きまぐれな日々

私が宮武外骨(みやたけ・がいこつ)の名を知ったのは、香川県に住むようになって間もない頃だった。「讃岐の三畸人(きじん=奇人)」として空海(弘法大師)、平賀源内と並び称されるのが、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストの宮武外骨なのである。ちなみに私は数年前に香川を離れたが、不精なもので、当時からブログのタイトルバックに使っていた讃岐富士(飯野山)の画像を今もそのまま使い続けている。

「宮武」は香川県に目立って多い姓だが、外骨は幼名を亀四郎(かめじろう)と言った。17歳の時に戸籍上の本名を「外骨」 に改める。亀四郎の亀が 「外骨内肉」の動物であることにちなんだものだが、ペンネームではなく本名の改名である。外骨は自ら「予の先祖は備中(岡山県西部。倉敷など)の穢多(えた)であるそうな」と書いた。これは事実ではなかったそうだが、外骨は部落差別に反対する運動も行っていた。蛇足ながら、私も讃岐に住む前には備中に住んでいた時期があった。

外骨の本領は、ノンポリでありながら誰にも負けないほど反骨精神が旺盛だったことである。大日本帝国憲法が発布された1889年(明治22年)には、憲法発布式をパロディ化した「大日本頓知研法」の第一条として、「大頓知協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統轄ス」と書いた上、憲法を下賜する天皇のパロディーとして、頓知研法を授与する外骨ならぬ骸骨を描いた戯画を掲載したところ、不経済、もとい父兄材、いや違った、漢字をど忘れしてしまったが、「フケイザイ」とやらに問われて3年8か月もの間、牢屋入りを喰らい込んだのだった。当時外骨はまだ22歳であった。外骨自身は反天皇制論者でも何でもなく、それどころか敗戦翌年の1946年に書いた文章に、昭和天皇のことを「御一人様」と書いているくらいである。要するに当代一流のパロディストだったに過ぎないのだが、戦前の政府はそれすら許さなかったのだった。外骨はその後も3度(計4度)投獄され、発行した雑誌等が発禁になること実に29回を数え、雑誌の創刊号しか発行できなかった例も多数あった。

外骨自身は前述のようにノンポリだったが、社会主義者の幸徳秋水に深いシンパシーを抱いていた。外骨は、やはり戦後の1946年に書いた文章で、幸徳秋水の明治30年頃の文章を引用して、いずれも「フケイ」の科で久米邦武内村鑑三が教職を負われたり、尾崎行雄が大臣を免職されたりしたことに触れている。

上記の宮武外骨の文章は、最近ちくま学芸文庫から発行された外骨晩年の著書『アメリカ様』を参照した。筑摩書店のサイトから、この本の宣伝文を以下に引用する。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480096036/

この本の内容

『アメリカ様』は東京裁判の開廷日1946年5月3日に刊行された。戦争にひた走った政府や無批判に隷従していった人々を痛烈に断罪しつつ、自らを「半米人」と名乗り、アメリカを褒め殺すことで、新たな主人にしっぽを振りはじめた日本人の姿を皮肉る。入獄4回、罰金・発禁29回という輝かしい記録を持つ外骨は、本書でGHQによる検閲・削除命令を受け、日米両政府からのダブル弾圧という栄誉に浴した。巻末に弾圧を受けたジャーナリストたちの記録を外骨が綴った『改訂増補筆禍史』を抄録。


この文句はやや誇大宣伝だと思う。本書における外骨は、「自らを『半米人』と名乗り、アメリカを褒め殺すことで、新たな主人にしっぽを振りはじめた日本人の姿を皮肉る」ところにまでは至っていない。敗戦時、外骨は既に78歳だったが、それまでの人生でさんざん痛い目に遭わされた日本政府が戦争に負けてアメリカに占領され、その下で民主主義の時代が始まることをストレートに喜んでいるようにしか私には読めない。本書には西谷修氏と吉野孝雄氏の解説がついているが、そのうち吉野孝雄氏が

 戦後のスピード感ある自由化政策を見て、言論の自由を完全に保障する国だと拙速に思い込んでしまうような人の良さと単純さも、外骨は持ち合わせていたのだ。

(宮武外骨『アメリカ様』(ちくま学芸文庫,2014)231頁=吉野孝雄氏の解説「『筆禍史』と『アメリカ様』のあいだ)より)

と書く通りである。ところがそのアメリカも、『アメリカ様』の一項に削除命令を出した。吉野氏の解説に、この時の外骨の反応が書かれている。

「なんだ、自由の国といっても(戦前の日本と)変わらないじゃないか」といって落胆した、という話を弟子の西田長寿さんから聞いたことがある。(前掲書231頁)


そうは言っても戦前の日本の言論弾圧は、占領軍の比ではなかった。外骨の『アメリカ様』は、初めの方の部分は、以外に思えるくらいにストレートなアメリカ賛美で、正直言って「外骨も歳をとって鋭さがなくなっていたのかなあ」と思ったが、読み進めるにつれ、それまで外骨がなめさせられた辛酸や、他の人々に対する「大日本帝国」政府の苛烈な弾圧が描き出されるにつれ、そりゃ占領軍の政策を歓迎したのも無理からぬ話だなあと考えを改めた。

さて、ちくま学芸文庫版で復刊された宮武外骨の『アメリカ様』を取り上げたのには理由がある。それは、前述の吉野孝雄氏の他、もう1人解説を書いている西谷修氏の安倍晋三評を紹介したかったからだ。西谷修氏のブログ記事もネットで読めるが、氏のブログ記事に「(中略)」として省略されている部分にも興味深い指摘がある。以下その部分を引用する。

 安倍政権は「強い日本をとりもどす」ことを謳っている。そのとき反面で示唆される「弱い日本」とは、近くは自民党が下野しているうちに東日本大震災で痛めつけられた日本であり、より長期的には、自国の軍隊を失って牙を抜かれ、他国の核の傘に頼るだけでなく、戦う気概を失ってしまったとされる「平和ボケ」の日本である。それに対して「強い日本」とは、近くは力強く成長を続け、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳われる経済的繁栄の日本、そして長期には、強力な軍事力を背景に世界統治に参加し、力によって「平和をもたらす」ことのできるような日本だ(ただし、今度はアメリカに対抗してではなく協力して)。それができない「弱い日本」! 嗚呼、だから彼らは、ここ半世紀の日本の歴史を、軍隊ももてずに一人前の国家になれない「屈辱の歴史」とみなしている。

 だがそこには深い倒錯が隠されている。日本がそういう意味で「強く」なるためにはアメリカの支配を脱却しなければならない。というのは、まさにアメリカは多大な対価を払ってそのような日本を戦争で打ち負かし、屈服させることで「親米国」にしたのだから。それ以来アメリカにとって日本は、その意図に背かず従順であるかぎりでの「親米国」なのである。屈辱といえばそれが屈辱であるはずなのに、日本の支配層はその点を見ず、日本が「弱い」のは戦前の日本のような気概を日本人が失ってしまったからだと思っている。だが、もし戦前の日本が復活したとしたら、アメリカのミサイルの照準はただちに中国から日本に変えられるかもしれない。「強い日本」はアメリカの敵だったのだから(それに対して、中国はアメリカと共に連合国だった)。アメリカが一時方針を変えて日本に再軍備を求めたのは、冷戦下の状況で反共戦略の前線基地に使おうとしたからであり、いまも一部でそれが求められているのは、アメリカの軍事戦略の有効なコマとして働かせたいからであり、あるいは軍産複合体の兵器を買わせたいからであって、戦前のような、つまりアメリカのコントロールのきかない軍隊の再生を求めているわけではない。

(中略)

「強い日本を取り戻す」という日本の超保守勢力は、この「平和憲法」とそれが支える国の形を「屈辱」とみなすが、いわゆる「逆コース」と呼ばれた再軍備路線は、もとはといえば彼らの独力で敷かれたわけではなく、アメリカの世界戦略の都合で求められたものであって、その「お役に立つ」かぎりで彼らは放免されたのである。だが、冷戦後は国際状況が根本的に変わってきている。アメリカは冷戦向けの戦闘部隊を必要としているのではない。グローバル世界秩序でアメリカの戦略を費用をかけずに請け負う協力者を必要としているのである。世界秩序を変える独自の要因を求めてはいない。だからアメリカは日本の超保守派の動きを牽制するのである。

(宮武外骨『アメリカ様』(ちくま学芸文庫,2014)212〜215頁=西谷修氏の解説「『アメリカ様』と『強い日本』)より)


前回の記事に、安倍内閣が集団的自衛権の政府解釈見直しを急ぐ動機として、日本が起こす中国との戦争にアメリカを巻き込む意図があると思われるが、仮に尖閣諸島をめぐって日中の戦端が開かれてもアメリカは介入しない可能性があるという主旨のことを書いた。日中戦争がアメリカの国益に反することは明らかだろう。仮にアメリカが日中のどちらかにつくとして、アメリカが日本を選ぶとは限らないとは、既に前世紀末に故森嶋通夫が(日本の没落及び反中・反韓の世論の高まりを予測するとともに)指摘していたことである。

今回の記事も長くなったが、宮武外骨が大日本帝国発布のパロディーで牢屋入りを喰らい込んだ件に関しても、前述の西谷修氏の解説に感心したので、これを最後の引用とする。

 もうひとつ、外骨の指摘で肝心なことがある。「強い日本」には「不敬罪」というものがあったが、「不敬」とは天皇がケシカランと思うことではなく、天皇の権威を笠に着る連中が、その権威を「不可侵」とするために、自分の気に入らない(都合の悪い)者を取り締まるときに使う道具だった。頼まれてもいないのに自分を天皇の「名代」のような位置に置き、そのご意向を忖度すると称し、あるいは自分がこうあるべきだという意図を勝手に押し付け、見えない「不敬」の網でケシカランとみなされる言論や行為を封殺するのだ。外骨の下獄の原因になったのもその「不敬」だが、「天皇もくそもあるものか」などと言うとお縄になり、理詰めの判断があって「この戦争は負ける」と言うと国賊と非難され、教壇を追われる。それは天皇のためというより、天皇を口実に自分の権力を行使しようとする者たちのやり口である。戦前の天皇制はそのようにして機能していたが、最近世間を騒がせた山本太郎の「園遊会事件」は、このような「不文律」が今でも生きていることをはしなくもさらけ出していた。

(宮武外骨『アメリカ様』(ちくま学芸文庫,2014)219〜220頁=西谷修氏の解説「『アメリカ様』と『強い日本』)より)


西野氏の解説に蛇足をつけ加えるなら、当の山本太郎自身もその「不文律」に縛られていたように見えたことくらいだろうか。
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取り戻すとされている「強い日本」とは一体いつの日本なのか?
戦前の日本帝国が果たしてそれほどの強国だったのかどうか。戦後のジャパンアズナンバーワンと他称されていた時代の方がよほど強かったでしょうに。

「日本を取り戻す」というスローガン訳が分からないです。

2014.03.06 21:33 URL | ミリシヤ #- [ 編集 ]













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