きまぐれな日々

12月7日付の記事「御用学者にだまされるな」は、「きまぐれな日々」としても珍しく、私が思っていることをストレートに表現した会心の記事で、多くのトラックバックとコメントをいただいた。また、美爾依さんの「カナダde日本語」からリンクを張っていただいた(美爾依さんからは、うれしいおほめのコメントもいただいている)。ここに皆さまにお礼を申し上げる。

今回は、この記事に寄せられたコメントからいくつか紹介したいと思う。

まず、ブログ「とむ丸の夢」の管理人・とむ丸さんのコメントから。

権力エリートの仲間意識は、地方は地方でそれなりにあるんです。私たちがそれをうかがい知るのは、これ見よがしに仲間内でしか分からない話題と言葉で目配せしながら話をしているとき。ただし、御用学者はいないか、いても大したことありません。
で、上には上がいて、彼等は中央の権力エリートの末端として機能するのを自ら望んで、そのように動きます。
この地方の権力指向者に対して中央のエリートは、またそれなりに見返りを与えています。
なんだか封建制の「後恩と奉公」で成り立つヒエラルキーが存在しているんですよね。
(とむ丸さんのコメント)

中央と地方のエリートが形作る階層構造についての興味深いコメントだと思う。
とむ丸さんのコメントを受けて、朝空さんがさらに詳しく論じておられるので、以下に紹介する。

歴史的にこの国の「社会・人文科学」の系統は、師匠を戴き引き上げてもらう構造にあったように思う。戦後、その種の意識構造に反逆した無頼派という小説家の一団があったが、彼ら自身そう名乗ったかはともかく、確かに「頼らず」という意味の無頼の要素を持ち合わせていたと感じている。「戦後の一時期に、大衆に支持されて表舞台に現れた最も民主的な文学」。そう彼らを呼んだ評者がいたが、無頼の意味と合わせて適切な批評だったように思う。
 敗戦2年後、彼らは対談の中で「日本の文学は村長を必要としてきた」という意味のことを言っている。また「誰かがなりたがるというより、周りが祀り上げてそうなる」とも言っている。構造的にもそうなのだが、一人ひとりの心性に、その種の意識が染み付いていると言っているのだ。
 「とむ丸」さんが「中央」「地方」の意識構造に触れているように、「中央」にも「地方」にも、この種の意識が互いを相似形として、変わらず存在している。そしてそれぞれの間や各々の内側には、指摘された通りの頑ななヒエラルキーが存在する。それは言わば、一人ひとりの思い込み(後天的な刷り込み)が生み出すヒエラルキーと言っていいように思う。私も一地方の人間だが、私が関わってきた多くの者達は、「持ち上げとけ。こっちは元が取れればいいさ」―。その種の“庶民のプラグマティズム”ではなく、どこか本気で思い込み持ち上げる、そしてひれ伏す自分自身を不当に持ち下げると感じてしまうことが多い。「あんたもやりゃあできるぜ」。そう言われてもキョトンとするのみならず、なぜか憎悪をこちらに向けることすらあるのだ。
 私の地方では数ヶ月前、役人も議会も地元マスコミも敵に回したあげく、とうとう落選した「自律派」知事がいた。「お前ら自分の足で立て」。それは中央―地方の関係だけでなく、地方内部の「秩序」をも破壊するものだった。持ち上げられなければ居たたまれない田舎名士の議員達。「上」の指示がなければ「個人」としても混乱する役人。そして悪質なのはマスコミだ。口では民主を唱導する。だが記者クラブなんか要らない、君達を持ち上げる必要はない―。このような実践者が現れれば、感情(体質)のレベルで反感を抱き、追い落としに加担する。
 そして悲しいのは、支持した者達の多くも、自分の自力を信じられず、「中央からの落下傘」にしかすがれなかったという点だ。この知事の周りからは「地方のインテリ」が次々と離れていったことがあるが、「自律」への意識のずれが大きく働いていたのだろうと思っている。知事なる人物のやり方も、拙劣だったのだろうが。
 意識を、心性を変えるというのは、世代単位の事業のように思う。それは絶望としての意味ではなく、その位腹を据えてかからないと、という意味においてなのだ。
(朝空さんのコメント)

続いては、ブログ「平和のために小さな声を集めよう」の管理人・眠り猫さんのコメントを紹介する。

 経済学と国際政治学には、基本的な拠り所となる「定理」や「真理」と言う物が元々存在しません。また、同じ社会科学とされる法学のように、人間が定めたものとはいえ、よって立つ原則も存在しません。
 結果的に、この2つの学問では、「どうとでもいえる」と言うのが実情です。経済学も国策による経済刺激、企業優遇による経済指標の上昇、それとは逆に消費者の立場に立った経済政策など、どのようにでも立場が取れるのです。
 ですから、御用学者には、経済学者が多いです。次いで死んだ高坂正堯(民主党前原の師匠)や、舛添のような国際政治学者です。
 今安倍政権では、「有識者会議」と言う名の、御用学者、評論家を集めての政策提言をするという会議が乱造されています。
 これは中曽根政権当時にも「首相の私的諮問機関」といわれて、悪用されたのと同じで、国会の委員会などでの議論を経ずに、「◎◎会議の答申だから」と言って権威付けに利用した上で、国会を通してしまうという、議会性民主主義を無視した、ファッショ的手法です。
 皆さんご指摘の通り、これらには重複した名前がいくつも並び、御用学者たちのクラブになっています。
 残念ながら私の大学時代の恩師の一人もその仲間入りしています。名誉欲というのには勝てない人もいるようです。
 あと、慶應は御用学者多いですね。と言うか、御用学者を教授に迎えるといったほうが近いかもです。
 「曲学阿世」とはこのことです。
(眠り猫さんのコメント)

コメントの文末にある「曲学阿世」(きょくがくあせい、「学を曲げ世に阿る(おもねる)」の意)という四文字熟語は、私が記事に書いた時に頭にあった言葉だ。慶応大学に御用学者が多いという指摘は、どーもさんからもいただいた。

次は、ブログ「Dendrodium」の管理人・Dendrodiumさんからのコメントを紹介する。

ご意見いちいち同感でした
又アメリカ人の代わりに死ぬ日本人募集中の表示に特に同感しました。
それとも知らず憲法9条を変えて独立国にと言っている青年たちが哀れでなりません。
古来悪事は常に正義の仮面をかぶってやってきています。そして気がついた時にはもう手遅れになっていると言う寸法なのです。
(Dendrodiumさんのコメント)

たいへんありがたいコメントだが、「アメリカ人の代わりに死ぬ日本人募集中の表示」とは、「雑談日記」の管理人・SOBAさんと「とりあえずガスパーチョ」の管理人・ガスパーチョさんの合作によるバナーのことなので、お二人にも感謝の意を表明したい。

続いては、ブログ「billabong」の管理人・あずーるさんのコメントを紹介する。

はじめまして♪AbEndフォーラムに参加し、安倍晋三TBに参加しています。
御用学者の件、日本経済新聞でも以前かかれていました。小泉政権で有識者会議がひらかれるようになったけれど、政府よりばかりの人で官僚は改革をやる気がないから、有識者会議をしましたというお墨付きがほしいだけだと。最近のタウンミーティングといっしょですね。
また「日本マスコミ『臆病』の構造」で (単行本) ベンジャミン フルフォードが知りながら報道しないという政府と大手マスメディアの仲良しクラブの罪が書かれています。
だから正当なことでも、政府に批判的なことを言う学者は影響力の強いメディアによばれないんでしょうね。植草さんがはめられたような気がしてなりません。紺屋さんも出てこないし・・・

参考:植草氏の応援ブログ
http://yuutama.exblog.jp/
(あずーるさんのコメント)

確かに、植草一秀さんははめられた疑いが濃厚だと私も思う。植草さんに限らず、政府に批判的な学者たちがマスメディアから干されていることは、私も常々感じていることだ。

最後に、この記事を書いている最中にいただいた、ブログ「津久井進の弁護士ノート」の管理人・つくいさん(弁護士・津久井進さん)のコメントを紹介する。

一方で,良心的な学者もたくさんいるので,勇気付けられます。
こういう良心的学者へのエールも大切にしたいですね。
(つくいさんのコメント)

これはまことにありがたいアドバイスだ。
確かに、マスメディアに登場して害毒を垂れ流している御用学者たちがはびこっている一方で、良心的な仕事をされている学者たちが大勢おられることも忘れてはならないだろう。こういう真面目な学者たちは、マスメディアには等閑視されるという言論状況なので、気がついたら当ブログでも積極的に取り上げていきたいと思う。

なお、ここに取り上げ切れなかったコメントも、いずれ劣らぬ内容のあるものばかりで、本当は全部紹介したかったのだが、内容の重複や当記事における流れ等を考慮して、上記の6件を選ばせていただいたことをお断りしておきたい。
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慶応には経済だけじゃなくて,理工や医学部にも「御用」が多いですよ(笑) 帝京大なんかは論外ですけどね。(^^;)

# 文系のことはあまり良く分からんけど,地方の公立大のケーザイ学部とかケーエイ学部なんてのには怪しいのがぎょーさんいます。

2006.12.10 15:54 URL | kaetzchen #HfMzn2gY [ 編集 ]

それにしても、大学教員の全体数からすれば、現政権に異議申し立てする人がもっと多くていいはずなのですがね。もはや大学教員=知識人ではなくなった、ということでしょうか。

2006.12.10 17:30 URL | ヤマボウシ #oi52eAIQ [ 編集 ]

「慶応には御用学者が多い」で気付いたことがある。それは創立者・福沢諭吉の二面性だ。下級武士出身の彼は、形と体裁ばかりになった当時の幕藩体制の駄目さ加減を、骨身に染みて感じていたはずだ。この辺りの感覚は、西郷をはじめ薩長の武士達も、勝海舟ら幕府の下級武士も、明治の初期に解き放たれたように活動した私の地方の田舎武士達も、まるで同じだったと感じている。彼らの感性のベースは、実態は民衆と変わらぬ暮らしの中で身についた生活感覚や、仕事の感覚だったように思う。福沢が書いた『学問のすすめ』が70万部のベストセラーになったのは、当時最新の西欧思想の考え方によるというより、庶民の中に脈打つ実用主義、「お天道さんの下じゃ誰も一緒」という生活的な平等感覚を基礎に書かれたからだろうと感じている。(実際、今日のようにマスコミ等の宣伝で売れた本ではなかった。)明治の初期、ことに西南戦争までの10年近くの間、この種の思想、というよりも感性で「国作り」が進められようとしたことは、「中央」「地方」を問わず、当時記された文献の随所で感じられる。
 だが福沢はその後、よく知られるように国権主義に転じた。これについて結論だけを言えば、幕藩体制の時代に武士達(当時のインテリ)の頭にフォーマットされた統治の学=朱子学の意識が、時代状況などに気おされる形で頭をもたげたのだろうと感じている。
明治の10年から20年までの間は、政府の無策や、強引かつ故意の経済政策によって中間層が没落し、農村等で一部の者にのみ富が集積されるという時代が続いた。そしてイギリス的、王権の下での平等的な福沢の意識を突き破るフランス的な民権思想が、始まった民衆弾圧の中で広がって行った。見落としてはならないのは、政治・経済の混乱の中、「やっぱり俺達じゃなきゃあ駄目だろう」という旧体制の道学者や、それに連なる思考の権力者達が台頭してきたということだ。そうした流れが「明治20年代」始めの、当時の“教育基本法”「教育勅語」の作成に結びついていったのだった。
 あの大学は良くも悪くも実用主義の面があり、その分凝り固まった印象はない。その種の感覚と、福沢がついに捨てられなかった統治の側に連なる意識(彼はあくまで啓蒙主義者であり「民衆」そのものではなかった)が今に至るも作用し、学校経営のための便宜と国策への参画の両面から、政治に擦り寄る者達が多くなるのだろうと感じている。
 大事なのは、一大学の話ではないと思う。我々の頭は、今も何かによってフォーマットされていないか。ある種の基本ソフトの手のひらで踊らされていないかということなのだ。明治10年代に浸透したのは、フランスの民権思想だった。神権と結びついた王権を打倒するため、神によりフォーマットされる以前の「自然人」を掲げる思想だった。
 私は「過激」を鼓吹はしない。だが、この種の所与のフォーマットを、二次的に加工された意識を乗り越えない限り、国家は永遠に「自然的存在」であり、民族も宗教もかたくなに排他性を宿し続けるだろうということなのだ。その種の枠を越えて共感し合うため必要なのは、観念ではない、実体としての「自然人」を一人ひとりが探り当てることではないかと感じている。

(長話、失礼しました)

2006.12.10 17:30 URL | 朝空 #- [ 編集 ]

記事にしてくださったのですね。ありがとうございます。(日本語の文法間違いがはずかしいです;;)御用学者については、かねてから書きたいと思っていた記事なので、反応してしまいました。
だっくくろっくさんの、御用学者の記事で、経済学者の森永さん発言の件について、田原氏のコメントはかなりひどいと思いました。朝まで生テレビ、よく見ていたのですが、最近、いろんな事がわかってくると政府よりのプロパガンダだったのかと思います。田原氏自身は経済のこと全くわかっていないようですし、反論する人はあまりいません。なのに、あの番組、経済的要素が重要な話題を彼が司会している事自体おかしいんですよね。(朝生に田原さんもっと勉強してくださいとメールしたことあります)
でも、朝生で有名になって他の番組に出だした御用学者おおいですよね。

2006.12.10 17:56 URL | あずーる #aUGMrhvE [ 編集 ]

取り上げていただき恐縮です。さらには朝空さんからはより発展させた見解まで伺うことができました。ありがとうございます。

朝空さん、中津の城下で門閥制度に唾棄した諭吉が後年国権主義に転じるのも決して不思議ではないですね。
>この種の所与のフォーマットを、二次的に加工された意識を乗り越えない限り……
ということも私たちは常に肝に銘じておきたいと思います。

2006.12.10 23:38 URL | とむ丸 #- [ 編集 ]

 私のコメントも取り上げていただきまして、ありがとうございます。
 国際政治学者にとっては、核兵器も、一つの「パワー」として認識して、議論の対象にします。現実論といえばそれまでですが、国際政治にも経済学にも「理想」と言うものがありません。現状を云々するだけの学問です。
 さて、今のNHKニュースで、安倍内閣の支持率が、さらに11%下がり、50%をきりました。
 国民の目も節穴ではないということだと思います。この調子で参院選、衆院選まで自民党の支持率も下がっていけば良いのですがね。

2006.12.11 19:14 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]

 申し遅れましたが、再度取り上げて戴き、ありがとうございます。

とむ丸さん、丁寧なご感想等ありがとうございます。中津の城下で稲荷のご神体を取り出し、バチが当たるか試したというあたりは面白いのですが…。仲の悪かった勝海舟は、あいつは西郷なんかと違って小器用に立ち回る奴だという意味のことを言ってましたね。

2006.12.11 21:08 URL | 朝空 #- [ 編集 ]

今晩は。諭吉のことが少し話題になっているようなので、一言2こと。

>朝空さん、中津の城下で門閥制度に唾棄した諭吉が後年国権主義に転じるのも決して不思議ではないですね

この辺は「読みが浅い」と感じます。

『異端論断章』というマイナーな本ですが、
丸山真男・石田雄・藤田省三が議論している中で、明治で一番『日本の課題』(=独立・統一・文明)を分かっていたのが諭吉と、絶賛。
藤田の講義(↓ここで紹介した本に入っています)でも
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-385.html#comment_head

諭吉は「ラチオ」(古典ギリシアの議論優先主義)の日本史上最初の発見者(『学問のすすめ』の学問とは『理性』の意)として、また天皇制を『変装・共和制』(文化・象徴レベル)の枠に嵌めようとした、と紹介されています。
朱子学の国粋レベルに転じたという『デマ』を誰が流したかは知りませんが・・。

慶応大学の現役(教員・学生)が、それを引き継いでいるかどうかは個々の問題です。組織的に引き継げているかも知りませんし、大して興味ありません。他所もんの僕は引き継ぎたいと勝手に思っています・・。

僕のブログでは、余り諭吉については触れたことがありませんが、ホンの少し、かすったことはあります。ご参考までに↓。
http://blogs.dion.ne.jp/ivanat/archives/3398405.html

では、また。

2006.12.12 21:13 URL | 建つ三介 #- [ 編集 ]

「福沢はその後、よく知られるように国権主義に転じた」。このくだりは「国権論に…」と変えたかった箇所です。「編集」で操作しても駄目でした。何かのパスワードとか要るのでしょうか?
 福沢に臭うのは「お前らにはまだ分からんよ」のスタンスです。知性(または歳や経験)を重ねなければ分からない事柄。それは確かにあるでしょう。ですがそれは私には、基本的にある種のフォーマット(学派や専門・政策分野)の内にいる場合の話のように思えるのです。人はだれもが環境も歳も、経験も職業も学歴等々も違う。その違いの中にあって、諭すのではなく語る。表現する。その種のものを見つけ出すことが、大事なように思うのです。子育ての経験はありますから、「今は言ってもだめだな」はしばしばありました。この歳になりようやく見えるのは、どこかにあった「まだ分からんよ」の姿勢の愚かしさです。わが子だろうが人の子だろうが、子にはそれぞれが膨らますべき自立した世界がある。そこに伝え得るものとは、果たして何なのか?これは今も続く、時には自分を切り刻まなければならない課題です。

2006.12.13 08:56 URL | 朝空k #- [ 編集 ]

追伸

 とむ丸さんは、私の原文をあえていじらずに記されたのだと思います。言葉の扱い、失礼しました。自戒。

2006.12.13 09:14 URL | 朝空k #- [ 編集 ]

朱子学の国粋レベルに転じたという『デマ』を誰が流したかは知りませんが・・。

2006.12.15 18:20 URL | 朝空k #- [ 編集 ]

 上記のような文言は、生理的に嫌うところだ。
 この部分に対しては舌足らずだったので、加筆したいと思う。私が言っているのは、福沢の中に抜き難くある説教体質の、その淵源なのだ。独り悦にいった、手前勝手な国策論理を語るために、ルソー的な自由民権運動を批判したことを持ち出すまでもなく、「亜細亜東方の保護は我責任なり」という自意識に始まる「脱亜論」を見れば、彼がどのような理性―ではなく体質に依拠していたかは一目瞭然だろう。
 理性をかたる言葉よりも体質の方が、その人物を表すというのは、真っ当に世を生きた者なら誰しも経験するところだ。
 日頃は民主を唱導するマスコミが、肝心要の時にどのような態度を取るかも、うわべの言葉に引きずられなければ、子供でも感じることができる。
 この人物が評価するらしい丸山真男が、その昔全共闘の学生らからつるし上げられたのも、「先生あんた、言うことと違うんじゃないの」の一言だった。丸山の理性から見れば学生達は馬鹿で未熟で、「まだ分からんよ」の者達だったろう。
 言葉を信じるのか、体質を含めてかぎ分けるのか。竹林の七賢人達が、竹薮で何をつぶやこうが勝手だ。だが、娑婆にそのまま現れて「お前らにはまだ分からんよ」。そう言ったその時から、言葉以前の、暗記と訓古、師の影踏まずの朱子学の性根が躍り出るのだ。
 自分を変える、自由な個人とするべく、せめて身近な者だけでも変える。それだけでも試行錯誤の一生仕事というのは、首から下の変革も含めてなのだ。

2006.12.15 19:50 URL | 朝空k #- [ 編集 ]


kojitakenさん、お邪魔します。ご連絡いただければ、もっと早くお寄りしたのに・・。
かなり長いですが、ここのコメント欄での議論をお許しいただけているようなので、以下列挙しますね。

こんばんは、 朝空k さん。

>朱子学の国粋レベルに転じたという『デマ』を誰が流したかは知りませんが

知らないから知らないといっただけですが、まだ読んだことがないので。
それとも朝空さんはご存知なんですか? そういう内容の本を書いてらっしゃる人を?
ご教授願います。そいつを徹底的にうちのブログで批判したいと思いますので。
案外、慶応大学に居るかもしれませんね? こんなに放置されているようですから・・。

>独り悦にいった、手前勝手な国策論理を語るために、ルソー的な自由民権運動を批判

この当時の民権派は一番リベラルな人たちでも、
『天皇陛下は久しきあり手、深く神州の民に心身を労し賜いし、
なお且つ元老院に命じて国威の尊敬を起草せし賜う。
嗚呼、・・臣民の至情・・神聞き・・感激し、・・涙す・・』(明治7年)
要するに「日本は天皇がいるから、神聖」としか言ってない低いレベルです。
ルソー的とはこのレベルのことを指すのですか? 
諭吉は皇室の日本における存在意義を理由を明らかにしようとする。
『もし帝室が学問に熱意を持つなら、健全な形で王室も存続しうるだろう』(『帝室論』)と。
イギリスの王室制を参考にして、今の『象徴天皇制』に近いものをこの時期に提案している。
これを『独善的・手前勝手な国策論』と呼ぶのは、フェアーとは言えないと思いますが如何でしょう。
その時代もその後の敗戦までも、立憲君主制下の『皇室論』としては、最先端だと思えますが・・。

>「亜細亜東方の保護は我責任なり」という自意識に始まる「脱亜論」を見れば、

この「自意識」は批判されるべきものでしょうか? 
欧米列強の『植民地化』がアジアを襲っていたのは事実ですし、
だから後に孫文や魯迅も『一部』かも、また『別の思惑を持った輩もいた』かもしれませんが、
日本人の『心ある人々』から援助され、励まされていたと思います。
共産主義者のインターナショナルな「連帯」とは違いますが、別の意味で
むしろ、アジアを背負って立とうという気概は『尊敬』に値すべきだと思います。
例えば今日のEUの指導者がヨーロッパについて、こう(=諭吉のように)言ったからといって、
すぐヒトラーの如き侵略者扱いされないでしょう。
諭吉の「論」が、その後の侵略戦争のイデオロギーに使われた可能性は否定できませんが、
それをもって、彼自身が植民地主義か反植民地主義かは判断できかねます。

>福沢の中に抜き難くある説教体質の、その淵源
>体質に依拠していたかは一目瞭然

諭吉が『指導者然とした』えらそうぶった男だったような気はします。現に指導者でしたから。
それが何か? ニコニコした指導者も居れば、ガミガミタイプもいる。取り澄ました人もいるでしょう。
その淵源が『朱子学』であったとしても、どうとも思いませんが。そんなに気になさる淵源は?
朱子学者一般に問題があったとしても、諭吉の値打ちを下げることにはならないと思います。

>丸山の理性から見れば学生達は馬鹿で未熟で、「まだ分からんよ」の者達だったろう。
>その昔全共闘の学生
ならば、そのつるし上げた側の『立派な学生』サンたちの中から出てきた
丸山を越える『理性と行動が一致した』人物の例を
(巨人ですね、その人は間違いなく)提示していただけますか?
直ぐにでも、そういった方の著作を読みたいと思います。
それとも、そのつるし上げた側の方々も、丸山の『口ばっかりの』
>体質を含めてかぎ分け
た、だけで終わったのでしょうか? もし越えれなかったのなら、
そのつるし上げたが側の運動家たちも
>言葉以前の、暗記と訓古、師の影踏まずの朱子学の性根
を遵守したということにならないでしょうか?

>自分を変える、自由な個人とするべく、せめて身近な者だけでも変える。・・試行錯誤の一生仕事・・は、首から下の変革も含めて・・。

完全に同意します。

朝空k さん。ここでの議論でも僕はいっこうに構いませんが、kojitakenさんもご親切で、議論をよろこんでくださっている様なので・・。

僕のブログに移動しても良いかなとも思っています。

それでは、失礼いたします。

2006.12.16 04:14 URL | 建つ三介 #- [ 編集 ]

       脱亜論

 我が日本の国土は亜細亜の東辺にありといえども、その国民の精神は、すでに亜細亜の固陋(ころう)を脱して、西洋の文明に移りたり。しかるにここに不幸なるは、近隣に国あり、一を支邦といい、一を朝鮮という。
 この二国の者共は、一身に就き、また一国に関して、改進の道を知らず、交通至便の世の中に


2006.12.16 07:12 URL | 朝空k #- [ 編集 ]

  文明の事物を見聞せざるにあらざれども、耳目の聞見は以って心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々とするの情は、百千年のいにしえに異ならず。
 さればはかりごとを為すに、わが国は隣国の開明を待って共に亜細亜を興すの猶予あるべからず。むしろこの伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、この支邦朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従いて処分すべきのみ。
 悪友を親しむ者は、共に悪名を免がるべからず。われは心において亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

2006.12.16 07:23 URL | 朝空k #- [ 編集 ]

(相変わらず「編集」を使えないのは困りものだ。)

 以上が万札の言ったことだ。首から下を含む魂で読めば、どこかの大統領や首相やらと同じお節介。見たくなくても見えてくる。その意味で先見の人物だった。
 説教好きがやがてやり出すのは「まだ俺の言うことがわからねえのか」の握りこぶしは世の常。
 丸山を超える者はわんさといる。知識だけは肥大化したうんちくオヤジ達。
 全共闘が過去の左翼と違ったのは、「俺達だけは分かっている」のエリート臭をどぶに捨てたことだ。言葉のブランド好きには永遠に見えんだろうし、見られる理由もない。 他人に見せびらかすのではない、自分のために、時には生活保護以下の人生も黙って送る人間もいること程度は、想像してもよかろう。
 

2006.12.16 07:50 URL | 朝空k #- [ 編集 ]

朝空kさん、
「編集」は、最初にコメント記事を投稿する時に、パスワードを設定しておけば、編集が可能になると思いますので、よろしくお願いします。

2006.12.16 07:52 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

kojitaken さん、朝空kさん、
こんにちは。

kojitaken さんは良いお客さんを持っていますね。僕の「書生っぽい』議論に付き合ってくれるなんて。うちはまだまだ知名度が低いもので、『論争して下さる人』が稀です。羨ましい。
前にミニーさん(カナダde日本語『藤田東吾氏からのメール』)に、明治以降の政治思想史的な議論ウンヌンって書いたばっかりで・・。
そうですか、もう少し先かなって思ってましたが、期せずして、有難い事に、論客現るですね~。

オマケに、丸山も入ってくるとは、野党共闘が何故滞っているかのヒントもつかめそうで、広くご意見を募りたいですね。この点も。

朝空kさんには、ぜひ丸山を越えた方々の紹介を、ブログ開いて、展開していただきたいです。
こんな(そちらにせよ、こちらにせよ)コメント欄に掲げるにはもったいないですから。

丸山については『日本の思想』(宮崎哲也氏はこの本を挙げながら、昔の岩波新書は凄い論客が書いてたなんて言ってましたが、藤田省三はこの本の頃から、丸山はダメになって行ったと言ってました)程度しか読んでないんですよ。『戦中戦後』も持っていますし、『異端論断章』(藤田の報告に基づいて丸山らとの議論が入ってます)もあるんですが、かなり難解で、読み込む機会もなくて・・。
これをキッカケに理解を深める良い機会になったと喜んでいます。です。

出来れば、うちのブログの方が(文字サイズも大きくて見易いので)良いので、近いうちに、これまでの議論をエントリーに掲げてみたいと思いますが、如何でしょう。

では、今後ともよろしくです。

2006.12.16 11:53 URL | 建つ三介 #- [ 編集 ]

福沢諭吉の「学問ノススメ」の巻頭言「天は人の上に人をつくらず、人の下に人を作らずと言へり」についてですが、東北史学の諸氏から、この台詞を福沢に伝えた秋田男爵家が安倍貞任の子孫であり、福沢の巻頭言は秋田家の伝承にある貞任の台詞「人の上に人を作るも、人の下に人をつくるも、これ人なり」を不確実に伝えたものだろうと指摘されています。(ただし、秋田男爵家が貞任の末裔だと言うのは意識の系譜であり、事実そうであるかどうかの証拠はありません。)
学問のススメの巻頭言ですが、福沢はこの言葉の本来の意味を考察しないまま、実学を重視する自身の立場を正当化するのに利用してしまったのだろうと思われます。
このことは、我が国における「実学の浅はかさ」をよく象徴していると私には思えます。
実学であること、役にたつものであることは、実はそれが真の知識ではないかもしれないことでもあります。有用さで学問を判断するのではなく、「有用さ」そのものを批判してこそ学問です。ところが実学は実学であるが故にそれを初めから放棄しています。
「有用さ」の判定はまさに権力に他なりません。有用さと言う観念自体がその時々の権威と権力を志向しているのです。
ですから、実学の雄たる慶応大学が御用学者を輩出しがちなのは少しも不思議なことではありません。要するに「慶応は建学に遡って、その程度のところなのだ」と言うことです。
ただ、慶応大学にも高く評価できるところがあります。慶応大学は、大学入試で蝦夷史を積極的にとりあげ、受験生に対して日本観・日本人観の脱構築を迫っていることがしばしばあるのです。
学長の鳥居氏が歴史や文化についてはクルクルパーも同然であることを考えれば、慶応にも気骨の学者は大勢いるのだと言ってよいと思います。

2006.12.17 01:15 URL | sonic #GCA3nAmE [ 編集 ]

 神といい 仏というも世の中の 
        人の心のほかのものかは

               実朝

 「俘囚」の長の言葉も、構造的には権力の真っ只中にいた者の上記の歌も、切実な人生の中から出たものだろうと思う。この種の、その人自身の生き方(感性)と分かち難く結びついた知性を信じたい。
 私は教養として福沢を学んだことはない。善さを感じるところがあって子供に買ってやった彼の伝記(漫画)と、自分の住む田舎の歴史を頼まれ仕事でほじった時に、どうしても調べざるを得ず、調べたぐらいのものだ。
 後者について若干触れると、明治維新期の人の感性は「中央」からの知識の垂れ流しで動かされたのではないと感じるところがあり、それで当時の時代の意識(雰囲気)を伝える「学問のすすめ」などに触ってみた。調べた所で感じたのは、寺子屋的な知識に根ざした私の地方の田舎者達は「おう、そうだ。おらもそう思う」。この種の感覚で読んでいたと見られる点だ。
 彼らの一部はその後、実学的な発想に基づく社会作りの者達と、急進的な自由民権へと分かれて行った。前者についても言えるのは、彼らも純粋に自分の住む地域の発展を願っていたことだ。国家が、中央集権の人材吸い上げのために中学作りを進めた時も、この種の意識に根ざした自由と民権の発想で、学校作りや誘致をしていたのだ。何も知らぬ田舎者のお人善しといえば、それまでだが。
 国家の言葉の二重性(二枚舌)にいち早く勘付いた田舎者達は、後者として「明治10年代」中~後半の急進的民権運動へ、そして露骨になった弾圧の中、明治中~後期の社会主義へ、さらには共産主義へと進んで(追いやられて)行ったと感じている。
 この種の流れを感じるに付け、田舎出のお上りが中央でコネをつけ、「俺達だけは知っている」のスタンスで国策とつるんで精神・物質両面で利を得る。私自身、それへの嫌悪を更に強めたことは事実だ。
 遅れていようが馬鹿だろうが、自前の感性の上に知識を重ねる者を信じる。

2006.12.18 14:23 URL | 朝空k #- [ 編集 ]

追伸

 我田引水的な話で、人のブログスペースをこれ以上荒らすことはしない。

2006.12.18 14:32 URL | 朝空k #- [ 編集 ]

>遅れていようが馬鹿だろうが、自前の感性の上に知識を重ねる者を信じる

今晩は、朝空さん。僕もこの意見に賛成です。
だから、色んなことを色んな人にさらして書いています。
ぜひお立ち寄りくださいね。

ではさようなら。

2006.12.18 20:14 URL | 建つ三介 #- [ 編集 ]













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