きまぐれな日々

「年末年始に読んだ本」のシリーズは、今回が最終回。結局、1月17日までかかってしまった。12年前の今日、阪神大震災が起きた。忘れてはならない日だ。亡くなられた方のご冥福をお祈りし、今も苦しまれている被災者の方に心からお見舞い申し上げるとともに、天災が起きた時に人災で被害を拡大させないための予防が必要だと思う。そのためにも、耐震偽装問題は、絶対にゆるがせにはできない。3日前にも書いたが、今日は、ヒューザー小嶋進社長の証人喚問からまる1年が経過した日、つまり、民主党の馬淵澄夫議員が「安晋会」の存在を暴いてからまる1年が経過した日でもある。

さて、「安晋会」といえば、安倍晋三の非公式後援会である。宮崎学&近代の深層研究会編『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』(同時代社、2006年)は、最後の第8章「虎を画いてならずんば - 安倍晋三は何を継ぐのか」で、安倍晋三を、その母方の祖父・岸信介に絡めて論じている。

この章は、まるまる引き写してブログに掲載したいほど面白いが、そうもいかないので、概略をかいつまんで紹介する。

まず、安倍晋三の略歴だが、1954年9月21日、安倍晋太郎、洋子の次男として生まれた。現在52歳。
小学校から大学まで成蹊学園で過ごした。安倍晋三本人によると、祖父の岸信介が成蹊への入学を推奨したとのことだ。高校時代の安倍の同級生は、存在感の薄いことで逆に安倍を記憶しているという。
そういえば、栗本慎一郎さんはコイズミのことを「影の薄い男」と評していた。漫画のお好きな方なら、浦沢直樹の『20世紀少年』に出てくる、カルト宗教の指導者にして独裁政治家・「ともだち」を連想されるかもしれない。

安倍は大学卒業後、南カリフォルニア大学に遊学するなどブラブラしたあと、神戸製鋼所に入社したが、ニューヨーク支社勤務のあと、帰国して加古川工場に転勤した時は、精神的にきつかったらしい。宮崎さんによると、安倍は労働のきつさに耐えられず、数ヶ月間「静養」のため現場から消えたこともあったという。周囲には「蒸発」に見えたとのことだ。当時の同僚で、安倍が政治家になるなどと想像した人は、誰もいなかったことだろう。

よく知られているように、衆議院議員の平沢勝栄は、東大生時代安倍晋三の家庭教師をしていた。その平沢の思い出を、宮崎さんの本から引用、紹介する。朝日新聞記事からの孫引きである。

「安倍氏を自分が通う東大の駒場祭に連れて行ったときのことだ。騒然としたキャンパス内には、当時の佐藤栄作内閣を批判する立て看板があふれ、学生たちは『反佐藤』を叫んでいた。安倍氏は成蹊学園とは対極のような駒場の雰囲気に驚き、『どうして反佐藤なの?』と何度も尋ねてきた」
(「朝日新聞」 2006年8月25日付紙面より)

いかにもボンボンの安倍らしいエピソードだ。しかしその安倍は、父・安倍晋太郎の死去のあと、後継者として政界にデビューすると、北朝鮮の拉致被害者問題に取り組み、対北朝鮮強硬派として名をあげていく。

安倍が世間を驚かせたのは、小泉内閣の官房副長官を務めていた頃の2002年5月13日に、早稲田大学で行った講演会での発言である。これは、「サンデー毎日」の2002年6月2日号で、「政界激震 安倍晋三官房副長官が語ったものすごい中身 - 核兵器の使用は違憲ではない」というタイトルの記事でスクープされ、世に知られるところとなった。当ブログでもこの件については何度も取り上げているが、宮崎さんの本から改めて引用する。

 特集記事は、安倍がこの年の5月、早稲田大学で行った講演内容を報道したものである。そこで安倍は「ものすごい」ことを語っていた。田原総一朗が「有事法制ができても北朝鮮のミサイル基地は攻撃できないでしょう? 先制攻撃だから」というのに対して、こう答えた。
 「いやいや、違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全に否定はしていないのですけれども、要するに『攻撃に着手したのは攻撃』とみなすんです。……この基地をたたくことはできるんです」
 つづけてこんなことも言っている。
 「大陸間弾道弾、戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。(しかし)日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、例えばこれは非核三原則があるからやりませんけれども、戦術核を使うということは昭和35年の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がなされています」
 要するにここで安倍晋三は、ミサイル燃料注入段階で攻撃しても専守防衛であり、攻撃は兵士が行くと派兵になるが、ミサイルを撃ち込むのは問題ない、日本はそのためにICBMを持てるし、憲法上問題はない、小型核兵器なら核保有はもちろん核使用も憲法上認められている、とぶち上げたのだった。「ICBMは攻撃兵器だから持てない」という政府見解にも反する意見だった。

(宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』=同時代社、2006年=より)

この講演会で、安倍は岸が「戦術核の使用は違憲ではない」と答弁したと言っているが、月刊「現代」2006年9月号で、作家の吉田司さんが指摘しているようにこれは誤りで、岸は「戦術核の保有は違憲ではない」と答弁したのであって、使用まで違憲ではないとは言っていない。なお、吉田司さんの記事については、当ブログの昨年8月4日付エントリ「DNA政治主義者・安倍晋三の怪しい知性」で紹介したことがある(吉田さんの記事は、宮崎さんの本でも参考文献として挙げられている)。

この件に限らず、安倍が掲げているタカ派政策の数々は、ここで列挙するまでもあるまい。

宮崎さんは、何がそこまで安倍晋三を駆り立てるのかを分析し、実は安倍には自信がない、「闘う」ポーズは自信のなさの現れだ(よく、弱い犬ほどよく吼えるというな、と私などは思ってしまう)、彼には長い間の鬱憤があるという。

まず、東大卒ばかりがずらりと揃っている名家にあって、成蹊大学卒であることのコンプレックス(宮崎さんはここまではっきりとは書いていないが、言いたいのは明らかにそういうことだ)。宮崎さんは下記のように書いている。

 おそらくは安倍晋三は尊敬する岸信介が「当たり前」と思ったようにはいかなかった。安倍家にとっても同様だっただろう(安倍晋三の父・安倍晋太郎は東大卒である)。「目立たない若者」であった安倍にとって、そのこと自体が人生の蹉跌だったのではないか、そう推測されるのだ。
(前掲書より)

もう一つの鬱憤として、祖父の岸信介が世間から厳しい批判を浴びていたことからくる被害者意識を挙げている。

安倍の政治手法については、宮崎さんは下記のように指摘している。

 彼(安倍晋三)は〈敵〉を求めている。「闘い」の相手を求めている。安倍晋三にとってのキーワードは自分への「批判」「攻撃」である。自分を被害者に仕立て上げ、その上で〈加害者〉に反撃を加える。「批判を恐れずに行動する」、安倍が本書(注:「美しい国へ」)の中で何度も繰り返しているこのフレーズはそのような構造を持っている。
(前掲書より)

これは、いうまでもなく「コイズミ劇場」と同じ手法である。コイズミは、この手法で政権の支持率を浮揚させた。もちろん、宮崎さんも同様の指摘をしたあと、こう書いている。

 こうしていくつもの小劇場を積み重ねていってどうにもならない流れをつくればいい。そのころには、辺見庸もいうように「劇を喜ばない者たちにはシニシズムが蔓延」していることだろう。
 だが、こうした劇場型政治の蔓延は、他方において政治家たちをもしばるのだ。劇場政治の面白さを知りこれに慣れた民衆は、もっと「分かりやすい」、もっと「魂を揺さぶる」、もっと「刺激的な」劇場を要求するようになる。メディアは劇場の興行がうま味のある商売だと知った。興行を打ってくれ、ネタを教えてくれと声を上げる。持ちつ持たれつの関係。これは政治家もまた劇場から逃れられないことを意味するのだ。観客が芝居をつくる。それは政治家たちがサポーターの熱狂を無視できなくなるということでもある。「アンコール!」の声に満面の笑みで再登場する役者たちのように。
(前掲書より)

私は、安倍は現実に総理大臣になってみて初めてコイズミの劇場型政治の限界を悟ったのだろうと推測している。安倍はたぶん、コイズミのような良心のかけらもない非人間とは違って、もともとは常識も持っていた人間なのだろうと思う。だから、コイズミのような劇場を演出できない。これが、安倍内閣の支持率が低下している一因だろうと思う。

宮崎さんは、安倍を凡庸な人間であるとして、その凡庸さが時代に合っているのかもしれないと書いている。そして、その反面の、凡庸であるがゆえの危うさを指摘している。彼には決定的に想像力が欠如しているのだという。

宮崎さんが挙げた例は、安倍が好んでいるというテレビドラマ「大草原の小さな家」だ。安倍は、このドラマに描かれた家族の助け合いの姿が大好きなのだという。それに対し宮崎さんは、白人の「開拓」によって生きるべき大地を奪われていった先住民族の悲哀や怒りを安倍は理解することができなかった、それを安倍に理解せよと望むのはどだい無理かもしれないが、と書いている。

最近では、「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WCE)をめぐる安倍のノーテンキな発言が、安倍の想像力欠如を示す絶好の例だといえるだろう。世論の反発によって、さしもの安倍政権も、WCEの法制化を取り下げざるを得なくなった。安倍政権の大きな失点の一つといえるだろう。

安倍は、「美しい国へ」の中で、お国のために死んでいった特攻隊員を絶賛しているが、彼らの心情に思いを致す想像力も当然安倍にはない。
ネトウヨたちも、本気で戦死したいとは思っていないだろうから、お国のために死んでいった戦士たちを称揚し、戦争を美化する安倍の「美しい国へ」を読んでも、陶酔なんかしないんじゃなかろうか。私はそう想像する。

岸信介は、信念を持って国民を戦争に導いた、「A級戦犯」として断罪されるにふさわしい政治家だった。一方、安倍晋三は、名家にさえ生まれなければ、ごく平凡な男だ。

章をしめくくる宮崎さんの文章は、特に印象的だ。以下に引用する。

 中国の古典、十八史略の東漢光武帝の項に、
 「虎を画(えが)いて成らずんば、反(かえ)って狗(いぬ)に類するなり」
 という言葉がある。
 虎の画を描いてうまくいかないと、まるで狗の画みたいになってしまうことがある。そうなってしまったら物笑いの種になるだけだ。
 俺は虎だぞといきがっても、実質がともなわないと、まるで狗みたいになってしまうだけだ。そうなったら、物笑いの種になるだけではない。もっと恐ろしいことになる。
 その資質のない者が英雄豪傑気質を気取ると大変なことになる -- そういって、馬援が兄の子を戒めた言葉である。
 安倍晋三総理、みずからを虎に描くのはおやめになったらどうか。
 あなたのお祖父さんは、たしかに虎だった。後藤田さん(注:故後藤田正晴氏)がいっていたように、かなり恐ろしい虎だった。でも、あなたは虎ではない。虎にはなれない。虎になる必要もない。それなのに、ブレーンたちがあなたの耳に吹き込むささやきにしたがって、自らを虎に描いたなら、どうなるか、あなたは狗になってしまうのだ。
 そうして、自分が虎だと思い込んでいる狗が、まわりに住んでいる動物たちに吼えかかっているうちに、本当の虎が出てきたらどうするのだろうか。そのときは、われわれが自分の命をかけて、その虎と闘わなければならないのだ。
 それは、みずからが一匹の虎であったあなたのお祖父さんが、われわれの父母、祖父母に強いたことであった。それによって何百万人がいのちを失い、何千万人がくらしを失ったことか。一度目は悲劇として、二度目は喜劇としてなのか。われらの祖父母は悲劇のうちに死に、われらは喜劇のうちに死ぬのか。
 安倍さん、あなたは、それを継ぐのか。

(宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』=同時代社、2006年=より)

安倍晋三に読ませてやりたい文章だ。
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2007.01.17 07:40 | 読んだ本 | トラックバック(-) | コメント(2) | このエントリーを含むはてなブックマーク

安倍晋三がごく普通の人というのはなかなか面白い観点だと思います。ブッシュも演説でいつも英語の文法的使用を間違えたり、とんちんかんな言葉を発していますが、そんな彼の知性を疑う人が多くいますが、普通の人が大統領職に就いて全市民の前でまともに演説するというのはそうできないと思います。そんな意味ではブッシュは普通の人だったと思います。それでアメリカ市民の多くはブッシュに親近感をよせたといってもいいですが。一般の大衆ほどの知性ぶりがゴアを打ち負かした要因だと思います。ブッシュも名家に生まれなければ、ハーバードに行くこともなく、普通の人として終わっていたでしょう。政治家になる前は普通のアメリカ人のようにパーティーや酒に溺れていた生活をしていたようですから。安倍もブッシュも親の七光りで徒花は実らずだと思います。

クリントンとブッシュとヒラリーはベビーブーマー世代で90年代は若いとチヤホヤされましたが今ではもう60代ですから、もう古いですね。だからオバマのような60年代生まれが台頭してきています。日本でも戦後で最も若い総理が出たということで新鮮な空気が入るとちょっと期待したのですが、あの人はあまりにもお固く形式張り過ぎていて、また若さの象徴である無鉄砲な反抗姿勢も感じられず至ってソフトなので、参院選まで保つかどうかも疑わしいです。

2007.01.20 00:00 URL | ヘルメス #- [ 編集 ]

岸信介が許せないのは「元戦犯」だからではなく、米国公文書館から世界へ向けて堂々「元CIAエージェント」と公表されている人間だからです
国を誤ったその後は、己の命惜しさに国を敵国に売り渡した人間だからです
残念乍らこの本では触れられていないようですね
安倍晋三、「知らなかった」とは言わせないぞ

2013.07.23 04:19 URL | #- [ 編集 ]













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