きまぐれな日々

「体育の日」を含む3連休の2,3日目は、祝日の意義通り(?)運動をしてたのでネットから離れていた。復帰初日に何を書こうかと思ったら、下記のブログ記事に『はてなブックマーク』がいくつかついていたので、これを取り上げることにする。

「新自由主義化によって成功した北欧諸国」(『未唯への手紙』2012年8月10日付記事)

昨年書かれた記事本文は引用しないが、「北欧型新自由主義」というのは橋本努という北海道大学大学院の経済学の教授によるネーミングである。橋本氏は、民主党(菅直人)政権時代の2010年6月8日にこんなことを書いている。
http://synodos.jp/society/2031

2010.06.28 Mon
「最小不幸社会」って、どんな理想なの?
橋本努 / 社会哲学

来たる7月11日の参院選で、民主党に投票するべきなのかどうか。悩ましい問題である。考えるための基点は、一つしかない。菅直人首相の掲げる「最小不幸社会」というビジョンに、賛同するかどうかだ。

「北欧型新自由主義」への転換の起爆剤

菅首相は、去る6月8日の就任会見のなかで、年来温めてきた自身の政治ビジョンを熱く語った。経済、財政、社会保障を立て直して、「最小不幸社会」を目指す――。

参院選のための「マニフェスト」や「新成長戦略」(6月3日発表)をみると、そのための注目すべき政策提言は、ふたつあるだろう。一つは、最低賃金を平均1,000円にまで引き上げるという提案。もう一つは、年金制度を一元化して、月額7万円の最低保障年金を創設するという提案だ。

いずれも、抜本的な制度変革を必要としているから、ただちに実現するわけではない。けれども長期的にみれば、このふたつのアイディアは、新しい社会を切り拓くための起爆剤となるかもしれない。「北欧型新自由主義」と私が名づけた、新しい制度への転換である。

「最低賃金引き上げ」と福祉国家の新しいモデル

「最低賃金の引き上げ」政策から考えてみよう。鳩山政権下で問題になったのは、非正規雇用者の意見を、政治的に吸いあげるパイプ=中間組織がない、ということであった。正規雇用者の利害ばかりが政治に反映されると、非正規雇用者は取り残されてしまう。そうした分断を防ぐためには、正規雇用者と非正規雇用者の双方にとって、望ましい政策が必要となってくる。

「最低賃金の引き上げ」は、そのための有効な手段になるだろう。「連合(日本労働組合総連合会)」の古賀会長は、民主党が今回、最低賃金の数値目標を掲げた点を高く評価しているが、最低賃金の引き上げは、非正規雇用者にとっても、望ましい。勤め先が変わっても、生活水準がひどく悪化するような事態を避けられるからである。

雇用が不安定でも、安心して家庭生活を営むことができる。そんな社会を実現するためには、最低賃金が引き上げられねばならない。雇用の流動性と市場経済の効率性を受け入れるかわりに、労働者の生活をしっかりと保障する。これはすなわち、現在の北欧諸国を中心に模索されている、福祉国家の新しいモデルであろう。

自民党は「自己責任」原則、民主党は「最小不幸」原則

民主党のもうひとつのアイディアは、これまで年金を積み立てる余裕のなかった人たちにも、月額7万円の年金を保障するというものだ。従来、年金の積み立ては、個人の「自己責任」にまかされてきた。けれども民主党は、この考え方を根本的に転換して、人びとの不幸を最小化すべく、年金を普遍的に支給するという。この民主党の考え方に、はたして賛成できるかどうか。

ちなみに自民党は、現行の年金制度を維持したうえで、いくつかの改善案を提起している。たとえば、1961年以降の未納分をさかのぼって納められるようにするとか、あるいは、10年以上加入すれば年金を支給できるようにする、といったアイディアである。端的にいえば、自民党は「自己責任」原則、民主党は「最小不幸」原則の立場に立っている。

こうして参院選の問題は、つまるところ、菅首相のいう「最小不幸社会」をどう受け止めるかにかかっている。最低賃金の引き上げと、最低保障年金の導入。両政策に賛成ならば、「民主党」に一票、となるだろう。

「幸福の最大化」に向けて

ただ、最小不幸社会が実現しても、非正規雇用者の割合は増えるかもしれない。目標はあくまでも、「不幸の最小化」であって、「幸福の最大化」ではない。

となれば、正規雇用者の創出(幸福の創出)は、相対的に重要ではなくなる。しかも企業は、法人税を減額され、自由市場経済のもとで、これまで以上に徹底した利潤追求が可能になる。社会はいわば、最低限の福祉に支えられた、新自由主義の方向に向かうかもしれない。

すると、どうであろう。正規雇用者のなかでも、「自分は格差社会のなかで不幸なほうだ」と感じている人は、どうなるだろうか。残念ながら、最小不幸社会は、相対的に不幸な人びとに手を差し伸べるのではない。「あなたよりももっと不幸な人がいるのですよ、政治はそのためにあるのです」というわけなのだから。

さめた眼で現実を直視すれば、不幸を最小化するという政治目標は、正しいかもしれない。けれども「最小不幸社会」は、勤勉な労働者を鼓舞しない。人びとに、政治参加を求めるわけでもない。それを補う政治は、いったいどこにあるのか。それが問われるべきではないだろうか。


この記事を見ると、橋本氏は民主党(菅直人)の政策を指して「北欧型新自由主義」と言っているようである。しかし、最近の朝日新聞オピニオン面に掲載された橋本氏のインタビュー記事を見ると、橋本氏は安倍晋三政権が「北欧型新自由主義」を目指しているとか言っていたはずだ。記事は保存していないが、調べてみたところ、10月2日付紙面に載っていた。さらに調べると、なぜか傾いてスキャンされた新聞記事の画像のサイト(北海道大学)が確認できた。
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Interview%20on%20Abenomics%20in%20Asahishinbun-201310.pdf

およそ安倍晋三というか自民党の政策と北欧の政策ほどかけ離れたものはない。実際、橋本氏も安倍政権と北欧の共通点としては「大きな政府」の容認だけしか挙げていない。しかし政府の財政支出の内訳は北欧と日本では全く異なる。安倍政権の政策の特徴として挙げられるのは、「国土強靱化計画」なる土建国家志向の財政出動強化であろう。これは安倍晋三よりも財務大臣である麻生太郎の意向を反映した政策ではないかと思うが、財政支出を土建業に偏重するという旧来型の政策では、北欧型の社会は絶対に現出しないのである。なぜか。以下その理由を述べる。

北欧といえば「高福祉高負担」とか「同一価値労働同一賃金」などが連想されるが、後者について、石水喜夫という元厚生官僚(現京大教授)は、

新古典派経済学の賃金論は、あくまで仕事基準の賃金であり、労働市場論にもとづいて、同じ仕事の賃金は、同じ労働力の価格として全く同じであると言い放つのです。

と言い放ち、「日本型雇用」を擁護している。詳しくは『kojitakenの日記』の下記記事(2013年7月13日付)を参照されたい。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130713/1373679866

同一(価値)労働同一賃金を「新自由主義」というなら、そりゃ北欧諸国も新自由主義社会になるよなあと思うが、日本型雇用の最大の特徴である年功式の賃金体系には、そうせざるを得ない事情があった。日本型雇用で賃金が高くなる40代から50代においては、支出も高くなるのである。なぜこの年齢層で支出が高くなるかといえば、住宅や教育への政府支出が他の先進国と比較してきわめて乏しい、要するに日本政府が、少なくともその方面に関しては「サービスの極めて小さな政府」であるせいである。そして、安倍晋三はこれを改めるつもりなど全くない。

北欧型の「同一価値労働同一賃金」を新自由主義だという石水喜夫の言い方を採るなら、「北欧型新自由主義」という言い方も成立するかもしれない。確かに一般的なイメージとは異なり、北欧は厳しい競争社会である。しかし、「北欧型新自由主義」とやらの必要条件は、福祉や社会保障に関しての「サービスの大きな政府」である。明らかにこれを欠くばかりか、生活保護の水準引き下げや、稲田朋美がドヤ顔で言い放った「日雇い雇用」の再解禁など、セーフティーネットなしの剥き出しの新自由主義国を目指しているのが安倍政権なのである。

安倍政権の政策をあえて名づけるなら、先進国中もっとも苛烈な「日本型新自由主義」であろう。それはアメリカより酷く、むしろ中国に近い社会を目指すものだ。
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日本的年功賃金の背景はご指摘のとおりですが、いわゆる「同一労働同一賃金」は、性別や年齢、外国人であることなどによる賃金差別に反対する論理であり、あくまでも投下労働量の増減と産出価値量の増減(つまりは生産使用価値量の増減)が比例関係にある製造業分野でのみ妥当する要求原則です。

非物質的生産領域やサービス分野でも資本-賃労働関係が普遍化している今日の資本主義経済では、「同一労働」や「同一価値労働」そのものが非存在化・無意味化する企業内研究開発職や設計・デザイン部門、(労働成果が空想的・主観的な)非物的サービス部門の労働なども雇用労働中での比重を増大させていますから、この要求原則を普遍化し全面的妥当性があるかのように思い込むことは誤りです。

もっとも、経団連など資本の側が大好きないわゆる「能力給」も、その評価基準に恣意性や非合理が満ちていることは事実です。製造業や流通業以外の分野では科学的で民主的な賃金基準を設けることが難しい。労働成果の数量性自体が曖昧乃至は非存在だからです。

そもそも、企業内研究職や設計・デザイン、IT・エンタメ関連のような労働分野では(民営化され資本関係に包摂された場合は医療・福祉分野も)、製造業の労働とは異なり、労働成果の「再生産」や成果を得るための「社会的必要労働」といった概念自体が無意味・不必要・非存在なのですから当然です。科学や芸術など非物質的生産領域での成果は再生産不要ですし、その成果を産出するための平均的労働時間(社会的必要労働)などというものも存在しないのですから普遍性である「賃金基準」などというものは存在しようがありません。「賃金差別反対」のスローガンでさえ何が差別になるのかを証明するのが難しい。

今日、非マルクス派の経済学の中からも「価格と所得の正当性」を疑問視し、それを学問的課題にする動きが出ている背景には、先述した現代資本主義経済で起きている質的な構造変化があるのです。
今日の資本主義経済は、マルクスの資本主義分析の対象土壌であった製造工業(および流通部門)中心の経済構造を超え出た分野をも資本-賃労働関係に包摂しているのですから、商品価格論や労賃論などもそのような事態に応じて発展させられなければならなかったのですが、20世紀マルクス主義は、その努力を怠って来たということです。

2013.10.15 14:15 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

なお、上記に対して「賃金は労働力の価値=労働者の生理的・文化的再生産に要する費用価格でしかないのだから指摘は無意味だ」というような趣旨の批判があるとすれば、それは事態の本質や重大性を見ないものです。
それは、利潤の源泉や商品価格の価値構成を不問にする対現実政策上の無能力に開き直るものでしかないからです。

2013.10.15 14:26 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

また、非物質的生産部門やサービス部門は価値非形成部門であり、それらの部門で生産される有用効果(非物質的使用価値)の価格やそれら部門での労賃は商業部門に準ずるというような「正統派マルクス経済学」の主張は誤りです。
さらに、非物質的生産部門やサービス部門でも製造業部門同様の価値・剰余価値法則が貫徹されており製造業同様の価値・剰余価値・利潤の生産が行われているとする赤堀・飯盛派や宇野派、置塩派ら「修正派マルクス経済学」の主張も「正統派」に劣らない重大な誤りです。

現代マルクス経済学は、非製造業分野の雇用が多数派を占めるに至った現代資本主義の経済現象を、マルクス経済学の根幹であるはずの剰余価値論や商品価格論においてさえ混迷させ続けたままなのです。
詳しくは、マルクス経済学における「生産的労働論争」の歴史と現状を参照あれ。

マルクス理論は、経済学分野でも政治・哲学分野の理解の上でもいまだ基本的には正しく有効ですが、それでも非マルクス的な歪曲や未完部分、マルクス時代の歴史的制約による誤りが放置、内包され、単なる護教思想化してしまっていたのが20世紀でした。

2013.10.15 18:44 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

マル経を信じている方に質問。私には労働価値説は思いつきの妄言としか思えない。あれを肯定するんですか?否定するならいったいマルクスの何を信じるんですか?

2013.10.16 17:37 URL | 野次馬 #mQop/nM. [ 編集 ]

野次馬さんは、スミスやリカードの「労働価値説」も、マルクス価値論の何たるかもロクに知らないで「妄言」云々のレッテル貼りしてるんですねw
じゃ、あんたの商品価格規定はどんなもんなの?

ソ連や中国を社会主義扱いする謬論・デマ宣伝にさえ明確な批判的見地をもてない程度の俗論信奉お無知さんは、せめて古典派から19世紀いっぱいの経済学史ぐらいは眼を通してからもの言った方が恥をかかずに済みますよw
ま、今でも生産的労働論争に決着付けられないバカ学者ばっかりなのが「マルクス経済学」の現状なんだから、こういうシロートさんが一掃されないのもしょうがないっか?www

2013.10.16 18:52 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

なお、マルクスが「労働価値説」を自らの発見・発明品であるとデマるほど図々しい人間じゃなかったことは、彼の『剰余価値学説史』などでの先人学説紹介でも証明されていますからご確認くださいw
いわゆる「労働価値説」には、アダム・スミスやデイヴィッド・リカードだけでなく、ウィリアム・ペティーやベンジャミン・フランクリン、果ては反動派の観念論者のジョージ・バークリなど10指を超える先行者、同調者がいましたから、「労働価値説」はマルクスの思いつきや独創などではないのです。
「労働価値説」におけるマルクスの学問的功績は、先人たちの見解の中に残存していた投下労働と支配労働の混同や、剰余価値生産と単なる価値生産の同一視、価値生産労働と使用価値生産労働の混乱などを一掃・排除して、更には、価値形態論を通して貨幣の発生を証明したこと、そして何よりも重要な点は、弁証法的な世界観に立って労働価値の発生から死滅までという価値法則の全歴史過程を明らかにしたこと(価値法則をブルジョア的な超歴史的自然法則視から特殊歴史的社会法則として峻別したこと)です。

2013.10.16 20:33 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

いけねぇいけねぇ、マルクスさんに怒られちゃうところでしたw
彼の「労働価値説」における功績には、剰余価値範疇の明確化による搾取の暴露という重要点もありました。

2013.10.16 20:42 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

アダムスミスは価値は労働のみから生まれるなんて言ってないよ。マルクスの阿呆は都合のいいときは誰でも味方にするってことだな。そんな馬鹿信じるのはやめた方がいいよ。労働のみから価値が生まれるから搾取なんでしょうが。で、それはなぜ?そんあインチキから「弁証法的な世界観にたって労働価値の発生から死滅」まで証明するなんて狂気の沙汰だね。

2013.10.16 22:56 URL | 野次馬 #mQop/nM. [ 編集 ]

おい、野次馬!
「労働価値説」は、あんたが言ったような「マルクスの思いつき」だったのかよっ!まず、そこんとこからどうなんだい!ハッキリしろやい!
論点シフトで誤魔化す前に、早くそこに答えてみろや!w

2013.10.17 00:45 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

正確には「思いつきの妄言」だ。気に入らなきゃ「独創的見解」でもいい。アダムスミスも言ってるから、なんて逃げは認めない。

2013.10.17 21:19 URL | 野次馬 #mQop/nM. [ 編集 ]

だからさぁ、「労働価値説」は、マルクスの「独創」でさえ無いと、「労働価値説」の先行者名をわざわざ列挙してやっただろっ!w

マルクスと、スミスやリカード、ペティー、フランクリン、バークリたちの生年月日や死亡日ぐらい調べて比べてみろやいwww
いったい何が「逃げ」なんだよ????
論争点から逃げ出しているのはお前の方だろ!w

2013.10.18 08:25 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

全部死人だってことは小学生でもわかるな。で、死人が労働価値説を信じる理由かい?だからすべては搾取かい?相手(アベノミクス)がインチキだからてめえもインチキでオーケーってのがマル経信者の常套手段・絶対に直らないクセだ。頭にゴミを詰め込む努力をやめるのをお勧めする。

2013.10.18 12:07 URL | 野次馬 #mQop/nM. [ 編集 ]

野次馬って、本当に理解力の無い、頭の悪い人間なんだねぇwww

いわゆる「労働価値説」は、19世紀生まれのマルクスよりも、17世紀の人間であるペティーや18世紀の内に死んだスミス、フランクリン、バークリ、それに、マルクスが経済学を始める前の1823年に死んだリカードたちの方が先に学説として書き残していたんだし、その事はマルクスも『経済学批判』や『剰余価値学説史』などの中で紹介・確認しているんだから、「労働価値説」がマルクスの「思いつき」や「独創」なんかじゃないってことは文字が読める小学生だって判るんだよ。

まだ判らないのは、バカ丸出しの野次馬だけだってことwwww

2013.10.18 13:47 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

 お邪魔します。
 バッジさんは、3つ目のコメントまでで、訓詁学化したマルクス経済学の労働価値説は現代には通用しないということを言っていますね。そこに野次馬さんから労働価値説を信じるのか?信じないのか?信じないならマルクスの何を信じるのか?という質問がされています。この質問、バッジさんは最初から労働価値説は現代に通用しないと言っているので、少なくともこの時点では、たんに、じゃあバッジさんはマルクスの何を信じるのか?と聞けばよかったのではないでしょうか。これに対し、バッジさんは、この質問そのものよりも、「労働価値説は思いつき」という言葉に反応して、労働価値説は「マルクスの思いつき」ではなく、先行する提唱者がいることも知らないのかと、野次馬さんを非難をしました。そのついでに、労働価値説に対するマルクスの功績をあげ、その最後に「搾取の暴露」というものをあげました。すると、野次馬さんは、労働価値説は他の人も言っているなんて逃げ方をするな、搾取の暴露が功績というからにはマルクスの労働価値説を信じるのだろう、と言いました(…文脈から勝手に解釈…)。
 …ということで、野次馬さんは最初から、バッジさんが搾取を信じているからマルクスの労働価値説を信じている人とみなしていたのか? バッジさんは、マルクスの搾取を大枠そのまま信じるのか?ということが分かれば、話がもう少しすっきりするのではないでしょうか。

2013.10.18 23:02 URL | suterakuso #- [ 編集 ]

suterakusoさん、オレの文意を良く読み取ってください。
オレは、マルクスのいわゆる「労働価値説」は、今でも基本的には通用しているということを書いていますよ。ただし、それは当時のマルクスが彼の経済学理論の抽出土壌とした製造業分野や流通分野では妥当している、という限定つきでです。
「量」と「時間」の基準が経済現象を基本的に支配している製造業分野(=生産個数・量、生産必要時間が問われる)や流通部門(=販売数量、販売額が問われる)では、現在でもマルクスの価値論や資本主義的搾取メカニズムの解明は貫徹しています。
また、マルクスが「物質的生産の第四部面」と呼んだ運輸部門や「商品の使用価値の完成」過程でもある流通労働に混在している「追加的生産」労働などでもマルクス理論の妥当性は変わっていないでしょう。
そして、製造業や流通業は、今日でも資本主義市場経済の土台であることも不変です。製造業や農業無きサービスや金融だけの社会では、人間は生きていけませんからね。

しかし問題は、今日の資本主義では、例えば日本の製造業就労が全雇用労働者数の30%以下にも低下してしまったように、非製造業部門の比重が増大して来ていることも事実なのです。

そして資本関係の下にある非物質的生産労働やサービス業などの非製造業部門(金融や流通を除く)では、製造業のような同一製品複数生産が不要・無意味化しており、製造業分野では企業経営の必要上も問われる「社会的必要労働時間(生産性規定要因)」のカテゴリーが不要・非成立に至っているということです。つまり、非製造業の多くの分野では投下労働量の増減と産出価値量の増減の比例関係のような、「単純労働価値説」の前提が失われている。
マルクスが、『経済学批判要綱』の中で書いていた「生産過程への科学の充用」が進んだ「全自動機械体系」の下での生産で「直接的労働」や「労働時間に規定された価値生産」が「崩壊し始める」というような事態が、非製造業部門全体でも進んでいる、と考えられるのです。
しかし、そこを現代マルクス経済学はちっとも見ていない。
20世紀型マルクス主義(経済学)は、現実世界の変化・発展に無関心で、資本主義の変化・発展について行けていないのです。経済学理論を時代に相応しく発展させていない、ということです。

なお、「労働の社会化」を重視するレーニンなども『帝国主義論』などの中で、資本主義経済における非製造業分野の広がりを、金融もサービスも科学的生産や芸術的生産の登場も一切区別無く全て切り捨てて一律に資本主義(帝国主義)の寄生性、腐朽性の深化の表れだと切り捨てていますから、今日の資本主義の変化・発展を直視する態度ではありません。
それでは、近年の日本で求められた「介護(労働)の社会化=公的介護制度の創設」や、レーニンが『帝国主義論』の中で「僕碑階級」と切り捨て見下した家事・対個人サービス労働(今の日本で言うホームヘルパーやガイドヘルパー)の広がりなども説明・評価出来ない経済観・経済学的立場なのです。(なお、植民地収奪も帝国主義間戦争も不可能になった今日の人類社会では、『帝国主義論』崇拝自体が異常でしょう。多くの人が取り上げる今日の「金融資本主義」現象の問題指摘なら、マルクスが既に『資本論』の第三巻で書いていたのですから、『資本論』全巻を完読していれば、植民地や帝国主義間戦争無き「アメリカ一国覇権主義」の時代に『帝国主義論』への賛美など起こらないハズなのです)

ま、概略はそんなところです。
詳しくはまた、別の機会に。
なお、非製造業分野の実態は、ご自分でも調べ具体的に考えてみてください。例えば、IT関連やエステ業界、予備校や旅行業などでの企業活動と労働は、いったいどうなっているのか、と。それらは、製造業、流通業での経営実態、労働実態などと、どう違っているのか、などと。

2013.10.19 07:44 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

 えっと、文意はそれほど外してはいないと思います。どの程度妥当しているとかの表現の問題はありますが。それは先の私のコメントの目的に由来するものでもあって、私には、バッジさんと野次馬さんに無用ななじりあいをするよりも、もう少し建設的な方向に話を持っていってほしいという思いがあって、その方向で表現したからなんです。
 それで、そのなじりあいについては、野次馬さんは、バッジさんのいう搾取の暴露につながる労働価値説はマルクスに特有なもので、それを信じることが無駄だと言っているのですから、他に労働価値説を唱えた人がいたかどうかという議論は、まあ、置いておくことにして、マルクスの労働価値説がどう有効であるか、野次馬さんに納得できるよう説明を試みればよいのではないでしょうか。私が先のコメントで「そのついでに」という書き方をした部分がそれにあたるとも言えますが。
 まあ、とにかく、バッジさんはこちらに訪問される人のなかでもとくに経済学に詳しいのですから、例えば賃金がどう決まるのかという重要な問題について、最新の有効な説等を紹介いただけるとより建設的だと思う訳でして…。

 せっかくなので少し、個人の所得…雇用者報酬や財産所得…がどう決まるのかということについて、私の印象を述べると、それは、個人やその個人の所属している集団や属性のもつ資本の大きさ、あるいは資本の入手のしやすさによって決まるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。資本の入手のしやすさというのは、例えば先進国の個人投資家の方が途上国の個人投資家より、より多額の融資を受けやすいというようなことです。要するにより資本のある人間がより儲けるということですが、有用な財やサービスを提供している人が必ずしもそれに見合う報酬を相対的に受けていない現実があり、では何で報酬に差がでるのかということを見ると、職にはその職に就きやすい属性というものがあり、その属性に相対的に資本力があれば相対的に高い報酬が得られるということになっていないか、ということです。極端な例は、先進国の国民と途上国の国民の差ということになりますが。これを搾取と呼べば、そうなるのでしょうかね。

2013.10.20 03:15 URL | suterakuso #- [ 編集 ]

資本主義の美化に満ちたイデオロギーを代行宣伝する仕事が自己の利権維持や地位保全手段になっている御用学者たちの粗雑なマルクス論難を鵜呑み、受け売りしている野次馬氏にも言いたいことだけれど、suterakusoさんもまず、『資本論』第一巻ぐらいは斜め読みしてみるべきでしょうね。製造業資本主義時代の経済学だと限定して読むような態度でもけっこうですから、第一章、第二章や第五章ぐらいは最低限何が書かれているぐらい知るべきでしょう。

なお、投下労働価値-剰余価値理論に基づくマルクスの搾取論は、非製造業部門の労働は価値非形成であると考える世間知らずの20世紀型「正統派」マルクス経済学者による定石的解説よりも、オレ流の説明の方が解りやすいかもしれませんから、機会があればそのうちどこかにオレ流の搾取論を書きますよ。

オレの搾取論解説は、剰余価値が生産される物質的生産部門ではなく、個別資本が製造業で得られた利潤を分割譲受する商業(流通)部門、それも、営業代理店企業が製造業から受託した商品販売活動を、自社労働者にコミッションセールスの形態で行わせるような事例を入り口にして(その他にもタクシー業界などを引例)労働の搾取を解説するものですから、より解りやすいし反論も出来ないと思いますが、それでもここに書き込むには分量過多ですからどこか適当なところを探してみましょう。

なお、昨日書き込んだここ↓のブログなども関連した論点を扱っていますから、ご参考まで。

http://lib21.blog96.fc2.com/ (リベラル21ブログ)

2013.10.20 13:37 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

このコメントは管理者の承認待ちです

2013.10.24 22:39  | # [ 編集 ]













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