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きまぐれな日々

今日1月17日は、1995年に阪神・淡路大震災が起きてからまる16年に当たる日だ。あらためて震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、震災で身内を亡くされた方々や心身の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞い申し上げる。

1995年というと、日本という国にとってもターニング・ポイントになった年だ。社会的には、東京で地下鉄サリン事件が起きたが、労働問題では、日経連が「新時代の『日本的経営』」を発表した年でもある。翌1996年の派遣労働法改正は、派遣業務が原則自由化された1999年の改正や、同改正で派遣禁止業務とされた製造業にまで派遣を解禁した2004年の同法改正ほどには言及されることが少ないが、99年改正への道を開いたのが96年改正だった。96年改正によって、派遣の対象となる業務が、16業務から26業務へと増えたのだが、これは単に業種を増やしたものではなく、日経連の「新時代の『日本的経営』」の方針に沿って、正社員の数を減らし、派遣労働を増やす狙いがあった。当時私が働いていた職場は、増えた10業務に属していたので、96年改正による労働環境の変化を肌で感じていた。

私が、消費税の問題以上に現民主党トロイカが罪深いと思うのは、この派遣労働法改正の件である。1999年改正では、小沢一郎の自由党は与党だったため当然賛成したし、野党の民主党も賛成した。当時の民主党代表は菅直人である。2004年の派遣法改正に民主党は反対したが、代表は岡田克也だった。派遣法改正に関しては、小沢一郎も菅直人もまごうかたなきA級戦犯である。

90年代後半というのは、今思い出してもひどい時代であって、何しろ今でいう新自由主義に反対する言論の力はきわめて弱かった。そうなった原因の一つとして、90年代前半の「政治改革」によって、社会党が弱体化したことが挙げられると思うが、この「政治改革」を主導したのも、小沢一郎や菅直人、鳩山由紀夫ら現「トロイカ」だった。もっとも、社会党も自らが政権与党の時代に主要な政策を次々と転換したあげく、消費税率引き上げへの道を開いたのだから責められて当然だ。

90年代後半にはやった言葉として、「グローバルスタンダード」がある。日本経済も、国際標準に従わなければならないという風潮があった。「グローバルスタンダード」なんて、正体は「アメリカンスタンダード」に過ぎない、という批判が目立つようになったのは、ようやく1998年頃からだった。この反対言論に私は飛びついたものである。しかし、その後に「小泉構造改革」という、さらなる新自由主義の猛攻が待ち構えていた。

小泉構造改革に対する反対言論は、小泉政権末期の2005年、郵政総選挙で自民党が圧勝したあとに、その反動として目立つようになった。私がこのブログを開設したのは2006年4月だが、その頃には「新自由主義」という言葉も論壇で普通に用いられるようになっていた。だから私は、安倍晋三ごときが小泉純一郎の跡を継いで総理大臣になろうとも、そんな政権は早晩潰れるだろうと、安倍がまだ総理大臣になる前から確信していたし、それどころか安倍が総理大臣になること自体阻止できると思っていたくらいだ。現実はそこまで甘くはなく、安倍は総理大臣になってしまったが、その政権は1年しか持たなかった。

NHKスペシャルが、現在も語り継がれる名番組「ワーキングプア」三部作を制作したのは2006年から2007年にかけてだったが、初回は小泉政権時代、第2回は安倍政権時代、第3回は福田政権時代だった。小泉純一郎の後を受けた政権は、新自由主義の政策を批判され、その後の麻生太郎も含めて、発足直後はそれなりの支持率を得たものの、いずれも急速に支持率を落とした。竹中平蔵は世紀の悪人呼ばわりされるに至り、2009年の政権交代につながった。

しかし、自民党に代わって政権与党となった民主党が、鳩山由紀夫・菅直人の両内閣で全然成果を挙げられないと、2006年以降退潮一方だったはずの新自由主義の言論が、一気に息を吹き返した。今回の菅再改造内閣自体、経済財政政策担当相に与謝野馨を起用したことに端的に表れているように、紛れもない新自由主義政権である。

与謝野馨入閣を批判する民主党議員は、主に小沢派だが、テレビに映っていたのは森ゆうこ、姫井由美子、三宅雪子、松木謙公らだった。このうち姫井由美子は自らが「改革クラブ」に行こうとしたのを引き留められて、1日で態度を豹変させた人間だから論外だけれど、三宅雪子と松木謙公は、ともに名古屋で河村たかしの市議会リコールに向けた署名運動に協力した人物である。与謝野馨の財政再建至上主義に反対するのは良いけれど、その代わりが「減税真理教」ではどうしようもない。財政再建至上主義も「減税真理教」も、ともに公共サービスを切り詰めるという点で、新自由主義のドグマにとらわれた思想といえることは、前回のエントリ「タイガーマスクと与謝野馨」でも触れた通りである。

それと、最近の新自由主義言論の復活に伴ってか、政府や地方公共団体による再分配を強めよと主張する当ブログに対して、「ポジショントークだ」という批判が目立つようになった。これは実におかしな話であって、3年前に当ブログが浴びた「上から目線」批判と相通じるものがある。「上から目線」については、2008年1月29日付エントリ「『ポピュリズム』や『上から目線』などなど?大阪府知事選雑感」に書いたので、それをご参照いただきたいが、2009年7月12日付朝日新聞で、呉智英と宇野常寛が「『上から目線』で何が悪い」と題した対談をしていたらしい。これを取り上げている「みんななかよく」の記事から以下に引用する。

 冒頭で、呉氏が、「上から目線」てえ非難は、根源的な問いかけをのっぺりしたものの中に塗り込めようとしていて、嫌なもんでやんすな、と言うと、宇野氏が、なんの、ありゃ、議論相手への罵倒語でありんす、と答えております。

(「みんななかよく」 2009年7月27日付エントリ「朝日新聞 耕論 『上から目線』で何が悪いか を読む」より)


このところ当ブログが立て続けに浴びている「ポジショントーク」という非難も、「上から目線」批判と全く変わらない。

ネット検索をかけてみると、面白い記事が見つかった。「モジログ」の2010年1月18日付エントリ「ポジショントーク大歓迎」である(下記URL)。
http://mojix.org/2010/01/18/position_talk_welcome

あまりに面白いので、以下に全文を引用する。

ポジショントーク大歓迎

ネットではしばしば、「それはお前に都合がいいだけのポジショントークだ」といった批判を見かける。

別にポジショントークでもいいんじゃないか?と私は思う。

ポジショントークかどうかが重要なのではなく、その人の言っていることが妥当なのか、有益な見方を含んでいるのかどうかが重要だろう。

「それはポジショントークだ」と批判する人は、要するに「もっと客観的な立場から発言せよ」と言っているのだと思うが、完全に客観的になることはそもそも不可能だ。それに、ヘタに客観的であろうとすると、何を言っても主観的になるように思えてきて、保留だらけの意味不明な発言になったり、結局何も言えなくなったりする。これはちょうど、失敗やリスクを徹底的に回避しようとすると、結局何もできなくなるのと似ている。

以前、ポール・グレアムの「反論ヒエラルキー」を紹介したことがある。

反論ヒエラルキー
http://mojix.org/2008/04/13/disagreement_hierarchy

「反論ヒエラルキー」は、最もレベルが低い「罵倒」から、最もレベルが高い「主眼論破」まで、反論を次の7段階に分類したものだ。

DH0. 罵倒(Name-calling): 「この低能が!!!」といったもの。発言者に対する罵倒。
DH1. 人身攻撃(Ad Hominem): 論旨でなく、発言者の属性に対する攻撃。
DH2. 論調批判(Responding to Tone): 発言のトーン(調子)に対する攻撃。
DH3. 単純否定(Contradiction): 論拠なしに、ただ否定。
DH4. 抗論(Counterargument): 論拠はあるが、もとの発言に対して論点がズレている。
DH5. 論破(Refutation): 論破できているが、もとの発言の主眼点は論破できていない。
DH6. 主眼論破(Refuting the Central Point): もとの発言の主眼点を論破できている。

この7段階において、「論拠なしに、ただ否定」という「単純否定」が、ちょうど真ん中の「DH3」であることに注目してほしい。論拠がないのだから、反論としてうまいものとはいえないが、それよりひどいものがあと3つあるのだ。

いちばんひどいのが「罵倒」で、これはわかりやすい。そしてその次にひどいのが「人身攻撃」、つまり「論旨でなく、発言者の属性に対する攻撃」なのだ。論拠で否定するのではなく、発言者の属性を攻撃するのは、「論拠なしに、ただ否定」よりも悪いのだ。その理由は、「人身攻撃」は論旨による反論になっていない上に、属性への攻撃を含んでいるからだ。

「罵倒」が単に一般的な汚い言葉であるのに対して、「人身攻撃」はその発言者自身の属性への攻撃なので、むしろ陰湿だとも言える。「それはポジショントークだ」という批判は、論旨ではなく発言者の「ポジション」を持ち出して、それによって発言の説得力を下げたり、発言者のイメージダウンを狙うものなので、この「人身攻撃」の一種だろう。


特定の立場にある人の意見が、あまりにもその立場に都合のいい意見だ、と感じられることは確かにある。しかしその場合も、「それはポジショントークだ」という「人身攻撃」で反論するのではなく、あくまでも論旨の上で反論すべきだろう。特定の立場にある人の意見が、必ずしも独善的な意見とは限らず、その立場にあるからこそ、平均的な一般人よりも「問題の構造」が見えている、という場合も少なくない。

ネットなどで「人身攻撃」を見かけたとき、私はたいてい、「この人は論旨で反論できないので、人身攻撃しているんだな」と感じる。私は「人身攻撃」している人に共感することはほとんどなく、むしろ「人身攻撃」している人には失望して、そこで攻撃されている人の意見のほうが逆に輝きを増すように感じることが多い。ムキになって否定する人が続出するような見解は、しばしば極端だったり大雑把だったりはするが、何らかの真理や鋭い見方を含んでいることが少なくないからだ。

ひとりひとりの個人に対して客観性を求める考え方は、発言を抑圧する方向に作用しがちで、日本人の「主観恐怖症」をますます強めてしまうだろう。そうではなく、ひとりひとりの個人はどんどん主観的に発言してもらって、それをたくさん集めることで、全体的な多様性によって客観性が実現される、というほうがいいと思う。

ポジショントークを批判するのではなく、むしろ歓迎して、いろいろな立場の人に、どんどん主観的に発言してもらおう。

(「モジログ」2010年1月18日付エントリ「ポジショントーク大歓迎」)


この記事を書いたブログ主は、「左派から市場原理主義者として批判を受けることのある」とのことだが、立場に関係なく、正しいものは正しい。自分の気に食わない言説を「ポジショントーク」だとして問答無用に切り捨てることは「人身攻撃」であるとする指摘は、痛快そのものだ。

格差や貧困の問題について論じる場合、1月7日付エントリ「本当に必要なのは減税ではなく、再分配の強化なのだ」でも飯田泰之の言説を引用・紹介したように、年収600万円の「中流層」は、実際には日本の全世帯の平均額も納税していないにもかかわらず、自らを「税金を払いすぎている金持ち」だと思い込んで、小泉純一郎の「構造改革」に賛同して貧乏人を放置しようとしている。飯田泰之に言わせれば、「年収1000万円以下はみんな『貧乏人』だ!」ということになる。私ももちろん貧乏人だし、「くーちゃん」とか「わくわく44」とか、他にも文句をつけてきた人間がいたと思うけれども、そういう輩もおそらく同類だろう。飯田泰之といえば、「みんなの党」シンパの学者だが、そんな人でさえ、小泉構造改革を批判し、再分配を重視している。それなのに、肝心の貧乏人が同じ貧乏人の意見発信を「ポジショントーク」呼ばわりしてどうする。声を大にしてそう言いたい。一般に、大衆は専門家たちよりずっと保守的で反動的だというのが私の意見だが、その確信がますます強まる事例だった。

私はむしろ、貧乏人の側から積極的に発言しないことは、格差や貧困を温存するか、ないしは悪化させる罪悪であると考えている。つまり、「堂々と語れ、ポジショントークを!」と叫ぶ次第である。

そのための「鍋党(鍋パーティー)」なのだが、昨年11月4日に開設したmixiコミュに加えて、このほど「鍋党」ブログを開設したので、お知らせする。ブログ名は、「Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会」である。下記URLのリンク先に飛んでご参照いただきたい。
http://nabeparty744.blog111.fc2.com/

今のところ、私が書いた開設の挨拶のエントリがあるだけだが、このブログは、著者が "nabe-party" で、実際には「鍋党」の参加者が作るものである。つまり、「きまぐれな日々」は「私」のブログだが、「Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会」は、「われわれ」のブログであり、鍋党の参加者が書いた原稿を "nabe-party" が記事にするというわけである。機動性がブログの特徴だと思うので、それを活かした運営をしていきたい。

当ブログにせよ、「Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会」にせよ、堂々とポジショントークを語っていく。それが貧乏人の務めである。
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dongfang氏は自身のブログで
「既得権を守ろうとするところから運動は始まる」
と肯定的に書いています。

ネオリベ論者が常に例として出してくるのが「労働組合は既得権だ」というもの。
自分たちの待遇を良くしようと努力している者が、何もせずに流れに任せるままにしているものより待遇が改善されるのは当たり前ではありませんか?
ネオリベの唐変木どもはそんな当然のことさえ分かっていません(ネオリベが労組を敵視するには“本当の”理由があることはわかっていますけど)。

私は労組員でもあるので、労組の肩を持つのもポジショントークと言われそうですが、それなりに努力して交渉してきたのだから、待遇アップは何ら恥じることではないと思っていますがね。
厳しい入社試験を努力し通過した正社員や、資格試験を乗り越えて採用された公務員、教員、医師なども努力の結果を認めず、ただ「あいつらは既得権益を守ろうとしている」というだけなら誰も努力なんてしませんね。
そしてこういうことを言う輩に限って、貧乏人には「自己責任だ」と言うんですからたまらんですわ。

2011.01.17 22:01 URL | 飛び入りの凡人 #mQop/nM. [ 編集 ]

もしかしたら、谷垣氏が組閣したら、今の菅政権より、もっとリベラルな政権を作ったかもしれない。

菅政権は、官僚主導内閣として出発したが、今は、財務官僚主導内閣になった。
あの内閣には財務相は何人いるのか。

二大政党の間で、直近の内閣の閣僚が、政権交代後、対立政党の閣僚となった例は、他にあるのだろうか。
与謝野氏は人望があるらしいが、やっていることは、したたか。
自民党で定年となって、新党を作り、そこを踏み台にして、また閣僚に復帰する。
何でもあり、なんですな。

2011.01.18 01:17 URL | greenstone #- [ 編集 ]

飛び入りの凡人さんの意見を読んで、ネオリベ連中が、わざと嫌がらせで、労働組合の攻撃をしているのか?と、錯覚しました。

「…努力している者が、何もせず流れに任せるままにしているものより待遇が改善されるのは当たり前…」
まさに、昔に聞いた、小泉・竹中の主張そのままです。
労働組合に加入しているヒトのポジショントークなのだから、この主張でいいのかも分かりません。

ただ、この主張には、以下の視点が欠如しています。
労組がない企業の労働者、労組が作れないくらいの締め付けのある企業で働く者、労組があっても正社員でないので加入出来ない人々がいること。

ポジショントークの立場は、「日々の生活を送るためにともに働いている人々」の視点から、語りたいものです。

2011.01.18 13:26 URL | daimonji #- [ 編集 ]

turusankamesann さんから下記のようなコメントをいただきました。

-------- (ここから) --------
いいですねえ。偶然こちらに寄らせていただきましたが、「ポジショントーク」ずっと引っかかってました。
厳密な意味は違ってるんでしょうが、まあ広く認められた用い方でもokかと思います。
「ポジショントーク」の重要性は、その人が何の利益基盤の代弁者、或いはそこから立てた発言であるかを表明する所にあると思ってます。
ここを隠した発言が多くて、裏読み、裏取りするのがしごく面倒です。私も自ブログにおいてトコトン「ポジショントーク」で行こうかなと
考えてる昨今です。貧乏人が貧乏人らしく日々の考え、気持ち、行動などを晒すのもいいのかもなあと。
一つ二つ今有るとすれば、貧乏人は情報poorでありながらそれに気付いていないこと。
貧乏人が貧乏人を蔑むのは、自身の姿見を客観的に示されるのを恐れる感情から、でしょうかね。

管理者さんが納得されれば公開かまいません。
-------- (ここまで) --------

FC2では、コメントを投稿された方によって「非公開」に設定されたコメントを「公開」に変更する権限は、管理人といえどもないので、引用する形で紹介しました。

turusankamesanのブログのURLは下記です。
http://d.hatena.ne.jp/turusankamesan/

2011.01.19 08:59 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

今回の「ポジショントーク」と若干関連することとして、「嫉妬心」の問題が有ると思う。嫉妬心は、明らかに良くない感情だが、自然な感情でもある以上、必要以上に否定するのも、それはそれで不健全だろう。

自分の中の嫉妬心を強迫的に忌避する感覚が、今日の世の中(とくに、ネット上での議論)を息苦しくしている一因かとも思う。エロティックなものを極端に嫌悪したヴィクトリア朝時代のイギリスで、切り裂きジャックが跋扈したように・・・

以下にリンクするのは、Morrisey の "We hate it when our friends become successful" (=「友達が自分より成功すると、ムカつくよね」。作曲者の Morrisey が自分の人気が落ちてた時期に、「素直に」気持ちを歌ったもの。)

http://www.youtube.com/watch?v=RU0c7o6U9_4

こういう曲を愛好できるユーモアが有るので、英米の社会は、苛烈な競争社会であっても、それなりに風通しが良いのかとも思う。

2011.01.19 17:58 URL | ふは #pk1Oawbg [ 編集 ]

>daimonjiさん

これは妙なことを仰られる。

労働待遇や政策などに不満があれば、積極的に発言して行動せねば何も変わりません。
これを「努力」と称したまでで、小泉・竹中と一緒にされるのは奇天烈な感覚がしてなりません。
小泉・竹中政策とは、敗者に「努力が足りないからだ」と一方的に責任を押しつけ、救済しようともしないことを指します。私の言う「努力」とは次元の違う問題です。

たとえば政治に不満があるなら、住民運動やら投票行動などで、変えるための「努力」をしなければなりません。
あなたの言い分ではこうした「努力」も小泉・竹中の主張することと同じ意味なのでしょうか?
投票にも行かない人が政治への不満だけを口にするのを見てどう思いますか?

私の組合はK産党系なので、非組合員や組合を持たない労働者も保護の対象にしろと主張しています(連合系はよく分からないのでここでは論評しません)。
組合に入りたくても入れない人は確かに救済の対象とすべきですが、正社員で組合費も払える立場なのに、入りもせず、そのくせ職場環境の文句ばかり言っている人たちを好きにはなれません。

2011.01.19 18:36 URL | 飛び入りの凡人 #mQop/nM. [ 編集 ]

ポジショントークの話、同感です。
批判や反論をするにしても真摯に行いたいものですね。

2011.01.20 22:28 URL | dsei #- [ 編集 ]

久しぶりにこちらに来ました。
政権交代して2年もたってないのに、迷走してるのは残念でなりません。

障害者施設の現場で働いている私としては、年金しか収入がない人々に富の再分配がなされて欲しいと思います。
一方で私自身の収入も(間接的ですが)税金から得ていますから、利用者さんの買い物をする時は、かなり吟味をします。

いずれ日本は、福祉国家にならざるを得ないのですが、税金を上げる前に、使い道に対する透明度の上げていくことや国会や地方議会が厳しく吟味する流れを作らないといけないのだと思います。

私のスタンスとしては、所得税や法人税は最高税率70%にする代わりに教育費や医療費を無料化すれば、大部分の国民は喜んで税金を払うと考える立場です。
管理人さんのスタンスを私も応援したいと思います。

2011.01.29 06:48 URL | 葉隠 #CRmGiUQU [ 編集 ]

ワープア「終身雇用や年功序列、新卒至上主義が我々を苦しめている!労働市場を流動化してほしい!流動化して困るのは能力不相応な高給を貪る老害や一部特権階級だけだ!」
労組サヨク(役立たず中産階級)「そんなことをしたら我々が困る!どんな屁理屈を捏ねても断固阻止する!我々は弱者の味方を装いながら、弱者を搾取する権利を有する!」


不毛だな。もう暴力革命しかないのに、いつまで言論とやらに頼っているのか。

2014.06.12 16:41 URL | ワープア #KtOtvm9U [ 編集 ]













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