいいんじゃないの?変えて
初めて憲法の値打ちが分かるってもんだ」とか「変えてだめなら政権を取り返せば?」と
か過激と思われるような発言もラジオでは時折言っては見るのですが・・。

ラジオでは「~であるべきだ」とか「~が理想の姿だ」とかは言いません。ただ新聞・TV
等のマスコミ報道は疑ってかかれと言うスタンスは伝えようとしています。
ブログ批判もやってます・・・(笑

よろしかったら。
アザーサイドジャーナル
http://www.c-radio.net/link/othersid.html

今日のコラム
http://www.voiceblog.jp/hidetaro/


2007.11.22 15:08 URL | 秀太郎 #- [ 編集 ]

kojitaken様、昨日コメントさせていただいたみちるです。
御丁寧なコメント返しを頂き、恐縮です。「あんなこと書くんじゃなかった」と後悔していたので、感謝と恐縮でいっぱいです。

>当ブログは「庶民」を切り捨てるのではなく、ああでもない、こうでもないと考えながら仮設を立て、それが現実に合っているかを検証し、仮説に修正を加えていくという方法論を取っている。これは、自然科学、社会・人文科学を問わず、オーソドックスなアプローチだと考えている。決して庶民を切り捨てるなどという考え方をしているわけではない

kojitaken様のブログの趣旨を拝見し、改めて仮説も現実もよく分かっていないのに浅はかな書き込みをしたことを恥ずかしく思いました。それなのに、丁寧なコメントを返していただき、お心遣いとお手間をとらせてしまったことを申し訳なく思います。

kojitaken様のブログを読むようになったのは、政治を知りたいけどどうすればいいか分からず、とりあえずネット検索で「政治 ブログ」と入力したら、色んなランキングが出て来て、そこからだったと思います。ホントのドシロウトの自分が読むには高度だと思ったけど、興味深く思え、今まで勉強させていただきました。

昨日、あんな感情的なコメントを書いてしまったのは、昨日のkojitaken様の記事を読んだ時、ちょうど「やっぱ自民党じゃなきゃダメだ」とすぐに言うおじいちゃんと3時間お留守番をした後だったからです。子どもが同じ保育園に通っているママ友達のお舅さん(酒屋さん/骨折中)です。「なんで自民党?」というと「他のはダメだ」と言うので「民主党は?」と聞いたら「あんなん、ワケ分からん」、「共産党は?」「冗談じゃない、客来んようになるわ」、「社民党は?」「社会党?まだあったんかい」、という感じで、公明党、と言おうとしたら手首を叩かれました。あまりに地域に多すぎて口に出すと差し障りがあるようでした。

「選挙どうしよう、悩むね」と話したのはそのママ友の彼女だったのですが、彼女は結局、当日おじいちゃんの具合が悪く投票に行けませんでした。みんな行けないのです。事情があって。「そこまでして投票に、、、」という感じです。でも行かなきゃ、と思うのですが、何て言えばいいのか。「新自由主義についてどう思う?」とは言えないです。それが諸悪の根源じゃないか、とkojitaken様のブログなどで薄々思うようにはなりましたが、話しても通じないどころかドン引きされるに違いないです。

皆、自分が具合悪くても病院にもいかず働いてます、でも不安でいっぱいです。ママ友の彼女には「貧乏ヒマ無しなのにもう一人できちゃった」のこの前言われました。おめでとう、と言いたかったのになんか泣けそうになってしまいました。後頭部にすごい白髪が見えて、美人なのに。保育園のクラスの半分近くが母子(父子)家庭です。補助金のカットや、都加算補助のカットで、ますます苦しく、鬱病になって薬もらってる、と聞いたママ友もいます。その家の子は夕方になると泣くのでどうしたのと聞いたら「ママが死んじゃうんじゃないかこわいの」と言いました。なんでみんなこんなに不安な思いをしなきゃならないのか。

平日も仕事で期日前投票もままなりません。当日だって行けなかったり、そもそも「投票したってなんになる」とやっぱり皆思ってるみたいです。保育園の民営化をやめて(すごく事故が多いし)、と市に陳情に行ったら、市長には会えなくて嫌々出て来たみたいな児童課の課長がバカにしきって対応してくれました。母親ばっかりだったから。まあ、父親は仕事で忙しくて平日に市役所になんか行けないのですが。母子家庭のママ友も「私みたいなのが何か言ったら補助無くされちゃうかも」と怖がって陳情には参加しません。

みんな庶民です。会えば明るく挨拶しますが、一皮めくると不安でいっぱい、という人が多くて、自分もそうです。毎日疲れきって深夜に帰ってくる夫に「政治どう思う」と吹っかける気には到底なれません。在宅で仕事してネットする機会のある自分が少しでも勉強してパイプ役になれれば、と思うのですが、難しくて。でも、やらなきゃ、と思っている時「やっぱ自民党」という何を言ってもムダなおじいちゃんと話して疲れた後にkojitaken様のブログで「「庶民的」とか「庶民の感覚」っていったい何なのか」と書いてあるのを読んで思わずグサッときてしまい、ついあんな書き込みをしてしまいました。今は、自分がkojitaken様のブログの趣旨を理解していなかったことを分かって反省しております。申し訳ありませんでした。

庶民の私は、「大連立」って結局どういうことなのかもよく分かりません。全部まとめて自民党なんてイヤ、という気持ちと、でも「皆がダメと言うから大連立は無し、残念だが」という小沢さんに、イヤと言ったらやめてくれる人なら、なんでも強行採決してた前の阿部首相とかよりマシなんじゃ、、、というわずかな希望を感じるくらいです。とにかく、もうこれ以上ひどいことをしないでほしい、という気持ちでいっぱいです。子ども育てられない。こんなじゃ。


またしても長くなり、申し訳ありません。これからは、またROMのみの一読者に戻ります。今後もkojitaken様のご活躍をお祈りしています。

2007.11.22 15:16 URL | みちる #R63KSl6. [ 編集 ]

>思わずグサッときてしまい(by みちるさん)
そうですよね~。みちるさん。
kOJIさんも、でも、別の感覚で、色々悩んでいるって云うところから、対話らしきものが始まる。
ご主人もお疲れでしょうから、背中さすりつつとか、
(なかなか時間がないか?このご時世・・。)
色んなアプローチで、距離を「ちじ」めることから始めんとあきませんからね「正味の話が」。

知事といえば、片山・元鳥取県知事が、「頑張らない」宣言の増田総務相に期待!って言ってました。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/katayama.cfm
「『頑張る』という言葉に潜む曖昧さこそ危険
 しかし、よくよく考えてみればこれらの施策は過疎化と少子化に苦しむ自治体の窮余の一策であり、乏しい財政事情の中で精いっぱい『頑張った』結果」
息を抜いて、人間らしさを取り戻そう!ッていう視点こそがこの世の中大事やなにゃあ
と。

では、さいなら。
PS
此処も書き込みしにくくなってますね。
一旦ワードで書いて、コピーせんとあかんみたい。

2007.11.22 23:08 URL | 三介 #CRE.7pXc [ 編集 ]













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