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きまぐれな日々

 今回の記事を含めてあと12回で終わらせると自ら決めているこのブログの記事だが、そのたった12回の更新にさえ気が乗らないくらい重苦しい空気にこの国は覆われている。

 昨夕(7/24)ようやく出された岸田文雄の自民党総裁選不出馬表明などあまりに予想通りで拍子抜けするくらいだった。岸田はおそらく3年後の安倍晋三から「禅譲」を受ける密約を交わしていると思われるが、そんなものはかつて岸信介と大野伴睦が交わした密約と同様に反故にされるに決まっている。そんなこともわからない岸田は、そもそも総理総裁の器でないとしか言いようがない。

 2015年の自民党総裁選もそうだったと記憶するが、安倍晋三はとことん政敵を総裁選不出馬に追い込む戦略を立てている。独裁志向の強い安倍ならではのことだが、これにはかつての民主党に先例がある。2008年の民主党代表選を無投票にしてしまった小沢一郎がそれだ。徹底的な反民主主義的体質という点で、小沢一郎と安倍晋三とは共通している。それと比較すると、2008年に麻生太郎が選ばれた当時の自民党には、まだ党内で競う文化が残っていたといえようか。今はもちろんそんな文化は影も形もなく、自民党内の民主主義などないに等しい。

 それよりももっと深刻だと私が思うのは、「野党共闘」勢力内部でも、自民党と同様にタブーだらけで自由にものが言える空気がないように見受けられることだ。

 タブーの対象はいくつかある。まず小沢一郎がそうだ。昨年、あれほどあからさまに前原誠司新代表の民進党と小池百合子とをくっつけようと画策し、その結果、小沢が小池に切られたのだが、驚いたことに「野党共闘」集団内で小沢が断罪されるどころか批判されることすらなく、元々小沢が属していた民進党系のみならず、共産党までもが小沢に選挙協力した。

 小沢がタブーの対象になっていることの論理的帰結として、小選挙区制の見直しもまた「野党共闘」集団内でのタブーになっている。

 また、最近特に気になっているのが、「野党共闘」集団内の「菊のタブー」である。

 これを考えるきっかけになったのが、白井聡のトンデモ本『国体論 - 菊と星条旗』(集英社新書)だった。この本のトンデモさを一言で指摘したのは中島岳志だった。中島は、本に開陳された白井の考えについて、下記のように鋭く指摘している。
http://bunshun.jp/articles/-/7756

 白井は、今上天皇の決断に対する「共感と敬意」を述べ、その意思を民衆が受け止めることで、真の民主主義が稼働する可能性を模索する。

 この構想は危ない。君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されているからだ。

(文春オンライン 2018年6月17日)


 もっとも、この文章のすぐあとに、中島は

白井は、そんなことを百も承知で、この構想を投げかける。それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう。

 激しい問題提起の一冊である。

(同前)

という、なくもがなの文章をつけ加えて書評を締めくくり、せっかくの鋭い批判を自ら台無しにしてしまっているのだが、それでも、「君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されている」という中島の指摘は貴重だ。

 ネットで見る限り、白井の思想は北一輝や2.26事件の青年将校を思わせるものだとの指摘は他にもあった。しかしそうした指摘をした人たちは少数で、しかも保守派が多かった。

 この点について、左派で見るべき指摘をしたのは、リフレ派の論客として特に旧民主・民進系の人たちから評判の悪い松尾匡くらいしか思い当たらない。松尾の指摘については、『kojitakenの日記』に紹介したばかりなので、興味のおありの方はそちらを参照されたい(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180722/1532240003

 白井聡はひたすら「対米自立」を追い求めるのだが(その議論はかつて孫崎享がトンデモ本『戦後史の正体』と瓜二つであるように私には思われる)、それに対して、白井は

現実に対米自立が実現したらどんな自立になる可能性が一番高いかということについて、怖い想定を何もしていない

と指摘し、さらに

たとえきっかけでも、天皇の声に応答して、しかもその声が国民統合の仕事をさせてくれという声で、しかもその仕事が霊的な「祈り」である時に、現れる可能性が一番高いのは、やはり右翼ナショナリズムの運動でしょう。

と畳み掛ける松尾の議論に、私は強い説得力を感じる。

 しかし困ったことに、最近の白井聡は巧妙に日本共産党に食い込んでいて、同党の機関紙『しんぶん赤旗』に登場している。そのせいもあってか、共産党系の人たち(党執行部、党員、党支持者)から白井聡に対する批判が全く聞こえてこないのが現状だ。

 思い出すのは、数年前に共産党執行部の人たちが、確か脱原発デモでのことだったかと記憶するが、(国粋主義系「反米愛国右翼」である)孫崎享と肩を並べて行進していたことだ。あの頃から懸念していたが、共産党の右傾化は近年ますます露骨になってきている。

 なお、松尾匡の専門は、いうまでもなく天皇論ではなく経済学だが、近年松尾が出している一般書(その一部しか私は読んでいないが)に提言されている経済学は、特に松尾の専門である数理マルクス経済学からくるものというより、欧米のリベラル・左派言論ではごく一般的である「反緊縮」を基調として、その一環として安倍政権の経済政策のうち金融緩和のみを肯定的に評価しているものだと思われる。

 しかし、財務省や「保守本流」や朝日新聞が昔から財政再建にこだわり続けてきた伝統を無批判に受けついでいる(ようにしか見えない)旧民進党系の人たちには松尾の考え方は全く受け入れられないもののようだ。

 彼らの思考の硬直性も、前記の共産党系の人たち(「民主集中制」を、その縛りを受けないはずの非党員の一般支持者までもが進んで墨守しているように見える)に負けず劣らずひどい。

 彼らの中には松尾の政策の賛同者を「松尾信者」と呼ぶ者さえいるが、そんな彼ら自身が1997年と2014年の二度にわたって消費増税が景気を大きく悪化させた事実を直視できないのだから、彼ら自身こそ「消費増税信者」と呼ぶほかないのではなかろうかと私は思う。

 共産党系も旧民進党系(立憲民主党その他)もかくの如し。これが「崩壊の時代」の閉塞感というものか。

 あと何年か安倍晋三の悪政をやり過ごし、その後にくるであろう後継者の時代のカオス(混沌)をやり過ごしながら人生の終わりに近づくほかないのかと思うと、心底うんざりする。

 せめてあと11回更新して、このブログの最終回を迎えるまでには、少しは希望が見えれば良いのだが。
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枝野立憲代表が不信任案趣旨説明で「わたしこそ保守本流だ」と。まさに・・・そして、誰もいなくなった・・・ですね。

 坂野潤治のいう「崩壊の時代」を生きているのだと24時間実感させられています。少し以前に本を読んで想像していた事態を超えています。心身にこたえますね。

 あと11回ですか。おからだ大切に書き続けてください。
 たとえブログが終わっても、kojitakenさんのような方がいて、この社会のどこかで、小さくとも無音であっても理性の火は輝き続けているのだと信じられることが数少ない希望の一つです。

2018.07.25 09:27 URL | redkitty #- [ 編集 ]













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[選挙制度][野党共闘][共産党]共産党と「野党共闘」には真剣に小選挙区制を廃止する気がない
昨日書いた きまぐれな日々 白井聡を批判できない共産系と「緊縮志向」民進系の不毛 に、id:BUNTENさんから下記の「はてなブックマークコメント」をいただいた。 http://b.hatena.ne.jp/entry/368056494/comment/BUNTEN 「小選挙区制の見直しもまた「野党共闘」集団内でのタ

2018.07.26 08:51 | kojitakenの日記