きまぐれな日々

ゴールデンウィーク明けのこの時期は、とても疲れやすい季節だ。私は今の時期と相性が悪く、毎年憂鬱な気分になり、体調も崩しがちになるのが常だ。今年は特に、安倍晋三などという輩が分不相応の総理大臣になどなって好き勝手をやっているので、余計に気分が悪い。

そんな中、過去のこの時期のできごとを思い出すことが多い。

たとえば、一昨日の5月14日は、小渕恵三元首相の命日(2000年没)だった。また、今日、5月16日は、大平正芳内閣の不信任案が可決された日だ(1980年)。大平氏は、これを受けて3日後の5月19日に衆議院を解散、史上初の衆参同日選挙となったが、参院選公示日の遊説後に倒れ、選挙戦さなかの1980年6月12日にこの世を去った。

つまり、大平正芳と小渕恵三という、「保守本流」の首相が実質上在職中に他界した、あるいはそのきっかけとなるできごとが起きたのがこの季節だった。

ともに激務に倒れたといえる。最近、元朝日新聞記者・国正武重氏が著した「権力の病室―大平総理最期の14日間」(文藝春秋、2007年)という本を読んだが、大平氏は1980年3月22日(土)を休養日としたあと、5月30日に倒れるまで、70日間休みなしで働き続けた。4月30日から5月5日まで、アメリカ、メキシコ、カナダの3か国を訪問したが、途中の4日にユーゴスラビアのチトー大統領の訃報に接するや、急遽ベオグラード訪問を決め、その途中に西独を訪問してシュミット首相と会談するなど、世界を一周する超過酷な外遊から帰国したのが5月11日。そしてその5日後、社会党が衆議院本会議に提出した不信任案が、大平氏の政敵だった福田(赳夫)派・三木(武夫)派の「欠席」という造反によって、誰もが予想だにしなかった衆参同日選挙へと突入していったのだった。

これを、似たような時期に外遊した安倍晋三首相と比較した時、そのあまりの落差に愕然とするだろう。安倍は、外遊直前のロシア・エリツィン前大統領死去の知らせを聞いても何もせず、特使の派遣さえしなかった。大平氏だったら急遽モスクワに飛んだのではないかと思えてならない。

そして、70日続けて働いた大平氏とは対照的に、安倍は週刊朝日(5月4・11日合併号)に 『アベちゃんの「平凡なる総理ライフ」』と皮肉られる、仕事時間が短くて休日の多い、優雅な日々を過ごしている(当ブログ4月27日付記事を参照)。
ちなみに「週刊朝日」の該記事によると、故橋本龍太郎元首相も、「首相になってから3カ月間、一日も休めなかった」と述懐していたそうだから、安倍のたるんだ仕事ぶりがいかに特異か、想像がつくだろう。そのくせ、コイズミの獲得した議席の力でやりたい放題なのだから、安倍ほど腹立たしい首相はいまだかつて見たこともない。

ところで、大平氏らと安倍が対照的なのは、何も仕事ぶりだけではない。

いささか古い記事だが、安倍に代表される「新保守」の問題点を、前尾繁三郎氏や大平氏と対比させながら論じた記事を、「YamaguchiJiro.com」に見つけたので紹介する。


『日本における保守政治の隘路』
(「YamaguchiJiro.com」 2006年10月7日)
http://www.yamaguchijiro.com/?day=20061007


ここで山口二郎氏が指摘するように、安倍の政治は、大平正芳氏に代表される「保守本流」の政治と真っ向から対立するものだ。安倍が「戦後レジームからの脱却」を唱える時、安倍は自民党政治への反逆を宣言しているに等しいのだ。

中曽根康弘は安倍を評して「保守本流に回帰する政治家」だというが、馬鹿も休み休み言えといいたい。コイズミは主に経済政策面で「自民党をぶっ壊した」が、安倍は「戦後レジーム」という名の、ほとんどの期間において自民党が政権を握っていた時代の政治思想に反逆しようとしているのだ。これを、保守の立場に立つ人たちは、いったいどう考えているのだろうか?

反逆者は、直ちに討伐しなければならないのではなかろうか?


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付録:

『日本における保守政治の隘路』 (「YamaguchiJiro.com」 2006年10月7日) 全文


 安倍晋三新総裁が最初に推進する政策は、教育基本法改正だそうである。教育政策を論じるに当たって、まず基本法改正から入るというのだから、予算を増やすなど物的な政策よりも、精神論を先行させるということである。こうした精神論にこそ、今の日本の保守政治が直面する危機が反映されているように思える。本稿では、安倍氏が尊敬する岸信介との対比によって、安倍氏に代表される新保守の問題点を考えてみたい。

 精神主義の柱は、ナショナリズムと道徳心であろう。それが、自国中心主義の歴史解釈やある種の性的分業の押し付けにつながって行く。そうした主張の根底には、いろいろな危機感が存在する。外との関係では、人口減少、若年層の意欲や気力の低下などによって日本の国力が衰退して行くことへの危機感がある。内においては、犯罪が多発し、地域社会や家庭など社会の基本単位が崩壊しつつあるという危機感がある。そうした衰退や崩壊をもたらしたのは、戦後レジームが機能不全に陥っているからだというのが安倍氏の状況認識なのだろう。

 世の中は変だ、日本の先行きが心配だという大雑把な危機感には、ほとんどの人は共鳴するであろう。問題は、そうした危機を打開するための処方箋として、教育基本法さらには憲法改正という精神論が適切なものかどうかである。

 社会の大半の問題には具体的な理由が存在する。犯罪件数自体が最近増加しているというのは事実ではない。ただ、高齢者の犯罪は明らかに増加している。そして、その背後にあるのは介護を支援する仕組みが不十分であるという現実である。だとすれば、犯罪を減らすために介護の仕組みを強化することが有効な対策となる。若者の多くがニートになって社会に参画しないという問題の根底には、若年労働力を非正規雇用によって調達し、賃金コストを下げることで空前の利益を上げているという企業の雇用行動の変化がある。だとすると、若者の意欲や気力を引き出すためには、若年労働者を使い捨てにする企業の行動を改めることが効果的な対策となる。そもそも政治とは、国民に説教や美意識を押し付けることではなく、この種の具体的問題を1つ1つ解決する作業である。具体的な問題に取り組む手間ひまを避けようとする者が、安直に精神論を振りかざす。

 そして、戦後日本では保守政治こそ、具体的な問題解決に向き合ってきた伝統を持っていた。1960年のいわゆる安保騒動の後に、岸信介から池田勇人に首相が交代したことは、自民党政治の大きな転換点であった。その池田政治を支えたのは、前尾繁三郎、大平正芳などの保守政治家であった。前尾は、保守主義の特性を、過去との連続性を保ち、できるだけ徐々に、できるだけ不安と混乱を少なくして変化すると規定した。また、大平は、「昔はよい時代であったが、今はそうでないと断定するのは誤りである。いつの時も今日と比べてひどくよかったという時代はなかった」、「いかなる手段にも必ずプラスとマイナスが伴う。絶対的にプラスである手段などというのはない。現在よりプラスの多い、よりマイナスの少ない手段を工夫することが大切である」と述べ、保守政治が持つべき現実感覚の重要性を説いた(二人の発言は、富森叡児『戦後保守党史』、岩波現代文庫による)。

 前尾や大平は当時上り坂だった社会主義勢力への対抗のために、保守政治の理念を彫琢した。しかし、今読むと安倍政治への警告として的を衝いているように思える。そして、その点は、安倍が手本とする岸政治が実は日本の保守政治の中で異質な存在だったことと関連する。岸は、戦前、戦中、統制動員体制のデザイナーであり、満州では実際に国家経営の実験を行った。計画と統制で社会を改造するというのは革新の発想であり、戦後の早い段階ではまじめに社会党右派との提携を考えていた。岸にとって国家改造の目的は、日本がアジアにおける盟主になることであった。敗戦で挫折した後も、岸の発想は持続し、政権獲得後は積年の野望を実現しようとした。しかし、岸は保守主義を踏み外して性急に変革を起こそうとしたがゆえに、国民に拒絶された。すでに定着していた平和と民主主義を覆されることへの不安こそ、岸に反発した世論の根底に存在した。岸政治が国民によって拒絶されたからこそ、その後の日本の繁栄と自民党の長期政権が可能になったことを、安倍氏は直視すべきである。

 時代は異なるが、安倍氏と岸には、ある種の急進主義が共通しているように思える。安倍氏には、戦後レジームへの不満が鬱積するあまり、一気に現状を変革しようという冒険主義を感じる。かつて言及した核武装や敵基地先制攻撃の検討、集団的自衛権の行使などはいずれも戦後レジームの根幹を自ら破壊したいという欲求の現れであろう。それは、戦後においてなお日本帝国の栄光を追い求めた岸の野望と重なる。昔は左翼小児病という左派の心情主義、冒険主義を揶揄する言葉があったが、左派が凋落した今、冒険主義は右派の売り物になった感がある。

 安倍氏は、戦後保守が選んだ経済中心主義路線が、日本国家に大きな欠落を作り出したと言いたいのであろう。彼の言う新保守とはそうした憤懣の表現である。確かに、日本が陥った「資本主義の文化的矛盾」は深刻であり、教育や家族のあり方を考え直す必要もある。しかし、この矛盾を解決する際、問題の原因を具体的に考え、効果的な政策を打ち出すという発想法自体は維持する必要がある。安倍氏が新時代を切り開く政治家になりたいのであれば、滅びつつある左派を相手にシャドーボクシングをするのではなく、ここで私が述べたような保守と対決するのが筋である。その意味で、安倍氏が新保守の中身を肉付けするには、戦後という時代についての認識を確立することが不可欠である。

(初出: 週刊東洋経済 2006年10月7日号)
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コンバンワ
今日は悪べーなどの「心のノート」などの洗脳教育や軍国・全体主義化を予防するだろう意識転換&平和社会実現運動のひとつのこれから各地で路上ライブ的にもまるで若人たちの流行となると思うので
御国の危険を判ってらっしゃた先輩からの「教訓Ⅰ」をちょっと紹介させていただきます
加川良ーWikipedeia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E5%B7%9D%E8%89%AF
Yahoo!ミュージックー加川良ー歌詞
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/52/196564

>教訓Ⅰ
>作詞/作曲 加川良

>命はひとつ 人生は一回
>だから命を棄てないようにネ
>慌てるとつい フラフラと
>御国のためなのと 言われるとネ
>青くなってしりごみなさい
>逃げなさい 隠れなさい

>御国は俺達 死んだとて
>ずっと後まで残りますヨネ
>失礼しましたで 終わるだけ
>命のスペアはありませんヨネ
>青くなってしりごみなさい
>逃げなさい 隠れなさい

>命をすてて男になれと
>言われた時には震えましょうヨネ
>そうよ私は女で結構
>女の腐ったので構いませんよ
>青くなってしりごみなさい
>逃げなさい 隠れなさい

>死んで神様と言われるよりも
>生きてバカだと言われましょうヨネ
>奇麗事ならべた時に
>この命棄てないようにネ
>青くなってしりごみなさい
>逃げなさい 隠れなさい
>1971年(昭和46年)

特に>命のスペアはありませんよね
>失礼しましたで 終わるだけ
の部分は心に響きますね!

古寺多見さん、このメッセージの意味するところははいよいよネット経由も絡んで復古回帰していくと確信します

みんなの意識が平和を求める連携になることがかの悪べー達の野望を打ち砕く一手段と確信します(今がどんなに微少な活動であったとしても)

そういう地道な活動も今も昔も大事だと思うのです

スレの安部晋三と「保守本流」から反れるかもしれませんが、自公政権と野党で予測されるのは社会民主党あたりが保守に対しての最大抵抗勢力として盛り返し活躍していくことが「教訓Ⅰ」のリバイバル流行とともになんとなく予感されます

その前に保守本流ということでは自公連携解消で民主党その他も入れてのガラガラポンは有り得るようにも思いますが

ただ、政党関係ないジェネレーション&無派閥層の間には「教訓Ⅰ」のメッセージが甦り浸透していくのではないでしょうか?

2007.05.16 21:49 URL | ソラ #- [ 編集 ]

話は違いますが元外交官だった原田武夫氏のサイトに次のコラムがあったのですが
日本封じ込めの時代
http://biz.yahoo.co.jp/column/company/ead/celebrated/person5/070216_person5.html

北○○は世界最大のファンドビジネス国家?
http://money.mag2.com/invest/kokusai/070212.html

過去に経験したなんとか戦争と同じようなことを目論んでいる節が想像されますが、国際金融資本はそういうことを簡単に繰り返すような傾向ですんで、注意深く観察して阻止できるようにしていきたいと思います(ネット経由でも情報をコミュニケートしてみんなの共通意識を向上させることで抑止力になると考えるので)

多くの無益な血を決して流させてはならないから!

2007.05.16 22:52 URL | ソラ #- [ 編集 ]

悪名高き2ちゃんねるの話ですが、医者が集まる掲示板では、如何に医者がスケープゴートにされているかという意見にあふれています。実際、激務と毎年続く医療費削減、周囲の無理解とマスコミの不当な攻撃と訴訟と、そしてとうとう刑事告発まで来ましたから。困難症例が集まる大病院からは中堅の実戦力要員が本当にどんどん逃げ出しています。教員も同様に攻撃対象になっているし、工業系の技術者も今の待遇(下請け搾取etc.)では後継者が育たないでしょうね。
技術者や知的専門職(特に理科系)を弾圧する光景、既視感があると思ったら、文革とかポルポト政権とか・・・・・今の日本は、そういう世界に入りつつある様な気がします。
『保守本流』は、教員の待遇改善とか医療費の国民皆保険とか、そういう方向だったんですけどね。明らかに正反対の方向を向いていますね。

2007.05.17 03:45 URL | #mQop/nM. [ 編集 ]

しばらく別ハンドルで保守系サイトの方にいました。

>保守の立場に立つ人たちは、いったいどう考えているのだろうか?

怒っています。
新自由主義者たちをボコボコにして、太平洋の孤島に捨ててきたい。
新自由主義者はかつての極左と同様に、売国奴だ。実際に権力を握っている分、かつての極左より悪い。
左翼は夢の中の活動であり、反体制ではあったが権力は握れなかった。だから彼らは結果的に大きな実害はなかった。
しかし、新自由主義者は権力の中枢におり、実際に国を滅ぼしつつある。

地方都市の商店街を見て、新自由主義の政治で良いと思うなら、よほどの馬鹿か、確信犯の反日主義者だと思う。

ところが、保守を称しているサイトはそう言う立場をとらない。彼らの多くは政権と自分を一体視し、鼻息を粗くするだけの人でなしだ。
実際に、自分が住んでいる町と町の人々を守れなければ保守でも何でもない。
ああ言う連中が保守を僭称できているうちは、この国は良くならない。
はっきり言って、この国には保守はない。
少なくともメディアの保守主義として取り上げられているもの実は保守ではない。

2007.05.17 09:33 URL | 岩・保守本流 #GCA3nAmE [ 編集 ]













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