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きまぐれな日々

 今日は更新を止めようかと思ったが、考えてみれば来週はもう黄金週間の真っ只中なので、今週更新しておかなければブログの存続も覚束ない(?)と思い、全く気の乗らない記事を書いて更新することにした。

 共同通信の世論調査で、内閣支持率が58.7%を記録した。「単純比較はできないが前回から6.3ポイント上昇」とのこと。調査方法の変更か何かがあったのだろうが、ここに来て一段と安倍政権支持率が高まった。
https://this.kiji.is/228775846727501300

 一昨年7月を底とする安倍内閣支持率のV字回復について、これまで、岩盤が堅くなったというイメージでとらえていたが、明らかに権力者夫妻の「お友達」に不正な利益供与がなされた森友学園事件を持ってしても内閣支持率が膨らみ続ける現実を目の当たりにすると、風船が膨れ上がるイメージでとらえるほかないのではないかと思うようになった。

 正直言って、ここまで安倍内閣支持がバブル的に膨れ上がる事態は想像しなかった。先月内田樹は『AERA』に

 劇的な成功を遂げた政治家たちは例外なくイエスマンを周りに集め、ついにはその中で最も臆面もなく阿諛(あゆ)追従するものを「具眼の士」とみなすようになる。そして、手厚い褒賞でその炯眼に報いようとする。そのプロセスは歯車仕掛けの悲劇のように進行する。私たちは今その終幕近くに立ち会っている。

と書いたが、内田樹の楽観的な予想はもののみごとに外れた。
https://dot.asahi.com/aera/2017030800065.html

 とはいえ、今のような政治のあり方が「持続可能」であるはずはないだろう。膨らみ過ぎた風船はいずれ弾ける。「崩壊の時代」はいつかは終わる。しかし、その時に日本という国がどうなるっているかは想像もつかない。

 日本の政治の現状については、昨夜このブログにいただいた鍵コメにて知った『読む国会』に手際良くまとめられている。それらのエントリ3件のダイジェストと前述の共同通信の世論調査が記された鍵コメは、『kojitakenの日記』に転載した。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170424/1492986278

 同じブログに、今朝「『疑わしきは罰せず』は、権力者に対して用いる言葉ではない」と題したエントリが公開されたので、以下に抜粋する。
http://www.yomu-kokkai.com/entry/innocent-until-proven

(前略)司法と行政が結託すれば、もはや国民が対抗出来る手段はない。

 だからこそ、司法の場においては、例え政治家・公人に対してであろうと、推定無罪の原則は固く守られるべきである。それは司法の価値を守るために、必要な原則だ。

なぜ権力者は、疑惑に対して潔白を証明する責務があるのか

 上で述べたように、推定無罪の原則というのは、あくまで司法が過ちを犯す事を前提とし、あるいは、ときに為政者の意のままに操られるというリスクを勘案し、個人の権利や言論の自由を守るために存在するものである。

 今般の安倍総理をめぐる一連の問題は、全く別の話である。

 むしろ、為政者の疑惑というのはもみ消され、闇に葬られることが多い。絶対的な権力のもとで、権力者に不利な証拠など、出るはずがない。

 だからこそ、三権分立が存在しているのだ。行政府は予算の執行や法案の成立に関して立法府の承認を必要とし、憲法に適合しているかは司法府が判断するのだ。

 そして、立法府が行政府の権力を監視する手段として、独自に国政調査権が認められている。

(憲法第62条の引用を省略)

 証人喚問や、参考人招致は、この憲法62条が定めるところの国政調査権によって担保された権利である。

 「疑わしきは罰せず」というのは、あくまで司法の場においては推定無罪を原則にするというルールであり、証拠をもみ消せば政治的に責任を取る必要がない…という意味ではない。

我々は何をすべきか

 私がしつこく書き続けているが、これは外形的には政治的な口利きにしか見えない。

 ある国家の首相夫人が名誉校長になり、特殊な思想の学校に賛同した。そこから極めて異例なスキームで、土地価格の値引きがされた。更に財政状況が怪しい中で、府の認可が降りた。

 そして、その国の内閣は交渉記録などの証拠の提出や、夫人の証人喚問など、潔白を証明するためにクリティカルな行動を拒んでいる。

 これが通常のデュー・プロセスである、というなら、なぜこのようなことが起こったのかストーリーを説明する他に無い。

 そして、それを説明するためには、内閣が徹底した調査をするしか無いのだ。

 もし政府に「疑わしきは罰せず」という原則を適用するなら、あらゆる疑惑は闇から闇へ葬られるだろう。なぜなら、原則的に言えば、あらゆるデータや物的証拠は政府の内側にあるからである。

 つまり、政府の汚職疑惑は、内部調査によってしか明らかにならないのだ。

 我々は、司法の場における「疑わしきは罰せず」の原則と、行政府や立法府の場における「疑わしきは罰せず」を分別する必要がある。

 政府の説明が足りない時は、めげることなく「きちんと調査しろ」といい続けるしか無い。なぜなら、我々がいい続け、監視しない限り彼らがわざわざ内部の不正を調査するメリットなど存在しないからだ。

 「自浄作用」という言葉が忘れられて久しいが、そんなことを今の政府に期待するのは、高望みというものだろうか。

 権力者の沈黙に対して、声を上げることを諦めた時にやってくる世界は、私にとって今よりも不快なものであろう。だから、私はしつこく「証拠を出せ」「ちゃんと答弁で説明しろ」と言い続けることにする。

(『読む国会』 2017年4月24日付エントリ「『疑わしきは罰せず』は、権力者に対して用いる言葉ではない」より)


 正論そのものだ。

 しかし、現実には安倍政権支持者のみならず、政権批判派の中にも、これまで政権が意図的にでっち上げてきた(としか私には思えない)安倍昭恵の「家庭内野党」の幻影を振り払えないのか、きちんと安倍昭恵の証人喚問を要求できない老舗の「リベラル」ブログすら存在する。同ブログは、安倍昭恵の「参考人招致か証人喚問か(記者)会見」を求めてはいるが、籠池泰典が証人喚問された当日の2月23日に自民党と民進党が合意して行われた、翌24日の財務省前理財局長・迫田英典の参考人招致が疑惑解明に何らの貢献をもたらさなかったことを思えば、同ブログの腰の引けた姿勢は安倍政権の逃げ切りを助けるだけのものでしかない。

 市井のブロガーでさえこのていたらくだから、野党の惨状もそれに見合ったレベルだ。民進党は7月2日投開票の東京都議選を機に、本当に崩壊するとしか思えない。同党は都議選候補にするつもりだった現職あるいは前職・元職を「都民ファーストの会」に引き抜かれて離党しても、もはや対抗馬を立てる力もなければ、離党を認めず除名処分にすることさえできない。国会議員の長島昭久は除名処分になったようだが、これは党の大物だったからだ。そんな民進党をあてにしてきた「野党共闘」も風前の灯火といえる。

 昨日のTBSテレビ『サンデーモーニング』は、90年代の「政治改革」の局面で小選挙区制を推進した田中秀征や岸井成格らによる、さながら「懺悔大会」の様相を呈していた。これを見ながら私は「今頃やっとかよ。四半世紀遅いぞ、気づくのが」と思った。山口二郎が岩波新書から小選挙区制の推奨が書かれた『政治改革』を出してから24年。鳩山一郎や田中角栄がやろうとして果たせなかった小選挙区制が社会党を巻き込んで実現してしまった過程に呆気にとられた私は、ブログを開設してからも一貫してずっと小選挙区制に反対し続けてきたが、「政権交代」待望全盛期の2009年前後には相手にされなかった。一昨年に再び小選挙区制反対論を書いたら、ふざけたコメンテーター(spiritと名乗る人間だ)にふざけたTweetを書かれたので激怒して昔から小選挙区制に反対していたぞ、と証拠を示す記事を書いたことがあるので、下記にリンクを張っておく。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20151129/1448763347

 民進党が崩壊したらいやでも新しい政党が立ち上がらざるを得なくなるだろうと思うが、その政党には小選挙区制廃止と比例代表制を中心とした選挙制度の樹立を公約として掲げてもらいたいものだ。私の意見では中選挙区制の復活ではダメで、あくまで比例代表選中心の選挙制度であるべきだ。数年前に消滅したみんなの党の提案が、定数の大幅削減以外は良い案だったと記憶する。

 しかしそれ以前に、日本という国がまともに存続し得るだろうかという不安が先に立つ今日この頃なのである。
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紹介されていた「読む国会」、ほぼ全てのエントリに目を通してみましたがどのエントリも示唆深いものがあって流石としか言い様がないと思いましたよ。中でも自分がグサッときたのは国家が衰退するというのは、国の力が弱まるということではない。それは、国民の力が弱まるということである。それは、我々が権力に相対する力を失うということであるという一節です。何というのか権力に対抗する存在としての"革新"が衰退していく中で、政治への関わり方が権力と距離を一歩置くことすらせず寧ろ積極的に権力に関わろうとする(尾崎行雄がかつて"足軽根性"と批判してたもの)傾向が目立つんですよね。いわば権力の手足としての役割すらあった町内会や自治会はおろか労組にマスコミ果てはNPOに至るまで、権力と相対する姿勢を避けてともすれば権力と癒着してまで"成果"だけを得ようという傾向が結構見られるのですよね。安保法制に反対していたタレントや共謀罪に反対していた弁護士が、いざ政治に関わろうとすると自民党を選んだりもしますし。

よく政治への無関心とかが月並に嘆かれてるのを目にしますけど、実際の政治への関わり方にしてさえ権力との相対化を決定的に欠けたものになっていてみんなが政治に関心を持って参加したら奇形の独裁国家になっていたっていうのを想像してしまいますよね、それこそ「投票率も得票率も百%の北朝鮮の選挙を笑えるだろうか?」って訳で・・・・・

2017.04.24 18:37 URL | 杉山真大 #- [ 編集 ]

タイトルの件には概ね賛同なのですが、小沢があんなインチキ裁判でも政治的・社会的に抹殺されてしまったのを見ると、権力者であってもやはり推定無罪や疑わしきは罰せずは守るべきではないかとも思ったり…
小沢の時は針小棒大に騒ぎ立て証人喚問や議員辞職を求めていたにも関わらず、安倍になった途端に興味なさそうにしてるメディアや国民の姿勢が一番の問題でしょうか。

2017.04.25 09:33 URL | 小市民 #- [ 編集 ]

小市民さん
>小沢があんなインチキ裁判でも政治的・社会的に抹殺されてしまった

 政治的にも社会的にも抹殺されなかったと思います。

2017.04.25 17:14 URL | redkitty #- [ 編集 ]

 前のコメントにつけ足して言えば、小沢のあの事件をきっかけとして(きっかけとまでは言えないとすれば、あの事件以降)、私の知っているかぎりでの左派の人々の多くが小沢支持者に転向しました。数としてはどれほどのものだったかわかりませんが、支持層が拡大した印象でした。

2017.04.25 20:05 URL | redkitty #- [ 編集 ]

 私が考える安倍内閣の支持率の上昇の理由は、「民主党政権への忌み感」、というより「ねじれ国会への忌み感」だと思います。あの頃は、与党と野党の対立で法案がほとんど通らず、国会が機能不全に陥りました。それで国民の政治への不信感と絶望が高まったのです。今の安倍内閣は経済政策を中心に成果を上げている(ように見える)ので、問題があったとしても国民はすがるように支持を強めているのだと思います。

 ちなみに、ねじれ国会にシンパシーを抱く人もいて、例えばテレビ番組「サンデーモーニング」の関口宏はしばしばねじれ国会を支持する発言をしています。自分にとって都合の悪い法案も通らずに済むからでしょう。

2017.04.26 08:35 URL | にっしー #- [ 編集 ]













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