この「現代」の記事紹介シリーズ第2回の記事に、非戦さんから次のようなコメントをいただいている。
病気や障害と闘いながら、気炎をはき、常に私達を叱咤激励されている辺見庸さんの変わらぬ権力や軍産と戦う姿勢を尊敬しています。
その辺見さんに続く人を待望していますが、立花さんも、立ち上がってくださったのですね。今こそ、小説家、評論家など言論人が批判と抵抗の姿を最大に示すときでしょう。(後略)
(「現代」 2006年10月号の記事より(その2)への非戦さんのコメントより)
立ち上がるべきは、小説家や評論家ばかりではなく、一般人であるわれわれブロガーも含まれると思う。われわれこそ、辺見さんや立花さんに続かなければならないだろう。国民が動いて初めて、山を動かすことができるのだから。
さて、「現代」の辺見さんの記事は、インタビュー形式をとっている。近著「自分自身への審問」(毎日新聞社)に書かれている「万物の商品化」について聞かれた辺見さんは、資本主義の爛熟に伴って、言葉全体も資本の法則に馴致(じゅんち)させられていると述べながら、ジャーナリズムを批判している。テレビも新聞も無恥だと。特に朝日新聞の「ジャーナリズム宣言」には手厳しい。
やはり辺見さんの近著である「いまここに在ることの恥」(毎日新聞社)で、辺見さんは2003年に自衛隊のイラク派遣が閣議決定された時の小泉純一郎首相の記者会見を「戦後最大の恥辱」だと評している。そして、派兵の根拠をこともあろうに日本国憲法の前文に求めた小泉を批判できなかったジャーナリズムを厳しく批判する。そして、ナチスの武装親衛隊に所属していたと告白したドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスと、グラスをめぐる欧州世論の強烈な反応を例に引きながら、戦争責任の追及を放棄した日本をかえりみて、「グラスの告白に接し、ぼくはむしろ日本という国の途方もない無恥を思い知ったのです」とおっしゃっている。
靖国神社の問題も、中国や韓国に言われるからではなく、内発的に問題に向き合わなければならないのに、それをやらない。参拝に反対する側でさえ、日経新聞がスクープした「富田メモ」を利用して、安易に「天皇も参拝をやめたのだから、首相も参拝すべきではない」という論法を用い、昭和天皇の戦争責任という重大な観点をかき消してしまうと批判する(この点は、「富田メモ」スクープの以前に、同じような論法の記事を書いてしまった私にとっても、まことに耳の痛い指摘である)。
そして、辺見さんは、話を今日自民党総裁に就任する安倍晋三への批判へとつなげていく。以下引用する。
次期首相が最有力視される安倍晋三官房長官の言動にはもっともっと警戒すべきではないでしょうか。
(中略)
ぼくは安倍という人物は巷間言われる"小泉首相のエピゴーネン"どころか、小泉氏以上の確信的な憲法否定論者であり、異様なほど好戦的な考えの持ち主だと見ています。小泉氏は単純で陽性な独裁者、ファシストの一面がありますが、安倍氏はあの一見柔和な表情の裏に底暗い世界観を秘めた、いわば"陰熱"の国家主義者であると感じます。(中略)
多分、彼はこの国の戦後の成り立ちを根本から覆すような国家観を持っているのでしょう。
(辺見庸 「無恥と忘却の国に生きるということ」?月刊「現代」 2006年10月号より)
引用した最後の部分(赤字ボールド)の辺見さんの安倍への認識は、立花隆さんとみごとなまでに一致している。
最後の項で、「この喧嘩に最期まで付き合う」として、辺見さんもまた安倍晋三に「宣戦布告」をしている(「最後」ではなく「最期」という表記を用いられている)。
辺見さんは、米国のネオコン顔負けの、安倍の戦闘的国家主義を批判し、安倍が憲法改定をスケジュールに載せ、政権構想の一環として、米国家安全保障会議(NSC)と同様の組織や対外情報機関を創設する考えを打ち出していることを批判し、4年前に「サンデー毎日」(2002年6月2日号および同6月9日号)がスクープした「戦術核を使うことは違憲ではない」という、岸信介でさえ言わなかった超過激な発言を安倍がしたことを批判している。そして、安倍だけでなく、「アベチャン、アベチャン」などと言って安倍を持ち上げてきたマスメディア、テレビの有名キャスターらを手厳しく批判している。
最後に、「現代」の記事の最後に書かれた、辺見さんの印象的な言葉を引用する。
入院生活を終えて娑婆に戻ってきたら、すべてが様変わりしていました。あまりの変わりようにぼくはいったん沈黙を決心もしました。しかし、身体がボロボロになっても諾うことができないことは、やはり諾うことが不可能なのです。もうサロンでワインを飲みながら護憲を語り合うような優雅で無責任な時代は終わりました。正念場がいまきています。憲法をめぐるど突き合いがすでに始まりました。身体は不自由ですが、ぼくはこの喧嘩に最期まで付き合う覚悟です。旗色は悪くても、ね。
(辺見庸 「無恥と忘却の国に生きるということ」?月刊「現代」 2006年10月号より)
この記事も、立花隆さんの記事同様、是非全文をお読みいただきたいと思う。
(このシリーズはこれで終わります)
- 関連記事
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- 立花隆さんの講演「安倍首相の歴史認識は甘い」 (2006/09/29)
- 「現代」 2006年10月号の記事より(その4) (2006/09/20)
- 「現代」 2006年10月号の記事より(その3) (2006/09/14)
初めまして。
既存政党にこだわらず、幅広く護憲の輪を広げたいと思い、1週間前にブログを立ち上げたばかりのものです。
まだまだ未熟ですが、トラックバックをいただいたので、ご挨拶に参りました。
辺見氏が、「最期の」と言う言葉を使われたのは、単に氏の体調と言うにとどまらず、次期国政選挙、さらに言えばその次の衆議院選挙が、まさに護憲の天王山。ここで敗北したら後は無い。逆にここで勝てば、安倍のような「戦争を知らない」復古主義者らに痛打を与えることができる、っと言う意味ではないかと思います。
ではでは、今後ともよろしくお願いします。
2006.09.21 11:13 URL | 眠り猫 #2eH89A.o [ 編集 ]
眠り猫さま、はじめまして。
コメントありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。
私もブログを始めてまだ5か月です。ブログをやっていると、あっと驚くことの連続で、矢のように時間が過ぎていきました。今ほど一日一日が大切に思える時期はなかったと思えるほどです。
私も、既成政党にこだわらず護憲の輪を広げたいと思っています。私自身も、既成左翼とは一線を画した主張をしているつもりです(もちろん、さらに左の過激な思想の者では、なおさらありません)。
私が子供の頃の70年代には、護憲の訴えは、保守的な人たちの間にも浸透していて、自民党にも宇都宮徳間氏のような方もおられました。
極端なタカ派政治家である安倍晋三が首相になろうとしている今こそ、護憲の意見をアピールする絶好のチャンスだと思っています。
2006.09.21 11:33 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]
月刊現代10月号では「平成の政商・宮内義彦」というのもおもしろいですよ。小泉政権のもとですすめられた「構造改革」が"改革利権"を生み出していたことがよくわかります。ただし在日朝鮮人団体の朝鮮総連を「北朝鮮シンパというのには閉口させられましたが。私のサイトものぞいてみてください。
2006.09.22 04:07 URL | アンドレ・アカシ #- [ 編集 ]
辺見庸氏は私の高校の先輩にあたる方ということもあり、著書を愛読しております(今は「いまここに在ることの恥」を呼んでいます)。辺見氏の著書を読むたび、「自分はまだまだだな」と考えさせられると同時に、辺見氏が母校の先輩であることに誇りを感じます。
今はどうか分かりませんが、我々が在学していたころ(20年ほど前)でも、教師も生徒も辺見氏の考えに近く、権力や強いものに対抗心(反発心)を持っていました。在学中は日の丸も君が代も一切ありませんでしたし、それがあたりまでした。学校自体がそのようなDNAを持っていたんですね(今はどうか知らない)。
脳梗塞で倒れられたときや癌と聞いたときは本当に心配しました。
現在の右傾化した社会で、辺見氏のような方は本当に大事な存在だと思います。
辺見氏の活躍を期待しています。そして我々も戦っていかなければなりません。
2006.09.22 10:29 URL | そうのパパ #- [ 編集 ]
変節して信用ならない多くの評論家やジャーナリストの中で、辺見さんは、一貫した反骨精神を持って、命がけで書いておられる姿勢に。共感と尊敬の念を持っています。この「現代」10月号の中でも、辺見さんの最期まで闘う覚悟が現れていますね。
そうのパパさんと辺見さんが、在学されていた頃と同じ雰囲気が、まだ母校にあるといいですね。母校の誇りでしょう。
私も、「自分自身への審判」を読みました。この中で、辺見さんは、「帝国主義による侵略の中でとりわけて特異かつ醜怪な事件を日本は実に数多く引き起こしていますが、、、
、出来事の中味がそっくり入れ替えられり、出来事そのものが消去されたり、新たなナショナルメモリーが作られて、人々の脳裏に移植させたり、、、」と書いています。
つまり、日本が加害者である歴史を消し去って、「拉致」のような被害の歴史だけを人々の記憶に押し込んでいく、という作業を権力側がしているということでしょう。
このことは、まさに今起こっていることではないでしょうか。
辺見さんの不自由な体でキーボードを叩きながら打った文は、文学的、哲学的、闘争心に満ちていて、その迫力に圧倒させられると共に、その内容には、そうなんだ、と何度も
うなずかされました。
私も、実際に自分で、「現代」10月号と
「いまここに在ることの恥」を読んでみようと思います。
2006.09.22 12:04 URL | 非戦 #- [ 編集 ]
アンドレ・アカシさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
竹中平蔵の盟友である宮内さんへの批判は、新自由主義批判のイカサマを撃つという観点からは欠かせないものだと私も思っており、月刊「現代」はこのところ3号連続で買いこんであるので、「平成の政商・宮内義彦」の連載には注目しています。
しかし、まだ消化し切れていないので記事にもできないというのが、正直なところです(苦笑)。
2006.09.23 06:12 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]
そうのパパさん、はじめまして。
私の高校時代の政治経済や倫理社会の教師も、リベラルな思想の持ち主で、もちろん、君が代・日の丸などとは無縁でした。靖国問題など、政教分離を定めた憲法20条への違反の疑いや、当時自民党が推進していた靖国の国家護持法案などを批判する教育を、靖国へのA級戦犯合祀が報じられる前年、すなわち福田赳夫政権時代、A級戦犯が秘密裏に合祀されたまさにその年である1978年に、みっちりたたき込まれました。この年には、有事立法をめぐる議論も盛んでしたね。
それが今では、靖国を国家護持する立場からA級戦犯の分祀を主張している古賀誠あたりが、ネット右翼から批判されるというとんでもない時代になってしまいました。
ここから盛り返すのは並大抵ではありませんが、戦争に突き進もうとしている安倍には、何が何でもストップをかけたいものだと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
2006.09.23 09:22 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]
非戦さん
いつもコメントありがとうございます。
月刊「現代」10月号所載の辺見庸さんの記事は、私は鬼気迫るものを感じました。
立花隆さんにしてもそうですが、辺見さんのただならぬ危機感を共有している人が、果たして日本にどれくらいいるのか、正直言ってちょっと不安を感じています。
もう事態は切迫していると思います。取り返しのつかないことにならないよう、われわれも声をあげ続けていきたいものですね。
2006.09.23 11:51 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]
こんばんわ
「今が正念場」と肌で感じます。
何か変、何か気持ち悪い、周りでバタパタ倒れる人たちの声が聞こえる。
「経済格差」が気になりだしたのが昨年。しかし、それは経済の問題だけではなく、その背後でうごめいている思想の抑圧によって格差の維持を狙っている権力者の姿が浮き上がってくる。
どうも、この気持ち悪さの元凶が権力者の動きであることを深く感じます。
2006.09.24 18:29 URL | morichan #- [ 編集 ]
19時9分の私のコメント、途中で切れてすみません。削除してくださいね。
実際、反戦、反権力の立場で発言、表現していた人達が、今年になって、亡くなりました。ロシア語通訳の米原万里さん、指揮者の岩城宏一さん、映画監督の黒木和雄さんなどです。そして、メディアが、意図的に出さなくなった良心的有名人もいるし、微罪とか、冤罪っぽいことで逮捕された政府や企業批判者もいるし。本当に、気味が悪いですね。
私のような普通の市民でさえ、駅前で、意見チラシを撒こうとしたら、数人の駅公安に囲まれて、写真まで撮られたんですよ。
声を潜め、思考停止で居ろっていうんですかね。やり過ごすことの恐ろしさは、ある日突然訪れる「茶色の朝」のノックの音だから、やっぱり、声を出さないわけにいきません。
kojitakenさんやそうのパパさんが書かれているように、よい教師との出会いは、貴重ですね。私も、高校2年の時の社会の先生が、ひめゆり部隊のことを話してくれて、初めて沖縄戦のことを知りました。それくらい、戦争に関して、それまで、何も教えられていなかったということです。
2006.09.24 19:38 URL | 非戦 #- [ 編集 ]
morichanさん、こちらでははじめまして。
70年代後半の福田内閣あたりから、徐々に政治思想では戦前の国家主義への回帰、経済思想では新古典派経済学(新自由主義)の傾向が強まってきたと思います。個人的な経験では、90年代末に新自由主義の恐ろしさを身をもって感じていたので、21世紀に入って「小泉改革」を国民が支持しているのを、ずっと危惧し続けてきました。小泉の政策が、国民の期待に反して、大多数の国民に痛みを強いるものであることは、私にとっては明白でしたから。
でも、いやな流れが一気に奔流となって襲ってきたのは、やはり昨年からですね。
今ならまだ何とかなる、でもこれ以上ほっといたら取り返しがつかなくなると思いながら、発信を続けています(ここ数日、新しい記事が書けずにいますけど)。
2006.09.24 20:14 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]
非戦さん、
このところ活発なコメントありがとうございます。
小泉政権から安倍政権になって、監視はますます強まってくるんでしょうねえ。私は前々から、『できそこないの「1984年」』と読んでるんですけど、できそこないだろうが何だろうが、脅威であることにはかわりませんから、morichanさんが書かれるように、「今が正念場」、その時がきたという感を強くしています。
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