早ければ10日にも強行採決されるかとの観測もあった教育基本法改定の成否は、来週が山場になりそうだ。内閣府が、青森県八戸市で開かれた「教育改革タウンミーティング」で「やらせ質問」をしていたことが共産党に暴かれたこともあり、普通の神経の持ち主ならとてもでないが教育基本法改定の強行採決どころではないと思うのだが、安倍晋三は常識では推し量れない思考回路をお持ちのようだから、何をやり出しても不思議はない。どんなにスキャンダルが報道されてもなぜか厳しく追及されることのない安倍は、自分は何をやっても許されると勘違いしているのかもしれない。
そんなナルシストの安倍だが、それ以上にナルシスティックな人物といえば、誰しも前首相・小泉純一郎を思い浮かべるだろう。
小泉が安倍をエコヒイキしたからこそ安倍が首相になれたのだが、なぜ小泉が安倍を可愛がったかというと、安倍なら自分の思うがままにコントロールできると小泉が考えたからだろうと、私は想像している。
ところが、安倍の取り巻きは必ずしも小泉シンパではない。その代表格が、中西輝政である。中西は、リンクを張ったWikipediaでは、「親米保守」などと当たり障りのない記述で紹介されているが、実際のところは「核武装論」を唱える極右の産経文化人である。また、Wikipediaの記述にもあるように、カルト宗教とのかかわりが問題になったこともあり、安倍のブレーンにふさわしい人物と言える。
この中西は、東京新聞(中日新聞)や毎日新聞が報じている通り、安倍の「5人組」と言われているのだが(「5人組」には入っていないが、岡崎久彦も安倍のブレーンとして重要)、この「5人組」は、揃いも揃って極右思想の持ち主ばかりなのである。金曜日刊「安倍晋三の本性」(第1章第2項)にも、中西について記述がなされているので、興味のおありの方は参照願いたい。また、「週刊ポスト」11月10日号の記事『安倍首相が絆を結ぶ「本気の国家主義」人脈徹底研究』も、中西について簡単に触れている。
さて、その中西だが、実は「文藝春秋」2005年10月号に、火の出るような激しい小泉純一郎批判記事を寄稿していた。これは昨年9月の総選挙投票日直前に発売された号の、「9・11総選挙と日本の選択」という特集の筆頭を飾っている記事だ。
記事は、「宰相小泉が国民に与えた生贄・かつて全く同じ事をしたポピュリスト首相がいた」と銘打たれており、「郵政民営化是か非か」を問い、「刺客」を投じて解散・総選挙に踏み切った小泉純一郎前首相を、厳しく批判、糾弾しているのだ。
私はこの雑誌の現物を持っているが、この記事を要約するのはなかなか大変だ。しかし、ナベツネこと渡邉恒雄が著書「我が人生記」(中公新書ラクレ、2005年)の中でこの記事を紹介しているので、この本経由で中西の文章を抜粋することにする。
中西は、あのナベツネが「すさまじい」と評するほど過激な表現で、昨年の総選挙における小泉のやり口を激しく批判している。
ところで、この中西の記事には、以下の興味深い指摘がある。
そんなナルシストの安倍だが、それ以上にナルシスティックな人物といえば、誰しも前首相・小泉純一郎を思い浮かべるだろう。
小泉が安倍をエコヒイキしたからこそ安倍が首相になれたのだが、なぜ小泉が安倍を可愛がったかというと、安倍なら自分の思うがままにコントロールできると小泉が考えたからだろうと、私は想像している。
ところが、安倍の取り巻きは必ずしも小泉シンパではない。その代表格が、中西輝政である。中西は、リンクを張ったWikipediaでは、「親米保守」などと当たり障りのない記述で紹介されているが、実際のところは「核武装論」を唱える極右の産経文化人である。また、Wikipediaの記述にもあるように、カルト宗教とのかかわりが問題になったこともあり、安倍のブレーンにふさわしい人物と言える。
この中西は、東京新聞(中日新聞)や毎日新聞が報じている通り、安倍の「5人組」と言われているのだが(「5人組」には入っていないが、岡崎久彦も安倍のブレーンとして重要)、この「5人組」は、揃いも揃って極右思想の持ち主ばかりなのである。金曜日刊「安倍晋三の本性」(第1章第2項)にも、中西について記述がなされているので、興味のおありの方は参照願いたい。また、「週刊ポスト」11月10日号の記事『安倍首相が絆を結ぶ「本気の国家主義」人脈徹底研究』も、中西について簡単に触れている。
さて、その中西だが、実は「文藝春秋」2005年10月号に、火の出るような激しい小泉純一郎批判記事を寄稿していた。これは昨年9月の総選挙投票日直前に発売された号の、「9・11総選挙と日本の選択」という特集の筆頭を飾っている記事だ。
記事は、「宰相小泉が国民に与えた生贄・かつて全く同じ事をしたポピュリスト首相がいた」と銘打たれており、「郵政民営化是か非か」を問い、「刺客」を投じて解散・総選挙に踏み切った小泉純一郎前首相を、厳しく批判、糾弾しているのだ。
私はこの雑誌の現物を持っているが、この記事を要約するのはなかなか大変だ。しかし、ナベツネこと渡邉恒雄が著書「我が人生記」(中公新書ラクレ、2005年)の中でこの記事を紹介しているので、この本経由で中西の文章を抜粋することにする。
二〇〇五年八月、小泉純一郎首相による衆議院解散から総選挙によって、日本は「劇場型政治」というよりも、さらに一段と激しい、大群衆が「剣闘士の戦い」に興奮の声を挙げる「コロシアム型政治」へと突入した。飛び交う「刺客」という言葉が、いみじくもこの選挙のなかに潜む「血生臭いドラマ」を浮き上がらせている。
(以下大幅に中略)
日本政治が三文役者の小芝居となって久しいが、いまや舞台は暗闇の劇場から、炎天下の格闘場へと移った。皇帝の命ずるままライオンとも闘った古代ローマの剣闘士たちのごとく、「刺客」と相手候補者は、どちらかが死に倒れるまで闘わねばならない。この残酷な血の味がする「見せ物」に、観客席の国民は陶酔し、「(負け犬を)殺せ!殺せ!」と叫んでいる。
(中略)
今回(国民は)「刺客」が跋扈する「小泉クーポン選挙」で、"血の味"まで覚え、ひたすら、もっと強い刺激を求めるようになるだろう。
小泉という調教師がライオンとしての国民に差し出した「生け贄」に、まんまと喰らいついてしまったともいえる。
この酩酊状態から醒めるには、時間がかかるだろう。国民一人一人が、無益な格闘劇にはもう飽き飽きだと思うまで、夥しい血が流され、死体が山積みになるだろう。
(中西輝政「宰相小泉が国民に与えた生贄・かつて同じ事をしたポピュリスト首相がいた」=「文藝春秋」2005年10月号掲載=より)
中西は、あのナベツネが「すさまじい」と評するほど過激な表現で、昨年の総選挙における小泉のやり口を激しく批判している。
ところで、この中西の記事には、以下の興味深い指摘がある。
中西は、1918年、昨年の小泉と同じような手口で選挙に圧勝したイギリスのロイド=ジョージ首相の末路の例を引きながら、下記のように述べている。
現在、「小泉チルドレン」たちが、郵政民営化の「造反組」の復党問題で小泉に助けを求めたのに対し、小泉が「政治家は使い捨てだ」と冷たく突き放したそうだが(「産経新聞」2006年11月7日付より)、小泉が「チルドレン」に刺される日も遠くないのかもしれない。
しかし、この記事では正論を書いていた中西が、情報操作と言論封殺を得意とする安倍晋三のブレーンとなって、自民党政治の延命の主役となっているとはどういうことだろう。
安倍は、正々堂々たる論戦で敵を論破し、自らの政策を通す政治家ではない。靖国神社に参拝したかどうかさえ答えないし、安倍の持論に違いないと誰もが感じている極右的な意見も、首相になってからは自分から言うことはなく、周囲の人間に言わせている。
広告代理店の「ソフトムード」の演出に従って、「羊」を演じているだけのオオカミ少年・安倍晋三は、どこからどう見たって小泉以上のポピュリストであるというほかないだろう。
そんな安倍のブレーンになっている中西は、言行不一致もいいところではないのか? 極右という点では両者は共通しているが、「文藝春秋」に中西が寄稿した記事を読む限り、政治手法の面では、安倍のやり方は中西の理想からはかけ離れているはずではないのか?
小泉がチルドレンに刺されるとしても自業自得だとしか思えないが、代わって安倍がのさばるのでは、小泉時代よりさらに絶望的だ。小泉は、安倍ほどの極右政治家ではなく、単にブッシュに尻尾を振っていただけだが、安倍はホンモノの極右でありながら、小泉以上の対米隷属主義者だ。しかも安倍は、今は「再チャレンジ」などとほざいて国民を騙そうとしているが、参院選で自民党が勝てば、さらなる格差拡大の新自由主義政策をたっぷり用意していることは、多くの識者が指摘している通りである。
どうせなら小泉一派と安倍一派が壮絶な闘いを演じて、小泉と安倍には「共食い」してもらいたいものだ。
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「クーポン選挙」(筆者注:1918年の英国総選挙)から4年後の1922年、ロイド=ジョージ首相自身が、自らが「クーポン」を与えた陣笠代議士たちの大反乱によって、あっけなく政権から追い出されたのだ。小泉首相も、自らがスカウトしてきた「刺客」たちに逆に刺される日がくるかもしれない。それが"コロセアム政治"の本質とも言えるからだ。
(中略)
現在では、「クーポン選挙」は、安易なポピュリズムに迎合して、英国議会政治にカオスをもたらした、イギリス政治史の汚点とされている。
いずれにせよロイド=ジョージが、自由党の葬送の棺に最初の釘を打ち込んだことは確かである。そして今、小泉首相が、自民党の弔鐘を鳴らしはじめているのかもしれない。
(中西輝政「宰相小泉が国民に与えた生贄・かつて同じ事をしたポピュリスト首相がいた」=「文藝春秋」2005年10月号掲載=より)
現在、「小泉チルドレン」たちが、郵政民営化の「造反組」の復党問題で小泉に助けを求めたのに対し、小泉が「政治家は使い捨てだ」と冷たく突き放したそうだが(「産経新聞」2006年11月7日付より)、小泉が「チルドレン」に刺される日も遠くないのかもしれない。
しかし、この記事では正論を書いていた中西が、情報操作と言論封殺を得意とする安倍晋三のブレーンとなって、自民党政治の延命の主役となっているとはどういうことだろう。
安倍は、正々堂々たる論戦で敵を論破し、自らの政策を通す政治家ではない。靖国神社に参拝したかどうかさえ答えないし、安倍の持論に違いないと誰もが感じている極右的な意見も、首相になってからは自分から言うことはなく、周囲の人間に言わせている。
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そんな安倍のブレーンになっている中西は、言行不一致もいいところではないのか? 極右という点では両者は共通しているが、「文藝春秋」に中西が寄稿した記事を読む限り、政治手法の面では、安倍のやり方は中西の理想からはかけ離れているはずではないのか?
小泉がチルドレンに刺されるとしても自業自得だとしか思えないが、代わって安倍がのさばるのでは、小泉時代よりさらに絶望的だ。小泉は、安倍ほどの極右政治家ではなく、単にブッシュに尻尾を振っていただけだが、安倍はホンモノの極右でありながら、小泉以上の対米隷属主義者だ。しかも安倍は、今は「再チャレンジ」などとほざいて国民を騙そうとしているが、参院選で自民党が勝てば、さらなる格差拡大の新自由主義政策をたっぷり用意していることは、多くの識者が指摘している通りである。
どうせなら小泉一派と安倍一派が壮絶な闘いを演じて、小泉と安倍には「共食い」してもらいたいものだ。
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