きまぐれな日々

 昨年の今頃は、朝日新聞が「従軍慰安婦」の記事の誤りを認めたことをきっかけに、極右雑誌や産経新聞、それに右翼文化人やネトウヨなどが、一斉に「ついに朝日が誤報を認めたぞ」と狂喜乱舞して勢いづいていた。朝日の記事が載ったのは確か広島原爆忌の前日の8月5日だった。だから昨年は広島も長崎も終戦記念日もかすんでしまった。もともと朝日の訂正記事は、安倍晋三が当時の朝日新聞社長・木村伊量をそそのかして書かせたものだと私はにらんでいる。政治記事のネタを政権に近い読売などにいつも先行されて苦しんでいた木村前社長が安倍政権に取り入ろうとして自滅したというのが私の見立てだ。昨夏は、安倍晋三にとっては右派右派、もといウハウハの夏だったといえる。

 安倍晋三が今年8月6日の広島記念式典のあいさつから「非核三原則」を抜いたのも、その戦勝気分がさめやらず、自らの気に食わない上に言い出しっぺの佐藤栄作(安倍晋三の大叔父)自身がそもそも守ってもいなかった「非核三原則」を抜いたって大事にもならないだろうと、既成事実を積み重ねる一環として軽く考えてやらかしたことだったに違いない。それが強い批判を浴びた。慌てた安倍は、一転して、昨日(8月9日)の長崎での挨拶には「非核三原則」の文言を入れた。2006〜07年の第一次内閣時代に「KY」(空気が読めない)と揶揄された安倍晋三の読み間違いが戻ってきた。

 昨年までは、「KY」というべきは前記の朝日新聞や、同紙に応援されている民主党などであった。朝日は出すべきではなかった「従軍慰安婦」の訂正記事を最悪のタイミングで出し、極右勢力の猛攻を呼び込んだ。それが、今年の安保法案での国会審議の真っ只中の6月4日に行われた衆院憲法審査会で、自民党が参考人として招致した長谷部恭男が安保法案を「違憲」と断言して以降、急に流れが変わった。その変化を安倍晋三はいまだに読み切れていない。8月14日に閣議決定して発表されるという「安倍談話」がどんなものになるか、今から思いやられる。

 閣議決定というと、公明党の閣僚も承認して出すものだが、公明党が何の歯止めにもならないことは既に証明されている。前述の憲法審査会でも、公明党は長谷部恭男に安保法案について「理解を求める」という、「平和の党」の看板が泣く醜態を晒した。最近では創価学会員による安保法案批判も目立つというが、人間社会をも支配する「慣性(惰性)の法則」の恐ろしさというべきか、ここまで極右的性格をむき出しにした安倍政権であっても、公明党はみっともなく連立にしがみついている。仙台市議選の前日までは強硬姿勢を装っていた礒崎陽輔に対する姿勢も、同市議選が終わるや一転して留任を容認するていたらくである。

 このように安倍晋三や公明党の醜態ばかりが目立った先週にあって、一服の清涼剤とも言うべきは、8月4日付朝日新聞に掲載されたジョン・ダワーのインタビュー記事「日本が誇るべき力」だった。このインタビューについては、ダワーが岸信介や安倍晋三を批判した部分のみ『kojitakenの日記』に引用して紹介したが、実はこの部分などダワーのインタビューの中ではほんの枝葉末節に過ぎない。孫崎享や「小沢信者」に読ませたい部分ではあっても核心部ではない。インタビューの全文転載はむろん朝日新聞社の著作権を明白に侵害するので、以下いくつかの部分を抜粋して引用、紹介したい。なお、岸信介や安倍晋三を批判した部分は割愛するので、その部分については『kojitakenの日記』を参照されたい。

(前略)
 「1946年に日本国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし、現在まで憲法が変えられなかったのは、日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり、決して米国の意向ではなかった。これは称賛に値するソフトパワーです。変えたいというのなら変えられたのだから、米国に押しつけられたと考えるのは間違っている。憲法は、日本をどんな国とも違う国にしました」

 ――その理念は、なぜ、どこから生じたのでしょうか。
 「日本のソフトパワー、反軍事の精神は、政府の主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものです。敗戦直後は極めて苦しい時代でしたが、多くの理想主義と根源的な問いがありました。平和と民主主義という言葉は、疲れ果て、困窮した多くの日本人にとって、とても大きな意味を持った。これは、戦争に勝った米国が持ち得なかった経験です」
 「幅広い民衆による平和と民主主義への共感は、高度成長を経ても続きました。敗戦直後に加えて、もう一つの重要な時期は、60年代の市民運動の盛り上がりでしょう。反公害運動やベトナム反戦、沖縄返還など、この時期、日本国民は民主主義を自らの手につかみとり、声を上げなければならないと考えました。女性たちも発言を始め、戦後の歴史で大切な役割を果たしていきます」

(中略)

 ――現政権が進める安保法制で、何が変わると思いますか。
 「日本のソフトパワーが試練にさらされています。集団的自衛権の行使に踏み込み、日本を『普通の国』にするというのが保守政治家らの考えですが、普通とは何を指すのか、私には分かりません。国際的な平和維持に貢献するといいつつ、念頭にあるのは米軍とのさらなる協力でしょう。米国は軍事政策が圧倒的な影響力を持っている特殊な国であり、核兵器も持っている。そんな国の軍隊と密接につながるのが、果たして普通なのでしょうか」

(中略)

 ――対外的な強硬姿勢を支持する人も増えています。
 「ナショナリズムの隆盛は世界的な文脈で考えるべきで、日本だけの問題ではありません。今、世界のいたるところで排外主義的な思想がはびこり、右派政治の出現とつながっています。グローバル化による格差が緊張と不安定を生み、混乱と不安が広がる。そんな時、他国、他宗教、他集団と比べて、自分が属する国や集まりこそが優れており、絶対に正しいのだという考えは、心の平穏をもたらします。そしてソーシャルメディアが一部の声をさらに増殖して広める。これは、20年前にはなかった現象です」
 「北朝鮮や中国は脅威のように映りますが、本当に恐ろしいのはナショナリズムの連鎖です。国内の動きが他国を刺激し、さらに緊張を高める。日本にはぜひ、この熱を冷まして欲しいのです」

 ――では、日本のソフトパワーで何ができるでしょうか。
 「福島で原発事故が起き、さらに憲法がひねり潰されそうになっている今、過去のように国民から大きな声が上がるかどうかが問題でしょう。今の政策に国民は疑問を感じています。安倍首相は自らの信念を貫くために法治主義をゆがめ、解釈によって憲法違反に踏み込もうとしている。そこで、多くの国民が『ちょっと待って』と言い始めたように見えます」
 「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から湧き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り続けてきた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違っている」
 「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。日本も、そして米国も、戦争中に多くの恥ずべき行為をしており、それは自ら批判しなければならない。郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり、これは正当な思いです。すべての国は称賛され、尊敬されるべきものを持っている。そして自国を愛するからこそ、人々は過去を反省し、変革を起こそうとするのです」

(朝日新聞 2015年8月4日付オピニオン面掲載ジョン・ダワー氏インタビュー記事「日本の誇るべき力」より)


 いかがだろうか。私はこのインタビュー記事に大いなる感銘を受けた。子ども時代以来形成してきた思考の原点に立ち戻らせてくれたと思った。古舘伊知郎はこのインタビュー記事を読んで涙を流したというが、珍しく古舘と意見が一致したと思った。

 ダワーの精神からかけ離れているのは何も安倍晋三やネトウヨたちだけではない。「反米」「自主独立」を唱えながら、2012年に「岸信介は敢然とアメリカに対峙した『自主独立派』の政治家だった」との珍説を迷著『戦後史の正体』に発表した孫崎享なる山本七平賞受賞歴のある右翼言論人にいとも簡単に騙された「リベラル」(特に「小沢信者」)たちも安倍晋三やネトウヨと「同じ穴の狢」でしかなかった。孫崎がこの珍説を言い出した2012年は、まだ小沢一郎が日本の政治に大きな影響力を与える政治かと見られており、橋下徹と石原慎太郎の「日本維新の党」ほどではないが、主に右派が期待した「日本維新の党」に対抗したいと思いつつ当時の民主党政権に大きな不満を抱いていた「リベラル」(「東京新聞」を含む。「日本未来の党」を応援した東京新聞は、民主党びいきの朝日新聞とは対照的だったが、2012年の衆院選ではともに大敗した)は小沢一派に期待した。その正体が「革新づらした右翼」である孫崎は、そこに目をつけて、選挙後群雄割拠の状態にでもなれば、岸信介の後継者である安倍晋三を小沢一派と結びつけようとでも考えていたのではないかと私は勘繰っている。衆院選で自民党が大勝する一方「日本未来の党」は惨敗したために、孫崎が弾いたであろう皮算用は「見果てぬ夢」に終わった。

 せっかくのダワーの記事の紹介が、くだらない孫崎享の批判なんかに堕してしまったが、孫崎の迷著『戦後史の正体』の読者の大半は、ジョン・ダワーの名著『敗戦を抱きしめて』など読んだことがないに違いない。

 『戦後史の正体』を読んで「目からウロコが落ちた」と感激してた人たちは、実は目に偏光(偏向)板からなる大量のウロコを貼り付けられただけだったのだ。その腐ったウロコを落とす格好の名著が『敗戦を抱きしめて』である。毒書『戦後史の正体』の解毒剤に、これほどうってつけの本はないと叫びたい今日この頃なのである。
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うーん・・・・・正直、『敗北を抱きしめて』に関しても自分は『戦後史の正体』とは別の方向からの"偏光(偏向)板からなる大量のウロコ"って気がしてならないんですよね。

例えば、終戦直後に日本へ来て各地の有力者から一般市民まで取材して廻った記録・マーク=ゲイン『ニッポン日記』 http://amzn.to/1L04wrY とかを読むと、必ずしも「平和と民主主義という言葉は、疲れ果て、困窮した多くの日本人にとって、とても大きな意味を持った」ってのを受け入れられなかった日本人が少なからず存在したことが取り上げられているんですよね。我が茨城に取材した時には、公職追放に遭った有力者がそれこそ"日本を取り戻す"ってことを米国人のゲインに対し公言しているくらいですから。

もっとも、「60年代の市民運動の盛り上がりでしょう。反公害運動やベトナム反戦、沖縄返還など、この時期、日本国民は民主主義を自らの手につかみとり、声を上げなければならないと考えました。女性たちも発言を始め、戦後の歴史で大切な役割を果たしていきます」という指摘もある程度当たってはいるんでしょう。しかしながら、其処に国民の側から生まれ育った反軍事の精神ってのを見い出せるかってのにも自分は疑問符をつけてしまうんですよね。反公害に草の根保守が少なからず関わっていた(寧ろ労働組合が支持基盤だった"革新"が及び腰だった)りしたって例もありますし、ベトナム反戦を通じて出てきた"自主路線"に右翼や(それまでの"反共"でありながら親米でもあるのとは違う)新右翼運動に結びついた面も少なからず言えるとこがありますし。

そしてダメ押しがこれ、「郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり、これは正当な思いです」。梶山清六の「愛郷無限」って言葉が幅を利かしている茨城に住む自分としては、これには呆然としましたよ。寧ろ直接的なアイデンテティーに根差す分だけに「パトリオティズム」には狭量さや不寛容を生む面もありますし、「過去を反省し、変革を起こそうとする」のも困難になるのではないかと自分は思うんですがね。数日前から、開沼博の『フクシマ論』 http://amzn.to/1TbmvQH ってのを読んでいるんですけど、ナショナリズム以上にパトリオティズムの厄介さってのを感じざるを得ないんですよね。何しろ国家が軍事力を持つ様に地域は暴力を持つわけですから。

2015.08.10 08:11 URL | 杉山真大 #- [ 編集 ]

http://blog.rederio.jp/archives/29
印鑰 智哉のブログ『「国民」ということばを使う前に』より、”日本国憲法で改ざんされた people”。
そしてジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人』 P159より以下引用。

”反動的な修正の動きとしては、政府や国会は、在留外国人法に基づいて外国人にも平等な保護を提供するという条項の廃止に成功し、GHQの当初の意図を掘り崩した。この動きの基礎は、佐藤達夫が、翻訳マラソン直後の数時間で作り上げたものである。彼はこうした保護の提供は憲法草案の他の個所で保障されているから重複であるという理由で問題の条文の削除を求めるという、民政局にとって一見あまり重要でないように見える要求を行った。アメリカはこれを承認したが、それは日本側が訳文づくりを通して進めていた草案の骨抜きによって、他の保護条項から外国人を締め出していたことに気がつかなかったからであった。ここで鍵となる言葉は「国民」であり、これは憲法にいう「the people」をよりナショナリスティックな意味へと近づけるために選ばれた言葉だった。そもそも、保守派が「国民」という言葉を使ったのは、人民主権の意味合いを弱めるためだけでなく、国家が保障する権利を日本国籍を持つ人々だけに制限するためでもあった。アメリカ側は「すべての個人all persons」が法の前に平等であることを認めさせようと意図しており、GHQ草案の中には人種や国籍による差別を明白に禁止する文言が含まれていた。しかし佐藤たちは言葉のごまかしを通じてこのような保障を削除してしまったのである。「国民」とは、「あらゆる国籍の人々all nationals」のことだと占領軍には主張し、それによって実へ政府は、台湾人やとりわけ朝鮮人を含めた何十万という旧植民地出身の在日外国人に、平等な市民権を与えないようにすることに成功したのである。この修正の持つ露骨な人種差別性は、その後の国会審議での「用語上」の修正をへてさらに強化されていった。これが1950年に通過した、国籍に関する差別的な法案の基礎となったのである。”

どうやら昨今の体制内=生活保守層による反安倍運動及びそれを支持する護憲派もこのことを忘れているようだ。

そして
http://www.jimmin.com/htmldoc/152601.htm
人民新聞2014年9月18日付『ナショナリズムをウルトラ化させない階級闘争~酒井隆史さん(大阪府立大学人間社会学部准教授/社会思想・社会学)インタビュー』より以下抜粋。

”右翼は、資本主義社会の内部においては互いに利害の一致することのありえない階級対立を隠蔽したりそらしたりするのが役割ですから、アメリカ帝国主義や移民政策を批判しますが、生産諸関係の変革は語りません”

”3・11以降の日本の知的言説や実践をめぐる動きをみていると、ゼロ年代後半の格差批判がより根底的な資本主義批判へ深化しながら、世界の運動諸潮流との連帯に向かっていくという力よりも、国内保守との連携を模索する方向に流れる力が強い”

”1960年安保闘争においてその後の運動を大きく分裂させた「統一と団結―その後、長きにわたって日本の運動を分裂させ、乗り越えの試行錯誤がなされてきた―の亡霊がふたたび強く浮上してきたようにみえます。そして、この亡霊の再登場を可能にしているのが…「緊急事態の意識」のように思える”

”「文脈をかき乱す」手法は、ファシズムの典型的手法…そこでは、「一貫性がない」という批判が効力を持たないのです”

なるほど、世界では極右も急速に台頭する一方、当ブログでも紹介された左派の伸張の動きに(表面上ただカッコイイ、あるいは人寄せパンダ的に使える、という観点から彼らの主張を適当にカット&ペーストすることはあっても)本質的にコミットしたり、連動していこうとする動きはなく、むしろ統治者視点からの運動というのが、3.11以降の日本の主流ということがよくわかる。
だから「右も左もない」→「日本共産党が最左派でそれ以上の主張は極左として弾圧してよい」。あるいは、「アベ政治とは家父長制に基づくものという思想はキチフェミが主張していること」となり運動体に内在するセクシズム、ルッキズムは無問題とされ、むしろ批判は弾圧されている。
さらには「天皇の国家」なる言葉を大学生の運動体のリーダーが発しても「護憲派」含めて擁護者は誰一人として批判しない。
自民党の武藤某による大学生の「戦争に行きたくないは利己的である」は批判しても。
過去のことをあれこれ言うのは「自虐史観」であり、中国韓国も蒸し返すな、と。
日本の「平和憲法」万歳、70年間日本は平和だったのです、ってか。

しかしながら、こういった日本に蔓延る家父長主義無視、同調・差別主義無視の「生活保守」による「体制内反安倍運動」が忘れていることがある。
「少子高齢化」がそれ。
これはそれこそ多くの人が直接的間接的に影響を受けている、あるいはこれから影響を受ける、最大の問題だと思うが、そこへの意識が皆無。
そして日本社会は労働者との連動を模索する姿勢もなく、むしろ排除してきたわけなので、格差は拡大していくであろう。
結果社会不安は拡大し、よりファナティックなナショナリズム≒本格的なファシズムが到来する危険性は大きいと思われる。
「天皇」をかつぎ、「未来志向」がより排外主義的に強化され、反米感情が吹き荒れる。そんな近未来予想図を残念ながら描かざるを得ない、そんな暗澹たる気分で憂鬱となる今日この頃。

たとえば「戦争は嫌だ」というなら反安倍を訴えるだけではなく、民主党の姿勢も問題にしなければならないだろう。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11904989.html
『「非戦闘地域」を堅持 民主対案』
” 安倍内閣の安全保障関連法案への対案として、民主党がまとめた周辺事態法改正案と国連平和維持活動(PKO)協力法改正案の要綱が7日、わかった。
 周辺事態法改正案は朝鮮半島有事の際に邦人を輸送する米艦の防護について、内閣の法案の集団的自衛権行使ではなく、警察権に基づく「海上警備行動」で対応する。現行法の「周辺」の概念を維持し、自衛隊の活動地域も「非戦闘地域」のままとする。内閣の法案が認めた弾薬の提供や戦闘に向けて発進準備中の航空機への給油も、従来通り禁止する。
 PKO協力法改正案は武器使用の基準を緩和し、離れた場所にいるNGO職員らが襲われた場合に助けに行く「駆けつけ警護」について条件付きで認める。一方、治安維持活動に必要な「任務遂行のための武器使用」は認めていない。”

クソワロタwとはこのことか。PKOにノコノコ自衛隊は出すが、「非戦闘地域」を都合よく設定できるらしい。「駆けつけ警護」に武器使用が認められるが、治安維持活動に必要な「任務遂行のための武器使用」は認められないらしい。
要するに自爆テロ仕掛けられても、黙って自衛隊員は死んでくれ、ということだなこれは。
てなことを言うと「極左」「ヘサヨ」とか言われて弾圧されるのがただ今現在の状況であるから、もう何言ってもダメダ感が非常に強い。

なお杉山氏が開沼博を読まれているようだが、彼こそ「御用」の社会学者だ。
http://special.nikkeibp.co.jp/ts/article/ae0e/181163/
福島県人であることを武器に徹底的に「福島」は何の問題もない、と散々強調してきた男。
放射能不安にコミットする県外の声(血液・尿検査の実施、(現在さらに骨抜きされようとしている)子ども・被災者支援法の正確な履行、東電・国への賠償請求等)は「ありがた迷惑」だと言ってきた。
県民健康調査の内部の疫学者が通常の60倍以上の小児甲状腺がんの多発(しかも肺転移、低分泌化など厄介なケースが多い)を認め、臨床医が過剰スクリーニング説では説明できないとしているのに、だ。
そんな男がNUMOの歩く広告塔になっているのだから、ただしくクズとしか言いようがない「御用学者」だ。
ttp://www.aesj.net/document/atomos-201505mokuji.pdf
(pdf、hリンク過多により割愛)
そういや日本原子力学会誌にも華麗にデビューしていたw
「反原発運動」「放射能不安」を「ナチズム」「レイシズム」「歌舞伎町浄化作戦」「禁煙ファシズム」などと同じと言っているが、ぜひ「科学的」に上記県民健康調査の結果についてご教示いただきたいものだ。
気中工法によるイチエフ廃炉作業という茶番の犠牲となっている被曝労働問題。100mSv→250mSvや生涯1Svまで累積被曝OKなどという規制委員会のお達しも開沼にとっては無問題なのだろう。
あぁ福島万歳だな。
https://twitter.com/karitoshi2011/status/595463311518339073
http://togetter.com/li/815862?page=1
ついでだが「フクシマ論」についていえば、ネタばれになってしまうが宍戸俊則氏の連ツイがもっとも開沼の問題を的確に指摘している。
昨今珍しくもない統計データを恣意的に引用する「インチキ」学者であることがよくわかる。
さすが3.11以降かつて散々批判してきた「母性主義」を認め、新自由主義的言説ばかりとなった上野千鶴子の愛弟子であるだけのことはある。

2015.08.10 23:12 URL | white noise #DGytXcAs [ 編集 ]

些末なツッコミだけど
『敗北を抱きしめて』
ですよね

2015.09.13 19:23 URL | カマヤン #VEJkdggc [ 編集 ]













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