きまぐれな日々

安倍晋三が総理大臣になり、「改正教育基本法案」を可決、成立させてしまった悪夢のような出来事があった2006年も、残すところ今日と明日の2日間だけとなった。

個人的には、今年は「AbEnd」の年だった。従来、掲示板で政治に関する発言を行ってきたが、影響力が全くといってないのにしびれを切らし、ブログに参入したが、参入当時の今年4月は、権力によって耐震偽装事件やライブドア事件の追及が下火にされていた頃で、細々と声をあげているに過ぎなかった。それが、村上世彰逮捕、安倍晋三の統一協会への祝電事件などでようやくテーマが設定でき、発言を活発化させていたところに美爾依さんの「カナダde日本語」が呼びかけた「AbEndキャンペーン」に応じ、反安倍晋三のブログ運動に深く関わった。

もともと私は、もう4年ほど前から安倍晋三なる政治家が大嫌いで、それも、生まれてこのかたもっとも嫌いな政治家といえるほど徹底的に安倍を嫌い抜いてきた人間だ。だから、「カナダde日本語」の呼びかけにコメント欄で応じた時は、キーボードを打つ指が勝手に動いた。内心からの衝動に突き動かされたキャンペーンへの参加だった。戦後民主主義の全てを覆してしまう安倍晋三だけは、何が何でも早期に政治生命を断ち切らなければならない。当時も今も、その強い思いに変わりはない。そして打倒安倍の宿題は、来年に持ち越しになった。統一地方選と参院選のある来年の意味は、きわめて重い。

今日は、魚住昭さんの近刊を紹介することにする。ちくま文庫に収められた「国家とメディア」である。

この本は、一度「kojitakenの日記」でも紹介したことがあるが、私がメモ代わりにしているあちらのブログは読者数が少ないので、こちらに再掲する。

昨日、魚住昭著「国家とメディア」(ちくま文庫、2006年12月)を買った。

本は三部からなり、第一部に「日刊ゲンダイ」に昨年6月から12月まで掲載されていた「魚眼複眼」、第二部に月刊「現代」の昨年3月号と9月号に掲載された「NHK番組改編問題」のレポート、第三部に「ダカーポ」に2001年2月から2003年3月にかけて掲載されていた「メディア時評」が、それぞれ収録されている。

中川昭一と安倍晋三がNHKに番組を改編する圧力をかけた「NHK番組改編問題」に関するレポートが、文庫本に収録されたのはまことにありがたいし、コラム「魚眼複眼」でもしばしばこの件が取り上げられている。また、「メディア時評」では、小泉政権成立の年、国民の多くが「コイズミ魔術」に熱狂していた頃から、粘り強く反小泉の言論を展開していた魚住さんの熱のこもった文章が読める。

是非一読をおすすめしたい本である。

「kojitakenの日記」 2006年12月24日より)

今日の記事では、この本の中でもっとも強く印象に残った文章を紹介する。本の第三章「メディア時評」に収録された「戦争の記憶が、この国を特別なものにしてきた」である。これは、もともと「ダ・カーポ」の2002年9月18日号に掲載された記事である。魚住さんは、NYのテロの映像を見て、戦火の中を逃げまどう自分や家族の姿が脳裏に浮かび、生まれて初めて戦争の恐怖を感じたという。そして、かつて魚住さんが取材した満州の悲劇を思い出されたそうだ。以下引用する。

 その時、半世紀前に満州(現中国東北部)の原野で起きた悲劇を思い出した。満州開拓団の一員だった大畑とめさんらが私たちの取材に語ってくれた出来事である。
 ??とめさんは1945年8月9日、旧ソ連国境近くの町でソ連侵攻の知らせを聞いた。開拓団の女性と子供ばかり200人ぐらいが集まり、国境警察隊員の先導で約80キロ南にある日本の関東軍陣地を目指して逃避行を始めた。
 とめさんは三女の幸子ちゃん(1つ)を背負い、長女の脇子ちゃん(5つ)と二女の裕子ちゃん(4つ)の手を引いて徹夜で歩いた。雨で全身はぐしょぬれ。ちょっとでも休むと置いていかれるから、小便は垂れ流した。ズック靴の爪先が破れ、足の爪が全部はがれた。
 だが、陣地にたどりつくと関東車はいなかった。頼みの軍に見放されたのである。原野をさまよううち、三女の幸子ちゃんがとめさんの背で冷たくなった。衰弱死だった。
 「空き家の上間に腰を下ろして亀さん(亀の甲型の背負い布)をほどいたら息をしてなかった。翌朝、幸子の体に亀さんを掛け、そのまま置いてきた。昼には裕子もぐったりして動かなくなった。『ごめんね』って草むらに残していったの」
 8月13日夕、ソ連の戦車隊が峠を越えて近づいてきた。とめさんは長女の脇子ちゃんと道端の茂みに駆け込んだ。
 その時、警察隊員が「子供が泣くと見つかってしまう」と、とめさんの手から脇子ちゃんをもぎとった。脇子ちゃんは暗がりに連れて行かれた。隊員の刀が光るのが見えた。
 「脇子を連れて行かれても、何も言えなかっただよ。その前から『私たちを殺して、殺して』って何度も頼んでたから」
 とめさんは仲間の沖田まさみさんらと一緒にアシの茂みをはった。所々に紫のキキョウや黄色のオミナエシが咲いていた。そのうちまさみさんの背中の子が泣き出した。途中ではぐれた知人の娘、和子ちゃん(2つ)だった。
 「タオルで首を絞めろ」と警察隊員が押し殺した声でまさみさんに言った。彼女は崩れるように座り込んだ。2歳の息子を背負った女友達もその場にへたり込んだ。
 やがてソ連の戦車が遠ざかり、まさみさんは女友達と2人で取り残された。とめさんらは先に進んで見えなくなった。
 「もう駄目だ」。まさみさんらは先に子供を死なせようと、それぞれの背から子供を下ろし、首に手を掛けた。
 「おばちゃんもすぐ行くから待っててね」
 「ごめんね。ごめんね」
 子供たちは声も立てなかった。それからどれぐらい時間がたっただろうか。はっと気づいたら、子供たちは息絶えていた。呆然と空を見上げると、満天の星空だった。
 まさみさんらはナイフで自分たちの首を切ろうとした。
 「だけどやっぱりできないの。どうしても死ななきゃって焦るけど、できなかった。しーんと静まりかえった真っ暗闇の原野で涙も出なかった」
 2人は数日間、子供たちの遺体のそばを離れなかった。その後、近くの無人になった開拓村に行った。井戸を探していると、背後から「おばちゃん」と、かぼそい声がした。
 死んだはずのとめさんの長女・脇子ちゃんだった。脇子ちゃんの喉には警察隊員がつけた5センチほどの刀傷があったが、血は止まっていた。水を飲ませると、ゴッゴッと音がして傷口から水が流れ出た。空き家にあった布団に寝かせると、脇子ちゃんは安心したのかすぐに寝入った。
 「いい人に拾われて」。まさみさんらはそうお祈りして、脇子ちゃんを残して家を出た。すぐに死ぬつもりだった。
 それから38年の歳月が過ぎ、まさみさんは再び脇子ちゃんと会うことになる。中国残留孤児の肉親探しの記事がきっかけだった。まさみさんはとめさんと連絡を取り、二人で脇子さんの潜在先に駆けつけた。
 脇子さんは母親のとめさんの顔を見るなり、胸にすがって「マーマ(お母さん)」と泣きじゃくった??。

(魚住昭 「国家とメディア」?「戦争の記憶が、この国を特別なものにしてきた」より)

この満州の悲劇に関する記事の初出は、1996年に出版された「沈黙のファイル」(共同通信社、現在は新潮文庫に収録)だそうだが、この記事を何も感じずに読める人は、人間とはいえないだろう。だが、安倍晋三を支持するとは、そういうことなのだ。

魚住さんは、「戦後日本に誇るべきものがあるとすれば、それは戦争世代の痛切な体験に基づく絶対平和の理念しかない」と書かれている。私も同感である。

だが、安倍晋三をはじめ、ポスト安倍を狙う麻生太郎にせよ、復帰するかもしれない小泉純一郎にせよ、現在の自民党の有力な政治家は、揃いも揃って「絶対平和の理念」をぶち壊そうとするやつらばかりだ。

来年は、本当に安倍を「the End!」にしなければならないし、自民党政権崩壊への足がかりの年にしなければならないと思う。


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満州の引き上げの話は、私にとって他人ごとには、思えません。
私に洗礼を授けてくれたプロテスタントの牧師さんは、母子で満州引き上げを体験したひとりです。
牧師さんは、生まれて間もない赤ちゃんだったので、周りの人たちは、牧師さんのお母さんに「この子を他人に預けたら?」ということを言ったそうです。
しかし、牧師さんのお母さんはこの子を意地でも兄弟と一緒に連れて帰ると生まれたばかりの牧師さんを連れて死に物狂いで船に乗り満州から引き上げて日本に帰ったそうです。
満州で牧師さんのお父さんは、徴兵され、「こんなに年をとったものを兵隊にするんだからこの戦争は負けるかもしれない。万が一何かあれば教会に行きなさい」と家族に言い残し泣きながら軍に行ったそうです。
牧師さんのお父さんはの消息は未だにわかっておりません。
遺骨もなく石が遺骨の代わりになったことや赤ん坊の自分がたった六十円で売られそうになったことや船内では死者が出ると水葬といって死者を海に流したという話を牧師さんから聞かされ、本当に戦争というものは何もかも奪っていくのだと思いました。
戦争で犠牲になるのは名も無き民間人や子供たちだということを馬鹿な法案を可決した安倍たちには胸に刻んでほしいと思います。

2006.12.30 13:27 URL | 奈央 #d1bKpcRc [ 編集 ]

若い市民運動家であり編集者である熊谷伸一郎さんが、『自然と人間』1月号で、満州に関する本を数冊紹介しているのですが、その中でご自分の考えを書いておられるところがあります。
そこを少し引用します。

「建国」された年には早くも日本軍による住民大虐殺事件・平頂山事件が起き、その終焉まで、抵抗者を「匪賊」と称して「討伐」しつずけた満州国。山室(「キラメ」という本の著者)をして「収容所国家」「アウシュビッツ国家」とまで言わしめた満州国だが、 今もそれが語られるときに、「五族協和の理想
に燃えた青年官僚の情熱」といった美化、あるいは「多才なインフラ整備」などの正当化が図られることがある。

僕は満州国の「建国」に関わった日本人に善意の人があったことは否定しない。だが、侵略という大前提を問わない「善意」を、どうしても肯定することができない。

以上


私は、アベやつくる会の人にここを読んでもらいたいです。心がないから、何も感じないのでしょうが。

そして、魚住氏が満州での体験を聞いた話を読んで、私は胸が痛むと同時に、満州を侵略し戦争を始めた者たちに対する怒りが沸きます。満州国を「建国」するなどしなければ、
こんな満州での数えきれないくらいの悲劇は起こらなかったはずです。

2006.12.30 20:35 URL | 非戦 #tRWV4pAU [ 編集 ]

奈央さん、非戦さん、いつもコメントありがとうございます。
平然と戦争の道を突き進もうとしている安倍ら指導者をはじめ、自民党の政治家だけではなくその支持者たちも、いざ戦争が起きた時に人間一人一人に起きる事態に思いをめぐらす想像力が欠けているのではないかと思います。
この間公約しながら果たせずにいる、戦争に関する証言を集めたページ作りを、来年はやろうと思っています。

2006.12.31 11:58 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]













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今日で108、除夜の鐘と同じ数字になってしまった、長期拘束に沈黙するは似非言論人なり。嗚呼、惨憺たるAbEnd、UTS、偽者の群れ。
 まだ、絶望が足りないのか、、、。  これ以上、なにを、。  植草先生の異常な長

2006.12.30 12:09 | 雑談日記(徒然なるままに、。)

「嘆」 「怒」 「悲」 「笑」
毎年、大晦日の深夜には、各地の山や海に出向き、御来光とともに、元旦を迎えられる方も、多くいらっしゃるでしょう。

2006.12.30 18:07 | 酔語酔吟 夢がたり

天才の孤立? 「真実?の絵本(ファンタジー!)」
または『学園アリス』等の「主題」とは? あるいは「いわいわ」の「カテゴリー」は「デタラメ?」 さらには『愛国の作法』再び・・。

2006.12.31 08:05 | いわいわブレーク

ゆく年くる年、来年も日本政府は世界に平和を訴えることができないと筆者が思うこの決定的理由
ついに大晦日だ。明日は2007年がやってくる。 今年は中川政調会長の核保有を巡

2006.12.31 15:10 | ぴーひょろのぼやき