きまぐれな日々

選挙制度について書いた前回のエントリは、コメント欄「はてブコメント」で久々にさまざまな意見が出て面白かった。

一度変えた制度をすぐにまた元に戻すのはどうか思うというコメントが結構見られたが、そこにこそ選挙制度を変えた人間の意図があった。つまり何事も一度決めたら惰性で動くので、その動きを変えるには大きな力が要る。だから「剛腕」を揮ったのだ。選挙制度について言えば、鳩山一郎の「ハトマンダー」(1956年)、田中角栄の「カクマンダー」(1973年)の二度の公職選挙法改正の試みが失敗したあと、1990~92年頃にまず竹下登、次いで金丸信と内輪もめをしていた小沢一郎が、自らの権力欲の満足と、1985年に自らが裏切ったかつての師・田中角栄がやり残した仕事の実現を大義名分として主導したのが1993年の「政治改革」だったと私は考えている。そして小沢がその先に「改憲」を見据えていたことはいうまでもない。小沢が巧妙だったのは、こと「政治改革」の局面においては決して自らが突出しなかったことで、そのせいか90年代の選挙制度改革の動きが「イチマンダー」と呼ばれることはなかった。もっとも小沢一郎の場合、「イチマンダー」より「イチオクダー」の方がふさわしいような気がするが。

山口二郎は既に90年代後半に自己批判しているというコメントもいただいたが、ひとたび誤りを犯し、その弊害が直近の二度の総選挙で明らかになるなど、選挙制度改悪が日本の政治に与えたダメージの大きさは計り知れないのだから、山口のように旗を振った人間は、それこそことあるごとに「選挙制度の再改革」を訴えない限り、知識人の責任を果たしているとはとうてい言えないだろう。それくらい90年代の「政治改革」において山口二郎が犯した罪は重い。

選挙制度についてもそうだが、原発を含むエネルギー問題についても、「変える勇気」を持とうとしない人間のあまりの多さに匙を投げたくなる毎日だ。

たとえば、自然エネルギーの普及に際して重要な鍵となる大容量の蓄電池が実用レベルになるにはまだ10年以上かかるといわれているが、裏を返せば蓄電池にはきわめて大きな成長の潜在力があるということだ。金子勝のTwitter経由で知った日本経済新聞の記事によると、民間調査会社の富士経済の予測は下記の通りだ。

特に大きな成長を期待できるのが車載用電池や住宅の非常用電源として用いられる大型リチウムイオン電池で、20年の市場規模は10年比69.5倍の9454億円に膨らむとしている。

太陽光や燃料電池などの自然エネルギー関連ビジネスも20年には同3.3倍の8977億円に成長する見通しだ。


このリチウムイオン電池こそ、日本が世界をリードする技術力を誇る分野であり、三洋電機を傘下に収めたパナソニックや、蓄電池の開発にも熱心なトヨタ・日産といった自動車メーカーにとってはこれ以上ないビジネスチャンスだろう。

ところが、「原子力の父」正力松太郎をかつて社主にいただいた読売新聞は、なんとしても原発を守ろうと必死になって、自然エネルギーに冷水をぶっかけようとする記事を躍起になって載せ続けている。極右漫画家の小林よしのりに言わせれば、読売の原発報道、特に社説は「ノストラダムスの大予言」(1999年に大外れが確定)の類であり、GDPは大きく下がり、街には失業者があふれるなどの大嘘を書き散らしているとのことだ。もっとも小林の場合、「原発を止めて核兵器を開発せよ」などとほざくトンデモ極右だから、間違っても支持はできないけれど。

思えば70年代の排ガス規制の時にも自動車メーカーの奮戦が日本経済を救った。トヨタを頂点とする「食物連鎖」の構造は、下請け、孫請け、ひ孫請けと末端に行けば行くほど労働者の負荷が大きく、その点は大いに問題なのだが、従来の大規模集中型の電源に代わって、今後小規模分散型電源の市場が拡大していくことなど、誰の目にも明らかだろう。ところが、読売新聞や産経新聞といった「保守」や「右翼」は、どこまでも旧来の原発を守ろうとする。だから「保守」というのかと皮肉の一つも言いたくなるくらいだ。

70年代と大きく異なるのは政治の劣化だ。70年代の環境庁長官というと大石武一や三木武夫の名前が思い出されるが、大石武一はなんと中曽根派の議員でありながら自然保護、軍縮や平和活動に熱心だった。かつて自民党とはそんなウイングの広い政党だったのである。ところが現在では右翼たちに「極左」呼ばわりされた菅直人が、震災前には「原発のトップセールス」をやっていたというありさまだ。さすがに菅は震災直後に「これまで安全だと思って原発を推進したが、事故が起きた以上安全だとは言えなくなった」と言って政策を転換しようとし、現に浜岡原発の停止や玄海原発の再稼働阻止を行なったが、8月の辞意表明後は政権が死に体となったこともあって完全に腰砕けになった。現在、民主・自民の保守二大政党に「脱原発」派の議員はほとんどいない。そんな彼らに産業構造の転換の後押しを期待することはできない。

前述のように、産業界には新エネルギーのビジネスチャンスをうかがう企業も少なくないはずだが、経団連には電力のほか鉄鋼などの重厚長大産業の影響力が大き過ぎることもあって、何が何でも原発と10電力会社の地域独占体制を死守しようと必死になっている。

それ自体も問題だけれど、飼い慣らされた人たちはもっと問題だ。小選挙区制で党執行部の力が強大化すると、何も言えずに黙ってしまう民主党や自民党の政治家もそうだし、長年続いた自民党政治に対して問題意識を持ちながら、「小沢信者」なる、教祖に対する批判が絶対に許されない集団に属してしまった人々(政治家、一般人を問わない)も同類だ。

そうではなく、もっと進取の気風に富んだ人々も日本にはたくさんいて、今後彼らが日本を変えていくのだろうと思うが、そのためには彼らが「格差社会」の壁に阻まれることなく、チャンスをつかめるような社会にしていかなければならないと思う。旧体制を「保守」しようとする態度は、それを妨げるだけだ。

現在では「革新」という言葉はほとんど用いられなくなった。しかし、今こそ「革新」の時代だと私は思うのである。
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今から思うと、政権交代しなければならない、という考えに私とて毒されていたと思います。
 自民党政権よりも民主党政権がよいと思うことは、「自民党の独裁は悪い独裁だが、民主党の独裁はいい独裁だ」といっているようなものだったと、今更気が付きました。あまりにも遅すぎですが。
 そういう意味で、一番気が付いてないと思われるのが小沢信者などでしょう。こういう人たちは、旧体制を強烈に保守という点で、最悪と言えるかも知れません。ある意味右派より酷いかもしれません。
 「革新」を成し遂げていくために、長いものに巻かれない態度で臨んでいきたいものです。
 

2011.09.16 19:36 URL | puyonyan #- [ 編集 ]

日本に対するあきらめが強くなる今日この頃ですが、頑張っている地方自治体、企業、NGOなどもいるので、こういう人達を支援していく中で、将来への希望をなんとか維持したいと思う毎日です。

上 昌広さんの以下のTwitterが印象に残っています。
「南相馬市が今月から課税再開とか。警戒区域自体で初らしい。南相馬市の財政は相当に悪化していると聞いている。義援金も問題だが、補助金も被災地の市町村や市民に上手く回っていない。医療ではアンケート用紙を用いた県民の健康調査に数百億円。一方、南相馬市民病院での健康ケアには雀の涙。」

もともと震災直後から、日赤向けの義援金ではなく、趣旨に賛同するNGOや企業に直接寄付してきました。今後は、相馬市や南相馬市など頑張っている自治体に寄付していこうと考えております。貯金しても国債買われるだけだから、地方の新規ビジネスにも面白いものがあったら、お金出したいです。

2011.09.17 05:11 URL | さくら #- [ 編集 ]

現在の国際競争に対応するためには、90年代頃から政府が教育の場面などで強調し続けている「変化に対応する能力」が求められます。
また、変わる過程の中で自分の立場を失う人に対するケアも必要になります。

実は、こうしたことについては、小泉元首相の「構造改革」、その後の安倍元首相の「再チャレンジ」は、理念としては間違っていなかったと思います。
(もちろん、安倍元首相は結局「美しい国」ばかりに執心しました。腹立たしい話です。)

このあたりに、いわゆる「左派」の人たちが考え方を整理すべき点があるように感じます。
「左派」の旗印となると、「革新」と「弱者保護」だと考えますが、この二つが矛盾していることも多いように思います。TPPについての議論もその一つだと思います。

ちなみに私は、国として過度の競争をしなくても、立場の弱い人たちを支えることができる道がないものかなぁと考えています。

「変える勇気」の話となると、農業について考えることは避けて通れないと思います。
「地方」についてもです。
私は農業と地方は疲弊が著しく、国がその将来像を構想し、思い切った政策を継続的に実行しなければ、再生できないと考えます。
今はそれを任せられる政府がなかなか誕生しないので、困ったものですね。

2011.09.17 09:07 URL | suterakuso #- [ 編集 ]

鉢呂吉雄前経済産業相が「放射能をうつしてやる」や被災地を「死の町だ」などと発言して辞任した問題を機に、大臣を辞任し、枝野幸男が新たな経済産業大臣になったが、民主党政権で建設産業は大打撃となっており、我が建設業界は大打撃となっている。

2011.09.17 21:50 URL | 智太郎 #- [ 編集 ]

いろいろ話ができそうなものを見つけました。
http://www.asahi.com/politics/update/0917/OSK201109170144.html
http://ceron.jp/url/www.asahi.com/politics/update/0917/OSK201109170144.html
「私たちのために叱ってくれるかっこいい先生」が好きな人が増えているのですかね。

2011.09.18 08:48 URL | suterakuso #- [ 編集 ]

一気に脱原発というのは非現実的すぎる。一説には、全原発の稼働を停止しても、火力や水力等で十分まかなえるという人もいるだろうが、その火力や水力も、メンテナンスや事故で使えなくなるリスクを抱えていることを考えれば、原発の稼働は「当面は」避けられない。

何も半永久的に原発政策を推進しろ、というのではなく、それこそリチウム電池のコストダウン(一般家庭や中小零細企業でも導入できるコスト)への研究開発や、自然エネルギーの安定的な活用への研究開発のスピードを上げて、早く「代替」が出てくるようにもすべきであり、あくまでも、その過渡期における「暫定的な措置」という意味でしかないわけだが。

もし、そうであっても、この私の発言に反発する思考や感情を抱くことが正当化されるのは「経済も生活も苦しくなっても構わないから、とにかく原発を止めろ」ということを、人々の反感を買ってでも主張する覚悟がある人のみだ、ということを肝に銘じてもらいたいものだ。

自分の発言に対するリスクに思いをはせ、そのリスクを背負う覚悟がない発言が多々見られるのが、有権者の選挙行動に見られるという猛省が、日本国民になければ、民主主義はまだまだ機能しない。

2011.09.18 15:47 URL | わくわく44 #- [ 編集 ]

原発はトイレの無いマンションと言われます。
そう、使用済み核燃料の処分が出来ないままに稼働がなされているからです。
原発を止める事が非現実的という人の殆どは、こっちの現実には頬かむりです。
今回の事故でも、建屋の中にプールを作り、物凄い量の使用済みの燃料が保管されていました。
これら使用済み燃料はこれから先何百年どころか何万年もに渡って隔離保管し続けていかないとならないのです。
もし原発がどうしても必要というのならば、例えばそれを公言してやまない経団連の米倉会長自らが出身母体の企業の私有地に処分場でも作ればいいのです。
言いっぱなしでそっちの始末は知らん顔が殆どでは、原発やむなしには説得力がありません。

事故が起きて日本中の原発がいかにいい加減に運営されていたかも白日に晒されました。
しかも福島では多くの無辜の子ども達が被曝をして命の危険に晒されています。
そもそもこれだけの原発が稼働しているのに、事故対策はゼロに等しかったのですから無責任極まりないのです。
我々国民には何も情報を明らかにせずに、裁判で訴えても裁判所もグルになって国策である原発エネルギーを推進してきたわけです。
私はこの危険な原発は期限を定めて廃止にもっていくべきだと考えますし、その際の責任は国民に転化するのではなく、為政者や霞が関の国家官僚や東電や原発企業や御用学者がまず最初に負うべきだと思います。
彼らこそ自分達の発言や行動にまったく責任を負わず、その結果責任は、すべて国民に背負わせているとんでもない連中だからです。

国民はいつだって最後は責任を負わされているのです。
あの戦争だって戦争責任者の多くは、例えば731の連中は人体実験の資料をアメリカに渡して自分らは責任を負うことなく戦後は大学や公立病院の要職についているのです。
比して国民は耐乏生活を強いられ、肉親を失い財産を失ったのです。

今度の原発問題も同じです。
何が起きても結局は最後は国民が責任を負うのです。
だったら自分達の意思を反映した結果の責任だけを負いたいものです。
上の連中が勝手にやったつけだけをも負わされるのではたまったものではありません。
ふざけるな!バカ野郎!騙されるもんか!です。
これが本当の民主主義であり、国民本位の政治の姿です。

2011.09.18 16:33 URL | 風太 #seTEoywg [ 編集 ]

昨晩のETV特集はご覧のなりましたか?
戦後、日本で原発がいかに推進されていったかが詳しく語られていますし、
この番組を見ると正力松太郎が原発の父と呼ばれる由縁がよくわかります。
福竜丸事故の後の読売グループの総力を挙げてキャンペーンで原子力に対する国民のイメージを転換させたことや、その後国の原子力事業を強引に進めていった過程など、この人物さえいなければこんな国にならなかったことがよくわかります。
(番組の中でアメリカの諜報機関との繋がりを示す場面もありましたし)
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0918.html

NHKオンデマンドでは19日の午後6時から配信のようです。
https://www.nhk-ondemand.jp/program/P200800001600000/#/0/0/

それから、さきほど書きかけの文章が誤って送信されてしまいましたが、そちらの方は削除をお願いします。

2011.09.19 06:05 URL | のと #- [ 編集 ]

非常に誤った思考と感情の発露がなされた形跡があります。

「過渡期における暫定的な措置」であり、「代替エネルギーの開発」を提唱する発言があったのちに、「一気に停止するのは非現実的」というのが、「こっちの現実には頬かむり」というのですからね。
私の発言に反感や不快感、嫌悪、批判、反対の感情と思考が正当化されるのは、「経済も生活も今よりも低下してもよい、私は電気をしばらく使わない生活を送ります。PCもしません、TVもみません。」ぐらいの思考と感情を抱いたときのみです。
それを否定するならば、私が不快になる思考と感情を抱く自由も資格も権利もありません。

それがわからないことが、どれだけ日本社会をゆがめたのか。まだまだ「日本人に人権と民主主義」とは「豚に真珠」を意味するのですね。

2011.09.19 10:44 URL | わくわく44 #- [ 編集 ]

私には例えば脱原発と主張するのに、経済も生活も苦しくなっても構わないという主張も合わせてする必要がどうしてあるのかがわからないのです。
そんな話は一方的に流されている情報に過ぎなくて、そもそも原発を止めたら電力が足らなくなるという根拠すら、東電も経産省もはっきりしたものを示してはいないのです。
情報を出してくれば、それこそ多くの専門家が検証して、それが本当にそうなのかを国民の知る事が出来ます。
単なる言いっぱなしの情報をそのまま鵜呑みにしなければならないなど、まったく不思議な話です。
何も具体的な数字を出さないでおいて、いきなり国民に計画停電を押し付けたのが今の東電のやり方なのです。
根拠もない話を信じなければならないという方がどだい無理な話です。


東電や経産省(保安院)は、国民に対して原発は安全なもので事故など起こる可能性は殆どないし、炉心溶解などありえないと宣伝していたわけです。
ところが彼らはこの機に及んでも裏で色々と画策をして事故への賠償をめぐる東電の負担を少しでも減らそうと必死です。
東電を民間企業のルールに従わせようとした経産省の古賀さんは逆に詰め腹を切らされて退職に追い込まれました。
つまり自らの発言のリスクを背負う覚悟が無いのは実は東電であり、経産省なのです。


国民は自分達の生活を左右するような国策に対しての情報には知る権利があるのです。
今回の場合も原発に関してもっと国民が広く情報を共有していれば、福島の原発のいい加減な運用による危険性も事前にわかったはずです。
それで国民がそんな危険な原発でもかまわないとして、その結果事故が起きたのであればそれはそれで国民が責任を負うしかないのです。。
しかし現実は、原発の危険性に関しては殆ど何も知らされないまま、また知ろうとして裁判に訴えても知る事が出来ないままに事故が起きたのですよ。
これでは国民としてはたまったものではないわけです。
福島の事故が起きた今でもこの現状に変わりはありません。
危険な原発がさしたる安全面での検証も無く再び稼働させられようとしているのです。

それで脱原発を主張をするのに、するにあたって東電や経産省の側から流される一方的な言い分である経済も生活も苦しくなるという主張も合わせてして人々の反感を負う覚悟がなければ民主主義を理解していないかのように言われるとは、一体なんなのでしょうね。
経産省や東電が聞いたら泣いて喜びそうな考え方である事は間違いないでしょう。(苦笑

2011.09.19 13:54 URL | 風太 #seTEoywg [ 編集 ]

全電力出力量の1割から2割を捻出している原発を、「今すぐに全部停止しろ」というのは、どう考えても1割から2割の電力量が減少するのであって、こんなことは小学生でもわかる話です。
そして、火力も水力も、機械で動かしている以上は「メンテナンス」もあれば「故障」もあるわけで、2011年9月現在にあっては、「原発をなくしても大丈夫」とは断言できないのが現状であることも確かであって、これを覆すならば、それを完全に覆すだけのデータなりエビデンスを明確にした上で、私を批判したり反対するのが、私が不快になる感情や思考を抱く人たちの義務であり責任です。

第一、私は「原発を半永久的に稼働させろ」とは一言もいっていませんが。
代替エネルギーが開発され、それが一般市民や中小零細企業が利用できる状況になる(物理的にもコスト的にも)までの「過渡的」「暫定的」ということを述べているわけです。
にも関わらず、そのことについて、「わくわく44の考え方は、経産省や東電が聞いたら泣いて喜ぶ考え方だ」と思考するのであれば、なおさら、私が要求する感情と思考を抱き、実行する義務と責任を負います。

それができないならば、『わくわく44の方が絶対的に正しい、自分が間違っていた。』と猛省するか、または、『社会生活も経済も、今よりもレベルが下がってもよい。私はPCを使わないしTVもみない。電気製品を一切使わない。』か、いずれか一方の感情と思考を抱き、それを実行する義務と責任を負います。

このことを理解できないで「人権」だの「民主主義」だのを希求するのは、「人権」や「民主主義」に対する冒涜でしかありません。「人権」「民主主義」は100円ショップで売っている廉価品ではないのです。

2011.09.19 14:12 URL | わくわく44 #- [ 編集 ]

「…のであれば、なおさら、私が要求する感情と思考を抱き、実行する義務と責任を負います」って、これに反応したら、また「ネタにマジレス」って言われますかね?

2011.09.19 19:21 URL | suterakuso #- [ 編集 ]

日記の方の話題ですが、「さようなら脱原発集会』」デモ、私も参加しました。

渋谷区では5月のデモに同じく参加したのですが、その時も警察は日中ひたすら(2~3時間)待たせ、暗くなるだろう頃合いを見はからってサッサとデモを急いで通らせて終わらせる、という手法を取っていたように思います。
区などの管轄によって警察のデモ管理の手法は違うと思うのですが、渋谷区の警察の手法は個人的に非常に卑怯卑劣かつ失礼千万な物に映ります。民主主義的国家国民運動に対して。

09/11に中央区の経産省を囲んだデモにも参加したですが、渋谷区でやるデモの時ほどの警察への悪感情は持ちませんでした。
他の区のデモ管理の手法を全て知っているわけではありませんが、渋谷区の警察のやり方は、私の目からは最悪に映ります。

警察に文句付けても言いがかりで逮捕されるだけでしょうから(と渋谷区の警察のやり口を見ていると思わず思ってしまう)、やれる範囲でやるしかない話ではありますけど。
体制側からすれば、警察への悪感情をデモ側に持たせ、運動への停滞感から思想激化の流れを作って、運動の一部過激思想者を社会から孤立させ、浅間山荘事件でも引き起こさせて社会運動全体に冷や水をぶっかけ動きを止めよう、という意図もあるかもしれませんから、
警察・公安様への悪感情的な煽りは出来る限り控えた方がいいのかもしれませんが。


主催者側発表で参加者約6万人なのですが、体感的にあまり人波に慣れていないせいで、「こりゃ10万人超えたろう!」的なメッセージを知り合いらに流してしまいました。
でも主観としては、そう思うほどかなり多いと感じていましたし、高揚もしてしまいました。
素通りで素知らぬ顔の人もまだまだ多いですけど、5月より確実に道行く人の関心が高くなっている印象も受けました。


あと個人的には、制服向上委員会というデモアイドル?的なものを初めて生で見て、
「アイドル曲に辛辣な社会運動歌詞というアンバランスは、生クリーム菓子に辛口カレーかけたみたいなインパクトがあるなぁ」と思った次第。

東電や経産省前で毎日あれをライブでやったら、彼らもほとほと自分達の所業が嫌になるでしょうね。
なんもかも鈍くなってて、若い娘というだけで癒されてしまうかわかりませんけど。
こちらも若年者の立派な心意気にいささか失礼ながら、彼女たちに一種清涼剤的なものを感じてしまい、人のこたぁ言えませんけど。

2011.09.20 01:06 URL | 朱の盤 #XQYq98OQ [ 編集 ]

>「今こそ『革新』の時代、『脱原発』で産業構造を転換せよ」

このタイトル、ブログ主ご本人が自覚されている以上の重大な内容を示唆していると思いますね。

20世紀に「革新」が没落してしまった原因は、ソ連東欧の体制崩壊や西側での中流幻想の蔓延などには解消出来ないんだと思いますね。マルクス主義左翼も緑派も、全人類に確たる展望やビジョンを示せなかったことが大きい。
そう、真の問題は、分配論などではなかったのでしょう。少なくともマルクスのような人間においてはね。この事は、どこかのマルクス講釈師のような言葉の上だけの知ったかぶりを許さない重大事だと思います。

物質的生活の生産様式の解明、これなくして人類に可能な未来はない。GDP神話のようなまがい物ではない、真の経世済民のあり方が鋭く問われざるをえないのが21世紀だと思います。

2011.09.20 08:52 URL | バッジ@ネオ・トロツキスト #CrLMSZ1k [ 編集 ]

革新政策も大事だとは思います。
ただ、必ずそれに伴う『リスク』を覚悟の上で主張すべきでしょう。
人間のつくるものだから、どんな政策や制度にも一長一短ありますし。
(比例代表制も、以前に言ったコストの問題、中央重視・地方軽視になるという問題がありますし)

もっとも、日本人は減点法ではかるところがあるから、どうしてもリスクを背負うのをためらってしまう。(僕も今まで仕事の自己評価が減点法だったしね。最近はいいところを見つけるよう心がけてるけど)

2011.09.23 11:46 URL | SPIRIT(スピリット) #- [ 編集 ]

案外これこそ問題の根幹かもしれません。

『権力中枢の情報をキャッチしようとする防衛省
現役自衛官が「産経新聞」記者に』
http://www.voiceblog.jp/tachiyomist/1565399.html

問題は産経以外のメディアがそれを知っていて。。というところです。

2011.10.04 09:55 URL | やまぼうし #ehuBx04E [ 編集 ]













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Paul Craig Roberts 2011年9月15日 Information Clearing House 経済学者として、私は、1940年代のケインズ学派の需要側重視経済学に縛られているポール・クルーグマンの経済学には我慢できずにいる。クルーグマンは、財政政策には、需要側のみならず、供給側の効果もある...

2011.09.17 19:20 | マスコミに載らない海外記事