きまぐれな日々

昨日に続いての休日版で、今日は次の週末から行われる日本シリーズの出場チームが決まったプロ野球について取り上げる。

去年と同じ、北海道日本ハムファイターズと中日ドラゴンズの組み合わせに決まった日本シリーズだが、私は日本プロ野球で強いチームといえるのは、パ・リーグでは日本ハムとロッテ、セ・リーグでは中日と阪神だと思っているので、この4チームの中から日本シリーズに進出するチームが出たことは、まあ妥当な結果だったと思う。セ・リーグ優勝の巨人は、優勝自体が「棚からぼたもち」みたいな印象だったし、「クライマックス・シリーズ」と銘打たれた中日とのプレーオフで、第1戦で中日の先発投手を読み間違えるというベンチワークのミスで始まり、決着のついた第3戦でのランナーの走塁ミスで万事休すという醜態をさらし、果たしてこれで優勝チームの名に値するかどうか、はなはだ疑問に感じた。

ところで、プロ野球というと、どうしても3年前の球界再編騒動に触れないわけにはいかないのだが、本エントリでは、それよりはるかさかのぼる戦前から語り起こしたい。

日本に野球が輸入されたのは明治期で、いうまでもなくアメリカからの輸入である。野球は、北米および中米、それに日本、韓国、台湾など東アジアで盛んだが、ヨーロッパやアフリカでは全くの不人気である。

当初は学生野球が人気を博し、第1回の早慶戦は1903年、第1回の中等学校野球大会は1915年に始まった。後者は、のちの「夏の甲子園」の高校野球だが、1915年当時はまだ甲子園球場はなく、大会は豊中球場で行われた。甲子園球場は、甲子(きのえね)の年だった1924年8月1日に開設したため、この名がある。春の選抜中等学校野球大会は、同じ1924年が第1回だが、春にはまだ甲子園球場が完成しておらず、名古屋の八事(やごと)球場で開催された。1924年の夏の大会以後、高校野球は甲子園球場で行われることになる。但し、夏の記念大会で、同じ兵庫県西宮市にあった西宮球場を併用したことがあった。

大正末頃には早慶戦が大人気を博し、昭和に入ると「夏の甲子園」で明石中学と中京商業が延長25回の死闘を演じて話題になるなど、学生野球の人気は高まっていった。職業野球は1936年に発足したが、読売新聞の正力松太郎がそれに先立つ1934年にアメリカ大リーグチームを招聘し、巨人軍を設立した。これには面白い逸話があって、実は阪急グループの創業者・小林一三が職業野球発足を大阪毎日新聞に打診しており、それを知った正力が阪急・毎日新聞連合を出し抜くべく、阪急のライバルだった阪神電鉄に声をかけ、急いで職業野球を発足させたといわれている。だが職業野球は、発足当初は人気がなく、日陰者的な存在だった。

戦後、2リーグに分裂したいきさつにも、「新聞戦争」がからんでいる。戦犯容疑者として公職を追放された正力は、読売新聞から離れていたが、プロ野球界では依然として実権を握っており、プロ野球人気を拡大するため、かつて出し抜いた毎日新聞に声をかけ、球団数を増やすとともに、宣伝力を増そうとしたのである。ところが、正力の影響力が残るのを嫌った「反正力派」が実権を握っていた読売新聞が、ライバル・毎日新聞の加盟に反対し、同業者の中日新聞も読売に同調した。これに対し、大阪を発祥の地として、関西の私鉄に影響力を持つ毎日新聞は、阪急や南海、阪神などを味方につけた。こうして、毎日の加盟に対する賛成派と反対派の対立が激化し、結局賛成派がパ・リーグに、反対派がセ・リーグに分かれて、「2リーグ分裂」劇が起きた。この際、当初毎日の加入に賛成していた阪神が、読売に「毎日側につくと、『伝統の一戦』(巨人?阪神戦のこと)ができなくなるぞ」と言い含められて、毎日加入反対派に寝返り、これに怒った毎日が、新球団を発足させた際、阪神から選手を大量に引き抜いた。1リーグ時代には巨人と互角に張り合っていた阪神が、2リーグに分裂したあと、さっぱり優勝できなくなってしまったのは、この時の弱体化が一因になっている。

大阪のファンも、弱い阪神より、パ・リーグで西鉄ライオンズと常に優勝を争っていた南海ホークスを応援した。難波にある大阪球場が、南海?西鉄戦で盛り上がっていた時に、甲子園では閑古鳥が鳴いていたという時代もあった。

プロ野球が国民的人気を博するようになるのは、東京六大学野球のスター・長嶋茂雄が巨人に入団し、1959年の天覧試合で阪神の村山実から放ったホームランが国民に印象を与えた頃からである。この頃から、プロ野球は政治に絡めて論じられることが多くなった。岸信介が、安保反対のデモについて聞かれたとき、「これが国民のすべてではない。国民の『声なき声』に私は耳を傾ける。今日も後楽園球場は満員だったそうじゃないか」と語ったのは、あまりにも有名である。

当時から、巨人ファンは大勢順応的で、自民党支持層と重なるとよく言われた。しかし、実際には巨人が9年連続日本一になり、プロ野球ファンの大半が巨人ファンだった60年代後半から70年代前半は、日本の戦後政治史においてもっとも革新勢力への支持が高かった時期だった。1974年に中日ドラゴンズが巨人の10連覇を阻んで以来、プロ野球人気は他球団に分散し、70年代後半から90年代初頭にかけて、プロ野球人気はピークの時期を迎えたが、この間はどんどん自民党への支持が増えていった時期で、1980年と86年の二度の衆参同日選挙で、自民党はいずれも歴史的大勝を記録したのだった。

ついでに言うと、ひところ、「巨人が優勝すると景気がよくなる」という俗説がまかり通り、日本経済新聞にまでそう書かれたことがあったが、実際には1973年に巨人が9連覇を達成すると日本経済は石油ショックとスタグフレーション(不況下の物価高)に見舞われ、1990年に巨人が2連覇するとバブル経済が崩壊し、2000年に巨人が「ONシリーズ」を制すると、ITバブルが崩壊した。現在では、「巨人が優勝すると景気が悪化する」と言われるようになっている(笑)。

ところで、2リーグ分裂後も、プロ野球の歴史にはいくつかの転換点があった。1つは1965年のドラフト制度導入であり、これは自由競争時代の契約金の高騰に歯止めをかけるともに、各球団の戦力の均衡化を狙った、国の経済政策にたとえるなら「福祉国家」的施策だった。皮肉にも巨人の9連覇はこの年から始まったのであるが、これは、自由競争時代に獲得した王や長嶋らの活躍によるものである。制度改革の効果が現れたのは、長嶋が現役を引退した1974年に中日が巨人の10連覇を阻んだ頃からであり、75年に広島カープ、78年にヤクルトスワローズ、79年にパの近鉄バファローズと、次々と初優勝を記録するチームが現れ、プロ野球はひとり巨人にとどまらない広がりを持つようになって、人気が大きく拡大した。日本シリーズのテレビ中継の歴史で、もっとも視聴率が高かったのは、1978年のヤクルト対阪急の第7戦、ヤクルト・大杉の放った左翼線への大飛球が、ホームランかファウルかをめぐって、判定に納得しない阪急・上田監督の抗議によって1時間以上も中断した試合だった。

こうした事態を快く思わなかったのが、巨人の親会社・読売新聞だった。1992年、巨人のオーナーに渡邉恒雄・読売新聞社長(ナベツネ)が就任すると、ナベツネは巨人の監督に長嶋茂雄を復帰させるとともに、直ちに制度改革に着手し、プロ野球機構は、ドラフトの逆指名制度とフリーエージェント(FA)制度を同時に導入した。これが「新自由主義」に対応する制度改変だったことはいうまでもない。

このカイカクも、効果が現れるまでには時間がかかった。FA宣言の第1号は、巨人に在籍していた駒田徳広(横浜に移籍)だったし、巨人は、94年の中日との最終戦決戦を制し、96年には「メークドラマ」を達成したものの、ぱっとしないシーズンの方が多く、91年から99年までの間で優勝したのは、前記の2回だけだった。しかし2000年、巨人がFAや逆指名でかき集めた戦力が威力を発揮し、ぶっちぎりでペナントレースと日本シリーズを制した。ついに、ナベツネと長嶋が理想とした、新自由主義的な野球が開花した。

しかし、これはプロ野球のあり方を大きく歪めるものだった。パ・リーグには、本物の新自由主義者であるオリックスの宮内義彦がいて、ナベツネとは最初は敵対関係にあったのだが、一転してナベツネと手を握り、西武の堤義明ともつるんで、プロ野球の1リーグ化再編をたくらみ、その際、「負け組」の球団を切り捨てようとした。オリックスや西武自身も不人気球団だったが、巨人と同一リーグに入ることで生き延びようとしたのだ。これが、2004年のプロ野球再編劇である。堀江貴文(元ライブドア)や三木谷浩史(楽天)ら新自由主義のプレーヤーが登場し、ニュースをにぎわせたが、再編劇自体は、古田敦也率いるプロ野球労組の奮闘もあって、ナベツネや宮内らのもくろんだ1リーグ化は阻止された。

だからといって、プロ野球の新自由主義化の弊害まで一掃されたわけではない。この弊害は、特にセ・リーグで顕著で、巨人・阪神・中日の金持ち3球団と、横浜・ヤクルト・広島の貧乏3球団にはっきり分かれてしまった。阪神の金本、シーツはもとは広島の選手だったし、中日のウッズ、谷繁はもと横浜の選手だった。今年の巨人の5年ぶりのリーグ優勝は、日本ハムからFAで移籍した小笠原の活躍なしにはあり得なかった。

セ・リーグと比較すると、パ・リーグは様相がずいぶん違う。ナベツネと球界再編を共謀したオリックスと西武はいずれも人気・実力とも凋落した。北海道と福岡のチームがリーグを牽引し、FAや逆指名になど頼らずにチームを強化した千葉ロッテがこれに絡む。楽天も、名伯楽・野村克也がチーム作りの手腕を発揮して、球団創設3年目にして最下位を脱出、4位に浮上した。現在、パ・リーグの魅力は、明らかにセ・リーグをしのいでいる。

新自由主義的再編成を狙った首謀者がいるパ・リーグがまともな発展を遂げようとしているのに対し、再編成に強く反対した古田が頑張っていたヤクルトが属するセ・リーグに新自由主義的制度改変の弊害がより強く現れているのは、なんとも皮肉な話である。そして、プロ野球全体を見た時、その人気が急速に減退しているのは、テレビの地上波からプロ野球中継の番組が急速に姿を消していることからも明らかだろう。新自由主義社会の未来像を見る思いがする。

以上で、極私的プロ野球史の概観はおしまい。あとは、日本ハム対中日の日本シリーズに注目したい。



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 野球にもお詳しいのですね。
 読売は、プロ野球のシーズンが終わる冬のスポーツであるサッカーでも、ヴェルディを作り、スター選手を集め、人気を取ろうと画策しました。
 しかし、最初こそ強かったものの、Jリーグで定められている、傘下の青少年育成などには金をケチったし、指導陣に外国人を入れなかったりしているうちに、地方のチームが強くなり、また、野球に比べて、チームのオーナー企業が桁違いに大きいJリーグで、ヴェルディは凋落し、今はJ2です。
 最初、川崎に本拠があったのに、「読売ヴェルディ」と名乗り、Jリーグから注意されるなど、ナベツネの専横では通用しない世界がありました。
 読売の驕りと考えるべきでしょう。
 今のプロ野球は、まさにパリーグが面白い。北海道日本ハム、仙台楽天などの活躍は、野球を地域のものにして、とても良いことだと思います。

2007.10.22 10:23 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]

 いつもTBを送っている者です。

 私も昔は巨人を応援してきましたが、ここ数年は応援したいとは思いません。

 逆に長年苦労してきた選手を応援するようになりました。

 パ・リーグでは、昔はBクラスが当たり前だったチームがここ数年優勝争いしているのも見ていて面白いと思います。

~たしかな野党を、小さくても応援し続ける勇気を!~

2007.10.22 21:57 URL | 嶋ともうみ #9PBfX8nM [ 編集 ]

コイズミ政権から継続して、政府の規制改革会議の指導者のオリックスの宮内オーナーが、プロ野球でしようとした球団の削減による企業努力しないでも球団の価値を相対的に上げるカイカクは、プロ野球労組の反対に遭い挫折し、逆に新規参加したチームや地方に本拠地を移転したチームが活躍している皮肉な結果が出ています。これを日本の社会に例えると、日本の社会は規制改革会議の議長の思うままにカイカクされて、利益至上主義の縮小均衡型経済となっていて、国民の貧困化が加速して、地方は特に疲弊しています。これはプロ野球労組のような頑張りを国民が出来なかったことから、オリックスの宮内オーナーが米国で学んだ、日本を米国型の経営者に都合のよい社会にカイカクされた結果だと私は思っています。

2007.10.23 09:51 URL | scotti #- [ 編集 ]

テレビの中継がなくなっているというのはジャイアンツ戦のことを言っているのだと思うが、それをそのままプロ野球人気と繋げて論していることに驚く。いまだにジャイアンツ=プロ野球と思っている単純な人間がいるのか。まるで大谷昭宏みたいだ。

2007.10.23 16:05 URL | 年寄り #VWFaYlLU [ 編集 ]

中日が日本一になった年はhttp://blog63.fc2.com/image/icon/i/F8B4.gif" alt="" width="12" height="12">まだ両親すら生まれてませんでしたhttp://blog63.fc2.com/image/icon/i/F9A7.gif" alt="" width="12" height="12">祖父も祖母も出会ってもいません。今年こそ日本一になってねhttp://blog63.fc2.com/image/icon/i/F992.gif" alt="" width="12" height="12"> 中田さんhttp://blog63.fc2.com/image/icon/i/F8EE.gif" alt="" width="12" height="12">頑張れ

2007.10.25 23:04 URL | 奈々 #- [ 編集 ]













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36歳初日☆いわゆる私は年男
 今日2007年10月22日、私は36歳の誕生日を迎えました。いわゆる私は年男で

2007.10.22 22:03 | 嶋ともうみ☆たしかな野党を応援し続ける勇気を!