立花さんは、同じ月刊「現代」の昨年10月号で、「安倍晋三への宣戦布告」 という記事を発表し、安倍の改憲路線や教育基本法改定に反対する態度を明らかにした。
その立花さんが、「現代」の今月号と来月号の2回にわたって、安倍の改憲路線に改めて異議を申し立て、護憲論を展開するというのだから、これは必読の記事だ。
今回は、立花さんの記事の中から、特に印象に残った箇所を紹介したい。以下「現代」 7月号から引用する。
なお、立花さんのこの記事は、2007年5月6日に丸善本店で行われた講演会「現代日本の原点を見つめ直す 南原繁と戦後レジームの意味」の内容を元にしたものだそうだ。
先だって、東大出版会が発行している雑誌『UP』 (Universiry Press) 3月号に私は「南原繁の言葉と戦後レジーム」という文章を寄稿しました。そこで私がいちばんいいたかったのは次の一文でした。
「安倍首相は、戦後レジームをネガティブに捉え、これを根本的に変革してしまうことこそ、日本国のために最もよいことと考えているようだが、私の歴史の見方は安倍首相とは正反対である。戦後レジームこそ、数千年に及ぶ日本の歴史の中で、最もポジティブに捉えられてしかるべきレジームだと考えている。
はっきり言って戦後レジームをポジティブに評価できない人は、歴史を知らない人だと思う。あそこで(1945?46年)戦前レジームから戦後レジームヘの一大転換が起きなかったとすれば、日本にはいまでも明治憲法レジーム、大日本帝国レジームが続いていたことになる。それが国家レジームとしてどれほど狂ったレジームであったか、ある年代以上の人にはいまさら言うまでもないことである」
(中略)
私が、日本国憲法、とくに憲法第九条がつくりだしてきた戦後レジームをなぜそれほどまでに積極的に評価するかというと、それはこの憲法が、日本という国を、歴史上もっとも繁栄させてきたからです。戦後レジームこそ、日本の繁栄の基盤だったからです。
どういうことか簡単にふれておくと、政治というのは、要するに一国の社会が全体としてもっているリソースをどう配分していくかを決定するプロセスです。ここでいうリソースには経済的リソース、物質的資源としてのリソースなど、さまざまなリソースがありますが、現代の国家にとっていちばん人事なリソースは人的資源、ヒューマン・リソースです。人的資源を、社会のどこの部分にどう配分するかの決定はいちばん下のレベルでは個人個人が自己決定でやっていますが、大きな枠組的配分は政治が動かしています。それによって、その時代の日本の栄枯盛衰が決まるといっても過言ではないほどそれは重要なリソース配分です。
戦後の日本の社会システムが戦前と大きく異なるのは、この経済的リソースやヒューマン・リソースの配分において、戦前の日本で最も大きな比重を占めていたリソースの配分先、すなわち軍事関係に回っていた分が、戦後はすべて民生に回ったという点です。その結果、日本は経済資源と、人的資源のほとんどすべてを民生に投入することができた。これが戦後日本の、あれほどの未曾有の経済復興と経済成長による国家的繁栄をつくったわけです。
戦前の日本では平時、全予算のおよそ半分が軍事部門に投入されていました。戦争になればそれこそほとんどすべての予算や人材が戦争に注ぎ込まれたわけです。もしも戦後の日本が早くから軍を復活させ、そこに多くの経済的リソース、ヒューマン・リソースを投入し続けていたら、日本にもアメリカのような軍産複合体制がとっくにできあがっていたでしょう。
いまのアメリカを一言でいえば、「戦争マシーン」国家です。アメリカのサイエンスもテクノロジーも、実は半分以上が軍事関係の予算や人材によってまかなわれています。とくにロボット、核融合、スーパーコンピュータ、宇宙航空といった先端技術は半分どころかほとんどが軍事予算でまかなわれています。車からの資金援助まったくなしで、世界とがっぷり四つに組むだけの科学技術力をちゃんと発達させた国は世界中で日本だけです。
軍産複合体を存在させずに経済発展をとげたという意味では日本の成長モデルは世界に誇れる仕組みなんです。そしてそれは何度もいっているように、いまの憲法、とくに第九条という戦後レジームがあったればこそ可能だったわけです。
ところが、いまやそのレジームを捨てようという人たちが国の権力の中心に座る時代になってしまいました。あの人たちは、本当の意味で、国家の繁栄とか、繁栄と憲法の関係といったことがわかっているんでしょうか。
(月刊「現代」 2007年7月号掲載 立花隆 『「私の護憲論」 安倍改憲政権に異議あり』 (前編) より)
この立花さんの意見は、岸信介の改憲路線を否定し、岸のあとを受けた池田勇人ら保守本流の政治家たちが選んだ「経済重視・軽軍備」路線(もちろん吉田茂に源流を発する)を高く評価するものだとも解釈できる。実際に日本でビジネスに携わっている人間にとっては、とても説得力のある意見だ。
昨年立花さんが書かれた教育基本法改定反対論を読んだ時にも感じたことだが、このような、イデオロギーにとらわれない立場からの護憲論が世に広まり、現在猖獗(しょうけつ)をきわめている、安倍晋三に代表される馬鹿馬鹿しいネオコン的言説を駆逐せんことを強く願う次第である。
[追記] (2007.6.14 22:25)
「雑談日記(徒然なるままに、。)」のSOBAさんが、今回の月刊「現代」の記事の元になった立花隆さんの講演会に出席されていて、講演会当日の5月6日に、早速記事を書かれていました。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2007/05/post_3fa3.html
SOBAさん、トラックバックどうもありがとうございました。
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おはようございます。
従来から言われていた論ではありますが、立花氏によって整理されて、すばらしい論考になっていますね。
「現代」買わなければ。
安倍の「戦後レジームからの脱却」ですが、「美しい国」と、同様、定義が全くされていません。そして、悪いことがあると、「戦後レジームの所為」と言っているだけなのが、安倍です。
御説の通り、安倍には、祖父の模倣と言う情念があるだけで、今の時代に対する分析も、将来への展望もありません。
これほど危険で劣悪な内閣は、戦後類を見ません。
私のスローガン、「安倍内閣打倒こそが護憲への早道」を、ここで繰り返させていただきます。では。
2007.06.15 04:56 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]
戦後、厳しい冷戦構造の中で、日本が軍備に人も金も使わなくて、民生のみに注力できたのはなぜですか。その部分をアメリカに肩代わりさせたためではないですか。もちろん、アメリカもそれが自国の利益になると考えたからそうしたに過ぎません。9条は何も関係ありません。そのような状態がこれからも続くと考えますか。日本の平和をアメリカの国益に任せるのですか。それとも軍隊がなくても平和を保てると考えているのですか。国の未来は願望に託するのでなく、緻密な国際情勢の判断から得られる戦略に任せるべきです。
2007.06.15 09:05 URL | こまった #- [ 編集 ]
>国の未来は願望に託するのでなく、緻密な国際情勢の判断から得られる戦略に任せるべきです。
立花隆さんのこちらの文章をお読みください。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/050610_usbase/
憲法を改正してアメリカと地獄の果てまで一緒に付いて行くのと、
”憲法第9条を守り抜き、アメリカが何をいってきても、「日本には憲法第9条があるので、アメリカの戦争への協力はここまでしかできません」と断りとおす”のと、
どちらが日本の国益でしょうかね。
2007.06.15 22:24 URL | のと #- [ 編集 ]
「9条があるから・・・」の論理はこれまでの自民党がとってきた政策ですね。おかげで日本は民生中心で発展しました。ここまではいいです。ただ、それを貫いたときに依然としてアメリカがこれまでと同じに納得すればいいですが、もし、「そうですか、それでは安保条約を破棄します」と言われたときのことを考えていますか。チベットを侵攻し、台湾に武力圧力を加え続けている中国にどう対処するのですか。北朝鮮に対してどう対処するのですか。膨張政策と力の政策を再開したソ連にどう対処するのですか。紹介された立花氏の文を読んで正直がっかりしました。軍備でつぶれた国はあるでしょう。しかし例に挙げた国は現在でも依然として強い力を持ってます。軍備を持たなかった国の悲哀の歴史については何にも触れていない。これは軍備を論じるときには片手落ちだと思います。
2007.06.16 05:59 URL | こまった #- [ 編集 ]
議論に違和感を感じてしまうのはどうしてなのか考えてみました。
戦後レジームがいったい何のことを指しているのか分かりませんが、
日本に平和主義国家だった時期なんて存在するんでしょうか?
「戦後、日本は軍備に人も金も使わなかった」というのは冗談ですよね。
日本は戦後も世界有数の軍事大国であり、また多分に独善的でした。
それが悪いことだとは言いませんし、むしろ必要なことかもしれない。
「アメリカのおかげで平和だった」という喧伝も根拠が不明です。
戦後を公平な視点で見れば、むしろ「戦争に巻き込まれた」でしょう。
(しかし日米安保条約自体が国益に反するものだったとは思わない。
それがなければ当のアメリカと再び戦闘状態になっていたかもしれない。
「日本の孤高の中立」などアメリカにとって許せる状況ではなかった。)
ともあれ、自滅的な軍国主義への回帰が大きく国益を損なうだろう、
というのは左右問わず共通認識であるべきだと思うのです。
(その上で、左派は戦後の重武装・独善の検証を行い、
右派は逆に戦後を肯定するような状況がまともであると思うのですが…)
2007.06.16 13:12 URL | Shibasaki #- [ 編集 ]
Shibasakiさん、
確かに、「軽武装、経済重視」といってもそれはアメリカと比較しての話で、世界的には有数の軍事力を持つ国になっていたのは間違いありません。
ただ、
> 自滅的な軍国主義への回帰が大きく国益を損なうだろう、
> というのは左右問わず共通認識であるべきだと思うのです。
> (その上で、左派は戦後の重武装・独善の検証を行い、
> 右派は逆に戦後を肯定するような状況がまともであると思うのですが…)
これは全くその通りなのですが、そのような主張をすべき「右」(保守本流)が、コイズミ一派によって実質的に全滅し、残党もコイズミ-安倍の極右路線の言いなりになっているところに危機的状況があると思います。
それで、「保守本流」の人たちに本来の立場を取り戻してほしい、そう考える次第です。
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立花隆さんの講演会に行ってきました。そして、その感想を元に憲法を取巻く情勢マッピング・マトリクスを修正してみました。
今日、東京駅前丸善3Fのセミナールームで立花隆さんの講演会を聞いてきました。2
2007.06.14 22:15 | 雑談日記(徒然なるままに、。)