きまぐれな日々

当ブログのような零細サイトが書くのも何だが、反小泉のブログ同士がいがみ合うのは何とかならないかと思う。

で、決してさる有名ブログの影響を受けて論じるわけではないが、今回、政権側が奇襲攻撃までかけて共謀罪を成立させようとした裏には、アメリカからの強い圧力(というより実質的には指示)があるに違いないとは、私も思う。

それは、関岡英之の「拒否できない日本」(文春新書、2004年)を読んだことがあるからばかりではなく、数年前に栗本慎一郎の「自民党の研究」(光文社、1999年)を読み、その「終章」で栗本が恐ろしいくらい的確な、近未来についての予言をしていることを知っているからだ。

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日本の保守政治は、小渕内閣時代に歴史的な政策の転換をした。それまでの「大きな政府」を指向する旧保守から、一転してアメリカの諸要求に白旗を掲げ、アメリカ型の新保守、新自由主義政策に転換したのだ。

栗本は、1998年から99年にかけて、日本の次の主役を担うかもしれない有力政治家は、すべてアメリカの面接を受けている、と書いている。

小泉純一郎だろうが安倍晋三だろうが、あるいは小沢一郎だろうが、誰をもってしてもアメリカの要求を「拒否できない」仕組みは、もう前世紀末にはできあがっていたのだ。

今回の民主党案丸呑みという「奇襲」には、昨年夏の郵政民営化解散と同じ匂いがした。だから私は、小泉自身がたくらんだことだろう、と書いたのだが、小泉でなく安倍が主役だったら、もっと権柄ずくのごり押しを図っただろう。

小沢については、もしかしたら数年前の彼と今の彼は違っているのではないかという、かすかな期待は持っているが、本当のところはまだわからない。

栗本の著書の話に戻ると、彼は、1999年の段階で「勝ち組対負け組の相克」が生じることを的確に予想しており、新保守が勝ち組のみを保護する政策に走ると、勝ち組が誰もいない社会ができあがり、日本は焦土と化すだろうと不気味に予言している。

今年1月の堀江貴文に続く、目前に迫った村上世彰の挫折は、「勝ち組が誰もいない社会」の予告そのものではないか。

新自由主義を捨て、再度の政策転換を行わない限り、日本に未来はない。私はそう固く信じている。
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2006.06.03 14:01 | 時事 | トラックバック(-) | コメント(-) | このエントリーを含むはてなブックマーク