fc2ブログ

きまぐれな日々

 日米首脳会談、伊勢志摩サミット、オバマの広島訪問と続いた政治日程が終わった。

 これらを始まる前から鬱陶しく思っていた私は、先週金曜日(27日)と昨日の日曜日(29日)には「kojitakenの日記」まで休んだ。その2日に挿まれた土曜日(28日)に、「オバマの広島訪問/アメリカも日本も先の戦争の総括が全然できていない」と題した文章を書いた。言いたいことはほぼその短い文章に尽きている。

 中国や韓国に対する戦争責任を、口先はどうあれ本心では全く認めていない安倍晋三が日本の総理大臣であっては、オバマが謝罪はおろか、原爆投下は誤りであったと認めることすらしなかったのは止むを得ないとは思う。安倍晋三を総理大臣にいただいたばかりか安倍を3年以上もその地位にとどまらせている国民に対して、アメリカの大統領がそんなことを言うはずがないのは当たり前だ。だが、先日(25日)の朝日新聞オピニオン面に載った塩野七生のインタビューのように、オバマ来日の前から「日本はオバマに謝罪を求めない方が良い」などと言い出して変な空気を作り上げようとしていたことには心底うんざりした。

 「kojitakenの日記」にも書いたが、敗戦後の日本国民はマッカーサーに熱狂したし、1945年3月10日の東京大空襲で焼け野原にされた東京の本所(墨田区)・深川(江東区)の人たちは、その焼け野原を訪れた昭和天皇に感謝感激した。今回のオバマの広島訪問に対する反応もそれと同じだ、と思った。

 テレビには戦争を知っているはずもない世代の広島市民にマイクが向けられ、市民はインタビュアーの期待に応えるかのようにオバマの広島訪問を歓迎する言葉を発していた。あるいは、そんなコメントを選んで編集したのかもしれないと思った。

 なんと「しんぶん赤旗」までもが、「これが赤旗か」と驚くばかりのぬるま湯的な「主張」(一般紙の社説に当たる)を掲載していたことには驚いた。この国の「鵺のようなファシズム」はそこまで来てしまったのかと。

 結局、極右雑誌「WiLL」の7月号で日下公人と高山正之という2人の極右論客が、「オバマよ、原爆投下は戦争犯罪だ」と言っているのが目立ったくらいだった。とはいえ、先の戦争で日本軍がアジア諸国を解放したのだとほざいている高山某らはその前提からして論外であり、彼らは単に自民族中心の「中華思想」的観点からアメリカを非難しているに過ぎない。冷戦終結後、民族主義や、かつては左派の間でも至高の価値観とされた時代もあったらしい「民族自決」にも大いに批判されるべき側面があることが明らかになってきた(90年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争など)。民族主義の悪弊はヨーロッパなどで広く見られている。

 なお、今朝未明に「kojitakenの日記」にいただいたコメントによると、昨夜のBS朝日の番組で、秋葉忠利元広島市長がオバマ来広を賞賛し、青木理も「極めて遠慮がち」に「やや批判的な意見も述べてい」た程度だったといい、他方、「トンデモ議員の代表格」おおさか維新の会の衆院議員・足立康史が、これはテレビ番組ではなくブログにおいて、

核廃絶に向けたメッセージとしては、ほとんど意味がないということにも、私たちは特に日本の政治家は意識的であるべきだと思います。核を保有する米国とその傘下の日本。核兵器禁止条約に反対している日米両国がいくら歴史的和解だと胸を張っても、核廃絶へのメッセージにはなり得ないのです。

という正論を述べていたとのこと。この足立康史も、先に述べた日下公人や高山正之と同じで、土台が腐ってはいるのだろうが、そういえば日下の高山の対談(5%か10%くらいしか立ち読みしていない)で彼らは「左派はもちろんオバマの広島訪問を歓迎し、右派はこれで日米同盟が強化されるといって歓迎している」と言っていた。従米右翼はともかく、「左派」を「反米右翼」(?)たちはそんなふうに見てるんだ、と思った。全く「右」も「左」も、と、かつて私が激しく忌み嫌っていた(そして今も大嫌いな)「『右』も『左』もない」という言葉が頭に浮かんでくることにわれながら苦笑するのだった。

 あんまりネガティブなことばかり綴るのも何だから、少しは前向きなことにも触れておくと、ParsTodayの記事によると、アメリカの保守系紙である「ワシントンポスト」が「アメリカは、多くの犯罪について謝罪していない」と報じた。アメリカには自国の戦争犯罪を直視しようとする保守系のジャーナリズムがある。アメリカ人にできるのであれば日本人にもできるはずだ。
関連記事
スポンサーサイト



秋葉さんが手ぬるいコメントをしていたとは知らなかったが(確かめたいところだが)
同じ元市長でも、平岡さんは
毎日新聞で『何をしに来たのか』と、まともなコメントをしていましたね。
『謝罪を求めない』というのも、無惨に殺された死者に失礼だ。…米国に『二度と使わせない』と誓わせ、核兵器廃絶が実現して初めて、死者は安らかに眠れる。
広島は大統領の花道を飾る『貸し座敷』ではない。
大統領のレガシー作りや中国を意識した日米同盟強化を誇示するパフォーマンスの場に利用されたらかなわない。
と、まともなコメントをしていますな。
先日の朝生で、青木理さんも
オバマが来たことは認めながら、同様な話はしてはいたが
、まあ、右翼集団の独壇場なので、あの番組は…、そうした話をたちまちぼやかしてってことの連続でした。
私はテレビメディアのあのざまは、プロパガンダにしか思えなかった。
たしかに演説は上手い。安倍晋三とは桁が違う。でも、猿芝居そのまんま。
一度だけ、あそこの資料館に行ったことがあるが、あれは
足早な私でも三十分はかかる
、唸らせるものがあるところ
。手の込んだ展示で、やれケロイドがどうたらとか、単なる悲惨で恐怖だという代物ではない。幸い、中学時代に長崎の資料館に行ったことがあったので、余計に堪能できたが、とにかく、貸切状態で十分で見られるものでない!
こうした時代だし、様々な媒体などで原爆に関するものを
学ぶことはできるし、天下の大統領なら私らでも見られないものなども見ているかもしれない。
しかし、問題はそこではない!アピールしに来たのならば、もっと時間をかけて資料館を見学しなければ無意味!
先に岩国市で『身内に』演説などをやっていたが、こうした点にも、ズバリなめられた感あり。そんなことは広島もうでのあとにやれよ、どうせ
岩国市から帰国するんだからさ。
核兵器発射のボタンだっけかを(立場なので)持ってきての演説である。そうした現実などを…テレビなどは『オバマさんは原稿にない言葉などを入れてくるので、資料館に行ったことも盛り込んでくるのでは?』といかにもなことを解説してはいたが、それすらもなかった。
何をしに来たのか、という、
平岡敬元広島市長のコメントがはたしてテレビで流れていたのかは知らない(だから、
毎日新聞を見て、やっといたかと思えたくらい)。
それだけ、テレビのハシャギぶりはバカ丸出しに見える。
なかには、東京新聞だったかは忘れたが、あの小浜市の人々を引っ張り出してオバマをリスペストしているのもありましたね。
バッカじゃ、なかろか?ルンバァ~!!

2016.05.30 13:16 URL | axfxzo #ePfhgX1o [ 編集 ]

民族自決権や武力自衛政策であれ、立憲主義であれ、唯物弁証法的なものの見方をすることが不可欠であるマルクス派左翼は、それらを歴史的にみないとダメなのですね。
歴史的に見るとは、世界を変化・発展するものと見ることです。マルクスたち先人の立場とは、事物の「本質」でさえ可変的であるというものだったのですからね。
老ヘーゲル派が陥った教条墨守的態度に対峙したのがヘーゲルの「方法」を継承・発展させた青年ヘーゲル派だったように、21世紀の理性も20世紀マルクス主義的左翼のドグマを乗り越えなければなりません。いつまでも「帝国主義論」的な思い込みや色メガネで世界を観ていては時代錯誤にしかなりません。

かつての刹那的・現状聖化的「修正主義」を超えて、事物の真の変化・発展に敏感になることが求められているのです。

2016.05.30 17:02 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

>アメリカの保守系紙である「ワシントンポスト」が

間違っていたら申し訳ありません。ワシントンポストはどちらかと言うとリベラル系では?
基本的に民主党支持のはずですし。先の大統領戦でもオバマを支持していたような。

2016.05.31 07:15 URL | グッドマン #- [ 編集 ]

石川好が佐高信との対談 http://amzn.to/1WucMpC で指摘していたんですけど、日本で自国の戦争犯罪の追及をするにしてもその主体がアマルガムなものになっていて個々の問題で追及できぬまま“一億総懺悔”みたいな格好になってしまうって指摘をしているんですよね。無論手を下した個人個人を罰することは“腑分け”出来ない訳じゃないんですけど、その指揮系統はどうだったのかそうなる事態の背景はどうなるのかってとこへ進めると彼方此方が絡んでしまうし、そもそもの責任主体を問おうにも各所各所が勝手に進めて手を取り合ってやってしまったのが現実なら、結果は“一億総懺悔”みたいになっちゃうんですよね。

何より責任に限らず例えば相互扶助とか協働とかが絡んでていても、日本だとこと無限大に彼是要求する・というかし合う性質があるかと思います。こうした問題でよく出てくる社会観系資本の議論とか見ていると、例えばイタリアなど欧州ならこの分野はこちら・あの分野はあちらという具合に案外ドライでかつオープンな格好で協働しているし、また出来ないこととかやれないこと(そこには当然労働条件とか報酬とかが絡むものもありますけど)に関してもキッチリしているとこがあったりするんですよ。

これが、日本の例えば昔の五人組や隣組・現在の町内会や自治会さらには社内のQCサークルなどの小集団や協同組合・NPOになると、そのあたりがウェットというのかドロドロというのか彼方でやったのだから此方でやれって具合に一旦グループを組むと全体的に協力・参加させられてしまうとこが常だったりするんですよね。しかもその組織自体にして彼我を分けることが常でちょっとした異論でさえ憚れる・場合によっては組織から追われることだって珍しくはない訳です。

日本でも戦後50年(という訳だから今から20年も前辺りになりますね)を期に自国の戦争犯罪の追及をする機運が生じたけど、そうしたら“自虐史観”ってバックラッシュを起こして結果的には村山談話・河野談話程度で妥協せざるを得なかった訳でしょう。その両談話でさえ“自虐”だというのが未だ大きいってことを考えると、戦争犯罪を“罪”でなく“恥”とする心性以外にも辺見庸が指摘した http://amzn.to/1OZhPq5 「湿った土壌」の軛の重さを感じざるを得ません・・・・・

2016.05.31 10:28 URL | 杉山真大 #- [ 編集 ]













管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://caprice.blog63.fc2.com/tb.php/1441-5dab143f