きまぐれな日々

今回と次回で、「年末年始に読んだ本」シリーズの最後に取り上げる本として、宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』(同時代社、2006年)を紹介する。

安倍晋三首相が「岸信介の孫」であることを売りものにしていることはよく知られている。しかし、私などは岸信介というと「A級戦犯」「日米安保条約を改定したあと、内閣を倒された男」「数々の疑獄事件で名前が取り沙汰されながら、一度も捕まらなかった男」といった、ネガティブなイメージしか持っていなかった。

だから、「岸信介の孫」を売りものにする男が総理大臣になったこと自体に、強烈な違和感を持っている。安倍晋三には、「安倍寛の孫」「安倍晋太郎の息子」という意識は希薄で、彼が「祖父」と言う時、大政翼賛会から推薦を受けずに選挙に当選した反骨の政治家である父方の祖父・安倍寛を指すことは決してなく、東条英機内閣の閣僚だった母方の祖父・岸信介「だけ」を指すのである。

だが、岸信介内閣の成立は1957年、岸が打倒されたのは1960年6月23日のことだ。その時私はまだ生まれてもいない。だから、当然リアルタイムで60年安保のニュースを追いかけていたはずもなく、一度岸信介について書かれた本を読みたいと思っていたところだった。
「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」は、そんな私のニーズにぴったりの一冊だった。

著者の宮崎学さんは、グリコ・森永事件の被疑者「キツネ目の男」ではないかとして重要参考人に目されていたことでよく知られている。詳しくは、前記リンク先のWikipediaの記述を参照していただきたいが、波瀾万丈の人生を送ってきた人である。
前々回および前回のエントリで紹介した『ナショナリズムの迷宮』の著者である佐藤優さんや魚住昭さんと親交があり、この3人で講演会を開催したこともある。
なお、一部には宮崎さんが「公安の協力者」ではないかと疑問を持つ向きもあるようだが、その真偽については私には判断できない。

『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』は、正統的なアプローチで岸信介を研究した書だ。正統的、というのは、さまざまな立場から書かれた文献に当たり、評価すべきところは評価した上で岸信介を批判していることを指している。

岸信介は、よく知られているように抜群に頭の良い男であると同時に、若い頃から権力欲が人並み外れて強く、しかもそれを隠そうともしなかった。

岸は、北一輝の影響を受けながら、自らの思想を形成していったという。それを、宮崎さんは「昭和ファッショの思想」と呼んでいる。これは、ひとことで言うと国家が個人を超越して主体となり、個人は国家という有機体の器官としてはじめて存在意義を得るという考え方である。

さらに岸は、大川周明の影響を受けて「大アジア主義」の思想も身につけた。これは、戦時中には「大東亜共栄圏」の思想として日本の侵略戦争を正当化し、戦後は日本の東南アジアへの経済侵略を正当化した。
田中角栄は、首相当時の1974年、東南アジアを歴訪した時、激しい反日デモに見舞われたが、それは岸の政策の尻ぬぐいであったと宮崎さんは指摘している。

岸は、1920年に東京帝大を主席の成績で卒業したあと、農商務省に入省した。エリートは普通内務官僚を目指すのに、あえて農商務省を選んだのが岸の非凡なところであった。岸は、国家の経営にとってもっとも大事なのは、政治制度ではなく経済制度であることを見抜いていたのである。

その岸の能力が遺憾なく発揮されたのは、満州国の経営であった。岸は、満州で統制経済機構を完成させ、それによって資本主義的経済機構を修正しようとしたのである。さらに岸は帰国後、本国にもこのやり方を適用した。野口悠紀夫・東大教授が指摘した「1940年体制」は、岸が中心になって作ったものなのである(コイズミが「ぶっ壊す」と叫んでいた対象は、岸の作り上げた経済体制であり、安倍晋三はその「カイカク」を引き継ぐと言っているのだ)。

当然ながら、その間岸はずいぶん怪しげなこともやっている。宮崎さんの本には、岸が満州で麻薬(アヘン)の密売にもかかわっていたのはないかという疑惑も書かれている。但し、岸は一生の間に数え切れないほどの疑惑に絡んで名前を取り沙汰されながら、一度も逮捕されることはなかった。巧妙な「濾過装置」を作り上げていたのである。

さて、岸の戦争責任の問題に移る。
よく知られているように、岸は対米開戦を決定した東条内閣の商工大臣だった。もちろん、積極的な対米開戦賛成派であった。この点、対米開戦に反対し、グルー米国大使に国家機密を漏らしてまでも戦争を防ごうとした吉田茂とは対照的である。
よく、岸信介の孫である安倍晋三のことを「保守本流」だと思っている人がいるが、いうまでもなくこれは誤りで、保守本流とは吉田茂の流れを指すのである。

岸は、のち1944年に東条英機と対立して、東条内閣を総辞職に追い込むが、それによって岸の戦争犯罪が帳消しになるはずもないのは当然のことである。それどころか、岸というのは戦後になっても戦争責任を全く反省せず、間違った戦争だったとさえ思っていなかったのだ。岸は堂々とそれを広言しているし、その例は、「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」に出典を明示して紹介されている。

では、このように明白な戦犯である岸は、なぜA級戦犯として起訴されなかったのだろうか。明らかに岸より罪の軽い広田弘毅まで絞首刑になっているのだから、岸が絞首刑になっていても全く不思議はなかったはずだ。

これについて、岸自身は、開戦を決定した「共同謀議」の証拠になる大本営政府連絡会議に出席していなかったからだと説明している。しかし、宮崎さんは、岸が無罪になるようにあらかじめ戦犯の枠が設定されており、連絡会議の出席の有無はあとづけの説明だろうと推測している。

朝日新聞元編集局長の富森叡児氏は、司法取引説を唱えているという。「司法取引」とは、本人が犯罪を犯していても、捜査に協力したら罪を軽くするという制度のことだ。これをひらたくいうと、「岸は戦犯仲間をアメリカに売った」ということになるが、もちろん宮崎さんの本では、そこまで露骨な表現はされていない。

なお、同じく東京裁判で不起訴になった細菌戦の石井四郎「731部隊」で生体実験を行ったとされている)や、アヘン工作の里見甫についても、司法取引の噂が取り沙汰されているとのことだ。里見は、岸信介の満州時代について書かれた本には必ず名前が出てくる人物だそうで、前述の、岸がアヘン密売に関与していたという疑惑にも、この里見が絡んでいる。というより、里見を盾にして岸が疑惑を逃れたと解釈するのが自然だろう。里見については、佐野眞一が『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社、2005年)という本を出版しており、佐野の最高傑作という人もいるようだから、一度読んでみたいと思う。

脱線が長くなってしまった。話を元に戻す。岸が起訴されなかったのは、アメリカ側にも事情があった。

3日前のエントリ「安倍晋三内閣を分析すると」でも紹介したが、戦後日本の保守政党には、吉田茂と鳩山一郎の流れがあって、吉田は、経済政策を最重要視し、「現行憲法維持・軽武装」で「親米」(というより安保ただ乗り)であった。一方、鳩山は吉田の対米依存に反対して自主外交を唱える一方、憲法改定を主張していた。鳩山は日ソおよび日中の国交回復を模索し、首相在任時の1956年には日ソ国交回復を果たした。

しかし、アメリカにとってはそのどちらも気に入らなかったのである。アメリカは日本を軍事面での同盟国にしたかったので、憲法九条を盾にとって軍備増強に応じない吉田は気に入らなかったし、共産主義国との関係強化を図る鳩山も気に入らなかった。ところが、岸は憲法改定・軍備増強を唱える一方で、岸が反共思想を持っていたせいもあって外交面ではアメリカべったりであった。アメリカにとって、岸以上に都合の良いパートナーは存在しなかったのである。実際、近年アメリカで公開された情報により、CIAが幹事長時代の岸に資金を提供するなど、岸政権成立に大いに協力したことが明らかにされている。アメリカは岸に協力し、岸はアメリカに応えたのである。

宮崎さんは、岸信介が売国政治家だったからそういうことをやったのではなく、岸には岸なりの信念があってやったことだと書いている。岸には、軍事で失敗した「大アジア主義」を経済でやろうという野心があり、そのためにアメリカを利用しようとしたのだという。
だが、その意図はともかくとして、結局岸及び岸の流れを汲む派閥は、一貫して日本をアメリカに売るような真似ばかりしてきたことを指摘しておかなければならないだろう。近年で最悪の例は、いうまでもなく小泉純一郎であった。

さて、今回も長くなってしまったので、岸信介と安倍晋三との絡みについての宮崎さんの記述については、次回の記事で紹介することにしたい。

(続きはこちらへ)
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2007.01.15 11:33 | 読んだ本 | トラックバック(-) | コメント(4) | このエントリーを含むはてなブックマーク

kojitakenさんの読書の質と量にはいつも感心させられています。
 安保反対で燃えた青年時代を持つ主人は、岸信介が1番嫌いなようでした(今は小泉かな?)

2007.01.15 16:39 URL | わこ #- [ 編集 ]

今回もとてもよく分かるように書かれていますね。この書かれた事の何倍かのことを詳しく知っていないと書けない文です。正確に相手に伝えるように書くのは、本当に難しいのに、すごいですね。

>岸及び岸の流れを汲む派閥は、一貫して日本をアメリカに売るような真似ばかりしてきたことを指摘しておかなければならないだろう。

岸のような人物に責任をきちんととらせて、
政界から追放してこなかったことが、アメリカに日本を売る事をやめられず、コイズミやアベを生んだ原因かと思うと、日本の今の不幸が60年以上前から約束されていた事のようで、暗然たる思いがします。

2007.01.15 18:29 URL | 非戦 #tRWV4pAU [ 編集 ]

美しい壺日記のやっしゃんです
いつも読み応えのあるブログなんで楽しく
読ませてもらってます
なんだか“リンク"までしてもらい
ありがたいです(^^)
今後ともよろしくお願いします

2007.01.16 00:12 URL | 美しい壺日記 #- [ 編集 ]

2006年11月11日、東京・神保町の東京堂書店において開催された、新刊『安倍晋三の敬愛する祖父岸信 介』 の発売を記念したトークショウ&サイン会の模様
宮崎学『安倍晋三の敬愛する祖父岸信介』
http://www.youtube.com/watch?v=IJTnO6bcMoU

2007.06.10 15:42 URL | ゴンベイ #eBcs6aYE [ 編集 ]













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