きまぐれな日々

マスメディアが発達した現在、「言論が一方向に振れる時」というのがしばしば現れる。本来、対立した意見が争われるべき状況において、マスメディアによる宣伝を媒介して、極端に一方の側に支持が偏った状態が生じてしまうことだ。

一昨年の「郵政総選挙」はその悪例の一つだった。人々は、「郵政民営化」の内容もよく理解せず、「抵抗勢力」を相手に戦うコイズミに熱狂した。その「カイカク」が幻想であったことを悟るのに、コイズミが首相になった頃から数えて実に6年を要した。安倍晋三は90年代前半以降コイズミ政権成立までの10年を「失われた10年」と称しているが、これは誤りである。経済危機を新自由主義的手法で乗り切ろうとした1997年以降、小渕、森、コイズミ、安倍と政権が変わるたびに政治家の質がどうしようもなく劣化していった現在までの10年間こそが「失われた10年」であったことを国民は共通認識とすべきである。

時の為政者が宣伝を仕掛け、民衆の心をくすぐる甘言によって国民をダマした最悪の例が、ヒトラーのナチス・ドイツであって、コイズミのやり方はそのミニ版に過ぎず、最悪の事態に至る前に国民がその迷妄から醒めそうなのは、まだ油断はできないとはいえ喜ばしいことだと思う。

ところで、このように言論の状況が一方向に偏る状況は、何も政治的な言論の場にのみ現れることではない。社会的に話題になる事件や、サッカーや野球などのスポーツにおけるファン心理の過熱などにも見られることだ。後者はともかくとして、前者には結構な危うさを感じることが多い。

私が、前々からその例の一つであると考えているのが、1999年に起きた山口県光市母子殺人事件をめぐる言論状況である。

この事件に絡んで、事件当時18歳になったばかりだった被告を何が何でも死刑にしようという風潮を、かねがね私はとてもうさんくさく思っていたのだが、最近、「週刊ポスト」がこの風潮に疑問の一石を投げかける記事を掲載した(8月17・24日合併号)。これは、8月9日に、もそもそさんのブログ「そもそも、どーなの」に紹介されたことによって知り、私の運営する裏ブログである「kojitakenの日記」に、「光市母子殺人事件に関する週刊ポストの勇気ある記事」というタイトルの記事にして紹介したところ、45件の「はてなブックマーク」がつき、盆休みに入る週末だったというのに、8月10日、11日の2日間で計5000件近いアクセスをいただいた。

「はてブ」のコメントを見ると、賛否両論があるが、少なくともマスコミ報道やそれに影響された世論に見られるような「被告を何が何でも死刑にせよ」という主張への極端な偏りは見られなかった。こういうカウンター的言論を広めるのに、ブログという媒体は捨てたものではないと感じた次第だ。

さらにその後、雑誌「創」の2007年9・10月号に、やはりこの事件に関する一方的な言論へのカウンターとなる記事が掲載されていることを知った。本エントリではこれを紹介したいと思う。

ジャーナリスト・綿井健陽氏による「これでいいのか!? 光市母子殺害裁判報道」という記事がそれである。この記事は、下記のように書き出されている。


「光市母子殺害事件」弁護団への激しいバッシングが続いている。カッターナイフの刃が送られたり、殺害予告が届いたり‥‥。この「私刑」の雰囲気は、一体誰が作り上げたものなのか。


「広がる弁護団への非難・中傷・嫌がらせ」と題された最初の章の最後から、次の章「限度を超えたメディアの『暴走』」の最初の部分にかけてを以下に引用する。


 この裁判をめぐって、それは社会といっていいのか、それとも単に世間や大衆と言うべきなのか、いやそれともマスメディアだけなのか、その注目される部分がほかとは相当異なっている。それは「被告の元少年が何を法廷で話すか、どんな顔つきや態度なのか」という一般的な興味とは別に、「どんな弁護士たちなのか、その弁護団が何を主張するのか」という部分にゆがんだ形で向けられている。そして、そこから派生する弁護士たちへの非難・誹謗・中傷・嫌がらせ、そして相次ぐ脅迫まで、いわゆるネット空間だけの限定現象ではなく、メディアと市民が一体となった形で、この国に少しずつ広がり始めている。

限度を超えたメディアの「暴走」

 これらの現象に関して永六輔氏は、本誌(注:「創」)編集長も出演しているCS放送「朝日ニュースター」(7月21日放送)の番組の中で、「僕がテレビの実験放送から始めたとき、アメリカからジャーナリストが来て『スタジオは裁判所じゃないですす。スタジオを裁判所にしないように』と繰り返し言われた。いまは裁判所になってるでしょ。『ニュースキャスターは裁判官ではありません』と言われたが、最近は裁判官に近いでしょ」 「昔は『村八分』というこれも差別がありましたよね。今はテレビのおかげで『国八分』になっている。日本中でという形になっているのが怖い」と指摘していた。

 テレビのスタジオはもちろん、雑誌・ネット上からご近所の世間話の類まで、この事件のことに対してはみんな何かしらの意見を述べる。いわゆる「感想」を話したり、判決を「予想」したり、あたかも誰かの「代弁者」のように怒ったり、それらは「世論」の上に乗っかることが参加条件だ。繰り返されるメディア情報だけを材料に、裁判長や検事になったかのように話す。決して被告の側やそれを弁護する側ではない。この裁判の法廷は広島高裁にある302号法廷一つしかないはずなのに、その法廷以外のあちこちで別の「裁判」が進行しているといった方がいいだろうか。いや、それらは決して「裁判」ではなくて「私刑(リンチ)」に近い。

 昨年6月の最高裁判決の前日、安田好弘弁護士は都内で講演した。前回の最高裁での弁論を「欠席」した際(それまでは認められるはずの延期申請ができないという理由の「欠席」だった)、一日100件以上の電話が弁護士事務所に来たそうだが、その内容のほとんどは「弁護は不要だ」 「死刑にすべきだ」という内容だったという。これに対して彼は「電話の向こう側から『殺せ、殺せ』という大合唱が聞こえてくるようだ。『許せない』ではなくて、『殺せ』という精神的な共謀感なのか。世の中が殺せ、殺せという動きの中で、司法がちゃんと機能するのかが問われている。明日は裁判という名の『リンチ』が起こる」(筆者=綿井健陽氏=のメモより)と話していた。

(「創」 2007年9・10月号掲載 綿井健陽「これでいいのか!? 光市母子殺害裁判報道」より)


記事の筆者・綿井氏は、差し戻し控訴審が行われている広島高裁を通りかかる市民から何度も「もう判決は出たんですか?」と聞かれ、みんな「死刑か、それとも無期か」という部分にしか関心がないようだ、と感じたという。綿井氏は、2002年の北朝鮮による拉致被害が明らかになった頃のメディア状況を連想したと書く。確かにこの時のメディア放送も冷静を欠いたものだった。その状況で、国民の反北朝鮮感情を煽って人気を高めたのが安倍晋三官房副長官(当時)だったことはいうまでもない。

綿井氏は、この裁判の弁護士・安田好弘氏がことあるごとにテレビのテロップで「死刑反対運動のリーダー的存在」と紹介されており、テレビ報道が「裁判や被告人が死刑廃止運動に利用されている」という流れに誘導しようとしていると指摘している。そして、もし安田弁護士に対して「死刑廃止運動のリーダー的存在」という肩書きを裁判報道で用いるなら、被害者遺族の男性にも「犯罪被害者の権利を求めてきた運動の象徴的存在」という肩書きを使わなければ公平ではないだろう、と主張している。まことにもっともな論旨だ(但し、それは被害者遺族の男性の思いとは相当異なるだろうとも指摘している)。

さて、綿井氏は、この裁判に関する新聞メディアの報道は、テレビとは異なって節度を保っていることを指摘している。5月の差し戻し控訴審初公判翌日(5月25日)の紙面は、地元の中国新聞は被害者側に沿った記事を書いていたが、毎日新聞は一面トップで司法制度のあり方に言及して、「拙速は許されない」と逆の意見を述べ、読売新聞の広島版では「遺族、早期結審願う 弁護側は慎重な審理求める」と両論併記の形をとっていたそうだ。新聞によってスタンスは異なるものの、決して一方的な報道ではなかった。

それに対してテレビ報道は前述のように一方的なものだし、雑誌に関しても、差し戻し審開始の頃から、「週刊新潮」、「週刊ポスト」、「フライデー」などが一方的に被害者遺族男性(本村洋氏)側に立った報道を行い、その攻撃対象は被告の元少年から弁護団の方に移ってきていると綿井氏は書いている。ここで指摘されているように、「週刊ポスト」も、最初はそういう報道だったのが、先日になって自らの報道のカウンターになるような記事を掲載したというわけだ。このあたりに同誌の雑誌ジャーナリズムの良心を見る思いだ。

ネット言論はどうだったかというと、コイズミの「改革ファシズム」に反対の声をあげて一躍注目されたリベラル系の某有名ブログが、この件で被害者親族の男性に入れあげて、センセーショナルに厳罰を求めるネット言論を煽りに煽っていたことがが思い出される。保守系のブログはもちろん厳罰主義を支持していたから、ネット言論では、保守系・リベラル系を問わず、かなり一方的に被害者親族の男性側に入れ込み、被告の元少年や弁護団を激しく非難する論調に偏っていたといえると思う。

綿井氏の記事に戻ると、記事は、弁護団が3日間の集中審理を終えて6月28日に会見した際の記者との質疑応答に触れ、安田弁護士が「被告は殺害行為をやっていない。最高裁が認定した殺害行為は誤りだ。これは死刑の回避の問題ではない。司法権の適正な行使の問題だ」と主張したことを紹介している。

以下、記事の結びの部分を引用、紹介する。


 被告の供述を裏付ける重要な客観的証拠は確かに存在する。その一部は『光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか』(インパクト出版会)に鑑定書が掲載されているが、「被害者の女性を両手で首を絞めた」 「赤ちゃんを床に叩きつけた」という部分の「両手」 「叩きつけた」という検察の主張を裏付ける証拠はない。これらの遺体の痕跡についての判断は今後の裁判で明らかにされるだろう。そして、新たな客観的証拠も今後の公判で弁護団から提示される予定だ。

「弁護団は死刑廃止運動にこの裁判を利用している」という批判ばかりが世間を覆っているが、この弁護団は上記のようなことを含め、事件現場での事実をこれまでできる限り一つ一つ丁寧に解明してきた。むしろ検察側(あえて強調しておくが遺族側ではない)の方が、この裁判を今後のこの国の死刑や量刑の基準として示そうとしている、もっと言えば司法全体がこの裁判を日本の社会へ向けて、ある種の「見せしめ」として政治利用しているとさえ私には思えてくる。

 広島地方の梅雨が明けた直後の7月24日、また3日間の集中審理が始まった。広島高裁の法廷の中では今後も審理が着々と進められる。だが、法廷の外で展開するこの裁判をめぐる「報道」と「反応」は、このままではさらにエスカレートする可能性が高い。NHKニュースはこの裁判を伝える際、「18歳の元少年に死刑が適用されるかどうかが争点です」とナレーションで説明する。しかし、この裁判は「死刑」を争う裁判ではなく、ひょっとするとメディアによってあおられる「私刑(リンチ)」が、我々が住んでいる社会にどんな結果をもたらすことになるかを世に示す裁判になるのかもしれない。本当にそれでいいのだろうか。
(7月25日広島にて)

(「創」 2007年9・10月号掲載 綿井健陽「これでいいのか!? 光市母子殺害裁判報道」より)


ネット言論は、このようなテレビによる極端な意見への誘導を煽るものであるより、多様な視点を提供して、一方向への暴走に歯止めをかけるものでありたい。そのような実践を伴ってこその「反(カイカク)ファシズム」ではなかろうか。

なお、本エントリで紹介したのは、記事のほんの一部だ。読者の皆さまには、雑誌で記事全文に当たられることを是非おすすめする。


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失われた10年というのは、仰せのとおり、小渕総理以降だと思います。

実は私は、小泉さんだけでなく小渕さんのやったこともきちんと検証しないといけないと思います。

亡くなったものですから悪くは絶対言われないのですが、正直、相当人がよさそうな顔して悪いことをしています。自自公連立、周辺事態法、盗聴法、派遣労働原則解禁、金持ち減税(小泉政府でも温存)、さまざまな規制緩和。この10年が悪夢の「平成版第二次世界大戦」だったと総括しています。

光市の件ですが、本当に裁判所はきちんと調べたのか。量刑はたとえ同じでも、事実関係がきちんと正しく解明されているかどうか疑問が出ていると聞いています(ある筋から)。

弁護士の一人は、私とは平和運動仲間です、私と彼で、イデオロギーはだいぶ違いますが、あれほど叩かれるようなことではないと思いますね。


2007.08.22 12:26 URL | さとうしゅういち #EGTCt1XI [ 編集 ]

個人的にこの事件について,マスコミ報道とはまったく逆の立場から,事実関係を完全に覆す「最近の少年の姿」をありのままに拙ブログで書こうと思っています.

つまり,これは企業城下町である光市の某大企業によってでっちあげられた「冤罪事件」である,ということです.

文句のある人は kaetzchen@mail.goo.ne.jp へ.ここでバトルをやって,ブログ主に迷惑をかけないこと(笑)

2007.08.22 21:25 URL | kaetzchen #HfMzn2gY [ 編集 ]

非常に参考になる記事です。
そういや、かつて安田弁護士が、宮台真司がネットで流している番組に出演して、
なぜ、最高裁で欠席したのか?ということについて話していました。
その時の彼のコメントは、テレビで流されているような、いわば「異常者」とも
取れるようなイメージとはかけ離れていました。
非常に理路整然と話していました。

ですので、私も、今行われている広島高裁の裁判の内容が、果たしてメディアで
流されているものをそのまま信じていいのか?と言うことに関しては非常に疑問
を感じざるを得ません。

もちろん、被害者の苦悩は計り知れないものだとは思います。
しかし、裁判で問われるものは「結果責任」であって、被告人の「人格」ではあ
ありません。

とにかく、この日本においては、憲法で定められているはずの「言論の自由」が
無い国なんだなぁということをまざまざと思い知らされます。

2007.08.22 23:20 URL | とし #qhVXTLRM [ 編集 ]

はじめまして、星屑と申します。
2001年9月静岡県御殿場市で起きた強姦未遂事件。一審で懲役2年、二審で懲役1年6月の判決が出ました。しかしその内容は疑問だらけです。以下に元フジテレビキャスター長野智子さんの取材した問題点をリンクします。
http://yaplog.jp/nagano/archive/113
http://yaplog.jp/nagano/archive/296
http://yaplog.jp/nagano/archive/297
この中で特に問題となるのは「雨」です。
裁判所はブログでの紹介通り「現地では雨が降っていなかった可能性がある」と一蹴しています。しかし当日の御殿場アメダスの記録を見ると以下の通りです。
-19時1㎜、20時3㎜、21時1㎜、22時3㎜、23時2㎜、24時2㎜-
裁判官が言う「現地では雨が降っていなかった可能性がある」というのは雷雨性の驟雨ならあり得ますが、このように長時間降り続く雨ではあり得ません。
裁判官とはこのような目の前にある白い雪も「黒い」と言い続ける人間なのでしょうか? この国の裁判官の体質には慄然とします。

2007.08.23 20:19 URL | 星屑 #mQop/nM. [ 編集 ]

被害者家族の辛い気もちはわかるつもりですが、弁護士をリンチにかけるようなことをタレント弁護士が率先してやったり、あおるような報道をしたりして、どうかしていると思います。イラク人質のときは、一般市民でした。今は、政治家や弁護士、裁判官までそのいやらしい攻撃が及んでいます。
これじゃ、ヒトラーに熱狂したドイツ国民を非難できませんね。恐ろしく想像力にかけた国民が多いのでしょうか。
司法はあくまで公正にやるべきです。熱狂した市民の報復の手段であってはいけないです。

2007.08.28 18:36 URL | 非戦 #tRWV4pAU [ 編集 ]

あのねー。
自分勝手な、身勝手な、独善的なコメントやめたら。2人も殺せば、ましてや11か月の赤ちゃんを投げつけるやつは死刑でしょう。
人ごとだからと、言論遊びはやめろよ。

2007.09.06 09:01 URL | おくもと #- [ 編集 ]

死刑(殺す)が見たいからではなく、自分の身内があのような殺害方法で殺された場合、死刑が下される国であって欲しいだけです。一国民にそのくらいの願いはあって当然でしょ。それとも死刑制度は下等な精神国家の象徴とでもいうのですか?まだこの国の大多数は、死刑という刑罰を存続したいと思っているのです。犯罪人をただ殺したいと願っているのではない。治安維持の方法として望んでいるだけ。ヒステリックな集団感情なんかでは決して無い。被告がやっていない可能性がある場合であれば別です。しかし、やったことは事実。あとは殺害方法と彼の精神責任能力ですが、あのような証言の覆し方をするなんて、被害者を愚弄するも甚だしい。今の証言を「真実の可能性があるとして検証する」ことを被告が利用しているに過ぎないことは間違いないでしょう。裁判システムが1%の可能性にとらわれることを彼は利用している。もし、真実の証言によって彼が無期になり、死刑を免れるなら仕方が無い。ただ、本当に彼の証言が真実である可能性有と思っているのですか?小勢が大勢を制す的なことを言って、まるで冷静でまっとうなつもりかもしれないですが、あなたは何様ですか。日本国民はそんなことで集団発狂して殺せなんて言わない。権利主張ばかりせず、責任をちゃんととらせる法治国家にしたいだけです。真実の中で。

2007.09.20 22:27 URL | yamaちゃん #- [ 編集 ]

>yamaちゃん
>今の証言を「真実の可能性があるとして検証す
>る」ことを被告が利用しているに過ぎないこと
>は間違いないでしょう。裁判システムが1%の
>可能性にとらわれることを彼は利用している。

君になんでそんなことがわかるのかよ。
あんたは神か?

2007.12.01 21:58 URL | 通りすがり #- [ 編集 ]

本日、差し戻し審が行われ判決が出た。無論判決は死刑。誰もが予想した判決だ。報道は矮小化した情報を不公平に流す。加害者の肩を持つ訳ではないが、公平さに掛ける報道は民衆の判断に誤りを生ずる事になる。かと言って、民衆がどうにも出来るものではないが。また我が子が同じ加害者であったならどう思うか。やはり死刑にだけはしたくない。犯罪被害者がいるなら、加害者側にも被害者がいる。加害者家族だ。家族だから仕方ない。ではすまされない実情が必ずある。犯罪は被害者も加害者の家族もその周りも全てが悲惨となってしまう。量刑を持って、犯罪を抑止する。妥当であろう。だが、人の命は地球より重い。とする加害者発言は矛盾を否めない。命に差別があってはならない。感情で司法を動かす事も許されない。決して許される犯罪ではないが、死を持って償う事は、出来るはずがない。一時的なものにしか過ぎず、結果死刑をしてもしなくても死者は生き返らない。悲しい事実だ。加害者の真に反省の言葉を述べていたら、判決が覆されたかも知れない!と言う発言は、言い返せば言葉1つで人の生死を分ける事とも言える。誰にもそんな権利は無いはずた。実は私も殺してやりたいと思った事のある被害者である。だが、運命と言うものがあるならば、避けられない事だったのだと受け止めた。死を受け止める事は難しい。がしかし、受け止めなければ先に進めない。加害者の本村氏はもし、死刑執行が迎えられたら、その5年後10年後に、どんな言葉が聞けるだろうかは想像の粋を出ない。虚しさだけが残るだろう。日本国だけの限られた思慮に基づく見解などは、これからの社会では薄れ行くであろう。国際的な動向や流れを考慮して、一人一人が考えて行く事が必要である。人が人を殺めてはならない。と教育するならば、矛盾があってはならない。諸外国ではいかなる犯罪も死刑を量刑に含まずとする国が半数以上である事からも、精神文化、道徳を確立していく必要性がある。死刑は凶悪犯罪の抑止にならない。これは近年、死刑を廃止した国からも推察出来るであろう。ならば、ただの感情でしかない。その事は本村氏も解った上で発言しているのでしょう。虚心坦懐に冷静な判断が欠落しているとしかいいようが無い。むしろ感情を徐に表した方が、良いのだけれど。そうすると自分が崩れてしまうのだろう。被害者の彼が虚心には出来ないにしてもメディアは、偏ってはならない。またメディアは裁判的評価を何人にも委ねてはならない。この原則は外してはならない。人の精神は法によらず法にあり。つまり法の選択はそれほど重要である。と言う事だ。我々一人々々が、これからの社会の規範を作り上げていく。新しい世紀だと言う事ですね。今の若い人達は道徳や常識が解らない方があまりにも多い。戦争を経験すれば、人の死など望めるはずが無い。時代は変わっても、絶対に変わらないものがあると思うけどね。

2008.04.22 16:32 URL | 正義とは・・・ #- [ 編集 ]

なんとなく昔ここが変だよ日本人という番組で、ドイツ人の方が
「私の家族が殺されたら例え法律が仇討ちを禁止しているとしても私は従わない。私は私自身の法に従い復讐をするだろう」
と発言していたのを思い出しますね。

本村さんの今までの発言で一番納得できたのは「反省しているかどうかは、本人以外には分からない。何を持って反省していると判断すれば良いのですか?」というものです。
正直、長きに渡って言葉も態度も偽装できます。将来を共にする伴侶ですら分からないものがあるわけです。
復讐できても本村さんは納得できないでしょう、でも納得しようとしているのでもないのではないでしょうか。

2008.04.22 18:22 URL | らんらんるー #JalddpaA [ 編集 ]

被害者の気持ちにたってみろぼけ!お前が死刑になれ

2008.04.23 05:51 URL | jun #- [ 編集 ]













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