きまぐれな日々

最近、読者の方々からのコメントで構成する記事を二件公開したが、私自身が書く記事よりよほどためになるコメントが多く寄せられていて、どうやって紹介していこうかと頭を悩ませる今日この頃だ。

今回は、辺見庸さんについて書いた『「言論の自由」その3?「鵺のような全体主義」を超えるには』に寄せられたコメントから記事を構成したい。

まず、たびたび紹介させていただく朝空さんのコメントから。朝空さんの文章は、私の文章などよりよほど優れているので、できるだけ多くの方々に読んでいただきたいと、いつも強く念じている。

 たまたま切り抜いてあった『信濃毎日新聞』という地方紙の05年3月17日付けの切り抜きがあるので、抜粋する。共同配信の記事かも知れないが。執筆者は「辺見庸、作家」。

  「鬼畜」対「良民」なのか
  ―地下鉄サリンから10年―

 やけに風の強かった月曜のあの朝、私はいったい何にたまげたのだろう。十年後の今でも時折反芻(はんすう)するのは、糸の切れたマリオネットのように、ゆっくりと通路に崩れ落ちるサリン被害者たちのむごい姿では必ずしもない。倒れた人々を助けるでなく、まるで線路の枕木でも跨ぐようにしながら、一分でも職場に遅れまいと無表情で改札口を目指す圧倒的多数の通勤者たち。目蓋に焼きついているのは、彼ら彼女たちの異様なまでの「生真面目さ」なのである。
 あれは、しかし、真に人間的な真面目さだったのであろうか。口から泡を吐き苦しみ悶える被害者を眼の端に入れながら、なおも改札口に殺到する群れが、この国の民衆の原像であるとしたら、十年でそれはどう変貌したのか。サリンを撒いた加害者達と脇目も振らず職場に急いだ人々は、「鬼畜」対「良民」といった、後の裁判で語られたような単純な構図であったのか― 十年間、私は折りに触れて考えた。
 ……その朝、私はたまたま地下鉄日比谷線の神谷町駅構内にいた。……
 ……当初の現場にはマスコミが報じたような「パニック」などなかったのだ。不可思議な「秩序」のみが存在したのである。通勤者も、駅員も、遅れて駆け付けた記者らも、実に生真面目だった。ただし、それぞれの職分のみに。
 …… あの朝の生真面目さの隊列には、通勤者や記者らとともに、実のところサリン製造者や撒布者らも象徴的に連なるのではないか。加害者が決して尋常ならざる「反逆者」だったのではなく、大方の通勤者、記者、警察官同様に、心優しき「服従者」にすぎなかったのではないか。……そこには言葉の優れた意味で自由な「私」は一人としていなかったのである。……
 法廷でふと想い出した一節がある。「暗く陰惨な人間の歴史をふり返ってみると、反逆の名において犯されたよりもさらに多くの恐ろしい犯罪が服従の名において犯されていることがわかるであろう」。スタンレー・ミルグラムが『服従の心理 アイヒマン実験』
(岸田秀訳)で引用したC・スノーの言葉である。……
 ……ファシズムはかっての装いを一変して、あくまでも優しく道理にかなっているかのごとくに日々を振る舞っているのである。
(朝空さんのコメント)

たまたま、前の週末に辺見庸さんの「自分自身への審問」(毎日新聞社、2006年)を通して読んだが、朝空さんが紹介されたこの文章が収録されていた。恥を忍んで告白するが、ブログで辺見さんの文章を紹介していながら、標題の「自分自身への審問」が収録されている最終章しかそれまで読んでいなかったのである。
この本によると、サリン事件について書かれた記事は、確かに2005年3月19日、共同通信の配信となっている。

「鵺のような全体主義」は、辺見さんが描いたような、生真面目な大衆の沈黙が形成するのだろう。

意外な組み合わせだが、かつて、音楽評論家の吉田秀和が、朝日新聞の「音楽展望」で、当時朝日の名物記者だった本多勝一の、旧東独に関するルポルタージュを称賛した文章を書いたことがある。この時、吉田は確か本多の「市民的」な勇気を高く買っていたのではなかったかと思う(うろ覚えなので、あとでよく調べてみたい)。
私自身は、本多に見られる独裁志向の部分はまったく評価しないが、本多が「一人でも声をあげていこう」とする勇気のあるジャーナリストでもあったことについては高く買っている。

それはともかく、声をあげない従順な人たちが多いのが、日本の社会の特徴ではないかと思う。声をあげることを抑制して、黙っていた方が身のためだよ、などと言う人さえ珍しくないのだ。
一人一人が好き勝手に発言しているかに見えるフランスを報道記事で見ていて、いつもうらやましく思っている。

続いて、これも以前に取り上げさせていただいた奈央さんが、朝空さんのコメントを受けて、次のようにコメントされている。

私の従姉も地下鉄サリン事件に巻き込まれました。
あの被害者の方たちの痛々しい姿を今でも忘れることができません。
サリンに触れたため重態になり病院に搬送された駅員さん、消防隊員におんぶされ泣きながら地下鉄の駅の出口へ出た方、嘔吐していた人たち、横になって救助を待っていたさまざまな人たちを思い出します。
それと、辺見庸さんの観察眼やヌエという表現に対して唸らざるをえませんでした。
なぜ、サリンによるけが人を見ながら何もせず会社へ行くのだろう、これって昨年の福知山脱線衝突事故当時のJR職員たちといっしょじゃない?という印象を受けました。
また、ユダヤ人のホロコーストの教訓から学んだことを思わずにいられませんでした。
彼らは、権力者が間違っている行動をしている場合、従順であることより自分の考えを優先して権力者の意見や命令を無視してもよいと教えられています。
たぶん、日本では、考えられないことでしょう。
疑いはしても相手の顔色を気にして違う意見を述べること実行に移すことが難しいと思います。
そうならないようにせめて自分の心に正直でいたいと思います。
(奈央さんのコメント)

奈央さんが書かれるように、自分の心に正直になることは、とても大事なことだと、私も思う。

最後に、いつもコメントをいただいている非戦さんのコメントを紹介する。

辺見さんが目撃したサリン事件での平常の行動を保つ市民の姿には衝撃を受けました。
どうして、そんなに平静でいられるのかと。
それこそ鵺のような社会と市民の中に暮らしていかなければならないことが、辺見さんと同じく私も苦痛に感じます。
そういう人がいる中で、教育基本法改正反対!と言って国会の前で座り込みをしている人たちの前を、何の感情も持たず、または冷笑しとおりすぎていく人たちには、反対する人たちが単に邪魔な存在なのでしょうか?
権力にすがりつく人たちは、ファシズム国家になったとき(もうなっている)、国のために何でもするのでしょうか。やっぱり、国民のレベルにあった政権しかもてないのです。でも、そうならなにように、今、みんなが必死で抵抗して闘っているんだと思います。
(非戦さんのコメント)

確かに、皆が沈黙している社会には、私も慄然とするものを感じるが、辺見さんも「自分自身への審問」で書かれているように、違和感を感じている人間にさえ、知らず「鵺のような全体主義」に荷担している部分があることに、私などはよりいっそう慄然としてしまう。

それにしても、辺見さんの文章には、読者の心を深く抉るものがある。とても「共感した」などという生易しい言葉で表現できるものではない。そもそも、脳出血の後遺症と癌を同時に抱え、それでもなお発言を続けていくなどということが私に可能であるとはとても思えない。

これから、もっともっと多くの辺見さんの文章を読んでいかなければならないと強く思った。辺見庸に気づくのが遅すぎた、おのれの不明を恥じる次第である。
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2006.12.12 07:40 | 言論・表現の自由 | トラックバック(-) | コメント(6) | このエントリーを含むはてなブックマーク

kojitakenさん、こんにちは。
テンプレートを変えたら、kojitakenさんに作っていただいたAbEndのバナーが大きすぎてサイドバーに入らなくなってしまいました。サイズを小さくすることは可能ですか?もし、可能でしたら、時間のある時で結構ですから、リメイクしていただいたらと思います。お手数おかけします。

2006.12.12 13:58 URL | 美爾依 #- [ 編集 ]

 「鵺のような全体主義」。
 鵺とは、様々な動物の部分を寄せ集めたような妖怪のことで、「得体の知れないもの」と言う意味で使われます。
 これは戦前の日本にも当てはまる言葉だと思います。同じ枢軸国であった、ナチス・ドイツや、イタリアのファシスト党などは、巧妙なアジテーションにより、政権をとった上で、軍国化していきました。
 しかし、当時の大日本帝国は、「天皇の大権」を利用しながら、特定の「フューラー」(独裁者)が登場せず、集団的に、「何かわからないうちに」(鵺のように)、全体主義、軍国主義国家になっていきました。
 これは、日本人の「集団性」、「目立つことを嫌う」と言う民族性の中で、発言の無いままに、時の権力者のいいようにされてしまって来たのだと思います。
 小泉内閣以来、「なんとなく物の言いづらい社会」になったといわれています。
 国民は誰も、軍国化も国家統制の強化も望んでいないのに、「なんとなく」、そうなってしまう危険性があります。
 次期参議院選挙、さらにその次の衆議院選挙で、自民党を敗北に追いやるしか、この苦しい時代を変えることはできないと思います。

2006.12.12 14:52 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]

 棚の上で黄ばみかけた新聞の切抜きが役立つことができ、うれしい限りです。互いに並立的に思いを表す場を作られるkojitakenさんに、そのように発言される方々に感謝です。

2006.12.12 21:19 URL | 朝空 #- [ 編集 ]

ここで、議論しちゃうと、2チャンネルっぽくなるので、最小限に留めますが、

眠り猫さん、今晩は。(kojitakenさん、あちこちで・・お邪魔してます。)

じゃあ、「民主や共産等は受け皿になるのか?」が、やはり無党派の不満。官僚にとっても不安・・。

この辺り全般を、眠り猫さんのブログやうちので、議論深めましょうね。
眠り猫さんにとっては、「何を今さら」でしょうが、やはり『受け皿』あっての政権交代ですから、まあ確認の意味です。

では、では。お邪魔しました。

2006.12.12 21:26 URL | 建つ三介 #- [ 編集 ]

オマケ。というか本文に関連してだから、こっちが主文ですね。へへ。

辺見庸さんは高橋哲哉さんと東京新聞で対談していましたね。

その本、『私たちはどのような時代に生きているのか』
http://www.amazon.co.jp/s/ref=sr_pg_3/503-9778082-3695143?ie=UTF8&rh=n%3A465610%2Cp%5F27%3A%E8%BE%BA%E8%A6%8B%20%E5%BA%B8&page=3
はコンパクトで、注釈もたくさんあって、わかり易いですよ(僕は余り好きじゃないですけど、この手の物言い)でも読みます。
新版(2003年までも含めた?)も出ているようです。では。

2006.12.12 22:05 URL | 建つ三介 #- [ 編集 ]

kojitakenさん、
お疲れのところ、バナーを変えて下さってありがとうございました。さっそく使わせていただきました。

2006.12.13 04:15 URL | 美爾依 #- [ 編集 ]













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