社会保険庁の年金記録不備問題で下落した安倍晋三内閣の支持率は、松岡農水相の自殺が追い討ちとなってさらに下落、朝日新聞調査で30%、政権寄りで知られる産経新聞調査でも32.3%を記録した。
これらの問題に隠れがちになっているが、教育再生会議が1日に第二次報告を提出し、翌2日には各紙が記事で取り上げた。遅くなってしまったが、この話題に触れたい。
まず、6月2日の「四国新聞」の記事では、山谷えり子を旗振り役とする教育再生会議の迷走ぶりを笑いものにする記事が掲載されている(共同通信あたりの配信ではないかと思うが、確認できていない)。これを以下に紹介する。
次に、この第二次報告を論評する各紙の社説を読み比べてみた。今日記録した当ブログの50万アクセスのキリ番を踏んでいただいた眠り猫さんのブログ 「平和のために小さな声を集めよう」 は、愛媛新聞の社説を賞賛しているが、そこまで目の行き届かない当ブログは、主要6紙(朝日、毎日、読売、産経、東京、日経)を比較するにとどめた。
まず例によって朝日、毎日の両紙は奥歯に物の挟まったような社説で、第二次報告に批判的であるとはいえ歯切れが悪い。両紙の鵺(ぬえ)的性格をよく表している。産経は、徳育の教科化を評価しており、これは産経なら当然の主張だろう。私の主張とは相容れないが、敵らしく旗幟(きし)を鮮明にしていると思う。
この産経の主張とは対照的に、徳育の教科化を正面から批判しているのが東京(中日)と日経である。特に日経は、『「道徳」の教科化は短絡的だ』 として、6紙の中でももっともはっきりした「徳育」教科化の批判をしている。以下に日経社説の後半部分を紹介する。
面白いのが読売で、社説 『教育再生会議 第2次報告の論点を深めよ』 で、「徳育」教科化については報告の内容を紹介しているだけで論評はしていないが、第二次報告が示した競争原理に基づく教育財政改革案を正面から批判している。これを以下に紹介する。
当ブログでは、5月24日付の記事 『「新自由主義」の存在と「哲学」の不在が教育の荒廃を招く』 と5月25日付の記事 『新自由主義が学校教育や研究を破壊する+丸川珠代、テレビ朝日、田原総一朗』 で、安倍政権の「教育改革」の新自由主義的側面は、教育の破壊につながり、非常に危険だと指摘してきたが、これを社説できっちり批判したのは、6大紙中では読売だけだった。
結論からいうと、いずれも保守系の新聞である日経の「徳育」批判と読売の「新自由主義改革」批判を「いいとこ取り」すれば、簡潔にして的を射た安倍政権の「教育改革」批判の社説ができあがると思う。微温的な社説ばかり書いている朝日と毎日には物足りなさだけが残った。これでは、両紙とも読者の支持を失い、没落の一途をたどるだけではないだろうか。
これらの問題に隠れがちになっているが、教育再生会議が1日に第二次報告を提出し、翌2日には各紙が記事で取り上げた。遅くなってしまったが、この話題に触れたい。
まず、6月2日の「四国新聞」の記事では、山谷えり子を旗振り役とする教育再生会議の迷走ぶりを笑いものにする記事が掲載されている(共同通信あたりの配信ではないかと思うが、確認できていない)。これを以下に紹介する。
参院選に向け「教育新時代」を訴える安倍晋三首相に、政府の教育再生会議が第二次報告を提出した。「安倍色」発揮を目指して「親学」「徳育」を目玉にしようとしたが、子育て世代などからの反発を懸念した首相官邸サイドの"介入"などでトーンダウン。稚拙な取りまとめ作業で、後退を繰り返す迷走ぶりは、再生会議の「低い学習能力」(自民党若手議員)を印象付けることになった。
● 母乳 ●
「保護者は子守歌を歌い、おっぱいをあげ、赤ちゃんの瞳をのぞいてください。母乳が十分でなくても、抱きしめるだけでもいいのです」
再生会議事務局が作成した「子育て提言」案は、5月8日に有識者委員全員に配布された。提言は、山谷えり子首相補佐官が主導し、一部の有識者委員と原案を作成。3日後の合同分科会で発表し、家庭教育を重視する、「安倍色」の強いメッセージを打ち出す好機としていた。
だが提言案の内容がマスコミ報道で漏れると 「母乳が出ない人への配慮が足りない」「政府が家庭の問題に立ち入りすぎだ」など、子育て世代を中心に反発が強まった。参院選を控え、得策でないと判断した与党側の意向もくんで、塩崎恭久官房長官が「待ったを掛けた」(関係者)。
山谷氏は11日の合同分科会後、巻き返しを宣言。第二次報告提出後の6月1日の記者会見でも(提言案の)バージョンアップができた」と胸を張った。しかし第二次報告では、保護者のメッセージが弱まり、国や地方自治体に子育て支援策の充実を求めることに終始するなど、原形をとどめなかった。
● 見送り ●
一方、現在の「道徳の時間」に代えて、徳育を「新たな教科」に格上げする提言は、第二次報告に盛り込まれ、優先的な課題に位置付けられた。第一次報告で「子どもたちに社会の決まりや規範意識を学ばせる」と掲げたことを受けた具体的な対応策と言える。
しかしこれも当初の再生会議の説明では「将来的には五段階評価も検討」するとして、国語、数学のような"正式教科化"の印象を与えたが、結果的には見送られた。「内心の自由」を脅かす懸念に配慮し、軌道修正を図った形だ。
子育て提言、徳育をめぐる経緯は、明らかに無理があるその提案内容とともに「議論生煮え」(閣僚の一人)のまま盛り込もうとする山谷氏らの迷走ぶりを際立たせた。
(四国新聞 2007年6月2日付記事 『「親学」 「徳育」で迷走 教育再生会議2次報告』 より)
次に、この第二次報告を論評する各紙の社説を読み比べてみた。今日記録した当ブログの50万アクセスのキリ番を踏んでいただいた眠り猫さんのブログ 「平和のために小さな声を集めよう」 は、愛媛新聞の社説を賞賛しているが、そこまで目の行き届かない当ブログは、主要6紙(朝日、毎日、読売、産経、東京、日経)を比較するにとどめた。
まず例によって朝日、毎日の両紙は奥歯に物の挟まったような社説で、第二次報告に批判的であるとはいえ歯切れが悪い。両紙の鵺(ぬえ)的性格をよく表している。産経は、徳育の教科化を評価しており、これは産経なら当然の主張だろう。私の主張とは相容れないが、敵らしく旗幟(きし)を鮮明にしていると思う。
この産経の主張とは対照的に、徳育の教科化を正面から批判しているのが東京(中日)と日経である。特に日経は、『「道徳」の教科化は短絡的だ』 として、6紙の中でももっともはっきりした「徳育」教科化の批判をしている。以下に日経社説の後半部分を紹介する。
(前略)なぜ教科にすることにこだわるのだろうか。
現在でも小中学校には週に1回「道徳の時間」がある。教科ではないから授業に熱が入らないとの指摘もあるが、多くの学校では効果的に教えようと工夫を凝らし、教育全体のなかで道徳に取り組んでいる。
その充実を唱えるならば教科という形に固執するのではなく、現場の創意工夫を助け、授業を興味深くする手立てを探るべきである。教科にすれば文部科学省による統制が強まり、微妙な価値観を含む道徳教育が硬直し、画一化する懸念がある。
提言では点数評価はしないとしているが、教科である以上、何らかの評価は伴うだろう。それでは、道徳心というものをかえって矮小(わいしょう)化するのではないか。
再生会議は検定教科書導入も今後の課題としている。これはさらに問題が大きい。検定教科書となれば、文科省が重箱の隅をつつくように記述をチェックすることになろう。
中央教育審議会の山崎正和会長は個人的見解としたうえで、「道徳を学校で教える必要はない」とまで述べている。この発言には道徳の取り扱いの難しさがにじんでいる。教科にすれば規範意識が向上すると考えるのはあまりにも短絡的である。
(日本経済新聞 2007年6月2日付社説 『「道徳」の教科化は短絡的だ』 より)
面白いのが読売で、社説 『教育再生会議 第2次報告の論点を深めよ』 で、「徳育」教科化については報告の内容を紹介しているだけで論評はしていないが、第二次報告が示した競争原理に基づく教育財政改革案を正面から批判している。これを以下に紹介する。
注目されるのは、これら大学改革のため、効率化、成果主義、実効性ある分野への「選択と集中」といった競争原理に基づく教育財政改革案を示した点だ。
財務、文部科学両省の間で論争になっていた国立大学の運営費交付金の配分法についても、報告書は「努力と成果を踏まえた新たな配分の具体的検討」を提唱している。
単純に予算の効率化の観点から競争原理導入を迫る動きに、再生会議が同調することがあってはならない。
公立小中高校の教員給与も、教員評価によるメリハリある支給に改めるよう提言している。ただ、その評価を、だれがどこで、どんな基準で行うのかは示されていない。
過度の競争原理導入は、教育現場に混乱をもたらす。再生会議の今後の検討課題には、「教育バウチャー」制や公立学校への効率的予算配分なども挙げられているが、慎重な議論を望みたい。
(読売新聞 2007年6月2日付社説 『教育再生会議 第2次報告の論点を深めよ』 より)
当ブログでは、5月24日付の記事 『「新自由主義」の存在と「哲学」の不在が教育の荒廃を招く』 と5月25日付の記事 『新自由主義が学校教育や研究を破壊する+丸川珠代、テレビ朝日、田原総一朗』 で、安倍政権の「教育改革」の新自由主義的側面は、教育の破壊につながり、非常に危険だと指摘してきたが、これを社説できっちり批判したのは、6大紙中では読売だけだった。
結論からいうと、いずれも保守系の新聞である日経の「徳育」批判と読売の「新自由主義改革」批判を「いいとこ取り」すれば、簡潔にして的を射た安倍政権の「教育改革」批判の社説ができあがると思う。微温的な社説ばかり書いている朝日と毎日には物足りなさだけが残った。これでは、両紙とも読者の支持を失い、没落の一途をたどるだけではないだろうか。
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