asahi.comにも公開されたこの記事の「はてなブックマーク」を見ると、
などと書く、往生際の悪い人間がいる。むう、朝日ってのがなぁ。仮に真実だとしても信憑性を損ねかねない。レベルの話は国内と海外の評価が違うらしいし。
確かに朝日の記事は怪しい。ただ、それはブコメ主とは正反対の意味においてだ。以下asahi.comより引用する。
原子力安全委員会は、SPEEDI(スピーディ)(緊急時迅速放射能影響予測)システムで放射能の広がりを計算するため、各地での放射線測定値をもとに、同原発からの1時間あたりの放射性ヨウ素の放出率を推定した。事故発生直後の12日午前6時から24日午前0時までの放出量を単純計算すると、3万?11万テラベクレル(テラは1兆倍)になる。
国際原子力事象評価尺度(INES)は、1986年のチェルノブイリ原発事故のような最悪の「レベル7=深刻な事故」を数万テラベクレル以上の放出と定義する。実際の放出量は約180万テラベクレルだったとされる。今回は少なくともそれに次ぐ「レベル6」(数千?数万テラベクレル)に相当する。
(asahi.com 2011年3月25日3時0分)
朝日新聞記事の引用部分をよく読んでほしい。「事故発生直後の12日午前6時から24日午前0時までの放出量を単純計算すると、3万?11万テラベクレルになる」のに対し、「国際原子力事象評価尺度(INES)は、1986年のチェルノブイリ原発事故のような最悪の『レベル7=深刻な事故』を数万テラベクレル以上の放出と定義」している。つまり、INESの定義に基づくと、「3万?11万テラベクレル」という福島原発の放出量は「レベル7」になるのである。それを、朝日新聞記事はチェルノブイリ原発事故の放出量は約180万テラベクレルだったことを理由にして、勝手に「福島原発事故はレベル6」と過小に認定している。「レベル6」の事故の放出量は数千?数万テラベクレルとのことだから、最大限甘く見積もっても、「レベル6とレベル7の境界領域だが、レベル7により近い」としかいいようがないと私は単純に思うのだが、間違いだろうか。
どうしてもチェルノブイリと福島に差をつけたいというのなら、100万テラベクレル(=1エクサベクレル、10の18乗ベクレル)以上の「レベル8」を新設して、チェルノブイリをそこにランク付けすべきなのではないか。要するに、福島原発事故とはそれほどまでにもひどい原発事故だったということだ。上記のように再定義したところで、福島原発からは今なお放射性物質の放出が続いているから、いずれ福島も1エクサベクレル級の事故ということになってしまうかもしれない。
女子テニスのキム・クライシュテルス選手が、今年9月に東京・有明テニスの森公園で開催される東レ・パンパシフィック・オープンへの出場を見送るとのニュースも伝わってきた(時事通信)。クライシュテルスは10月1日からの中国オープン(北京)も欠場するそうだが、サッカーでも親善試合の来日を予定していたチームが、日本だけではなく韓国での試合もキャンセルした例があった。
クライシュテルス選手やサッカーのチームを笑うことはできない。今、世界が日本を見る目は、かつて日本を含む世界がチェルノブイリを見た目と同じであるととらえるべきだ。25年前には東欧諸国が現在の中国や韓国と同じような目で見られた。
「食の安全」に話を移すと、現在、野菜に含まれる放射性物質の量などが云々されているが、野菜についている泥も一緒に測定したという話などもあり、現段階では水洗いが有効で、洗ったり茹でたりして食べれば、被曝のリスクはかなり軽減されると思う。
だが、心配なのはむしろ今後だ。これほどまでにもひどい原発事故となれば、福島第一原発を中心とした地域の土壌は決定的に汚染される。そこでとれる農作物にはかなりの放射性物質が含まれるであろうことは想像に難くない。そうなると、水洗い程度では放射性物質を除去することはできない。つまり、今回の原発事故は東日本の農業に決定的な大ダメージを与えてしまったのである。東日本の農産物の風評被害を避けるためには、正確なデータをとって、農産物に含まれる放射性物質の含有量の推移を公開し続けるしかない。もうお上が隠しごとをできる時代ではなくなっていることを為政者や役人はよく知るべきだ。
こんな時期でもさすがは日経というべきか、昨日(24日)の日経電子板が、東京電力が今年度(2010年度)の期末配当を「未定」と発表したというニュースを伝えるとともに、
との注釈を付け加えている。読売の記事によると、資金流出を抑えるため、会社設立の年以来、59年ぶりに期末配当を無配とする公算が大きい。
とのことだが、配当など出せるはずもないし、万一配当を出すようなことがあったら、東電は「社会悪」として糾弾されるだけだ。東電は「減配か無配かは決まっていない」(広報部)と説明している。
政治家もひどい。たとえば与謝野馨は、「原発は重要エネルギー源であり、地震が多いのは運命だ」などとほざいた(時事通信の報道より)。この発言に対しては、『kojitakenの日記』で、読売新聞に対してともども大いに毒づいたので、興味のある方はそちらをご覧いただきたい。
当ブログでは、他のブログやマスコミと同様、このところ福島原発事故を取り上げる頻度が高いが、一部では「被災地では原発問題なんかより被災者への衣食住の救援の方が喫緊の課題だ。しかし東京の人間にとっては原発事故や計画停電のことしか頭にない」との声も聞かれる。
だが、計画停電はともかく、原発事故は地元の方々にとってこそ深刻な問題だ。たとえば、19日付朝日新聞に、福島県三春町の禅寺・福聚寺=ふくじゅうじ=の住職を務める作家の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんのインタビュー記事は出ている。玄侑さんは言う。
私の住む福島県三春町は、福島第一原発から約45キロにある。原発近くで被災した私たちにとって、刻々と事態が悪化する原発事故に関する情報が圧倒的に不足している。
どのテレビ局も、原発事故の状況をほかの避難状況や被災現場の報告などと場面を切り替えながら報じている。記者会見などがあれば横並びになる。この非常事態に、どこか1局でいい。原発事故に特化して正確な状況をリアルタイムで報じるべきだ。
(中略)
ニュース番組の解説者や専門家は、原発事故について、なお希望的な見方をしているように見える。必要なのは根拠の乏しい見立てではなく、正確で迅速な情報だけだ。パニック誘発を避けて情報を抑えているのなら、そういう次元はとうに過ぎている。
正確な情報とともに、せめて病院や緊急車両用の燃料、そして薬を届けてほしい。三春町だけではなく郡山市などの各病院も、気温0度前後の中、燃料不足で暖房が止まっている。薬も圧倒的に不足し、新たな患者を受け入れられない病院もある。
私の父は郡山市の病院に長期入院している。その病院から17日、緊急連絡があった。原発事故が最悪の局面を迎える事態を想定して、「いざという時にどうしますか」というのだ。
原発から離れた転院先を探す余裕はないという。最悪の局面を病院で迎えるか、今のうちに自宅に戻すかという判断を迫られているのだ。医師たちこそ、彼らの生き方にかかわる選択を迫られているのだろう。
(中略)
政府は屋内退避指示の範囲を変えていないが、本当にそれでいいのか。原発から30キロ圏外ならば、このままとどまっていても安全だという根拠は何なのか。いつまでとどまっていていいというのか。
現場はとにかく情報が交錯している。原発近くにいる我々は、この国の指示を本当に信じていいのかどうかという、自問の渦中にある。
(2011年3月19日付朝日新聞記事=本田直人記者によるインタビュー=より)
インタビューの全文は、「ウェブ論座」のサイトに掲載されており、無料で読めるので是非ご参照いただきたい(下記URL)。これは必読の、被災地からの訴えである。
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2011031900003.html
昨今の原発事故報道や上記玄侑宗久さんの訴えなどに接するにつけ、原発というのはいったん事故を起こしたが最後、とんでもない事態を招いてしまうものであることを痛感する。
私はずっと以前から「反原発」の立場に立つ人間だが、かつては「反原発」は別に「社共の専売特許」でもなんでもなかった。それが、今回の震災直後に福島原発が相次いで水素爆発を起こした段階で早々と事故を起こした時点で、東電および東電をコントロール下において事態に対処する姿勢を見せるのが遅かった政府を激しく非難した時、大きな反発を受けたことには本当に驚いた。そこまで身も心も「原発安全神話」に侵された人が大多数になってしまっていた。
自民党の谷垣禎一総裁と、政府・民主党の枝野幸男官房長官が、ともに原発推進の政策転換を口にしたのは当然のことである。歴史的に見ると、原発政策を推進したのはむろん自民党政権だが、保守本流よりむしろ保守傍流が推進した政策だった。特に、中曽根康弘と読売新聞の正力松太郎(「原子力の父」と呼ばれる)が原発導入に骨を折った。与謝野馨がこの期に及んで異常とも思える原発推進論を口走った理由は、与謝野が母の知人・中曽根康弘の紹介で日本原子力発電に入社した経歴を持つことを考えれば了解できる。原発は与謝野のレーゾン・デートルのようなものなのである。与謝野馨こそ菅政権の癌であり、与謝野が閣僚でいる限り、私が菅内閣を支持することは間違ってもない。
今やどの政党もエネルギー政策を転換し、脱原発へと舵を切るべき時だ。中曽根の影響を比較的受けにくい谷垣禎一が自民党の総裁を務めているのは不幸中の幸いかもしれない。一方の民主党は、かつては旧社会党系の意見を一定程度容れた「原発慎重派」(消極的容認派)だったが、2006年に代表に就任した小沢一郎が、自民党と同じ「原発推進派」(積極的推進派)に変えてしまった(『kojitakenの日記』参照)。その後、地球温暖化対策としても原発推進を掲げたり、果ては外国に日本の原発技術を売り込もうとするなど、今や「民主党は原発推進勢力」というのは国民の常識となっているが、民主党の原発政策も早急に最低でも「小沢一郎より前」に戻すべきだろう。
いや、菅直人らにそれができないというのなら、民主党の政策を転換した小沢一郎自身が「脱原発」を旗印に掲げたって構わない。かつて、「規制緩和」と「小さな政府」を旗印にしていた小沢一郎が、同じ旗印を掲げた小泉純一郎と竹中平蔵が日本をぶっ壊すや、かつてとは正反対の旗印である「国民の生活が第一」というスローガンのもと、政権交代を実現させたという故事もある。それと同様に、民主党の原発政策を「積極推進派」に転換させた小沢一郎が、率先して「脱原発」を唱えたとしても、政治家としては「それもあり」だろう。要は、「白い猫だろうが黒い猫だろうが、ネズミを捕るのが良い猫」なのであって、政治家に求められるのは何より「結果を出す」ことだ。自民党、民主党菅一派、民主党小沢一派の三者は、今こそ「原発推進政策の転換」の速度を競うべきだろう。
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