きまぐれな日々

 新年度に入ったが、前年度(2016年)終わりの疲れが全く抜けないままの冴えない出だしとなった。

 4月といえばこのブログを開設した年で、16日で満11年になる。来週と再来週も更新するなら、次の次の回から12年目に入る。いつまで続けるかは全く心許ないが。

 先週は共同通信と日経・テレビ東京の世論調査で、籠池泰典の証人喚問が安倍内閣の支持率をほとんど引き下げなかったために、野党の攻勢が鈍った一方、安倍政権側は強気に出た。

 道徳の教科書でパン屋を和菓子屋に書き換えさせる文科省の検定意見が出たり、銃剣道なる名前も知らなかった「武道」が中学校の指導要領に明記されるなどの反動的政策が一気に噴出した。

 さらに注目されるのは、安倍内閣が学校の教材に教育勅語を用いることを否定しない、という驚くべき「閣議決定」を行ったことだ。以下朝日新聞記事から引用する。
http://www.asahi.com/articles/ASK305RC2K30UTIL03Y.html

教材に教育勅語、否定せず 政府「憲法に反しない形で」
水沢健一
2017年4月1日00時43分

 安倍内閣は31日、戦前・戦中に道徳や教育の基本方針とされた教育勅語(ちょくご)について、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。だが、教育勅語は、過去に国会で排除・失効決議が出ており、答弁書との整合性や、教育現場でどのように使われるのかが問題になりそうだ。

 民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。

 教育勅語は、明治天皇が1890年に国民に授ける形で示した「教え」。両親への孝行など一般的な道徳を表す項目がある一方、国民は君主に支配される「臣民」とされ、国に「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくせ」(旧文部省図書局の通釈)とも書かれている。

 だが、戦後の1948年、国会が「主権在君並びに神話的国体観に基づいている」ことから、「基本的人権を損」なうなどとして教育勅語の排除・失効の確認を決議。森戸辰男文部相(当時)は同年6月の衆院本会議で「教育上の指導原理たる性格を否定してきた」とし、憲法や教育基本法などの制定で「法制上明確にされた」と答弁した。

 今回の答弁書でも「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導」は「不適切」としている。松野博一文部科学相はこれまでの記者会見で、憲法や教育基本法に反しないような配慮があれば「教材として用いることは問題としない」と発言していた。

 一方、第1次安倍政権時の2006年の国会で、伊吹文明文科相(当時)は「戦中の教育に対する反省などから、天皇陛下のお言葉を基本に戦後の教育を作ることは、そぐわないということになり、教育基本法が作られ、衆参両院の議決によって教育勅語は実質的に廃止されたと理解している」と述べている。

 教育勅語は、学校法人「森友学園」が運営する幼稚園で園児が暗唱していたことが報道などで取り上げられるようになり、国会でも勅語をめぐる閣僚の認識が論点になった。(水沢健一)

■権威主義的な使い方されかねない

 島薗進・上智大教授(日本宗教史)の話 問題は「教育の唯一の根本」かどうかではない。臣民である国民に天皇の命ずる教えに従うことを強いたことが問題。権威に従う態度を強い、神聖な天皇に命を捧げるということまで含む。個々人の命が軽んじられた歴史を学ぶためなら必要かもしれないが、教育現場で一方的に教え込む権威主義的な使い方をされかねない。日本の未来に関わる判断であり、時の政府の都合で閣議決定などすべきものではない。

(朝日新聞デジタルより)


 これが幼稚園児に教育勅語を暗唱させていた森友学園への利益供与に首相夫人である安倍昭恵が関与(口利き)していた事実が明らかになった一連の「森友学園事件」で内閣支持率がたいして下がらなかったことを受けての安倍晋三の「回答」だ。

 誰に対する回答かといえば、森友学園事件を機に、あるいは事件発覚前から政権にすり寄る一部の学者やジャーナリストたちから安倍晋三が期待されていた、「日本会議を切り捨てて保守の王道を歩め」という要望に対する回答だ。具体的な人名を挙げれば、立命館大学教授の上久保誠人だ。

 かつて民主党への政権交代があった頃、民主党政権への期待を表明する記事を書いていた上久保は、今では「森友学園問題に見るスキャンダルが安全保障リスク化する懸念」を表明し、安倍政権を守ろうとする側に立っている。それでいながら、上久保は

学校法人「森友学園」への国有地売却を巡る問題は、安倍政権・自民党と保守勢力の「不適切な関係」を切る、絶好の機会とすべきだとも考えている。

と書いた。

 そんな上久保たちに対する安倍晋三の回答が、上述の「教育勅語を教材として用いることを否定しない」という「閣議決定」だ。これは、今はやりの言葉でいえば「ゼロ回答」である。安倍晋三は、「上久保センセ、あんたのご要望には応えられないよ」と言っているわけだ。

 また毎日新聞の「異能記者」であるらしい伊藤智永が『サンデー毎日』に4ページにわたって書いた文章で、安倍首相は実は憲法改正に不熱心だとか、安倍は賢くて日本会議を切り捨てにかかっているなどと論評していたが、それも伊藤記者の思い違いだったことが明らかになった。

 安倍が本当に日本会議を切り捨てにかかっているなら、教育勅語の教材としての使用を否定しないという馬鹿げた「閣議決定」など行うはずがない。ついでに書いておくと、安倍晋三はこの「閣議決定」を「代替真実」(オルタナティブ・ファクト)の製造方法として用いている。「昭恵夫人は私人」とか、「夫人付きの職員は私的な行為に対する支援は行っていない」など。「4年早いトランプ」安倍晋三の面目躍如だ。

 要するに上久保誠人や伊藤智永らが書いたことの反対が事実に当てはまっていると思えば良い。たとえば、「森友学園問題のスキャンダルが安全保障リスク化する」(つまり安倍晋三が安全保障リスクに対する抑止力になっているのに、それが脅かされている)のではなく、安倍晋三その人が日本にとって最大の安全保障リスクであることを森友学園事件が明らかにしたのだ。

 また、安倍晋三は賢いから日本会議を切り捨てようとしているのではなく、安倍晋三は頭が悪いから日本会議を切り捨てられないどころかズブズブにはまっているのだ。

 皮肉なことに、安倍晋三を筆頭とする極右人士たちの一斉の掌返しを受けて、日本会議系列の人たちの本性を思い知ったと思われる森友学園新理事長・籠池町浪の方が、従来安倍晋三が第1次内閣で改悪した2006年改正教育基本法の理念に則った教育を行っていたことを改め、今後は安倍による改悪前の1947年教育基本法の理念に基づく教育を行うとの声明を発表した。

 つまり上久保誠人や伊藤智永らの希望あるいは観察とは正反対の事態になった。この延長線上に何が起きるかといえば、ワイドショーでさんざん笑われた塚本幼稚園そっくりの幼稚園や小学校や中学校が全国に続々と現れ(というより、それはあまり報じられていないだけで今も多数あるだろう)、一方塚本幼稚園がもし存続しているなら、まともな教育を細々やるという未来だ。

 上久保誠人はおそらく(というか間違いなく)新自由主義者であり、一方2006年に当時総理大臣だった小泉純一郎をこき下ろしたことで知られる伊藤智永は、昨日(4/2)のTBS『サンデーモーニング』に出演していた寺島実郎などとも共通する「まともな保守」を追求する人間だろう。

 だが、それら別々の立場から日本会議を厭う人たちが安倍晋三に親和的な態度をとり続けたことが、日本国の「日本会議化」を後押ししているのではないか。

 同様のことが野党(特に民進党)、あるいは市井の「リベラル」にもいえる。たとえば民進党議員たちは「忖度」なる言葉で政府を追及するが、「忖度があったか」と言われれば「なかった」と返されてそれ以上追及ができないだけではない。仮に「忖度があった」としても、それは権力者夫妻の意向を想像した官僚が勝手にやったことにしかならないのだ。大阪府知事の松井一郎が「安倍総理は忖度を認めるべきだ」と「批判」していると報じられたのは、間違いなく松井が「安倍さんよ、忖度した官僚のせいにして幕引きしてしまえよ」と言っているに等しい。

 その松井一郎の言葉を「安倍政権への批判」と捉えてしまうくらい、マスコミの市井の「リベラル」も批判能力を失っている。

 また、市井の「リベラル」が安倍昭恵に対してどうしようもなく甘いのも痛い。安倍昭恵の「家庭内野党」の宣伝はここまで功を奏していた.

 日刊ゲンダイや週刊朝日などが、安倍夫妻は「仮面夫婦」だとする記事を垂れ流しているが、私はこれを全く信じない。むしろ、安倍昭恵の「家庭内野党」とのイメージの方が間違いなく仮面だ。安倍昭恵は極右教育者には森友学園の他にも加計学園の件にも見られる通り口利きしまくりだが、沖縄の山城議長の保釈や脱原発に関しては何らの政治的影響力も発していない。安倍晋三・昭恵夫妻は「夫唱婦随」の「おしどり夫婦」であるとみなすほかない。

 しかし、安倍昭恵の「リベラル」なイメージに幻惑された市井の「リベラル」、たとえば私が定点観測しているあるブロガーなど、安倍昭恵の「秘書」をやっていた政府職員のFAX発覚にショックを受けて「プチ圧力」みたいだと書き、最近ではようやく安倍昭恵の関与を認めざるを得なくなったようだが、安倍自民による「幕引き」を警戒する記事を書く今になってもまだこのブログ主が安倍昭恵の証人喚問を求めた記事を書いたことは一度もない。いや、市井のブロガーだけではなく、民進党の山井和則も安倍昭恵の証人喚問に消極的な発言をした。

 これでは「安倍一強独裁」も「日本国の日本会議化」も止めようがないだろう。

 今年度は、夏の東京都議選という不気味な日程もある。結局いい加減止めたいと思っている以下の決めゼリフで今年度最初の記事を締めざるを得なくなった。

 「崩壊の時代」はまだまだ続く。出口は見えない。
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日本会議って、菅野氏がハーバード=ビジネス=オンライン上で連続的に取り上げたりしてこの一年で随分存在が広く知れ渡った感がありますけど、その顔ぶれを見ていると国会議員や有力経済人は元より有名どころの文化人や宗教関係者、果ては地域の世話役や有力者と呼ばれる様な面子まで網羅されているとこがあって単純にカルト・セクト的なものとは言えないんですよね。そもそも日本会議が前身組織から遡って40年もの歴史があるとこですし、こうした保守系の有力者を網羅した組織って日本会議以前にも日本文化会議や言論人懇話会・日本自由主義会議・(あの統一協会系の)国際勝共連合などが存在していて、実のところ主張も言動も変わりが無かったりするのです。辺見庸の言を借りるなら保守の「湿土に隠れた地下茎部分」が脈々と根深く生き続けていた訳で。

で、辻田真佐憲が指摘している http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51321 んですけど、1980年代まではそうした保守の「湿土に隠れた地下茎部分」が表立ってくるのに対し所謂「革新」・左派がそれに対して抑止力的な役割を負っていたとこがあるのです。ところが冷戦終結後に「革新」・左派が色褪せて、最初は社民とか言い出していたのが何時の間にやら“民主リベラル”・“リベラル”となって、今や“保守リベラル”と自らを呼称するまでに妥協的になってしまったでしょう。日本の「日本会議化」って言うなれば左派・“リベラル”の側の退潮というのか自壊であって、保守それ自体はそもそもが「湿土に隠れた地下茎部分」として持っていたのが「革新」というカウンターカルチャーの衰退で本音剥き出しになることが出来る様になっただけではないかと。過去の保守はまだ良かった・それに引き換え現在は云々ってハナシじゃなくて、カウンターカルチャーが不在でサブカルチャーがメインストリームになって体制に回収されていっているのが現実に起きていることなのでは。

2017.04.03 18:45 URL | 杉山真大 #- [ 編集 ]

そもそも左派が北朝鮮への無批判 擁護とその後の言動が日本人主流派の左派への嫌悪をもたらしたのでは? 財政のことを文句言うが、そもそも景気がホドホドの時にさえ適切に減らそうと『◯◯殺し!』と煽動していたから。若者への投資が少ないって、そりゃアンタらが景気良いときに低負担高福祉を主張して左派ポピュリズムしたからでしょ?と言われる

アメリカや日本には言うのに社会主義?の国家が何してもほぼ沈黙、金大中拉致で抗議デモしてた連中は拉致や金正男暗殺で静かでしたね

そもそも『役に立つ馬鹿』してた日本の左派、カネで動いて自民党にも野中や加藤、山崎、金丸 河野みたいのがいたがな

2017.04.04 10:03 URL | 反響 #- [ 編集 ]

パン屋は反日だから和菓子屋に変えろ
銃剣の使い方を体育で教える
教育勅語を授業で使うのは問題ない

右傾化が極まり一億総保守主義者状態になると、こんな悍ましい国になるとは。
日本の日本会議化と言う現象は、日本の保守派が実際には先進国で極右と呼ばれるような存在であり、彼らの目標は大日本帝国の復活でしかなかったということだったんでしょう。
で、最大与党がそのような「保守(極右)」なので、一般人の認識も狂ってしまい、すでに何がおかしいのか何が悪いのかすら分からなくなってしまい、安倍一味が普通で無難で安定感のある人物に見えてしまう。そして消極的に支持すると。
日本の普通は世界の非常識、なんてことが昔は言われてましたが、まさにそんな感じですね。
欧州極右政党が、日本では保守政党と呼ばれる自民党を高く評価するのがよくわかる

2017.04.06 19:51 URL | #- [ 編集 ]

>>2017.04.04 10:03 URL | 反響
>
>アメリカや日本には言うのに社会主義?の国
>家が何してもほぼ沈黙、金大中拉致で抗議デ
>モしてた連中は拉致や金正男暗殺で静かでしたね

デマまき散らすなよ、バカウヨ。
てめえが知らねえだけだろ。

他人にいうよりまず自分が何かしろ。

2017.04.17 05:14 URL | Executor #- [ 編集 ]













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