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きまぐれな日々

1988年(昭和63年)12月7日に、本島等・元長崎市長が「天皇に戦争責任はあると思う」と発言した件を取り上げた記事『「言論の自由」その1?本島等さんの勇気』に、奈央さんからとても印象的なコメントをいただいた。

(前略)
あの自粛というものがあった年、子供の目から見ても異様で奇妙な日常でした。
花火や屋台のない運動会、テレビでの昭和天皇の状態を示す脈拍や血圧テロップ、悪化すると突然に特別番組に差し変わる。
まるでどこでも何も差し障りがないようにしていたような奇妙さがあったように思います。
本島市長の率直で正直な発言に触れて、私はとても勇気のいることだったと思わずにいられません。
私たちの国には、天皇制や天皇の戦争責任についてもっと安全でオープンに話し合える、語れる場所が必要ですというかほしいと思います。
天皇さんは神様なんかではありません。
神様の目から見れば私たちと変わらない人間であり、私たちと同じ弱い人間なのです。
彼は、責任をとり天皇制を廃止し退位すべきだったと思います。
そうしていたら、日本も隣国との関係がもう少しスムーズにいっていたのではないだろうかと思います。

このコメントを読んで、1988年(昭和63年)から1989年(昭和64年・平成元年)にかけてのことを思い出した。昭和天皇が亡くなった直後に発行された「週刊朝日」緊急増刊・1989年1月25日号「昭和逝く」と「朝日ジャーナル」緊急増刊・1989年1月25日号「天皇と日本人」を引っ張り出して、記事を読み直してみた。ともに、昭和天皇の生前に大部分が編集されていたことがよくわかる誌面になっている。両方とも、18年の歳月を経て、紙が黄ばんでおり、コメントを寄せている識者のうち、かなりの人たちがこの世を去っている。

この当時の「自粛」の異様さをよく伝えているのが、上記「週刊朝日」増刊号に転載された芸能評論家の桑原稲敏さんのコメント(初出は「創」 1988年12月号)である。これを下記に示す。

●桑原稲敏(芸能評論家)

 過度の自粛は、他愛もない歌謡曲のタイトルや歌詞、CMのコピーにまで及んでいる。たとえば、坂本冬美のヒット曲「祝い酒」は、その曲名が問題になった。地方公演のキャンセルが続発し、テレビでも歌うことを禁じられる。坂本は仕方なくデビュー曲の「あばれ太鼓」を歌っているが、これも一番を外している。一番の歌詞に「どうせ死ぬときゃ 裸じゃないか……」という言葉が入っているからである。また、瀬川瑛子の「憂き世川」と門脇睦男の「祝い船」も、タイトルが"問題"として自粛を求められている。そして一部のテレビ・ラジオ局は、村上幸子の「不如帰」を締め出した。歌詞の中に「泣いて血を吐くほととぎす……」という一節があるからといわれる。このような自粛は、いずれも局側の正式な通達ではない。現場の責任者なりスタッフが個々の判断で規制しているが、その判定基準は曖昧だ。
(「創」 1988年12月号より)

当時、長崎市長だった本島等さんは、こんな空気の中で勇気ある発言をされたのである。
本島等さん自身の当時のコメントは、今とほとんど変わらない。下記は、前述の「週刊朝日」増刊号からの転載だが、初出は「朝日ジャーナル」 1989年1月13日号である。

●本島等(長崎市長)

 天皇に戦争責任があると思う。(1988年12月7日、定例市議会で)
 私が言ったのは、わずか13文字ですよ。それが騒がれるのは、マスコミが私を予言者みたいに扱ったせいです。過剰報道、天皇美化をやっているマスコミは、(戦争責任という)タブーをなんとかしなければ自分たちが将来批判されると思っていた。そんな空気が充満しているところに、私が突っ込んだものだからとびついてきた。13文字発言は、私の周辺では多数の人々の常識です。
 あの戦争全体が、結論的には侵略戦争だったといわざるをえないと、私は思っていますね。陸軍の、はね上がりっていうんですか、こちらから始めたんですもんね。天皇もいろいろな報告を受けて戦争の全体を一番詳しく知っていたわけですね。
 いつの時代にも人を殺す、あるいは略奪するということを、「当時は仕方なかった」とわれわれが受け止めるわけにはいかないと思う。やっぱりそれは悪いことであったと言わなければ、われわれの現在持っている道徳が、生きないですもんね。神の前で答えができないものね。
(「朝日ジャーナル」 1989年1月13日号より=肩書きは当時)

本島さんの言葉は、今なお新鮮さを失っていない。

私自身はもちろん、昭和天皇には重大な戦争責任があったと思っている。ただ、よく思うことは、もし自分が昭和天皇だったら同じような行動をとってしまっただろう、ということだ。
その意味で、奈央さんが書かれた、「天皇さんは神様なんかではありません。神様の目から見れば私たちと変わらない人間であり、私たちと同じ弱い人間なのです」という言葉に、私は強く共感する。

現在の天皇は、よく知られているように平和を愛好される方である。その天皇の父である昭和天皇については、諸説はあるが、おそらく内心は戦争には反対であったのだと思う。今年7月20日に日本経済新聞がスクープした「富田メモ」に書かれている、A級戦犯の合祀以来、靖国神社への参拝をやめたことについて、「それが私の心だ」と発言したというのは、おそらく昭和天皇の本心から出たものであろう。

しかし、そのことと戦争責任の有無は全く別の話だ。本島元長崎市長が指摘されるように、昭和天皇に重大な戦争責任があったことは、疑う余地がない。自分が同じ立場だったら同じ行動をとってしまっただろうとは思うが、それは、私自身がいつでも戦争犯罪人になりうる人間だということを意味しているに過ぎない。

昭和天皇の戦争責任を不問に付してしまったところに、戦後日本の大きな問題の一つがあったと私は思う。

しかし、最近思うのだが、現在の右翼たちに、天皇を何とも思わない人たちが増えているのに驚かされる。
今年7月20日に、日経新聞が「富田メモ」をスクープした時、多くのネットウヨが昭和天皇を罵倒したことは記憶に新しいが、天皇を何とも思わないのは、何もネットウヨたちに限らない。

たとえば、米田建三という自民党の政治家がいるが、この男が酒に酔った勢いで、「昭和天皇は臆病者」と発言をしたと、10月26日号の「週刊新潮」が報じている。
以下、「米田建三 - Wikipedia」から引用する。

週刊新潮06年10月26日号に、「米田建三『昭和天皇は臆病者』」と言った見出しで、酒の席で寄った勢いで戦前であれば不敬罪に問われるような天皇ならびに皇室を侮辱し自らがそれに代わる資格あり、と簒奪を宣言したとの発言があったと國民新聞が報じたとの記事が掲載された。
(「米田建三 - Wikipedia」より)

ところで、またまた山谷えり子・内閣総理大臣補佐官の話を持ち出すが、この山谷は米田をたいそう慕っているそうだ。
以下、「山谷えり子 - Wikipedia」より引用する。

元衆議院議員の米田建三を「よねけん兄さん」と呼んで慕っており、2007年の参議院選挙に出馬予定の米田を全面的に支援すると表明している。
(「山谷えり子 - Wikipedia」より)

また、安倍晋三首相も、官房長官時代の今年8月29日、自民党本部で開かれた「米田建三山梨後援会設立準備会」で米田を激励している。

こんな人たちが作ろうとしている「美しい国」って一体何だろうと思わずにはいられない。

ところで、ここで山谷えり子の傑作な略歴を紹介しておこう。これも、「山谷えり子 - Wikipedia」から引用する。

都立駒場高校?聖心女子大学文学部心理学科を卒業、出版社に入社、のち渡米。帰国後は日本テレビ「テレビ3面記事 ウィークエンダー」のレポーター、 1985年3月サンケイリビング新聞の編集長(奥様編集長)、政府広報番組のキャスターなどを経験する。
(「山谷えり子 - Wikipedia」より)

若い方は「ウィークエンダー」をご存知ないかもしれないが、上記リンク先の記述をよく読んでほしい(笑)。

山谷えり子は、「教育再生担当・教育再生会議担当室事務局長兼任」の内閣総理大臣補佐官なのである。

山谷の話題なんかで記事を締めくくったら気分が悪いので、最後に、「週刊朝日」の1989年1月25日増刊号「昭和逝く」に掲載されている赤尾敏のコメントを引用する。初出は「週刊ポスト」 1988年11月21日号である。

●赤尾敏(大日本愛国党総裁)

 同じように陛下のご健康を心配しているのに、竹下だとか自民党幹部だとか、財界人だとかが坂下門を車に乗って入って行くんだ。それで中で記帳して、一般庶民は覆いの外だ。どうして差別するのか。けしからん! あいつらだけが偉いのか。
 庶民を中に入れんで、ろくでもないダラ幹ばかり中へ入れて。社会党の土井たか子も入って行ったんだ。なのに俺は入れんというんだろ。
 こういう差別はしちゃいかん。これは天皇のご意思を損ねるものだ。むしろ中で受け付けたらいい。そしたら庶民も宮城の中へ入れる。二重橋の中へ。なお喜ぶ。人が増える。それが天皇の力なんだ。
 俺、この間、皇居へ行った時、おじいちゃんやおばあちゃん、二重橋前の砂利の上に座って、手を合わせて拝んでいるんだよ。黙って見ていたら、泣いてるおじいちゃん、おばあちゃんが。
 家では子供たちが親に楯ついている。天皇陛下が年取って病気であるのに「天ちゃん」なんていってるんだから、そんなことを思い出して泣いてるんだと思うんだ。僕も拝みながら、自分がそんな目にあってるもんだから何となく泣けてきたよ。
(「週刊ポスト」 1988年11月21日号より)

もちろん、私には当時、赤尾敏と同じような感情は持てなかった。
でも、同じ右翼でも、天皇をも恐れない安倍晋三の取り巻きたちとは、なんという違いだろう。
昔の右翼には風格があった。庶民の心情を慮る心があった。安倍晋三やその取り巻きたちには、そんなものはない。

「昭和は遠くなりにけり」である。


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最近の右翼の世界では、赤尾先生のような方は右翼ではないことになっているそうですよ。
でも、外国のカルト教団に支えられた連中は右翼なんだそうです。訳が分かりませんね。
私たちの国にはもう私たちが知っている右翼なんていないのかもしれません。
以前から私のようなものには(赤尾先生のような明快な方を除けば)右翼とヤクザの区別がつきませんでしたので、メチャクチャな連中が更にメチャクチャになってしまったんだろうと感じています。

2006.12.02 19:38 URL | 元道 #GCA3nAmE [ 編集 ]

こんばんわ!
kojitaken様、
山谷えり子→なんだかなぁ、・・・・・
普通は、お殿様は○○でも、家老・大老の周りに良い人材を配置するものですが、アベシ政権は本人は勿論○○で、アッチも、コッチも、どっちを向いても○○ばっかりだ。
早く、政権潰れてくれよと思う。・・・
では、また、・・・・・

2006.12.02 20:52 URL | とらちゃん #- [ 編集 ]

Kojitakenさん、
赤尾敏氏のことばに、思いやりのあふれる人間的温かさを感じました。今の右翼には、こういった人情を重んじる人はいなくなってしまったかもしれませんね。

それにしても、kojitakenさんの『きまぐれな日々』には、貴重な昔の記事からの引用が次から次へと出てくるのには、感心します。ドラえもんの「なんでもポケット」でも持っているのでしょうか(笑)。

2006.12.03 05:18 URL | 美爾依 #- [ 編集 ]

美繭依さん、本当にそうですね。kojitakenさんは過去の資料とかから、的確な引用をされて、私などと違ってうろ覚えのあいまいなことなど絶対に書かれません。すごいなぁ、と感心します。
本島さんの当時の発言を聞いたとき「さすがに被爆都市長崎の市長だ。平和を作っていくのには、過去の反省や昭和天皇の戦争責任問題を考えなければいけない、と思っておられる。」と心強く思ったものでした。
万人に受け入れられる発言だと思ったのに、襲撃された時は、ショックでした。
天皇の戦争責任、旧日本軍のメンバーが戦後の自衛隊の中に残ったこと、731部隊の医師たちが製薬会社設立に関与したこと、治安維持法のもとで市民を弾圧してきた特高、司法関係者も処分されなく戦後また復職できたこと、など戦争責任をあいまいにし、戦後処理をきちんとしてこなかった(もちろんGHQの方針でもあった)ことが、今、また戦前、戦中を懐かしむような政治家がゾンビのようにぞろぞろ出てきて、大手を振っているのでしょう。

2006.12.03 09:28 URL | 非戦 #tRWV4pAU [ 編集 ]

>今、また戦前、戦中を懐かしむような政治家がゾンビのようにぞろぞろ出てきて、大手を振っているのでしょう

彼らの日本のイメージって昭和恐慌以後の「おかしくなってしまった日本」なんですよねぇ。
マッカーサーが日本を占領している時、彼が念頭に置いていたのは「昭和恐慌以前の日本」「大正デモクラシー」の日本であって、決して「新しい日本」をつくろうとしたわけじゃない。
原敬の出現によって、日本は自力で言論による政治を自力で実現していたし、それ以前から言うべきことをガツンと言う人はガツンと言っていた。
憲法上は天皇の輔弼機関とされていても、そんなことお構い無しにガンガンやってましたね。
庶民だって、ストやら暴動やらしょっちゅうやってました。大相撲の力士すらストで怒りをぶちまけたことがある。
大日本帝国が実は今よりもずっと言いたいことを言えた社会だったことがあるってことは、右翼も左翼もごまかしていますね。
アベシンゾーとその取り巻きたちの日本観・日本人観はあらぬ思い込みを前提にしていると感じています。そしてこの国を更にあらぬ方向にもっていこうとしている。
そうとしか思えない。

2006.12.03 09:42 URL | 元道 #GCA3nAmE [ 編集 ]

 初めまして。
 国旗掲揚・国歌斉唱について「無理強いは良くない」との発言があった時も、今上天皇へのバッシングは国家主義者やその周辺の劣化ウヨによって炎上しましたね。「そんな事を言う天皇ならいらない」と彼らの本音がやたら飛び交ってました。
 彼らと彼らの支持する与党政権にとっては、皇室も、国旗や国歌や国民の従順化と同じ「国体護持」の為のツールに過ぎないのだろうなと実感させられる場面でした。飼い慣らされた国民が国家に都合の良い天皇をひたすら有り難がるというのが、理想的な天皇制なのだろうと。
 都合の悪い天皇はいらなくとも、先日の週刊新潮記事には実に嬉しそうに飛びついて、ここぞとばかりに普段は聞いてもらえない、「日本は天皇の国」などというこれまた天皇制以前のトンデモを吼え立てる訳ですが(笑)。

2006.12.03 10:33 URL | #TbuDPM6. [ 編集 ]

こんにちは。kojitakenさん、お久しぶりです。今回の記事を拝読して、そうか、あれから18年も経ったのか、と思わず呟いてしまいました。あの朝、つまりは昭和天皇が亡くなった朝、私は父に電話したことを覚えております。そのことを思い出し、コメントさせていただきました。
その朝、戦争に行った経験のある父に、天皇についてのそれなりの感慨があるのではないかと思ったからです。たまたま父は、その日はまだテレビをつけていないということだったので、私が天皇の死を伝えたのです。父は電話口でだまって聞いていましたが、ただ一言こういいました。「それはお気の毒じゃな。じゃけんど、わしにはあまり関係ないことじゃけえ。もう仕事に行くで。電話、切るで。ほな」。
 その父が存命中に上京したことがあります。私が「靖国神社に行ってみますか(父の弟が戦死しています)」と訊くと、「いんや、あんなところに次郎(弟の名))や戦友はおりゃあせんで。みんな、自分の家の仏壇や墓で静かに眠とるがのう。わしゃ、ああいうところには行きとうないけえ。東京のざるそばでもごちそうしてくくれればええで」と、広島弁できっぱりと断りました。きっと赤紙一枚でかり出され、無惨な死を遂げた弟や戦友のことを思んばかってのことでしょう。
 その父も二年前に死にました。享年84歳でしたが、父は戦時中、中国の戦線で所属部隊が全滅という悲劇に遭遇しています。部隊に攻撃命令が発令されたとき、部隊長命の用事で同僚と二人、部隊に残されました。ところが、馬賊討伐に出陣した部隊(およそ50名)は全滅、残っていた二人だけが助かったのです。まさか、といった悲劇でした。以来、父は酒を断ち、宴席などでの乾杯時にただ口をつけるだけに徹しました。なぜ飲まないといわれても、酒に弱いからというだけで、戦争の話は絶対に持ち出さなかったそうです。祖母に訊いたところ、戦地に向かう前はかなりの酒豪で、その父が酒を断つということは祖母をして驚かされたということでした。
 父が死ぬ前に、何とか戦争の話を聞こうとしたのですが、父はとうとう、多くを語らず逝ってってしまいました。父の死後、軍隊で撮ったと思われる写真が数枚あることを知りました。機関銃部隊にいたということですが、機関銃の前で腹這いになっているもの、何人かの戦友と写ったもの(いずれも戦地中国でのものと思われる)だけでしたが、写真の父はいずれもにこやかに笑っていました。父のような戦争体験者もまた、多くいらっしゃることでしょう。

2006.12.03 16:03 URL | y.-Danura #- [ 編集 ]

この頃、「うちの雅子が…」と言って窮状を訴えた皇太子には共感するものがあった。妃の「病気」は確か「適応障害」だったが、本当は何が、どちらが適応障害なのだろうか。ちなみに弟夫婦は、皇太子とは対極なのだろう。
 天皇家を崇め、天皇家を讃えるが、歴史的に世の権力者ほど生身の彼らをないがしろにした者達はいなかったー。敗戦間もなく、そう言った者がいたが、それは今も変わっていない。欲しいのは精神的要素を含めた構造なのであって、人ではない。真っ当な感性ならば、能面のような者達に囲まれ叫び出したくなるのは、当然なのだ。
 だが国民の多くもマスコミも、内心気付いていながら沈黙したと感じている。気付いていればこそ、沈黙するのだろう。そして「男系」の神輿には、無批判に集まる。
 形を作ればおずおず付いてくる。百余年前の「教育勅語」の製作者らの胸の内も、基本法なるものの「改正」をめざす者達の腹の中も一緒だろう。
 ヒトよりもカタチ。仏造って魂入れず。この価値転倒から解放されるのは、仕組みの内側だろうが外側―強要される側だろうが変わらないはずだ。

2006.12.03 17:40 URL | 朝空 #- [ 編集 ]

>この頃、「うちの雅子が…」と言って窮状を訴えた皇太子には共感するものがあった。

私も恋女房を庇う立派な態度だと思いました。
皇太子とか皇族とかそんな地位や権威の話ではなく、一人の男として正しいと思いました。でも最近の右翼の方々はああいうのはお嫌いなようです。
私は少年の頃はアメリカのような共和制がかっこいいと思っていましたが、中年になるとヨーロッパのような民主的な君主制が良いのではないか思えるようになっています。
徳仁皇太子が天皇になったら、自分の感じたとおりに思う存分語って欲しいと願っているのです。
きっと痛快に違いありません。

2006.12.03 22:01 URL | 元道 #GCA3nAmE [ 編集 ]

米田建三と言う奴は、ほんと自民党らしい下劣な奴ですね。靖国に参拝しないことは、日本国にとっても皇室にとっても優れた決断だったのは明らかなのに。
今の天皇の米長への発言といい、日本は国民で選ばれた政治家より、世襲君主の方が開明的という喜劇のような状況です。
同じ世襲でも馬鹿安倍とは全く違った人間性になるところが不思議です。

2006.12.05 08:57 URL | ブルージャスティス #cRy4jAvc [ 編集 ]

皆さま

数多くのコメントをいただき、どうもありがとうございました。
この記事へのコメントは、印象深いものばかりでした。そのうちのいくつかは、12月5日付の記事で紹介させていただきましたが、それ以外のコメントも負けず劣らず素晴らしい文章ばかりだと思います。
こうした声の集積が、「AbEnd」の達成につながれば良いな、と思います。

2006.12.06 20:40 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]













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神戸地裁判決についての各紙社説
弁護士fujita的日々 @京都より借用 朝日新聞2006/12/02(土)付

2006.12.02 19:39 | 大津留公彦のブログ2

おめでとう!(中国「残留孤児」神戸訴訟勝訴)
心配そうな原告達 勝った~! 歴史的判決だ。 コメントごと弁護士fujita的

2006.12.02 19:43 | 大津留公彦のブログ2

安倍内閣へ突きつけた強力パンチ
前の記事神戸地裁判決についての各紙社説と前の前の記事おめでとう!(中国「残留孤児

2006.12.03 19:57 | 大津留公彦のブログ2

ワイルドスワンは?
前に書いた在福岡中国総領事の話を書いた記事がオーマイニュースの記事になった。 「

2006.12.21 19:27 | 大津留公彦のブログ2