今、門倉貴史著「ワーキング・プア」(宝島新書、2006年)を読んでいるところだが、「コイズミカイカク」がこの本に書かれているような「ワーキング・プア」の大量生産につながる政策だったことは、もはや明らかだろう。
しかし、新自由主義に基づく経済政策は、何もコイズミが始めたものではない。昨日のエントリで、小渕恵三がアメリカの言いなりのネオリベ路線へと大きく舵を切ったと書いたが、もちろんネオリベへの傾斜は古くは中曽根康弘にさかのぼることができる。
それなのに、なぜ私が小渕恵三を持ち出したかというと、それは、前記の門倉著「ワーキング・プア」の第2章、69ページに、40代・50代の中高年自殺者数のグラフが掲載されており、そのグラフは、1998年の自殺者が前年までと比較して不連続に急増しており、以後ずっとそのレベルをキープしているからだ。
これは、1998年に日本政府の経済政策が急激に変化して、それまでの社民主義的な政策を捨てて、ネオリベ的政策に転換したせいではないか、そう考えているうちに、ずっと以前に読んだ栗本慎一郎著「自民党の研究」(光文社、1999年)を思い出したというワケだ。
政権を動かしたネオリベのイデオローグというと、誰しも竹中平蔵をイメージすると思うが、この竹中が小渕首相(当時)の諮問会議である「経済戦略会議」のメンバーになったのは、1998年のことだった。そしてこの98年を境に、日本は中高年自殺大国になったのだ。これは決して偶然ではない。
「グローバル・スタンダード」なる言葉(実は和製英語)がもてはやされ、「市場の声に耳を傾けよ」という物言いが好まれるようになり、日本の主要な企業に次々と「成果主義」が導入されて、職場の雰囲気が急にぎすぎすしてきたのはこの頃だ。この頃には、もとは「再構築」という意味の英語だった "restructuring"が、「人員整理・首切り」を意味する「リストラ」という和製英語となって定着し、企業では見せしめ的な社員イジメが大流行した。為替レートが大きく円安に触れた頃、メディアはこぞって外貨預金を宣伝し、多くの国民がそれに手を出したが、一転して急激な円高になったこともあった。1999年から2000年にかけては、「インターネット・バブル」が発生し、日経平均株価は2万円を超えた。"IT" (アイティー、information technologyの略)を「イット」と呼んだ馬鹿首相(森喜朗)がいて失笑を買ったのもこの頃だ。「光通信」などといういかさまベンチャー企業がもてはやされた。IT技術は景気循環の波を克服し、「ニューエコノミー」を作り上げた、などという妄論も、真剣に「日本経済新聞」などで論じられた。インターネットでの株取引が流行するようになって、一般投資家もずいぶん参入した。
しかし、2000年春にあっけなくITバブルは弾けた。この年、読売ジャイアンツが王ホークスを破って日本一になったが、「巨人が勝つと景気が良くなる」という、読売新聞が宣伝していた妄論が嘘っぱちであったことが、下落の止まらない株価によって証明された。この頃に始まった株価の低下に「コイズミカイカク」が拍車をかけたことは記憶に新しいところだ。
私は、この頃に「資本の論理」の暴走がいかに人間を痛めつけるものであるか、その実例をたっぷり見てきたので、当時から新自由主義には大反対であった。1999年には、早くも前記の栗本慎一郎著「自民党の研究」をはじめとして、新自由主義に経書を鳴らす本が出版され始めていた。「グローバル・スタンダード」が和製英語であることも暴露された。2000年早春には、森永卓郎が名著「リストラと能力主義」(講談社現代新書)を世に問い、成果主義の理不尽を世に知らしめた。
ネオリベの経済理論が誤りであることなど、コイズミが登場する以前から、心ある人には明らかなことだったのだ。
だが、コイズミは幻想を振りまき、国民の目をくらませてしまった。一部の大企業における「成果主義」導入の失敗例や、99年から00年にかけてのITバブルやその崩壊を通じて、新自由主義の問題点に気づいていたに違いないマスコミは、なぜか沈黙し、それどころかコイズミに翼賛した。あげくの果てに、2005年の「郵政総選挙」によって、ネオリベ独裁体制を招いてしまった。それに、さらに国家主義のネオコン政策を加えようとしているのが安倍晋三内閣である。私はそう分析している。
だから、安倍政権を批判する場合、その国家主義的・極右的な政治思想を批判するだけでは片手落ちなのだ。必ず、政治思想上の極右性を批判すると同時に、ネオリベ的経済政策をも批判しなければならない。むしろ今現在国民にとって差し迫った脅威は、後者のほうなのだから。
これは、このところ、当ブログで特に訴えたいと思っていることである。誤解しないでいただきたいが、私は護憲派だ。しかし、今は「改憲」を争点にしようとする安倍晋三の狙いには乗らず、新自由主義の不条理を第一に厳しく追及すべき時だ、そう考えるしだいである。
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こんにちは。
私は新自由主義に関しては語る資格を持ちませんが、1998年と言うのは、私の人生の岐路となった年です。
ホワイトカラー・エグザンプションを先取りしたような過酷な勤務で、過労うつ病を発症したのがこの年の年末ですが、この過労の原因になった仕事が、当時公的資金の投入を受けていた銀行による、猛烈な貸し渋りと貸しはがしのため、私のいた会社が出資していた比較的大きな会社が2つ競争に敗北し、金融的にも行き詰まり、その処理を私一人で行ったのが過労の原因でした。
当然、それまでのやり方に慣れていた人々には対処方法がわからず、社内では担当者が次々に逃げ出す(思えば、彼らは賢かった)中で、最後まで身を犠牲にして、損害を最小限に抑えて、案件を処理したのは2000年のことでした。
その後、病気のまま会社に行っていましたが、急に強まったノルマ強要、成績主義の中で、病気で仕事ができない私を、上司は苛め抜いてくれました。おかげで病気が悪化し、休職のやむなきにまで至りました。
その後、私自身は、上司が替わり、そのおかげもあって好転して、今にいたりますが、会社では、全く意味の無いノルマ制や、残業手当のつかない下級管理職への仕事の集中などで、私の同い年で、知るだけで4人の重い過労うつ病患者がいます。うち3人は休んでいます。
本来有能な社員を痛めつけ、仕事が出来ない状態に追い込む、この異常な会社の状態。
これはまさに資本の論理の暴走の結果と言えるでしょう。
長くなりました。ではでは。
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