きまぐれな日々

 今回から数回、「言論の自由」シリーズを書きたいと思う。但し、例によって中断をはさむことになるだろう(これまでも、未完結のシリーズがいくつかある)。

 かなり前から、元長崎市長の本島等さんのことをどうしても取り上げたいと思っていた。
 本島さんは、昭和天皇が病に倒れ、昭和という時代が終わろうとしていた1988年(昭和63年)、「天皇の戦争責任はあると思う」との、勇気ある発言をした人だ。

 当時、日本中であらゆる催し物が自粛された。Wikipediaの「昭和天皇」に書かれているように、テレビのバラエティは自粛され、プロ野球セ・リーグ優勝の中日ドラゴンズは、ビールかけも優勝パレードも行わず、「日本歌謡大賞」は中止、五木ひろしの結婚披露宴までもが中止となり、あげくの果てには井上陽水が出演していた日産自動車のセフィーロのCMで、「皆さんお元気ですか?」の音声までがカットされたのだ。

 「天皇陛下のご病気の快癒を祈って」、何でもかんでも自粛しなければならないという、わけのわからない空気ができていた。
 昭和天皇が病気で倒れるまでは、天皇の戦争責任の問題は結構マスコミでも議論になっていた。それが、天皇が病気に倒れるや、天皇の戦争責任について触れることがタブーになってしまった。

 そんなさなかの昭和63年(1988年)12月7日、長崎市議会で共産党議員の質問を受けた保守系の長崎市長・本島等さんは、「天皇の戦争責任はあると思う」と答弁したのだ。
 この、ごく当たり前の発言が、新聞の一面を飾る大ニュースになった。なぜって、多くの人が思っていながら、公の場で堂々とこんなことを言う人は誰もいなかったからだ。
 この「本島発言」をきっかけに、昭和天皇の戦争責任問題は、一転して活発に議論されるようになった。本島さんは「タブー」を破ったのである。

 当然ながら、右翼は本島さんをつけ狙ったが、厳重な警備態勢が敷かれたこともあって、この時は本島さんの身には何も起こらなかった。しかし、昭和天皇の没後1年以上が経過し、警備態勢が緩められた1990年(平成2年)1月、本島さんは右翼に銃撃された。本島さんは重傷を負ったが、幸いにも一命はとり止めた。

 『論座』の2006年11月号に、本島さんが当時のことについて書いているので、ここに一部を抜粋、紹介する。

「天皇の戦争責任はあると思う」
 1988年12月、私は長崎市議会でこう答弁した。問われたから、誠実に答えた。それだけのことだった。常識に反するかなとか、抗議が殺到するかなとか、そんなことはまったく考えなかった。
 しかし、私の発言に市議会各会派は猛反発し、取り消しを求める要求が出された。右翼団体は数十台の街宣車を連ねて市内を抗議パレードしたり、市庁舎や地元新聞社に抗議ビラを張ったりした。実弾入りの脅迫状が送られてきたこともあった。長崎県内の医師の犯行だった。
 身辺警護は警察官による24時間態勢に強化され、トイレにも複数の警察官が立っていた。家族は半ば恐怖状態に陥った。しかし私は撤回も、修正もしなかった。「天皇の戦争責任はあると思う」、良心に従って述べたこの13文字を、1字たりとも削ったり変えたりしたくなかった。それは、私の政治的な死を意味すると思ったからだ。
(中略)
1990年1月、私は右翼団体の構成員に、市役所正面玄関前で、公用事に乗り込もうとしたところを銃撃された。発射された銃弾は左胸部を貫通、全治1カ月の重傷を負った。

本島等「私を銃撃した相手に会いたい」(『論座』 2006年11月号掲載)より

 さて、本島さんは、ご自身が右翼のテロに遭遇した時と、今年8月、自民党の加藤紘一代議士の実家が放火された時を比較して、次のように書いておられる。

(本島さんへの銃撃)事件への社会の関心は非常に高く、全国各地で抗議集会が開かれ、参議院は「言論、政治活動の自由を暴力により封殺することは民主主義に対する挑戦であって断じて容認できない」とする「暴力行為の排除に関する決議」を全会一致で可決した。
 それに比べて、今回の加藤紘一議員の実家放火に対して、世論の反応は鈍い。
(中略)人は「刺激」に慣れていくものだ。親の子殺し、子の親殺しが頻発する現在の殺伐とした時世では、特にそうだろう。
 私は、言論の自由は、人間道徳の根幹だと考えている。しかし日本には果たして、言論の自由はあるのだろうか。あるいは、日本にある言論の自由は果たして本物なのだろうか。義理人情に阻まれて、本物の言論の自由はついぞ発揮されてこなかったのではないだろうか。
 私の天皇の戦争責任発言に対しても、「陛下が病床にある時に発言したことが許せない」という反応が少なからずあった。発言の内容ではなく、時期を云々する。ここに、日本人の「言論の自由」を守り抜くことに対する脆弱な姿勢が見え隠れしているように思う。現代に目を転じれば、小泉純一郎首相が8月15日に靖国神社参拝を断行したら、それまで否定的だったはずの世論が、容認に振れる。このような「とりあえず勝ち馬に乗っておく」といった風潮が広まっているのも、非常に怖いことだと思う。

本島等「私を銃撃した相手に会いたい」(『論座』 2006年11月号掲載)より

 本島さんが、「『とりあえず勝ち馬に乗っておく』といった風潮が広まっているのも、非常に怖いことだと思う」と仰っているのは、本当にその通りだと思う。

 今年の自民党総裁選で、安倍へ安倍へとなびいた自民党の議員たちも、みな勝ち馬に乗ろうとした。
 その、狂気に近いともいえる極右的な政策(それは右翼組織「日本会議」の思想を反映したものだ)を快く思わない議員も大勢いると思うのだが、彼らも声をあげない。

 それどころか、自由な立場でものをいえるはずのマスコミも、安倍批判を自粛している。そして、マスコミよりもっと自由に発言できるはずの一般市民、一般ブロガーまでもが、「触らぬ神に祟りなし」と言わんばかりに安倍政権への批判を自粛する空気があるように、私には思える。

 安倍政権は、そんな腰が引けた態度にこそつけ込んでくる。小泉純一郎も安倍晋三も、加藤紘一の実家へのテロに対して、しばらくの間コメントを発さなかった。彼らには、テロを肯定するとまでは言わないが、少なくともテロを黙認する体質がある。
だが、現時点ではまだ日本には、少なくとも建前上は「言論の自由」があるはずだ。勇気を持って声を上げ続ければ、困るのは政権の方なのだ。そんなこともわからないのだろうか。人と違うことをやるのを恐れてはいけない。

 一時の安穏のために、本島さんが「人間道徳の根幹だと考えて」おられる「言論の自由」を失う事態を招いてはいけないと、強く訴えたい。
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 本島市長らについて書いた『天皇の逝く国で』(みすず書房、1994)は、いい本だった。日系二世が著者だった。
 我々“土着”の日本人はいまだ、『菊と刀』のレベルの自己批評にすら達していないように思う。
 批評それ自体は、変革の力には結びつかない。土着の我々が第三者的スタンスでは、本当は駄目なのだ。だが自己批評の浅さは、社会や人間への見方の浅さとイコールであり、異議申し立てや変革のエネルギーの希薄さともイコールなのだろう。
 我々土着民は、自己体験を掘り下げ、自己体験から絞りだし、体当たりで書き続けるのが大事なのだと思う。

2006.11.26 13:23 URL | 朝空 #- [ 編集 ]

はじめまして!全国的にはどうなのかわかりませんが、関西の番組を見てますと安倍叩きすごいですよ。「ちちんぷいぷい」とか「ムーブ」とか。
年代的に本島等氏の現役時代は知らないんですが、反戦活動絡みで色々されているのはよく知っています。何年か前に「徹子の部屋」であまりにもとんでもない発言(武器を作っていたのは長崎市民だから原爆を落とされても仕方ないみたいな)をされていたので、それが興味を持った最初です。
言論の自由と被害者への配慮は分けて考えるべきだと思うし、それがその人の人柄や品位に現れると思います。

2006.11.27 23:54 URL | みずき #noLPitPI [ 編集 ]

朝空さん
コメントありがとうございます。
「天皇の逝く国で」は未読です。機会があれば読んでみたいと思います。
アドバイス、肝に銘じたいと思います。

2006.11.28 19:59 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

みずきさん
コメントありがとうございます。
本島等さんが「徹子の部屋」に出演したのは、2002年8月9日のことですが、みずきさんは重大な誤解をされていると思います。
もともとの本島さんの発言は以下の通りです。

「最初はアメリカに責任があると考えました。次は日本の15年間の中国からアメリカまでの侵略と加害のすさまじさね、これを知るたびにつくづく日本が悪ったと感じるようになりました。しかし今日の平和宣言は広島長崎の被害だけをいって、それから核兵器廃絶だけをいっていてはいけないんじゃないかと。私達は昭和20年の8月15日に過去の侵略加害の罪を切り捨てて、平和の人になって被害だけをいうのは日本にとっていいことではない。アジアを始めとして戦争に参加した人たちが、それだけでは日本を本気に信頼しないという結果が出てきたわけですから、そのことを考えていかなければ、長崎は被害者の多くの人が兵器工場に勤めていたわけですから、その兵器工場は日本で使われる魚雷の8割近くを作っていたわけですから、それが真珠湾攻撃のときにも使われていたということですから、我々は戦争というものを反省し、そういう国々に謝罪をし、謝罪よりも贖罪をしなければ、今後の日本というのは国々の間に信頼を作り上げる事はできないと、そういう風に思ってるわけです。」

これは、悪質な右翼ブログ「ぼやきくっくり」からの引用ですが、「ぼやきくっくり」は、この本島発言を、
「被爆者らが造った武器が「侵略戦争」に使われたのだから、原爆を落とされたのは天罰だ、と言わんばかり」
などと、わざと曲解して誹謗中傷しています。

しかし、本島さんの発言を素直に読むと、戦争の加害責任を明らかにしない日本人に、アメリカの戦争責任を問う資格はない、という、しごくまっとうな発言であるとしか読めません。

それを曲解して本島さんを誹謗中傷する「ぼやきくっくり」の管理人は、悪質なデマゴーグであると評するしかありません。

2006.11.28 20:06 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

本島さんの発言は、日本帝国主義に対する自己批判だと思います。彼は、自民党員で右翼とも懇意だったといわれているが、天皇責任発言以降、帝国主義に対する批判という立場に変わられているようです。
戦後長く第二次大戦に対するとらえかたは、
戦争被害者としての姿ばかりでしたが、日本帝国主義はアジアを侵略戦争に引きずりこんだ張本人だったわけで、そうした帝国主義の諸結果としてアメリカ帝国主義と対立し、原爆をぶちかまされる背景になったということでしょう。原爆詩人の詩に、「日の丸の赤は日本帝国主義が殺したアジア人民の血、日の丸の白は日本帝国主義が殺したアジア人民の骨」という詩がありますが、やはりアジア侵略の諸結果として原爆投下までいきついたのだという意味を私たちは受け止めるべきだと思いますね。本島さんは、その加害性をつく発言をなさりたいのでしょう。それから対米戦争の結果として、軍需産業の都市部に原爆投下をぶちかまされたのは、そもそも対米・対アジア戦争を支えた軍都として長崎や広島が存在していたということに由来しているのだといえます。したがって、戦後は戦争に協力しない意識が反戦運動に根付いたのではないでしょうか。

2006.11.28 22:11 URL | 日本国憲法擁護連合~法大OBのブ #YqzQT8Bs [ 編集 ]

ていねいなお返事ありがとうございます。これは私自身のスタンスですが、この種の場では意見というよりも、思いを表すことが大事と感じる者です。このため、会話体的な丁寧語では記述しなかった次第です。悪しからず。

2006.11.29 16:21 URL | 朝空 #- [ 編集 ]

日本国憲法擁護連合~法大OBのブログさん
コメントありがとうございます。
仰る内容に同意します。
88年の発言以来、本島さんは自らの立ち位置も変えられたように思います。
きっと、それまでは妥協されてこられたんでしょうね。仮面をかなぐり捨てて、自らを発揮されるようになったのだと推察しています。

2006.11.29 19:20 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

朝空さん
重ねてのコメントありがとうございます。
趣旨了解いたしました。
今後ともよろしくお願いします。

2006.11.29 19:23 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

はじめまして。
コメントをしようと思ったのですが、文章がなかなかまとまらず今になりました。
あの自粛というものがあった年、子供の目から見ても異様で奇妙な日常でした。
花火や屋台のない運動会、テレビでの昭和天皇の状態を示す脈拍や血圧テロップ、悪化すると突然に特別番組に差し変わる。
まるでどこでも何も差し障りがないようにしていたような奇妙さがあったように思います。
本島市長の率直で正直な発言に触れて、私はとても勇気のいることだったと思わずにいられません。
私たちの国には、天皇制や天皇の戦争責任についてもっと安全でオープンに話し合える、語れる場所が必要ですというかほしいと思います。
天皇さんは神様なんかではありません。
神様の目から見れば私たちと変わらない人間であり、私たちと同じ弱い人間なのです。
彼は、責任をとり天皇制を廃止し退位すべきだったと思います。
そうしていたら、日本も隣国との関係がもう少しスムーズにいっていたのではないだろうかと思います。

2006.11.30 13:51 URL | 奈央 #ore6EWMQ [ 編集 ]

こんにちは!ご丁寧なレスをいただきありがとうございました。
あれから探してみたんですが、「徹子の部屋」の原本はこれですよね。
読んでいて、そうそう、そうだったと思い出しました。
http://www.h2.dion.ne.jp/~kinki-bc/z14-8-8.htm
「ぼやきくっきり」というブログがどのように誹謗中傷したのか私は知りませんが、当時に感じた「武器を作っていたのは長崎市民だから原爆を落とされても仕方ないみたいな」という感想は、いま読んでも間違いないなと思いました。
個人の感じ方は人それぞれだから、お許し下さい。

2006.11.30 22:43 URL | みずき #noLPitPI [ 編集 ]

みずきさん、
重ねてのコメントと「徹子の部屋」の会話をテキスト化したサイトの紹介ありがとうございます。
原爆を落としたアメリカ政府の責任も、アジアで多くの人を殺した日本政府の責任も、同じように問われなければならない、というのが、本島元市長の言いたかったことではないかと、私は思います。
なお、私自身は、日本はアジア諸国に対する戦争責任は問われなければならないけれども、対アメリカについては、帝国主義国同士の戦争に過ぎず、その戦争責任は相殺される、つまりアメリカに対して戦争の責任を取る必要はなかった、対ソ連に至っては、ソ連の悪逆非道な戦争犯罪を厳しく追及しても良いくらいだった、と考えています。

2006.11.30 23:43 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

奈央さん
コメントありがとうございます。
返信の順番が逆になってすみません。たいへん印象的なコメントだったので、このあと公開する最新の記事で紹介させていただきたいと思います。

2006.12.01 20:22 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]













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