今回は、佐藤優・魚住昭著『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』(朝日新聞社、2006年)を紹介する。
この本こそ、正真正銘、私が年末年始に読んでいた本である。大みそかの夜、17章からなるこの本の16章まで読み終えたところで、新年を迎えた。午前0時となって新年を迎えたあと、最後の17章を読もうとしたら、猛烈な眠気に襲われて居眠りしてしまった。年越しそばを食べて満腹になると同時に、年末の疲れが吹き出したのである。
数時間後に目を覚まし、残りの数十ページを読み終えて、今年最初に読んだ本となった。
この本は、佐藤優と魚住昭の対談形式になっており、主に魚住が聞き手で、佐藤の縦横無尽の思想論を聞き出すという構成になっている。
魚住昭については、弊ブログでも何度も取り上げているが、私は現在もっとも信頼できるジャーナリストだと思っている。
一方、佐藤優は、起訴休職中の外務事務官で、鈴木宗男ともども、2002年に小泉純一郎の罠にかけられて、背任容疑、偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日間にわたって独房生活を過ごした。「ラスプーチン」というのは、いうまでもなく帝政ロシア末期に政治を好き放題に動かしたと言われている怪僧であり、ムネオスキャンダルを書き立てた週刊誌によって、佐藤優のあだなとなった。
のち、佐藤は自らに対する捜査を「国策捜査」であるとして告発し、『国家の罠』(毎日新聞社、2005年)を出版し、第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞した大ベストセラーになった。この本は、魚住昭が絶賛していたこともあって、私も昨年買って読んだ。ブログを開設する直前の頃の読書だったので、感想文はブログには残していないが、たいへん刺激に満ちた本だった。
2人のスタンスは、実は対照的で、魚住昭は「リベラル」に分類され、私と立ち位置が近い。私は魚住の文章を読む時、いつも強い共感を覚える。魚住昭本人は「右でも左でもない」と自称しているが、世の中が急激に右傾化してしまった現在では、相対的に魚住さんはかなり「左」側に属するといわなければならないだろう。一方、佐藤優は明白な保守の論客で、昔なら「右翼」として攻撃の対象になったかもしれない。そんな2人が対談した。
魚住昭は、佐藤優について以下のように述べている。
一言でいえば、佐藤さんはロジック(論理)の人だった。レトリック(修辞)を使う人なら掃いて捨てるほどいる。だが、佐藤さんのようにロジカルに物を考え、ロジカルに世界を分析できる人にお目にかかったことはなかった。
佐藤さんとの出会いで、私はロジックのとてつもない力を知った。ある個人や集団や国家の一見訳の分からない行動も、その内在論理を見つけ出せば案外簡単に理解できるし、未来の行動もある程度予測できることを教えられた。当時の首相(注:小泉純一郎)の「人生いろいろ」だとか「自衛隊の行くところが非戦闘地域だ」とかいった支離滅裂な発言を聞いて余計にそう思ったのかもしれないが、今ほどロジックの力が必要な時代はないと思うようになった。
(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=「あとがき」より)
魚住昭は1951年生まれ、一橋大学卒業後共同通信に入社し、1996年にフリーになった。一方、佐藤優は1960年生まれで、同志社大学で神学を学んだ後、同大学院に進学して、神学の研究を深めたのち、外務省に入省した。面白いことに、この本は魚住昭が9歳年下の佐藤優に思想や哲学について教えられ、それに対して魚住昭が質問をする形で進んでいく。佐藤優の博識ぶりにも舌を巻くが、一流のジャーナリストとして評価されながらも、向上心を保ち続け、一回り下の世代の佐藤優から知識を吸収しようとする魚住昭の謙虚にして真摯な姿勢にも感心する。
全共闘世代より少しだけ下に当たる魚住昭は、ある時、佐藤優に次のように尋ねる。
「私の中にはとても浅薄だけど、拭いがたい疑念があります。それはいくら思想、思想と言っても、戦前の左翼のように苛烈な弾圧にあえばすぐ転向しちゃうのじゃないかということです。特に私のように臆病な人間がいくら思想をうんぬんしたところで仕方がないんじゃないかと」
(中略)
私の問いに佐藤さんはこう答えた。
「魚住さんがおっしゃる『思想』というのは、正確には『対抗思想』なんですよ」
「どういうこと?」と、私は聞き返した。
「いま、コーヒーを飲んでますよね。いくらでしたか? 200円払いましたよね。この、コイン2枚でコーヒーが買えることに疑念を持たないことが『思想』なんです。そんなもの思想だなんて考えてもいない。当たり前だと思っていることこそ『思想』で、ふだん私たちが思想、思想と口にしているのは『対抗思想』です。護憲思想にしても反戦運動にしても、それらは全部『対抗思想』なんです」
この言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。それまで私は思想というのは特別なもので、粒々辛苦の末に獲得すべきものと考えていた。そうではなく、当たり前すぎて目に見えないものこそが思想なのだ。私たちを突き動かす、空気のような思想の正体を解き明かさなければならない。そうすることによって初めて「鵺(ぬえ)」の正体も突き止めることができるのだ。そう思い至ったとき、佐藤さんとの対話の道筋も見えたような気がした。
(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=「あとがき」より)
ここで魚住昭が「鵺」と言っているのは、辺見庸がよく書く「今の日本は鵺のような全体主義に覆われている」というときの「鵺」のことである。
私もこのフレーズを2001年に魚住昭の「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)で読んで以来、ずっと気になるキーワードになっている。
この本には、印象に残る指摘が、それこそ紹介しきれないほど載っている。いくつか取り上げてみよう。
本の第5章で、このところ当ブログでも取り上げている2005年の郵政総選挙に話が及ぶ。佐藤優は、この選挙によって、日本がファシズム前夜の状態になったと考えている。
佐藤優は、この選挙の特徴として、ひとつは「自分の首を絞めるような候補者や党に、首を絞められるであろう当の本人が投票してしまった」こと、ふたつめが「新自由主義」の純化だ、としている。
いうまでもなく、新自由主義は社会的弱者に極めて苛烈な経済政策だ。それを、前のエントリで指摘したようなネトウヨを代表とする社会的弱者が熱狂的に支持したのである。
佐藤優は、マルクスが著した『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』に基づいて、社会的弱者たちの投票行動を分析している。以下佐藤さんの発言を引用する。
『ブリュメール十八日』でマルクスはこう指摘しています。要約すると、ナポレオンはかつて自分たち農民に利益をもたらしてくれた。そこにルイ・ボナパルトというナポレオンの甥と称する男が現れた。彼も叔父と同じように、再び自分たち農民に何か"おいしいもの"をもたらしてくれるのではないかという「伝説」が生まれた。その結果、選挙でルイ・ボナパルトに投票し、権力を与えてしまったと。今回の選挙におけるニートやフリーターの投票行動にも、それと同じような回路が働いたのではないでしょうか。「改革を止めるな」というシングルメッセージを発し続けた小泉首相に何かを見てしまったんでしょうね。
(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=第5章より)
選挙に勝ったルイ・ボナパルトは、帝政を復活させ、その結果、選挙で彼に投票した分割地農民たちは、手ひどい迫害に遭うことになったのである。
佐藤優は、新自由主義についても論じている。すでに、前述の『国家の罠』で、佐藤優は小泉政権の登場によって、日本政府の経済政策が、それまでのケインズ型の公平配分路線からハイエク型の傾斜配分型路線(言い換えれば格差拡大路線)に転換した、鈴木宗男や佐藤優自身の「国策捜査」による逮捕および起訴は、時代の転換点のけじめをつける意味合いがあったと指摘している。『ナショナリズムという迷宮』でも、新自由主義は、国民をごく少数の勝ち組と大多数の負け組に分け、その格差を、従来の自由主義の比ではないくらいのすさまじいスピードで拡大していくものだとしている。そして、佐藤さんによると、小泉純一郎は総理大臣就任時には「新保守主義」と「新自由主義」の両面を持っていたが、次第に前者を切り捨てて「新自由主義」に純化していったと指摘している。新保守主義とは、私の理解ではナショナリスティックな政治思想のことで、小泉はこちらには興味がなく、新自由主義的経済政策に熱心であったのに対し、安倍晋三には逆の傾向があるとは、これまで当ブログで何度か指摘してきたことだ。
だが佐藤優は、小泉がファシストになるのに欠けているものがひとつあるという。それは「やさしさ」だそうだ。ファシズムは、心地よく「優しい」言葉で人々を束ねていくのだという。
これを読んで、私は安倍晋三の「柔和」と評されることもある表情や、「再チャレンジ政策」「美しい国」などの文言、それに安倍が首相に就任した当時のソフト戦略を連想した。
しかし、幸いなことに安倍のイメージ戦略は不首尾に終わり、支持率は下がり続けている。
長くなったが、この本からはもう少し紹介したいことがあるので、明日のエントリで続編を公開することにしたい。
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- 年末年始に読んだ本(4) 『ナショナリズムという迷宮』(下) (2007/01/14)
- 年末年始に読んだ本(3) 『ナショナリズムという迷宮』(上) (2007/01/13)
- インテルメッツォ第2番?「単純化」の危険性 (2007/01/09)
ずいぶん良い所を突いていますね。
しかし少し本質からずれいてる。
願望が入っているからでしょう。
>だが佐藤さんは、コイズミがファシストになるのに欠けているものがひとつあるという。
>それは「やさしさ」だそうだ。
>ファシズムは、心地よく「優しい」言葉で人々を束ねていくのだという。
違いますね。
ファシズムの独裁者に必要なものはなにか?
「勝利」です。
だからオーストリアのドルフスは殺された。
小泉は恐怖の独裁者であり、敵を許さず殺す虐殺者だった。
だから「小泉の勝利を自分の勝利と同一視しようとする弱者」の熱狂に支持されたのですよ。
安倍はその点「敵を許す軟弱者」「俺達の代わりに敵を殺してくれない血まみれの卵を産まない鶏」なんですよ。
だから支持率が下がったんです。
その事に気がつけば、安倍の取るべき方法は決まっています。
敵を、言い訳できないほど悪い敵を捏造する事ですよ。
さて、どんな風に転ぶか。
コロセウムの中で獣を殺さなければ自分が生贄にされる。
そう気が付く事ができるなら、安倍はその方向に向かいますね。
それに気が付かなければ、安倍を葬るチャンスがやってくる。
さて、どうなるかだ・・・。多分、七割方安倍は気が付かないと思う。
本質的にまともで、小泉とは性格が似ていないから。
その点は少し哀れに思えるけど、やらなければならない仕事ではありますしね。
仕方ないでしょう。
2007.01.14 03:28 URL | 三輪耀山 #X.Av9vec [ 編集 ]
なんか凄い話ですね。こちらにも一言。
>七割方安倍は気が付かないと思う。本質的にまともで、小泉とは性格が似ていないから。
という三輪耀山 さんのお話。
そういえば、安倍首相は「爺殺し」って言う位長老に取り入るのが上手いって話聴いた事があります。小泉前首相がばっさり「刺客」を放ったのとは大違い。
だから「復党」直ぐ容認?
この分じゃ、どこかの国をも直ぐ「許す」?なんて思われかねない?
さすがにそれはないでしょうけど、米国が方向転換したりしたら、立つ瀬無いでしょうね。中東でふら付いて、東亜でコワモテ?っていうのも、苦しいような気がしますが・・。
PS
結局、参議院選や地方選の争点は何にすべきなんでしょう?
こんがらがってきました。教えてくださ~い。
ではまた。
2007.01.14 18:01 URL | 三介 #CRE.7pXc [ 編集 ]
新しいエントリー「破壊を求める者(前編)」を書きました。
徹底的に気分の悪いエントリーです。
保証します。
けど読んでおいて下さい。
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