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きまぐれな日々

 やっとこのブログを更新する。一度中3週間をやってしまうとそれがクセになるというわけではなく、年々ひどくなる神経疲れのせいだ。このブログや『kojitakenの日記』について、民進党を支持しろと強要する人とか、あんなことばかり書くな、もっと書くことはたくさんあるだろなどとちょっかいを入れてくる人たちがいるが、私の言いたいことはただ一つ。あんた自身がブログを開設して記事を書け。それだけだ。

 上記2人のうち前者の人間は、この間「私(コメンテーター氏)にどうしてほしいんだ」という意味のことを(『kojitakenの日記』の方にだが)書いてきたけれど、私が要求したいのは「お前の意見を私に押しつけてくれるな」というたったそれだけだ。彼らについては、今後のコメントによってはコメント禁止処分にさせていただく可能性がある。私のコメント禁止処分の基準の一つとして、議論に何の足しにもならないことが挙げられる。前記2人のコメンターは既にこの条件を満たしているが、基準はこれだけではないので今のところまだコメント禁止処分はとっていない(もちろん前述の通り、今後はこの限りではない)。

 そもそも、意見の合わない人間(しかも自他ともに狷介と認める私のような人間)に自分の意見を押しつけるより、ブログを開設して自分の意見を発信する方がよほど簡単ではないかと私は思うのだが、なぜ他人を自分の思う通りに動かしたいのだろうか。自分を何様だと思っているんだ、と、その身勝手さに呆れ返るばかりだ。書くべきことはあれもある、これもあるというのなら、自分のブログに書けば良いのである。それが人々の心を捉える内容なら、このブログのような日に300件程度(更新する日にはそれよりは少しばかり多くなるが)しかアクセス数のないブログの比ではない、多くのアクセス数を獲得できるはずだ。

 前振りは以上。今回は来年早々にも予想される衆院選で、野党は何を主張すべきかというのがテーマ。

 このブログのコメント常連である杉山真大さんがご推奨の、松尾匡著『この経済政策が民主主義を救う - 安倍政権に勝てる対案』(大月書店,2016)を一昨日から昨日にかけてやっと読んだ。買ってから半年ほど経つと思う。同じ日に買った『スティグリッツ教授の「新しい世界経済」の教科書』(徳間書店,2016)とともに「積ん読」になっていた。本は月に9冊か10冊のペースで読むが(松尾氏の本が今年91冊目に読み終えた本)、今年はあまり、というかほとんど経済の本を読まなかった。関心の中心が戦争に向いていたためだ。あと小説やらエッセイを読むことが多く、先週からこの3連休にかけて、松本清張の小説2冊と村上春樹の小説とエッセイ各1冊を読み終えた。そういうトレンドだったのが、急に「積ん読」にしていた松尾氏の本を読む気になったのは、『kojitakenの日記』に「新自由主義や『小さな政府』の元凶としての『保守本流』池田勇人」と題した記事(左記に加えて、続編の記事が2件ある)を書いたのがきっかけだ。そのまたきっかけは、リンク先の記事に書いた通り、井手英策・佐藤優・前原誠司の3人の共著『分断社会ニッポン』(朝日新書,2016)に書かれている、井手英策による池田勇人批判だった。

 周知のように、現在、田中角栄が大変なブームだ。石原慎太郎がブームに便乗して『天才』なる「小説」(本屋でペラペラと頁をめくってみたが、おそろしく内容がスカスカであるように思われた)を書いて今年前半の「ベストセラー」とやらになったらしい。その角栄ブームが安倍政権の高支持率の追い風になっていると指摘したのはさとうしゅういち氏の『広島瀬戸内新聞ニュース』だった。その指摘に最初に接した時、田中角栄と安倍晋三では方向性が全く違うじゃないかと思ったが、よくよく考えてみると、確かに追い風になっている。それは、たとえば緊縮財政志向のきわめて強い土井丈朗(慶応大経済学部教授)が「田中角栄を想起させる安倍首相の『財政出動』 『日本列島改造論』が遺した禍根を思い出せ」(東洋経済オンライン,2016年7月25日)なる文章を書いていることからもわかる。悪名高い新自由主義の学者である土井丈朗は、安倍政権の積極財政政策を田中角栄のそれと比較して批判している。世間の人々が田中角栄時代の古き良き時代の自民党政治を懐かしむことが、土井丈朗に代表されるネオリベ人士を切歯扼腕させている。

 そんなところに井手英策の池田勇人批判を目にしたものだから、「保守本流」の経済政策を批判しようとの狙いで書いたのが、『kojitakenの日記』の記事だ。

 それとは別に、安倍政権の経済政策を直接批判する必要がある。但し、第1次安倍内閣の時には威力を発揮した、新自由主義政策に対する批判は、現在では十分に有効でないことに留意する必要がある。実は、「コイズミカイカク」に親和的な「ジャーナリスト」(括弧付き)であると思われる元朝日新聞記者・現TBS『NEWS23』アンカーの星浩は、2006年、つまり第1次安倍内閣時代の年末の朝日新聞記者による鼎談で、安倍晋三の本音は「反小泉」だろうと看破している。当時、いつも冴えない記事ばかり書く星にしては鋭い指摘だと思ったが、当時の安倍には「小泉純一郎の後継者」の制約が重かった。たとえば、小泉の新自由主義政策を継承して「ホワイトカラー・エグゼンプション」を打ち出した途端に、マスコミや世論の強い批判を浴びていきなり内閣支持率が急降下したことがある(もっとも安倍は今でもこの政策を全く諦めていないが)。それは2006年の11月頃のことだった。同じ新自由主義政策でも、小泉がやると拍手喝采され、安倍がやると批判される。そういう風潮が当時はあった。安倍内閣の支持率は面白いように急降下を続け、翌2007年の参院選に自民党は惨敗し、安倍は退陣に追い込まれた。当時、「安倍に新自由主義という尻尾がついていたことは、安倍を批判する側としてはラッキーだった」と論評した方がおられて、私はその意見に同感だった。安倍は国家主義ではなく新自由主義で躓いた。あの危険な国家主義が、それへの直接的な批判ではなく、安倍があまり関心を持っていなかったであろう経済政策でこけたことは、反安倍の側にとっては僥倖以外の何物でもなかった。

 その失敗を繰り返すまいとして、第2次安倍内閣発足とともに安倍政権が打ち出したのが、「第一の矢」である「大胆な金融緩和」、「第二の矢」である「機動的な財政政策」、「第三の矢」である「民間投資を喚起する成長戦略」だった(現在はこの中身は変わっている。上記は第2次安倍内閣発足当時のもの)。私がその著書を「積ん読」にしているジョセフ・スティグリッツやポール・クルーグマン、アマルティア・センら世界のリベラル派の経済学者が手放しで支持しているのはこれらのうち「第一の矢」の金融緩和だけであって、「第二の矢」の積極財政は、政府支出の使い道が問題であって、もっと格差縮小や教育に重点を置くべきとの意見が多く、「第三の矢」の成長戦略、これは具体的には規制緩和や法人税減税などを指すのだが、これらの新自由主義政策はむしろ有害であると学者たちは言っている、というのが松尾氏の指摘だ。

 実はこのあたりは従来から聞きかじっていたことと同じで、全く意外感はなかった。心強かったのは、松尾氏が「『アベノミクス』と言うな!」と書いていることだ(226頁)。私もこのことは2013年当時から言い続けている。引用やこの用語自体に対する批判を別にして私がこの言葉を使ったのは、第2次安倍内閣発足直後だけだ(もっとも、この制約を自らに課す前に、その言葉を使ったのみならず記事のタイトルにしてしまった痛恨の記事がこのブログに1件あるはずだが)。松尾氏は、「安倍政権に反対する者までが、安倍さんと一緒になって『アベノミクス』という呼び方を使っているのは、危険なことだと思います」(226頁)と書いている。その理由は、「いざ景気がよくなったときに安倍さんの手柄にされる」(同)からであり、「雇用流動化などの『第三の矢』の政策は、景気の足を引っ張ることしかしていないのに、『アベノミクス』などと呼んでいっしょくたにすると、この『第三の矢』のおかげで景気がよくなったと受け取られてしまいます」(227頁)とする。この最後の文章は非常に説得的で、安倍批判側が「アベノミクス」という言葉を使うことがいかに危険かを改めて思い知らされる。そして手前味噌だが、第2次安倍内閣発足からさほど間のない時期から「アベノミクス」という言葉を使うなと主張し続けてきたことはやはり正しかったと思った。これを言うと反対されることが多いのだが、私は、浜矩子が安倍政権の経済政策を「アホノミクス」と呼んでいることもまた、安倍政権の経済政策の宣伝以外の何物でもないと考えている。

 松尾氏は、スペインのポデモスもイギリス労働党のジェレミー・コービンも大胆な金融緩和を主張し、アメリカ民主党のバーニー・サンダース(残念ながらヒラリー・クリントンに負けてしまったけれども)は大規模な財政支出を公約した、それなのに…と書くが、その意味でどうしようもないのは、先の民進党代表選で圧勝した蓮舫が、3人の候補(いずれも民進党内保守派だ)のうちもっとも緊縮財政志向の強い政治家であり、しかもあろうことか幹事長に野田佳彦を選んでしまったことだろう。野田の経済政策は、安倍晋三と比較しても経済軸上の「右」側に位置する。この状態では、2006〜07年にかけて威力を発揮した、安倍政権の新自由主義的経済政策への批判は効果を持たないどころか、ブーメランとなって民進党を直撃する。安倍政権より緊縮志向が圧倒的に強い野田の経済政策では、民進党の票は、いくら「野党共闘」に助けられたところで自民党候補に勝つほどには伸びないだろう。その意味で、野田を幹事長に据えた蓮舫の人事は「敗着」になりかねない大失敗だったと言わざるを得ない。

 加えて、全く好ましくないと私が思うのは、「野党共闘」(これは次の衆院選でも行われるだろう。民進党は他党の助けを借りずに候補を当選させられるだけの力を既に失っているからだ)が進んで以来、民進党を批判しようとすると、「民進党批判をして何になる。安倍晋三(安倍政権)や自民党を助けるだけだ」と言う人間が現れて、批判が封じられてしまう風潮が出始めていることだ。民進党に対する批判者を「逆張り冷笑系」などと決めつける、この記事の前振りの部分で言及したコメンテーターのような人間は、そういう風潮に乗って現れたと私はみている。

 ついでに、近々自らの属する政党の名前を変更するらしい小沢一郎絡みの話をしておくと、松尾匡氏は「(鳩山政権時代の)民主党政権は、もともと『事業仕分け』に見られるような緊縮志向があって、リーマン恐慌後のですけど、それでも当初は、高校授業料の無償化や子ども手当など、人々の暮らしのためにお金を使う姿勢を見せていたからこそ、選挙に勝てたのです」(75頁)と言い、それが財源の問題や(菅直人が言い出して野田佳彦が三党合意にこぎ着けた)消費税増税などによって人々の期待を裏切ったと指摘したあと、ところが、「日本未来の党」なり「緑の党」なりといったその後の対案は、人々の望みとは逆に、おカネの使い方をつつましくする志向をますますおしすすめてしまい、人々から見放されてしまったというわけです。そしてその行き着く先を演じたのが、(2014年の東京都知事選で惨敗した)細川・小泉コンビだったと言えるでしょう」(75-76頁)と批判している。妥当そのものの批判だと私は思った。「日本未来の党」を立ち上げる少し前の2012年夏頃まで、小沢一郎の口癖は「私の考えは橋下市長と同じだ」というものだった。それ以前の2010年頃には名古屋市長の河村たかしが立ち上げた「減税日本」とつるんでいたし、小沢一郎は一貫した新自由主義政治家だったと総括できる。わずかに菅直人や野田佳彦らが走った消費税増税路線に反対しただけの差でしかない(もっとも2006年頃までの小沢一郎は強硬な消費税率引き上げ論者だった=当時も日本経済は全然良くなかったにもかかわらず)。小沢の金看板かとも思われた「国民の生活が第一」さえ小沢はいとも簡単に捨て、ついに保守の支持層をトリモロスべく、党名を「自由党」に変更するらしい。

 結局、小沢一郎にせよ菅直人にせよ野田佳彦にせよ、民主党(現民進党)とは「ムダの削減」という掛け声に象徴される緊縮志向の政党であり、それが人々に夢を与えた高校無償化や(稲田朋美が防衛費に振り替えてしまえと暴言を吐いた)子ども手当といった財政支出を必要とする政策と齟齬を来たし(そのギャップは当初「埋蔵金」によって賄われるとの触れ込みだった)、その結果崩壊したといえる。要するに民主党政権は明らかな経済失政を行った。

 ところが、それが総括されるどころか、3代の民主党総理大臣の中でももっとも緊縮財政志向の強かった野田佳彦が民進党幹事長に返り咲き、「野党共闘」が行われているばかりに、そんな民進党に対する批判が半ば封じられたような状態になっている。

 こんな馬鹿な話があって良いはずがない。野党第一党がこんなていたらくであっては、次の衆院選にはおぞましい結果が待ち受けているとしか私には思えない。「リベラル・左派」の一部に見られる民進党批判を封じるような言説は百害あって一利なしである。そのような批判封じこそ、安倍晋三への何よりも強力な援軍にほかならない。政党に属しているわけでもなく、自由に発言できるはずの一般人同士が言いたいことを言えなくするような風潮に、私は強く反発する。

 民進党が今のままでは、安倍晋三の天下は当分続くという以外の予想はできない。その民進党が蓮舫代表を選び、蓮舫が野田佳彦を幹事長に任命してしまったために、事態はますます悪くなった。

 松尾匡氏が提言するのは、野党は大規模な金融緩和でつくりだしたお金を、安倍政権のような旧来型の公共事業ではなく、福祉・医療などに積極的に使え、規制緩和などの新自由主義的経済政策である旧「第三の矢」の成長戦略は不要、消費増税や法人税減税はやるな、というものだ。これは、経済学の世界における松尾氏の立場(数理マルクス経済学だっけ?)はともかく、オーソドックスそのもののリベラル派の主張だと思うが、民進党だの朝日新聞だのの主張とは全く違う。朝日新聞は何かと言えば消費増税をやれと言い、財政規律ガー、と言って金融緩和を目の敵にして、(ネオリベ政策そのもののである)「第三の矢」が欠けている、等の救い難い主張を繰り返す。その朝日が2011〜12年当時に熱心に応援していたのが野田佳彦だ(朝日の幹部記者では、特に星浩あたりが熱心だったと記憶する)。野田佳彦は大平正芳を尊敬していると言うし、朝日新聞記者の「保守本流びいき」は昔からの伝統だ。だが、「保守本流」の悪い面、つまり昔からの「小さな政府」志向が、それを継承する今の日本の「リベラル保守」だか「保守リベラル」だか知らないが、そういう政治勢力の中で(好ましくない方向への)ガラパゴス的な進化を遂げてしまい、その結果「リベラル」が小泉構造改革を応援したり、今で言えば小池百合子に熱心に肩入れしたりしてしまっている(例えば、「国民の生活が第一は人づくりにあり」と題するブログは、このところ「小池都知事誕生は政権交代と同じ」と連呼している。「リベラル」のうち小沢派に属する人たちの新自由主義志向の強さをよく表している)。その弊害の塊が民進党であり、近く自由党に党名を変更するという生活の党と山本太郎となかまたちであるというのが私の認識だ。

 今となっては民進党等を変えることはもはや難しいかも知れないが、それでも言うべきことを言っておかなければならないと思って長い駄文を綴った。
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今の政権が社会保障切ったりしてるのも昔の政治家が将来世代にツケを残したからです。
小沢は安倍を批判する資格ないと思う。
90年代日米構造協議によると
アメポチだった小沢は湾岸戦争費用130億ドル渡し科学技術予算切ってまで公共事業430兆円バラマキ
莫大な借金作って日本経済を弱めたと言われてます
大店法、派遣法改正も日米構造協議で決まったと
だからその後の橋本政権で緊縮政策を押し進めたり
色々行政改革で決まった事をその後の政権が実行

小沢が莫大な借金作ったせいで緊縮政策をやらなきゃならなくなったのに小沢は反省もせずに
小沢信者も小沢の罪をその後の政権に擦り付け
小沢信者は誰よりもアメポチだった過去をスルー

2016.10.11 14:34 URL | ななし #- [ 編集 ]

自分もはてな日記の関連エントリで色々とコメントしたりしているんですけど、政権側と“政権批判”側が安保だの教育だの「政治とカネ」だの応酬し合っている様に見えながら経済政策に関しては「経済右派」的なとこが共通しているって感じていたんですよね。Twitterで目についた次の呟きがその辺りを巧く表現しているんですよ。

https://twitter.com/sunafukin99/status/785255477898641408
“日本の一般世論においては経済右派(ネオリベ)が主流だからこそホリエモンや竹中平蔵や橋下徹や長谷川豊のようなのが人気が出るという事実は無視してはいけない。安倍政権にしても「経済左派だから支持されてる」みたいな誤解してる人がいるがこれはむしろ逆で「経済右派だから」支持されてる。”
https://twitter.com/sunafukin99/status/785245248817549313
“ツイッターでは「安倍政権は経済左派の政策」という見解がよく流れてくるけど、むしろ左派なのは女性の社会進出とか社会的側面で、経済政策面では経済右派成分(グローバリズム、規制緩和、緊縮財政)が濃厚にしか見えない。どこをどう見ると経済左派という解釈になるんだろうか。”

何というのか、政治経済で「意識が高い」と「経済右派」的な“健全”さがさも当然の様に思われそれが齎す問題に関して余り関心がもたれていないか、ともすれば“不健全”なのは批判されて然るべしって感があるんです。エントリで紹介されていた池田勇人の高度成長政策の頃でさえ朝日新聞の笠信太郎が「『花見酒』の経済」でその“不健全”さを批判していた一文をモノしていた訳ですし、今でも例えば荻原博子が『サンデー毎日』で借金返済を優先し消費を控え現金所有を・・・・・って(個々人の家庭にとっては“適切”なアドバイスではあっても)仮にも全国民が実施したらデフレ悪化間違いなしなことを言っているとこがありますからね。ピケティをdisった挙句に累進課税を恐怖だと言った安冨歩ってのもいますし。

で、政権に批判的でともすれば「経済右派」に批判的だと自認している面子でさえも、皮肉にもこうした悪癖から抜け切れない軛の様なものがあるんですよ。少し前に騒動になった「貧困女子高生」がまさにそうだった https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/behind-nhk-hinkon?utm_term=.bglqnNyn1 訳で、「その部屋のなかに、アニメグッズやイラスト用のペン、エアコンのようなものが映り込んでいた」「アーティストのライブに行っている」「1千円以上のランチを食べている」と生活の一挙手一投足を粗探しされる結果になり、日頃は貧困問題だの格差問題だのに関心を持つ面々でさえもが、その“不健全”さを攻撃するという事態になったんですよね。「古い左翼」と自認する“火の玉教授”が口にした様に「なるべく買い物をせず、倹約に努めほどほどの生活に我慢する。デフレでどこが悪い?!」 http://blogs.yahoo.co.jp/otsuki1936/32796393.html なのが当然だと信じ込み兎に角節倹と“健全”さを一方的に押し付ける・そういう面子が(比較的生活に恵まれていながらも)政権や「経済右派」に批判的だと自認している層に目立っているって気がしちゃうんですよ。

2016.10.11 19:11 URL | 杉山真大 #- [ 編集 ]

今回の内容、とても勉強になりました。
安倍の経済政策について、知識のない私にも整理ができました。

国民皆保険、国民皆年金、日本が作り上げてきた制度には評価できるものはあります。ですが、それらの仕組が形骸化してしまっていることを否定できる人は今やほとんどいないでしょう。

あの馬鹿高い国民健康保険料、ある意味払えなくて当たり前です。保険制度の枠外に置かれている人たちが年々増えていることを見て見ぬことで成り立っている社会、特に貧困であることを勇気をもって表明した女子高生を政治家がバッシングする社会、そんなものに何の希望が見いだせるというのか。

年金だってそうです。
外国では、年金保険料として集めた金は、年金給付以外には使ってはいけないというのか鉄則だと聞いています。ところが、日本では、ご存じのように、「労働者の福祉のため」と法律に一言入れれば、白蟻のような官僚たちが、自分の天下りのための組織作りに湯水のように金を使えたのです。

国の都合による(国家社会主義というのですか?)社会保障なんて、そんなものではないでしょうか。まして安倍なんかに、期待する気にはまったくなれないです。

保険料だけでなく、医療の質もひどくなるばかりです。私の友人は、末期ガンの母親について、「抗がん剤が利かないならどこにいても同じです。」と言われ、無理矢理在宅医療を強いられました。母1人子1人で、昼間は仕事に行かないといけないということを訴えても、一切考慮されなかったそうです。食事もとれず、点滴もしてもらえない親の横で自分の食事を作らなければいけない気持ち、夜も、息をしているか心配で何分かおきにのぞきこまざるを得ず、ほとんど眠れなかった4ヶ月は地獄だったと言っていました。
そして恐ろしいことに、それが望ましいこと、あるべき姿として「そんなの嫌だ」と声を挙げにくい社会になりつつあるのです。

国の為に私たちが存在しているのではない、
私たちが幸せな人生をささやかに生きる為に国があるのだと、はっきり言い切ってくれる政党、その政策的な根拠を説得力をもって示してくれる政党を私は切望しています。

民主党ファンの方、あっ、今はナンとか言う名前に変わったんでしたっけ、自民の独裁が嫌だから政権交代を、と言うだけでは何の説得力もありませんよ。
私の地元では、子ども病院という、高度な医療施設がありました。県外からも患者が来るような、小児の難病については有名な施設で、比較的アクセスの良い市内にありました。でも、バブルの遺産というか、環境破壊をして埋め立てて造った人工島(赤字垂れ流しで交通アクセスが悪く使い道がない)に無理矢理移転させられましたよ。
手狭になった元の場所で高層建築に建て替える金額の見積もりを不法に1.5倍に水増しして計算し、無理矢理人工島に移したということで、市民から裁判を起こされた経緯があります。残念ながら、最高裁は今年棄却してしまいましたが。その移転をいそいそと進めたのが、民主党推薦の当時の市長でした。
本当に、自民党とどこが違うのだろうと思いましたね。
まあ、国政では安倍のようなひどいのはいないかもしれませんが、それこそ「右に出る者はいない」前原さんとか、多彩な人材がいらっしゃっいますよね(嫌みですよ)。
だから、民主党(の成れの果て)を批判するな、というのはナンセンスです。

知識のない私が建設的でないことばかりを書いてしまい、申し訳ない気持ちはありますが、浮動票としては浮動できない絶望があるのです。

2016.10.12 23:41 URL | たまさん #BK/hsg3U [ 編集 ]

「国家社会主義」という言葉を耳にしてずっと考えていたことなんですけど、「国家社会主義」という言葉自体がある意味では二重三重の意味合いを持つものなんですよ。

よく「国家社会主義」と言うとファシズムやナチズムに代表される共同体的な全体主義体制で排外的な体制の方を連想することが多いんですけど、その一方19世紀の帝政ドイツに端を発する国民国家を基にした資本主義のシステムを原則的に遵守しながらも、一方で社会保障や教育などの社会政策で労働者や農民に対して行い社会改良を通じて資本主義体制の擁護を図る政治体制も「国家社会主義」と呼称することが多かったりします(新歴史学派のシュモラーやアドルフ=ワーグナー・ブレンターノがその論者で、その一部が後のドイツ社会民主党に連なったりしますけど)。

さとう氏の「安倍総理の国家社会主義に対する対抗軸を!」と主張したエントリ http://hiroseto.exblog.jp/24701413/ や前コメントで紹介した呟きとかを見ている限りだと、安倍政権の「国家社会主義」(そしてさとう氏が批判しているそれ)って後者の社会政策で体制維持を図る諸政策の方を指す気がするんですよね。国民国家中心じゃなく経済的には均衡財政志向で自由貿易推進・企業優遇と「経済右派」だったりする訳なんですが、最低賃金の引き上げとか女性の社会進出の促進とか社会政策も(その効果の当否や政策の中身はさて措くとして)やっているとこがありますし、単純なネオリベとも方向性が違うとこがあるとも言えなくもないんですよね。

寧ろ、ファシズム的な「国家社会主義」ってのを称えているのには安倍政権に批判的な向きが目立つと言っても過言ではないでしょう。安倍政権は外国人労働者の受け入れにも前向きだと言うけど、これにはかの在特会で活動していた桜井某とか田母神某・三橋某などどう解釈してもリベラルではない(況やネオリベですらない)極右・右派が反対の声を挙げているんですよね。リベラル受けする面子を見たとしても、例えば白井聡や内田樹・孫崎享辺りの言動なんかは“身贔屓”とか言って排外主義にも通じるとこがあるんですよね。公人絡みのヘイトスピーチでは批判はすれどヘイトスピーチ自体を否定している訳でありませんし、左派やリベラルが保守に搦め取られる過程でともすればこうしたファシズム待望へと走る嫌な予感がするのです。

2016.10.19 17:22 URL | 杉山真大 #- [ 編集 ]

国家社会主義にも二通りあるのですね。
確かに安倍のすることは一見すると「良さげ」なところもありますが、なにせ「じっちゃんの復讐」がセットでついてくるという胡散臭さ、というより真っ黒な感じが持ち味なので私は嫌悪感しか感じません。
あんなのにかすめとられる人が居る?と思っていたのですが、連合なんか、かすめとられるどころかミイラ取りがミイラになった好例かもしれませんね。

2016.10.21 19:40 URL | たまさん #BK/hsg3U [ 編集 ]


竹田恒徳
関東軍参謀。731部隊の活動を知りうる立場にして皇族のため、満州に侵攻したソ連軍の標的とされることから周囲の助けにより真っ先に満州から逃亡。
関東軍の放棄した満州に残された民間人犠牲者は推計8万人。
戦後はJOC会長を務める。

高橋治之 元電通専務
JOC会長を務めた竹田恒徳を父に持つ大学の後輩竹田恒和の威光を背景に電通のスポーツ界進出に辣腕をふるう。
竹田の推挙によりJOC理事に就任。
ご意見ご要望はこちらにお寄せください<<03 6872 6005 Pasona Group Inc ,早乙女,武藤祐輔 ,南部>>

竹田恒和
恒徳の三男。自動車事故で女性を轢殺。周囲の助けによりわずか2年で五輪代表に復帰。
親のコネでJOC会長に就任。
生活困窮すると、元電通専務である大学の先輩高橋治之の力で、名誉職で無給だったJOC会長を月130万円の有給にしてもらう。
見返りに高橋を招致委員にする。
ご意見ご要望はこちらにお寄せください<<03 6872 6005 Pasona Group Inc ,早乙女,武藤祐輔 ,南部>>

竹田恒昭 元電通社員。恒和の甥。
電通に差し出された竹田一族の人質。
大麻所持により電通を解雇されてしまい、
竹田家と電通のパイプを果たせなかった無能。

竹田恒泰
恒和の長男。ネトウヨ芸人。

2016.11.10 16:49 URL | #45D2Wkr2 [ 編集 ]













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