きまぐれな日々

私は子供の頃に漫画「巨人の星」を読んで育った世代だ。
この漫画で、「偉人」として名前が出てくるのが、読売新聞の社主だった正力松太郎だ。いや、漫画の世界に限らず、現実のプロ野球球団・読売ジャイアンツ(通称・巨人)が芳しくない事件(湯口投手の急死や江川事件など)を起こすたびに、「大正力」を引き合いに出して巨人が批判されたものだ。プロ野球には「正力松太郎賞」というのがあり、これは読売新聞が勝手に作ったものなのだが、プロ野球界にもっとも貢献した人が選ばれ、「プロ野球界でもっとも栄誉ある賞」ということになっている。

しかし、現実の正力松太郎はトンでもない人物だった。

そもそも、この正力はA級戦犯である。いや、起訴はされなかったから安倍晋三首相の母方の祖父である岸信介同様、「A級戦犯のなり損ね」という方が適切かもしれない。しかし、起訴されなかった裏には何かあったのではないかと勘繰りたくなる。

そして、岸と正力にはそれを裏づける事実があった。すなわち、A級戦犯としての起訴を免れた岸と正力は、ともにCIAから金をもらってアメリカの意向に沿って行動していたのである。正力に関しては、最近早稲田大学教授の有馬哲夫が米国国立公文書館によって公開された外交機密文書に基づいた著書 『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』 (新潮社、2006年)によってこれを明らかにして話題になった。

とんだ売国奴が日本のマスメディアを牛耳っていたものだが、正力の罪はこれにとどまらない。

今日、9月1日は「防災の日」だが、これはいうまでもなく1923年(大正12年)9月1日に起きた、日本史上最悪の震災であった関東大震災にちなんで制定されたものである。

この震災で、読売新聞の社屋も半壊した。これに乗じて、大阪発祥の朝日新聞と毎日新聞が拡販攻勢をかけたこともあり、あっという間に読売新聞の経営は傾いた。

その読売新聞を震災の翌年、1924年に買収したのが、元警視庁警務部長の正力松太郎だった。読売を乗っ取った正力は、それまで「進歩的」と言われていた読売の社論を一変させ、大きく右に舵を切った。

実は正力は、読売を買収する前の震災直後に、万死に値する大罪を犯している。関東大震災の際、混乱する被災地に「朝鮮人が来襲し、暴動を起こしている」というデマが流布し、パニックに陥った東京市民が朝鮮人を虐殺したことはよく知られているが、正力は意図的にこのデマをばら撒いた張本人だったとされているのだ。

ロシア革命(1918年)でソビエト連邦が成立した直後であり、時の日本政府が社会主義者や朝鮮人を弾圧しようとしていた時代背景があった。権力側には、震災を奇貨として弾圧を推し進めようという意図があったのだ。当然のごとく、正力が社長になった読売新聞は、翼賛メディアとして戦争推進に積極的に協力した。

こんな人物が、岸信介同様、A級戦犯容疑者として逮捕されながら起訴を免れ、CIAから金をもらってアメリカのために行動していたのだからひどいものである。戦後正力が設立した日本テレビは、開局当時はプロレス中継、のちには「天覧試合」(長島茂雄のホームランで知られる1959年の巨人?阪神戦)などで人気を高めたプロ野球中継で日本テレビは視聴率を稼ぐとともに親会社の読売新聞の部数拡大に大きく寄与した。正力の没後、1977年に読売新聞の部数は朝日新聞を抜き、さらにはソ連共産党機関紙の「プラウダ」をも抜いて、発行部数世界一の新聞にのし上がった。その読売新聞社内にあって、プロ野球人気を苦々しく思っていたのが、やり手の政治記者・渡邉恒雄(ナベツネ)だった。

戦後正力は、読売新聞の社主ではあったが、社長職には戻らず、おそらく読売新聞の編集には介入しなかった。読売新聞の論調は、正力が読売を買収する前のように、リベラル色の強いものに戻ったが、朝日新聞のように保守系の論客から「左寄り」と批判されることは少なく、毎日新聞に近かった。1972年の沖縄返還をめぐる日米の密約を暴いた西山太吉記者が逮捕された「西山事件」で体制批判を強めた毎日新聞が、権力の返り討ち(下半身スキャンダルへの問題のすり替え)に遭って部数を落とした時、派手に毎日から読者を奪って伸びたのが読売だった。その頃、「新聞はどれをとっても似たような紙面だ」と言われていたものだ。

その読売が、再び社論を一変させ、右に大きく舵を切ったのは、1979年にナベツネが論説委員長に就任して以来だ。それまでのナベツネは、読売社会部からにらまれて政治部長就任を阻まれ、アメリカに飛ばされるなど辛酸をなめた。当時、読売社会部では「ナベツネが政治部長になると読売が児玉誉士夫に乗っ取られてしまう」と言われていた。そして、その児玉が絡んだ1976年のロッキード事件では、ナベツネが盟友の中曽根康弘ともども、金銭を受け取った疑惑まで取りざたされた。田中角栄元首相逮捕30周年に当たる昨年7月27日に公開した当ブログの記事 「ナベツネと靖国と安倍晋三と(その5)」 でも紹介したが、当時について魚住昭さんは下記のように書いている。


ロッキード社の「秘密代理人」児玉誉士夫の周辺を調べていくと、あちこちから渡邉の名が出てきた。3月には、鉱山経営者の緒方克行が渡邉と児玉の癒着を暴露した「権力の陰謀」も出版された。疑惑の「政府高官」として中曽根の名が一部で取りざたされたこともあって、渡邉を「編集高官」と揶揄する者まで現れた。

(魚住昭 『渡邉恒雄 メディアと権力』 =講談社、2000年=第9章「社会部帝国主義を打倒せよ」より)


そんなナベツネがようやく1979年に読売新聞の社論を左右できる論説委員長の座に着くや、それまでリベラル系の社論を担っていた論説委員たちを次々と追放し、代わって「イエスマン」で周囲を固め、読売新聞社内の「言論の自由」は失われていった。

ナベツネは憲法改定を目指して30年近くも走り続けたが、その路線には矛盾が目立ち始めた。たとえば、なぜ靖国神社には反対なのに教育基本法や憲法の改定には賛成なのか。そして、プロ野球界では徹底した自由競争を唱え、ドラフトの逆指名制やフリーエージェント制を導入させたのに、なぜ米メジャーリーグへの選手移籍を妨害しようとするのか。また、読売新聞の社論である反「市場原理主義」(反新自由主義)とは矛盾しないのか。

ナベツネは右派ではあっても、対米隷属の岸信介の系列ではなく、中曽根康弘と近い人間だ。中曽根は、岸の系列よりは自主独立の傾向が強い。親米であり、新自由主義的政策を日本で最初に導入したのは中曽根内閣だったが、政権担当時はバランス感覚も持っていて、当初不人気だったのに5年間政権を維持し、自民党政治の絶頂期を築いた。私は中曽根の業績に対してはネガティブな人間で、バブル経済についても、後始末に失敗した宮沢喜一よりも、原因を作った中曽根康弘の方により重い責任があると考えている。しかし、良し悪しは別として、中曽根の能力は認めざるを得ないし、彼は、政治的信念を持って政権を運営した最後の自民党政治家だったかもしれないとも思う。

今の政治家や言論人はそうではない。簡単にアメリカ様に操られるような人物ばかりである。一昨日のエントリでも触れたように、ナベツネは、周囲をイエスマンで固めたつもりが、いつの間にか読売新聞の全権を掌握できなくなったのではないかと私は考えている。

参院選でのあれほどの自民党惨敗にもかかわらず、安倍晋三を担いで日本のアメリカに対する隷従の度合いをますます強めようとする勢力が意外にしぶといことが、昨今の内閣支持率の上昇からもうかがわれるが、保守の政治家や言論人にも良心と勇気があるなら、安倍らと袂を分かつ行動をとってほしいものだと思う今日この頃だ。


↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。
FC2ブログランキング

関連記事
スポンサーサイト

でも、あの頃、後の大勲位は日本を「不沈空母」にするとか言ってたんじゃないですか。

2007.09.03 20:13 URL | ヤマボウシ #- [ 編集 ]

別に中曽根を弁護するわけではありませんが(そもそもキライな政治家でした)、あの「不沈空母」というのは、中曽根が発した日本語の英訳に問題があったと言われています。

対韓、対中に関しては中曽根は親韓でしたし、靖国公式参拝が中国に批判されると、以後首相在任中には靖国を参拝しないという現実主義者ぶりも見せました。

少なくとも、プレスリー邸で国辱もののタコ踊りをしたコイズミや、官房副長官時代に「アメリカの言うことを疑うのは失礼に当たる」などと言ってのけたアベシンゾーと比較したら、中曽根ははるかにマシだったというほかありません。

2007.09.03 22:24 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]













管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://caprice.blog63.fc2.com/tb.php/436-25bc6945