きまぐれな日々

はじめに、このところ弊ブログの記事にいただいているトラックバックやコメントをくださった皆さまに、お礼を申し上げる。

当ブログでは、トラックバックにはできるだけお返しをするようにはしているが、遅くなることが多いし、TBが通らないこともままあるので、その点ご了承願いたい。また、大部分の場合いただいたコメントにはお答えできずにいるが、コメントにはすべて目を通しており、コメントを下さった方には感謝している。但し、ブログ管理人はコメント欄を議論の場とは考えていないので、その点ご理解とご了承を求めたい。

さて、今日は新自由主義者のイカサマ性を前回に引き続いて批判したい。今日のは、ちょっと陳腐な批判だと思うが、新自由主義批判の原点なので、あえて記事にする次第だ。

平等には「機会の平等」と「結果の平等」があり、新自由主義者は前者を主張し、後者を「社会主義」だとして批判する。しかし、もういやというほど指摘されているように、「機会の平等」などというものは存在しない。

自民党の議員たちを見てみればわかるだろう。毎回のように指摘するように、「三角大福中」の頃は、自民党のリーダーは実力でのし上がった議員ばかりだったが、ニューリーダーと呼ばれた安竹宮(安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一)の3人のうち、安倍と宮沢は2世政治家である。安倍晋太郎の父・安倍寛(あべ・かん)については、当ブログでも何度か取り上げてきた(「安倍のもう一人の祖父は「平和主義者」だった」など)。安倍晋太郎や宮沢喜一はまだ存在感のある政治家だった。たとえば、安倍寛は早世したこともあって、誰も安倍晋太郎のことを「安倍寛の息子」とは呼ばなかった。ところが、近年は世襲議員の中でも、本人より父や祖父のイメージに強い人物ばかりがのし上がってくるようになった。その最悪の例が安倍晋太郎の息子の前首相・安倍晋三であり、この男は「岸信介の孫」であることを自ら強調するありさまだった。現首相の福田康夫も、ことあるたび父・福田赳夫元首相が提唱した「福田ドクトリン」に言及する男だが、福田ドクトリンとは、「軍事大国とならず世界の平和と繁栄に貢献する」、「心と心の触れあう信頼関係を構築する」、「対等な立場で東南アジア諸国の平和と繁栄に寄与する」という東南アジア外交の3項目のことで、安倍晋三が唱えた「戦後レジームからの脱却」とは真っ向から対立するものである。福田康夫は、安倍晋三のような極右路線をとる恐れはなさそうで、それより警戒すべきは、麻生太郎より「右」にあたる福田の「経済タカ派」的政策だろう。すでに、マスコミを通じて「財政再建路線」「消費税増税」などをちらつかせている。「自End」にも右派ブロガーによる「財政破綻」の脅しをちらつかせながら「カイカク」を迫るエントリがTBされているようだが、テロ特措法もさることながら、今後は経済政策についての論争が活発化していくと思う。

さて、例によって話が大きく脱線したが、元に戻って、世襲議員ばかりが総理大臣になる自民党に、「機会の平等」による競争原理が働いているなんて誰が信じられるだろうか? 私は、安倍晋三が「頑張った者が報われる社会に」と口にするたび吹き出しそうになった。「格差固定」の象徴のような男が何言ってるんだよ、って。故田中角栄あたりが言うのならわかるが、安倍晋三にそんなことを口にする資格はない。所信表明の2日後に首相辞任を表明したこの男は、まだ議員を続けるつもりらしいが、企業だったらとっくに解雇されているだろう。

断っておくが、私は統制経済・計画経済より市場経済の方がすぐれている、というよりまだ「マシ」だと考える人間だ。もし、「機会の平等」が確保されるなら、モチベーションが高い方がパフォーマンスは良いに決まっている。しかし、現実には新自由主義政策が格差を生み出し、それが固定化される傾向が強いから、最初から「機会の平等」などあり得ない。このような社会ではモチベーションは上がらない。だから、経済効率を重視する観点に立った場合でも、かなりの程度「結果の平等」に配慮した再分配が必要なのだ。よく再分配に「バラマキ」というレッテルが張られることが多いが、これはとんでもない話だ。たとえばテレビで田原総一朗が「バラマキ」と口にするのを見るたび、田原は自分の収入を独り占めしたい守銭奴なんだなと思う習慣をつけるのが良いと思う。右派は、では財政赤字はどうするのだ、と言い出すだろうが、その対策は簡単なことだ。金持ち減税を止めるとともに、アメリカのために使ってやっている出費を削減すればよい。たとえば、テロ特措法で問題になっている「給油活動」の正体は、アメリカに上納金を差し出すことだ。こんな無駄こそ真っ先に切り詰めるべきなのだ。

もう一つ、新自由主義で一番頭に来るのは、「完全な市場が存在する」ことを前提にした経済理論に立脚していることだ。現実には「完全な市場」など存在しない。確率論に立脚した金融理論では、リスクを最小化することはできても、大儲けできる方法など編み出せないはずだ。それは、たとえてみれば室温に置かれたコップの中の水が勝手に沸騰するようなことが起きるくらいの確率しかない。だが、現実には村上ファンドが大儲けしていたりした。これから導かれる結論はただ一つ、村上ファンドはインサイダー取引をやっているのだ、ということを、当ブログでは村上世彰が逮捕される1か月前、まだ捜査の報道がなされる前に指摘していた(2006年5月2日付エントリ「株で儲けるには」)。

つまりどういうことかというと、新自由主義の正体は、インサイダー情報を知っているものだけがトクをできる、いかさまの競争を人民に強制する思想だということだ。「完全な市場」が存在するという前提は成り立っていない。閉じられたサークルの中にいるエスタブリッシュメントたちが情報を寡占して、巨万の富を得る。ライブドア事件に絡んでひところ話題になった「投資事業組合」は、その人たちのためのものだったはずだ。そして、エイチ・エス証券副社長の野口英昭は、その秘密を知っていたからこそ、ライブドア事件の捜査が始まって早々に「自殺」しなければならなかったのだ。安倍晋三はIT長者や新興の不動産業者のパトロンだった。安倍晋三政権が終わったからといって、これらのことを決して忘れてはならないと思う。

新自由主義とは、カルト思想の一種というより、詐欺師が人々を騙すために使う口上みたいなものだと思う今日この頃だ。


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市場原理主義にについてより深く知りたい方は、
ぜひ内橋克人氏の”悪夢のサイクル”を読まれることをお薦めします。
市場原理主義批判のバイブルと言っていいぐらいです。
ネットで検索すれば書評がたくさん出てくるので詳しくは書かないけど、
これを読めば市場原理主義の愚かしさ、恐ろしさ、なぜ日本がこんな状態になってしまったのかがよくわかります。

ちなみに私がよく読ませていただいているブログでも紹介されています。
http://kihachin.net/klog/archives/2007/04/uchihashi.html
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/32e676821ebfe9974ae2edf995b1fe59

2007.09.29 20:48 URL | のと #- [ 編集 ]

日本における「新自由主義」とは、自由主義で利益を得る一部の人間の「都合が良い隠れ蓑」だと思います。
自由主義の欠陥、自由主義での失敗と損失を隠し、それを穴埋めするためにとかくあたまには「新」、お尻には「改革」とつけ福祉・社会保障をどんどん切捨てる。
「市場原理」といっても結局はバーチャルリアリティの世界でマネーゲームやってるのとおんなじだと思う。
「現金、現ナマでちゃんとやれ!!」だ。

2007.09.29 22:18 URL | はりちゃん #eYj5zAx6 [ 編集 ]













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今日から郵政民営化スタート…だけど、私はこれからもこのシャツを着続けます
 今日から、郵政民営化スタートです。  郵政、あす分割・民営化(2007年9月3

2007.10.02 01:22 | 嶋ともうみ☆たしかな野党を応援し続ける勇気を!