こんなマスコミなんかに世論を誘導されてはたまったものではない、と思ったのが、私が政治ブログを開設するきっかけの一つになった。
ところで、私がもっとも信頼しているジャーナリストの一人が、魚住昭さんである。魚住さんについては、当ブログで何度も取り上げた。
私は読売新聞のナベツネこと渡邉恒雄会長が大嫌いである。それは、私が大のアンチジャイアンツであることに起因しているが、魚住さんは、「渡邉恒雄・メディアと権力」(講談社, 2000年)という本を書いた。この本は、ジャイアンツの金権補強がついに功を奏し、マスコミが待望していた「ON対決」の日本シリーズで、長島ジャイアンツが王ホークスを下した2000年に出版された。ナベツネの本性をあますところなく描いた名著である。この日本シリーズでジャイアンツが優勝を決めた日、私は魚住さんのこの本を最初から最後まで読み返し、「今に見ておれ、ナベツネめ」という思いを新たにしたものだ(笑)。今没落しているジャイアンツを見るにつけ、安倍自民党も同じ末路をたどるだろう、いやたどらせてみせるなどと思う今日この頃だ。
私が魚住さんにもっとも感心するのは、思考の柔軟さだ。自分が間違っていると思ったら、過去の自著を否定することも厭わない。たとえば、魚住さんには「特捜検察」(岩波新書、1997年)という、特捜検察を称揚した著書があるが、この本を出版した4年後には「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)を出版し、一転して特捜検察の暗部を暴いた。中道左派といえるスタンスも私と近く、共感を持って著書を読むことができる。
少し古いソースだが、その魚住さんが、「サイゾー」2005年11月号で、元「噂の真相」編集長の岡留康則さんと対談している。これは、「サイゾー」2006年10月号別冊「噂の闘論外伝 岡留安則 vs 12人の論客」に収録されている。この対談は、『"クリーンなタカ派" 安倍晋三をめぐる「NHK番組改編事件」の闇』と題されており(本シリーズの「その2」でも書いたように、安倍は「クリーンなタカ派」どころか「真っ黒な極右」だと私は考えているが)、この本論についてもいずれ当ブログで取り上げるつもりだ。しかし、「言論の自由」シリーズの最終回の今回は、「大マスコミが小泉の新自由主義を支持する理由」について二人が語っている部分を取り上げる。なお、「小泉の」となっているのは、対談が小泉政権時におこなわれたものだからである。
以下に対談記事を引用するが、引用部分の直前で、二人は2004年に「週刊文春」に掲載された田中真紀子氏の長女のプライバシーに関する記事について、田中氏の長女から雑誌の販売停止を求める仮処分が申請された件(東京地裁は同処分を認めたが、東京高裁がこれを取り消した)について論争している。岡留さんは「言論の自由」の観点から文春を擁護し、魚住さんは販売停止処分の取り消しは肯定しながらも、プライバシーを侵害した文春を批判している。以下の引用部分は、その論争に続く部分である。
大マスコミが小泉の新自由主義を支持する理由
岡留 ただ、今回「言論の自由」を声高に強く主張せざるを得ないのは、プライバシー権というのが、権力者にとって、一番都合のいい言葉になりつつある時代だからです。公明党が名誉毀損損害賠償の高額化に力を入れたり、憲法にプライバシー条項を入れようと躍起になっているのは、究極的には池田大作を守るためでしょう。でも、巨大宗教のドンてすらプライバシーは現行法で十分守られているし、裁判を通じて名誉回復だってできる。今、日本がどんどん新自由主義化しているなかで、そういう権力者についてのプライバシーは書いてはいけないという規制が強まっているのは、強者が保護される階級社会の固定化を狙っているとしか思えない。しかも、プライバシー権の保護を個人情報保護法と絡めたら、官報の役回りを果たす新聞は生き残れても、週刊誌などは生き残れませんよ。エロ系とかの社会的認知度の低い出版社では、既に発禁処分を受けているところもありますが、今回はそれがとうとう大手出版社の発行する週刊誌にまで波及したか、というショックを受けました。
魚住 そういう意味では、あの件で高裁が販売停止の仮処分をひっくり返したことはよかったと思います。その点についての危惧は、岡留さんたちと一緒ですから。一方で、メディア側がプライバシーを扱う時は慎重になるだろうし、慎重になるべきですよ。そうでなければ、一般の人は承服しないですよ。だって今、メディアの立場と、いわゆる普通の生活をしている人たちの立場って、すごくかけ離れているでしょう?
岡留 それは、おっしゃる通りです。
魚住 収入にしたって、ステータスにしたって、すごくかけ離れているし、しかもその溝は永久に埋まらないんじゃないかとすら思われているんだから。そこを無視した「表現の自由を守れ」論というのは、なんの効果もないと思うんです。第一、今のメディアって、反権力でもなんでもないんですよ。むしろ、全体状況としては、権力と一体化して、都合の悪い時だけ「表現の自由を守れ」と主張する。普段は権力と一体化しながら、都合の悪い時だけ「表現の自由」を持ち出していると、その理念は、一般には受け入れられなくなってしまいますよ。
岡留 それは個人情報保護法反対運動の時に、典型的に出ましたよね。あれだけメディアが大反対して運動としても一部では盛り上がったけど、一般の人たちからは、「メディアの連中は騒いでいるけど、普段やりすぎている面があるから、規制されてちょうどいいぐらいだ」と冷ややかに見られていた。それほどまでに、メディアと市民との感覚がズレている。
魚住 そこが一番の問題ですよ。結局、メディアの特権階層化というのが、ここ20?30年の間に一気に進んだんでしょうね。戦前のメディアは、戦時体制で統廃合されるまでは、弾圧されて潰れたり、経営不振に見舞われたりして、要するに、エリート層が就くような安定した職業ではなかったわけです。ところが、1940年代の新聞の統廃合で大手メディア5紙と地方紙、ブロック紙ができることによって、メディアが我が世の存を謳歌した。それがすべて悪いことだとは思いませんが、その体制が戦後ずっと続いたがゆえに、メディアというのが、きわめて安定した、しかも高収入の産業になっちゃったわけです。それで、「メディアというのは、市民と共に権力に対峙する機関である」として共有されていた意識が、今や全く失われてしまった。
岡留 基本的に、新聞社全体としては反テロのイラク戦争も郵政民営化をはじめとする行革にも賛成の論理ですからね。要するに、自分たちは官僚同様に勝ち組だから、いい方針、改革だと思っている。僕も、結構年収が高かったから(笑)、税金でン千万頃位で持っていかれる時には「高いよ」と思ったし、それが高額所得者に有利な税制になって払う税金が少なくなると言われれば、政府案に与したくもなる(笑)。もっとも、そうなる前に、高額所得者の座を自ら捨てましたけど。僕は反自民で、政権交代派ですから(笑)。
魚住 「俺はこんなに一生懸命働いていて、能力もあって、エリートなのに、高い税金を取られるのはなぜだろう?」という意識が芽生えてきたところに、新自由主義の思想が入り込んでくるんです。「それはね、貧乏で能力のない奴らが遊んでいて、足を引っ張ってるからだよ」と。だから、大手メディアの本音は、新自由主義に則った小泉構造改革に賛成なんですよ。しかも、彼らは常に高級官僚を取材していますから、考え方も上からの目線になる。僕は会社を辞めて4?5年して、初めてそのことがわかりましたからね。
岡留 気がつくのが遅いとしても、若手の記者に聞かせたい、いい話だなぁ(笑)。しかし、かつて政・官・財の三大権力にメディアを加えて四大権力と言われたけど、その頃はまだメディアが三大権力そのものをチェックする社会的機能や役回りがあった。しかし、今や完全にメディアを含めた四大権力が社会を支配する時代に入ってきた。怖い傾向ですね。
(「サイゾー」 2005年11月号掲載 岡留安則 vs 魚住昭 『"クリーンなタカ派" 安倍晋三をめぐる「NHK番組改編事件」の闇』より)
マスメディアが小泉、竹中、安倍らの新自由主義を支持する理由は、魚住さんが指摘される通りだろう。
マスメディアが権力と一体になってしまった現在、私たち一人一人が声をあげていくしかないのだと思う。
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kojitakenさんが、
「自民党は現在、「郵政造反組」の議員たちの復党を狙っているが、これが実現すれば、議席の二重取りの詐欺行為というしかない。こんなものに協力したマスコミの罪は、限りなく重い。」には、思わずそのとおりと思いました。血税を何百億円も使って。これじゃ、800兆の赤字になるのも当然です。それでもって、復党して議員全員で2億税金がもらえるのですよね。最悪です。
今朝の朝日。
教育基本法改正案が、衆議院で強行採決されてから、ずっと沈黙していたのに、
「与党、来週にも採決」という見出し記事で、
教育が『個』から『公』重視となり、国家管理色が強まる方向に転じることになる。
・・・教育行政に異議を唱えた教員側が『不当な支配』とみなされる可能性もある。
市民がそれだからこそ、反対しているのに、「教育基本法改正案成立へ」という
見出しと共に、やっとそんなことを書いてどうするの?初めて知った市民には、もう決まりそうだから、反対するのをあきらめなさい、なのかな。
こういうことこそ、どんどんわかりやすく連日書いてよ、というのが、「権力の監視役」を
新聞にのぞむ市民の声だったのに。
魚住さんと岡留さんの対談は、とてもわかりやすく、マスコミが新自由主義を支持する
理由を語り合っていますね。エリート意識の強い、高給取りの記者たちの実態は多少聞いています。それが本当だったのだな、コロンボは刑事だったけど、あんなぼろぼろ服とぼさぼさ頭の記者はいないですものね。
2006.11.29 10:51 URL | 非戦 #tRWV4pAU [ 編集 ]
「マスコミは第4の権力」と言うのは、戦後アメリカ政治学で言われ始め(戦前にもあった)、今では政治学では定番となっている意見です。
しかし、この「第4の権力」は、民主主義で選ばれ者ではありません。
そして、愚かしいことに、批判的に用いられたこの言葉を、「自らは第4の権力なり」とおごり高ぶっているのが、今のマスコミの姿でしょう。
お話のように、能力に比べて賃金が高く、体制に媚びていれば、場合によっては政治家にならせてもらうこともできる。マスコミがおのずと「新自由主義」に盲目的支持を与えるのも、論理的必然かもしれません。
それをどう打ち破るのか?難しいけれど考えて見ます。
2006.11.29 18:09 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]
非戦さん
いつもコメントありがとうございます。
朝日新聞もそうですが、在京キー局の社員はびっくりするほどの高給取りだそうです。
でも、悲しくなるほど志が低い。かつては、朝日新聞にも共同通信にも各テレビ局にも、反骨精神旺盛な人たちがたくさんいたと思うんですが。
1950年代後半以降に生まれた人たちあたりから、徐々に骨のあるジャーナリストたちが減ってきたように思います。そして、若い世代ほどダメな気がします。
もちろん、例外はたくさんいますけど。
2006.11.29 19:58 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]
眠り猫さん
コメントありがとうございます。
魚住さんの言われる『「俺はこんなに一生懸命働いていて、能力もあって、エリートなのに、高い税金を取られるのはなぜだろう?」という意識』というのは、まさに竹中平蔵の意識ですよね。
ジャーナリストがこんな特権意識を持っている、と魚住さんに指摘される現状は、本当に嘆かわしいものがあると思います。
ナベツネが「権力と一体になったジャーナリズムを追求している」と言ったと聞いて、そんなものに付き従うジャーナリストはそんなにいるまい、と思ったものですが、いまや「反政府的」と見られていた朝日新聞まで、権力と一体になっている、としか言いようのない紙面で、呆れています。
毎日新聞の紙面が他の全国紙より比較的マシなのは、経営状態が必ずしも思わしくないため、記者たちにハングリー精神が残っているからではないかと思います。
2006.11.29 20:06 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]
作家の森巣博が、マスコミをまともにするには給料を下げるしかないと言っているのだそうです。それで当然にも、ほとんど無給かむしろ持ち出しがあるようなインターネットでジャーナリスト精神が活発化しているわけですね。
2006.11.30 01:50 URL | ヤマボウシ #OulKM.Ac [ 編集 ]
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