きまぐれな日々

朝日新聞社の月刊論壇誌「論座」に民主党・菅直人代表代行へのインタビューが連載されている。これはなかなか興味深くて、これが載っているばかりに、これまで購読習慣のなかった「論座」をこのところ毎月購入している。

1993年に自民党が分裂し、非自民・非共産連立政権である細川護熙内閣が発足して以来の政党の離合集散については、もはやいつどのような政党の組み合わせがあったか記憶がさだかではない。だが、この過程でもっとも驚かされたのが1994年の自民・社会・さきがけ三党による連立政権(村山内閣)の樹立だった。

それに先立つ93年の細川内閣で与党の一員だった社会党は、小沢一郎らの新生党とそりが合わず、連立を離脱した。なんとしても政権に返り咲きたい自民党は、河野洋平総裁が社会党・さきがけに連立を打診した。細川内閣を引き継いでいた羽田内閣は総辞職したが、6月29日の内閣総理大臣指名選挙で、なんと小沢が自民党の海部俊樹を引き抜いて、自社さの候補・村山富市に対抗。結局決選投票の結果村山が勝って、自社さ連立政権が発足した。菅直人はこの政権を成立させた中心人物の一人であり、自民党の加藤紘一とは「KKライン」と呼ばれた。村山内閣総辞職の後を受けて発足した橋本龍太郎内閣で厚生大臣を務めていたがために、先般行われた参院選前に、自民党から「公式怪文書」(笑)をばら撒かれたことは記憶に新しい。

菅は96年に野に下り、鳩山由紀夫と組んで民主党を結成した。さらに、2003年には小沢一郎の自由党と合併し、民主党は数の上で自民党に対抗し得る大政党になった。民主党の国政選挙は、03年の総選挙、04年の参院選に連勝して党勢を拡大したが、05年の「郵政総選挙」で思わぬ大敗を喫した。これで大きく後退するかに見えたが、07年の参院選で大勝し、政権奪取に王手をかけた形である。

こうして見ていくと、菅はここ十数年の政界において、継続して大きな影響を及ぼしてきた人物であることがわかる。他に同様の人物を探してみても、小沢一郎くらいしか思いつかない。コイズミは01年の首相就任以前には泡沫に過ぎなかったし、安倍晋三など首相になったこと自体が間違っている人物である。安倍は、首相退任後速やかに政界から消え去る運命であろう。経世会はコイズミに駆逐されて勢いを失った。いまや自民党で政治家らしい政治家というと、加藤紘一くらいしか思い浮かばない。安倍と主張のかけ離れた加藤が自民党の総裁になろうはずはないから、自民党が安倍の後継者がいなくて頭を悩ませているのも理解できようというものだ。

加藤というとなんといっても忘れられないのは、2000年の「加藤の乱」だ。このエントリの冒頭で触れた「論座」の菅直人インタビューで、菅はこの加藤の乱は「インターネット政局だった」と語っている。

当時の政界の状況は今とよく似ていて、どうしようもない無能な宰相とみなされていた森喜朗は、失言や失態を連発してはマスコミにたたかれ、内閣支持率も20%を切って低迷していた。国民の森内閣への不満は高まっていったが、特に過激に森を攻撃したのはネット言論だった。

加藤が森に反旗を翻そうとした時、ネットは加藤を煽り、加藤はこれを国民の平均的な声に近いと考えて倒閣を企てたものの、結局失敗に終わったのだった。

当時、菅は加藤を首班にしてもいいと考えていた。加藤は読売新聞の渡邉恒雄に、携帯電話に菅の短縮番号を登録していることを見せ、「菅さんとは5秒で連絡が取れる」と言ったとのことだ。民主党が出す森内閣不信任案に加藤が乗って、不信任案が可決された場合、加藤が自民党を離党して新党を作るなら、民主党と連立政権を組む構想があったようだ。だが、自民党の必死の切り崩しによって、加藤の乱は不発に終わってしまった。

菅直人は語る。


 あの時はインターネット政局だった。加藤さんが自民党内の古い勢力に負けたとなると、それに対する国民の不満のマグマがたまる。特にインターネット勢力の間で、あの日は何百万人という人が早めに帰って国会中継を見たそうだ。飲み屋が空になったと言われたんですよ。
 加藤さんが悲劇のヒーローになるなら徹底的になればよかったと、私は今でも思っているんです。はっきりとは予想できないけど、何かが起きています。「ギリギリまで来ちゃったんだから、やっちまえ!」と私なんかは思うわけですよ。自民党内では、森さんのあとは黙っていても加藤さんが首相になる可能性が高かった。加藤さんはあえてそれを受け入れなかったんだから、ここまで来たら「やっちまえ!」と思うわけですよ。行動を起こした判断は、結果としては甘かったけど、起こした以上はやりきらなきゃだめでしょう。電話(注)の後、どうなるかなと思ったら、谷垣禎一さんが「あんたが大将なんだから、行っちゃいけない」というわけでしょう。もしあそこで何か動いていれば、インターネット的世論という意味で、日本の政治がもしかしたらガラッと変わったかもしれない。インターネット的世論に加藤さんは押されてというか、それを過大に評価して動いて、しかしそこまで行き切ったときは、本当のパワーになった可能性もあるわけですよね。

??しかし、加藤さんは動かなかった。加藤さんという政治家がよくわかったでしょう。

 よくわかったというか、加藤さんの最後のそういうところの弱さが、客観的にはわかりますよね。つまりは、優等生なんですね。

(「論座」 2007年9月号より)

(注) 菅直人は、加藤紘一に電話で「国会に来てくださいよ。不信任案に賛成しましょうよ。そのあとのことはそれからじゃないですか」と言ったが、結局加藤は説得されて本会議場に姿を現さなかった。


この時、加藤が動かなかったことが、翌年4月のコイズミ政権誕生につながった。そして、「コイズミカイカク」によって日本はめちゃくちゃな国になってしまった。これを思うと、「加藤の乱」の失敗は、加藤や菅直人にとってだけでなく、この国にとって一大痛恨事だったと思う。

ただ、指摘しておきたいのは、今よりずっとインターネット人口の少なかった2000年当時でさえ、インターネットは有力政治家の判断を狂わせてしまうほどの影響力を持っていたということだ。ましてや、今年の参院選の結果にインターネット言論が無力だったということはあり得ない。

7月4日のエントリで、辻元清美が「参院選の争点は 『アベシンゾー』 だ」と雑誌に書いたことを紹介した。また、朝日新聞の早野透編集委員は、「選挙の争点はカタカナの 『アベシンゾウ』 になってしまったな」 と語った(7月29日付「kojitakenの日記」 参照)。

「アベシンゾー」というカタカナ表記がはやったのは、「きっこの日記」 抜きには考えられないだろう。このこと一つをとっても、インターネット言論のリアルの政治への影響が無視できないことは明らかだと思う。そして、インターネット言論の影響力は、何も固有名詞の表記に限らないことは言うを待たないだろう。


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 ネット言論に影響力は無いとは思いません。今は十年一日に同じことを繰り返しているため、誰からも相手にされなくなったネット右翼たちですら、特亜三国への憎悪を煽る効果を持っていたし、それよりも理性的で幅広い、市民派ネット言論は、もっと多様な価値観を提供しており、言論としての影響力はあります。
 事実、参院選前に、それまでリピーターばかりだった私のブログで、参院選関係のキーワードで、検索エンジン経由で来訪する人が、多いときは閲覧者の2割に達していた時期がありました。
 選挙後、その傾向は収まりましたが、来訪後、ブックマークしてくださった方が多いせいで、選挙後も私のブログは、選挙前よりも3割ほど閲覧者が多いです。
 これだけを見ても、ネット言論は注目されているのです。
 それに、ネット言論が都合が悪いからこそ、ネット規制を自民党が言いだすわけです。自民党に脅威を与えているネット言論は、B層以外のC層他には、十分な影響力があると思います。
 菅氏がそこまで気づいているなら、民主党はもっとネット言論との共闘関係を気づくべく動くべきでしょう。

2007.08.11 14:11 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]

ネットの政治への影響力を検討する 日比野庵 本館/ウェブリブログ
http://kotobukibune.at.webry.info/200707/article_31.html

組織力低下で藁にもすがりたい社民党とネット命の天木氏だったが、、、。

2007.08.13 09:51 URL | ゴンベイ@AbEndフォーラム #eBcs6aYE [ 編集 ]













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