きまぐれな日々

 安倍晋三は「未来志向」が口癖のようだが、昔からこの男の言動からは未来への展望どころか過去への郷愁ばかりしか感じられない。第1次安倍内閣時代には、(岸信介が総理大臣を務めていた)昭和30年代を舞台とした映画『三丁目の夕日』を安倍晋三が絶賛したと知って、それまで好きでも嫌いでもなかった原作の漫画が大嫌いになってしまったことがあるが、第2次・第3次内閣では安倍晋三はさらに退行し、岸信介が生まれ育った明治時代とその「富国強兵」の政治への郷愁を隠さないようになった。

 この連休中、出し抜けに「明治日本の産業革命遺産」の「世界遺産」登録をICOMOSが勧告したと聞いた。そんな話は寝耳に水だったが、マスメディアの解説によると、他に世界遺産登録候補があったのを押しのけて、強引な官邸主導で選定が進められたらしい。

 高度成長時代(1955〜73年=昭和30〜48年)は、比較的格差の小さな状態を保ちながら高度成長を遂げたことで、中高年の間には郷愁を抱く人が多いらしい。しかし、当時は公害がひどかった。私などは、高度成長時代といえば大阪の神崎川から臭う耐え難い悪臭や、中国あたりが核実験を行ったあとに言われた「今日の雨に当たったらあかん」と言われた言葉を思い出す。蛇足を書けば、私が蛇蝎のごとく嫌って止まないプロ野球・読売軍の9年連続日本一があり、長嶋茂雄や王貞治に憧れない少年は人間ではないかのようなふざけた風潮もあった。あんな時代に戻らされてたまるかというのが本音だ。

 しかしそれでも現憲法下の戦後ならまだ良い。安倍自民党による政権再復帰前後から、中学・高校時代から不勉強で日本史の苦手だった私は、つとめて明治維新以降の日本の歴史を勉強し直そうと努力しているが、多くの人々から不評を買っている戦争に突き進んだ時代はもちろん、明治時代の日本にも何の魅力も感じない。かといって江戸時代を「古き良き日本」として称える、一部の「リベラル」の間にまで浸透した考え方にも賛成できず、石原慎太郎が絶賛したという渡辺京二の『逝きし世の面影』という「古き良き日本」を称える本を読んでさえ、江戸時代なんかに生まれなくて本当に良かったと思った。あの時代には職業選択の自由などなく、それこそ格差(身分、階級)が固定された時代だった。

 「明治時代の産業革命遺産」についていえば、朝鮮半島の人々が強制労働を強いられたという韓国からの批判はもちろん、日本人労働者も過酷な労働を強いられ、搾取されたことは言うまでもない。日本の産業革命時代と聞いて私が反射的に思い出すのは、「あゝ野麦峠」の女工哀史である。

 もっとも、資本主義勃興期に当たっていただけあって、日本よりさらに過酷な労働者搾取が行われていたことで知られるイギリスの「産業革命遺産」も既に「世界遺産」に登録されているらしい。下記URLのサイトから引用する。
http://heiwa-ga-ichiban.jp/sekai/sub/sub26.html

世界遺産に登録されている重工業分野における近代化産業遺産は、ブレナヴォン産業用地(イギリス)、コーンウォールとウェストンデヴォンの鉱山景観(イギリス)、エッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群(ドイツ)などがありますが、いずれもヨーロッパにおける近代化産業遺産です。明治日本の産業革命遺産は、西洋以外では最も早く重化学分野での産業化を達成したことを証明する資産として注目されています。


 ただ、中立の立場で書かれていると思われるこのサイトの記事にさえ、今回の「明治日本の産業革命遺産」への批判が書かれている。以下再び引用する。

ただ「明治日本の産業革命遺産」は・・・・・

もともとは「九州・山口の近代化産業遺産群」として登録運動が始まりましたが、登録資産を全国に広げ、名称を「明治日本の産業革命遺産」とし文化財保護を前提とする文部科学省主導ではなく内閣官房主導で登録が推進されました。
たまたま残されていた遺産を寄せ集め、ストーリーを作り、世界遺産への登録を果たそうというもので違和感を感じざるを得ません。特に、廃墟として放置されてきた端島(軍艦島)の場合、崩壊の危機にあり、その保存のため50~150億円かかるといわれています。それだけのお金をかけてでも世界遺産にする価値があるのかどうか、疑問です。


 軍艦島なんかを保存するのに税金をかけて良いのか。世の中にはなんちゃら構想の住民投票とかで息巻いている「身を切る改革」をキャッチフレーズにする「政党」があるようだが、軍艦島の世界遺産登録の動きについて何か言っているのだろうか。ネット検索をかけても何も出てこないが、仮に何か言っているとしてもどうせ賛成論に違いない。

 私は基本的に「明治日本の産業革命遺産」登録に好感を全く持たないが、仮に登録されるにしても、その負の側面へも思いを致すものでなければならないだろう。しかし、安倍政権にそれを期待するのはないものねだりというものである。

 さて、今回の「明治日本の産業革命遺産」で噴飯ものなのは、萩の松下村塾が含まれていることだろう。マスメディアはなぜかあまり話題にしないのだが、こんなものは安倍晋三による我田引水以外の何物でもあるまい。しかも、松下村塾に対しては「近代日本のテロリズム遺産」というネットでの批評があり、私もそれに同意する記事を書いたが(そもそも昔から私は吉田松陰に「右翼の元祖」とのレッテルを貼って嫌っていた)、それに限らず以前から吉田松陰に対する批判は活発に行われている。

 最近では3月19日付朝日新聞オピニオン面に掲載された小島毅・東大教授による批判があった。私も紙面で読んだが、「朝日新聞デジタル」では書き出ししか読めない。しかし、それを批評したブログ記事(下記URL)に共感したので以下に紹介する。
http://blogs.yahoo.co.jp/gon_chan_old/13224952.html

NHK大河ドラマ『花燃ゆ』がついに視聴率が1ケタを記録したという。私は3月19日の朝日新聞オピニオン、小島毅の「松蔭の『行動』への賛美 実は危うい」を私は読んでいたので、これで良いと思った。私も吉田寅次郎こと吉田松陰を「英雄」視するのは良くないと思う。

小島毅は朝日新聞オピニオンで吉田松陰の思想の「行動」への偏重を批判する。本人の寄稿でなくインタビューだったので、小島毅の批判する「行動」とは何であるかハッキリしないが、暗殺や内戦に至る暴力的「行動」を批判していると私は解釈してる。暴力的でない「行動」は必要な場合があると私は思う。困っている人をかわいそうだと思うだけでなく、手を差し伸べるほうが良いと思う。

私は、「行動」への偏重だけでなく、吉田松陰の「尊皇攘夷」の思想をも批判すべきと思う。「尊皇攘夷」の思想が、明治維新後も権力の中枢で生き残り、韓国、中国への侵略、太平洋戦争に至ったと思う。

「尊皇攘夷」とは「王を尊び、夷を攘う(はらう)」の意味である。

ここで注意したいのは、あくまで「尊」であって、権力の象徴に天皇をすえるが、実権は側近が握っても良いとしていることである。「尊皇」とは、国家儀礼による国家統治を主張する幕末期の儒学のスローガンである。島薗進の『国家神道と日本人』(岩波新書)は、明治政府の儒学者たちが、いかに皇室祭祀を国家儀礼とし天皇を神格化したかを、実証的に記述している。
また、「攘夷」の本質的問題は、「開国」か否かではなく、日本国が邪悪な「列強」に囲まているという危機意識、被害者意識にある。19世紀末には、すでに、欧米には「個人」や「人権」という概念があった。ところが、暴力で権力を握った明治政府にとって、欧米の人権思想は困るもので、「和魂洋才」をスローガンとし、人権や社会主義を唱える活動家を弾圧した。そして、この道しかないと「富国強兵」の道をばく進した。

「尊皇攘夷」は形を変えて、現在も生き残っている。

現在の天皇や皇太子は健全な教養人なので、権力者にとって儀礼による統治に利用できない。その代りに、国旗掲揚、国歌斉唱という形で、国家儀礼を個人に押し付けている。小学校、中学校、高校だけでなく、大学までそれを強要し始めている。1891年(明治24年)、内村鑑三は、第一高等中学校の講堂での教育勅語奉読式において「最敬礼」をおこなわなかったと、とがめられ、教師の職を失った。教育勅語に対する頭の下げ方が足りないというものである。現在でも、国旗掲揚、国歌斉唱で職員の起立が求められ、それに従わない職員が処分されるのは、異常なことである。

「攘夷」も日本で生き残っている。「国際競争」に勝つことが働く人の人権よりも優先されている。さらに、韓国や中国の「脅威」を誇張し、自衛隊の「軍隊」への昇格、憲法9条の改正を唱える者が、日本で政権を握っている。

私は、儀礼による統治を主張する孔子より、個人が自由に生きることの素晴らしさを語る荘子が好きだ。私は、早く、「尊皇攘夷」の亡霊を歴史の舞台から追い出したい。

(『猫じじいのブログ』 2015年4月27日付記事「『尊皇攘夷』の亡霊、私は孔子より荘子が好きだ。」)


 吉田松陰の「尊皇攘夷」の思想こそ批判すべき。本当にその通りだと思う。私は、吉田松陰のテロリスト的体質も大嫌いだが、そもそもこの「尊皇攘夷」の思想こそ、昔から嫌ってやまなかったものなのだった。

 だが、安倍晋三的右翼はもちろん、昨今の「リベラル」からも「尊皇攘夷」の思想に対する批判精神は極めて稀薄なのではないか。それが安倍晋三を大いに助けているのではないかと思う今日この頃なのである。
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と言うのか、最近じゃ少なからざる"リベラル"が「尊王攘夷」に毒されてる気もしますね。

山本太郎の園遊会での"直訴"もさることながら、現在の天皇への"リベラル"的姿勢に幻惑されて何処か戦前の青年将校の様な天皇中心の理想政治への夢想という二の轍を踏んでいる感がありますからね。はてなでkojitaken様が取り上げた、内田樹の「天皇とホワイトハウスしか自民党の『革命』を止める実効的な勢力が存在しない」 http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150227/1424994886 と言う物言いなぞ親米保守と「尊王」をダブルで賞賛(?)する様なものですし。

「攘夷」に関しても同様で、いわゆる俗流の"反米"もさることながら中国や韓国などのアジア諸国・果ては全世界を巻き込んだグローバル化への反発で、内田の言う様な「排耶書」的鎖国賞賛な物言いや三橋貴明らの「世界は崩壊して日本は繁栄」的なことが持て囃されてますからね。一緒にするなって批判も出てきそうですけど、少なくとも安倍政権批判という点では両者は共通してますし、"言ってる人間より中身が大切"とばかりに両者の主張を(矛盾や相違点も気づかずに)同時に支持しちゃう頓珍漢なのって少なくないかと思います。

2015.05.11 08:39 URL | 杉山真大 #- [ 編集 ]

明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録をICOMOSが勧告。
今回の登録選定は、長崎の教会群といった有力な世界遺産登録候補があったのを押しのけて、強引な官邸主導で選定が進められました。
何のために?
それは、安倍晋三の「殖産興業」「富国強兵」の郷愁、すなわち戦前への郷愁です。
明治日本の産業革命遺産は、日本人にとっては「ああ、野麦峠」に見られる搾取と抑圧の象徴。
現在のブラック企業に通じるものがあります。
明治日本の産業革命遺産登録には断固反対です。

2015.05.19 23:17 URL | 風てん #- [ 編集 ]













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