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きまぐれな日々

一昨日(22日)、西岡武夫参院議長が格差を1.2倍以内に抑える抜本改革案をまとめたことが朝日新聞に報道された。以下、下記URLのasahi.com記事から引用する。
http://www.asahi.com/politics/update/1222/TKY201012210477.html

参院選、比例9ブロック案 選挙区は廃止 議長提示へ

 7月の参院選で最大5倍の「一票の格差」を違憲とした東京高裁判決を受け、西岡武夫参院議長が格差を1.2倍以内に抑える抜本改革案をまとめたことがわかった。参院選で都道府県単位の選挙区を廃止し、非拘束名簿方式の比例区を全国9ブロックに分けて全議員を選出するという内容だ。22日に参院各会派に提示し、年明けの通常国会で法案成立を目指す考えだ。

 西岡議長は21日までに、改革案を参院各会派に非公式に打診した。ただ、選挙制度改革をめぐる各党間、議員間の意見には隔たりがあり、成案を得られるかは不透明だ。

 議長案の議員定数は、廃止する選挙区分をあわせ現行と同じ242を維持し、九つの比例区ブロックに割り振る。政党名と候補者名の投票の合算で各政党の当選者数をまず決め、政党内で得票が多い順に当選する「非拘束名簿式」をブロックごとに採用する。

 都道府県をどう分け、各ブロックにどう議員定数を割り振るかはなお最終調整を続けているが、中国と四国の計9県を一つのブロックにするなどして「一票の格差」を最大で1.2倍以下に抑える考え。議長案だけに、今後の改革論議のたたき台となる。

 参院の「一票の格差」をめぐっては東京高裁が11月、今夏の参院選を「違憲」と断じ、「著しい不平等状態が固定した観があり、憲法が許容する事態とは考えられない」と指摘。今月10日に広島高裁、16日には東京高裁の別の担当部と広島高裁岡山支部が「違憲状態」とするなど、厳しい判決が続いている。

 これを受けて、民主党内では比例代表を廃止し、選挙区を衆院比例と同じ全国11ブロックに分け、一票の格差を最大1.2倍以内に抑える抜本改革案が浮上していた。西岡議長の改革案は同じブロック制でも、比例代表の考え方を重視したのが特徴だ。

 西岡議長は7日の記者会見で、2013年の次回参院選からの導入を念頭に「年内に(議長案の)方向性に基づいた作業に入れるかどうか議論をいただく」と強調。自らの抜本改革案を尾辻秀久参院副議長や輿石東参院民主党議員会長ら参院各会派の代表者で構成する検討会に示し、各党が提出する案とあわせて年明けから本格的協議に入り、来春をメドに成案作りを目指す考えだ。

 ただ、民主党内でも有権者の少ない1人区選出の議員らが現行制度を前提とした私案をまとめ、ブロック案に反対する意見がある。職域代表を送り込んできた支援団体や労働組合からも、ブロック化で票が分散することへの懸念から異論が出る可能性もある。

 自民党は今月から議論を始めたが、「格差是正より各県代表の性格を明確にすべきだ」とし、米国上院をモデルに各都道府県に改選数1ずつを割り振る方式を主張する意見が出ている。行政区分の実態がないブロック制への異論は根強い。

 公明党にはブロック制を歓迎する意見があり、みんなの党は21日、ブロック制を前提に定数を100に減らす案を西岡議長に提出した。一方で共産、社民の両党は定数削減や比例区の廃止には慎重な姿勢を示し、とりまとめは難航が予想される。(南彰、関根慎一)

(asahi.com 2010年12月22日3時0分)


余分なことかもしれないが、このasahi.comの記事であれっと思ったのは、記事の末尾に共産党と社民党の反応が書かれていることだ。というのは、私はこのニュースをネットより前に朝日新聞(22日付一面記事)で知ったのだが、新聞紙面では、東京本社発行最終版(14版)であるにもかかわらず、共産党と社民党の反応が省かれていたからである。その直前の、公明党とみんなの党の反応のところで記事が終わっている。

こんなところに、最近の朝日新聞の報道姿勢がうかがわれる。前主筆の船橋洋一は、満66歳の誕生日を迎えた12月15日に退社したが、紙面に大きな変化はないように見える。同じ「洋一」という名の加藤洋一編集委員は、船橋洋一に近い主張の記者で、防衛大綱の改定でもこの人が一面で記事を書いていた。また、最近朝日の一面で目立つのは、テレビでおなじみの星浩編集委員だが、これまで、「ニュースステーション」時代から、テレビ朝日の報道番組のコメンテーターは、朝日新聞本紙にはあまり一面に記事を書いたりしなかった印象があるのに、星浩は違う。朝日新聞グループは、テレビも新聞も同じ方向性で読者をリードしていこうという、読売新聞グループと同じような傾向を強めているように感じる次第だ。

ついつい朝日新聞批判の方向に脱線してしまったが、西岡議長の提案自体は悪くないと私は思う。政治家としての西岡武夫は、あまり評価しないどころか「大嫌い」の部類に属するが、私は発話者より発話内容でものごとを判断することにしている。西岡試案は、少し前に出され、上記朝日新聞記事でも言及されている民主党案より、確かに比例代表の考え方をより重視するものになっている。定数削減を先送りしているところも良い。

ネットには載っているのに朝日新聞本紙では削除されたasahi.comの記載によると、共産党と社民党は定数削減と全国一区の比例区削減に難色を示しているとのことだが、西岡案は定数を維持している。つまり、共産・社民両党は、全国一区の比例区が9つのブロックに分割されることが党利に合わないということなのだろうが、23日付朝日新聞4面に掲載されている試算を見ると、今年の参院選に西岡議長が提案した試案を当てはめると、共産党は1議席増、社民党は増減なしとなる。つまり、共産・社民両党とも党の利益に反するわけではないので、反対の姿勢をとるのはどうかと思う。

西岡氏の試案で躍進するのは、みんなの党と公明党で、それぞれ7議席増となる。また、選挙で第二党だった民主党は2議席の微増だが、第一党となった自民党が15議席減の激減となる。しかし、2007年の選挙に当てはめれば、民主党の議席が激減し、自民党の議席が増えるはずである。要するに、民主党に有利、自民党に不利という話ではなく、現行制度が第一党に不当なまでのアドバンテージを得るという、小選挙区制である地方の一人区の問題なのだ。

個人的には、西岡氏試案では新党改革とたちあがれ日本の議席がゼロになるところに注目した。これらの政党に議席を与えてしまったことは、参院選の痛恨事の一つだった。

もっとも、私は国会議員は全国一区の比例代表制で選ばれるべきだと考えており、その場合、新党改革とたちあがれ日本が議席を獲得してしまう。まあ、いかな論外極右政党といえど、それなりに支持者がある以上、1議席くらい与えるのは止むを得ないだろう。それよりも、参院より衆院も比例代表制にすべきだと思うのだが、それに至る道筋をつけるためにも、この西岡試案を是非とも成立させてほしいと思う。現行の選挙制度と比較して、民意をより正確に反映できる。「みんなの党」も、自党の議席占有率が増える方向の改革なのだから、定数削減は一時棚上げして、まず西岡案を成立させることに協力してほしい。

私は、衆議院の小選挙区制ほど日本の政治をダメにしたものはないと最近特に強く思う。

2005年の郵政総選挙で自民党の使えないネオリベ衆院議員が大量に誕生した。城内実の落選以外良いことが何一つなかった、悪夢のような選挙だった。また、昨年の政権交代前、多くの人が政権交代ムードに浮かれていた頃から、私はなぜか気分が沈んでいくのを感じていた。それは、民主党の使えない衆院議員が大量に誕生し、その結果政局が混迷することを予感していたからだ。

それは現実のものとなった。今、民主党内では主流派(反小沢)と反主流派(親小沢)が権力抗争を繰り広げているが、国民生活そっちのけの内紛に腹を立てているのは私だけではないだろう。仮に、年明け早々、「小沢政局」がきっかけとなって衆院が解散され、総選挙が行われれば、間違いなく自民党が「郵政総選挙」と同程度か、あるいはそれを上回る議席を議席を得て圧勝すると私は予想している。

もちろん、そうなれば菅政権は倒れる。東京を選挙区とする菅直人首相自身、落選する可能性もある(2005年の総選挙で、東京都の選挙区で当選した民主党候補は菅氏だけだった)。また、選挙に弱いとの定評があり、2000年の総選挙だったか、代表でありながらなかなか当確がつかなかった前首相・鳩山由紀夫にも落選の可能性があると思う。一度口にした引退宣言をあっさり撤回した鳩山の醜態は、選挙区の有権者に悪印象を与えたに違いない。元代表・小沢一郎はむろん盤石だろうが、小沢チルドレンだの小沢ガールズだのと呼ばれている人たちは、ほぼ全滅に近い状態になるだろう。つまり、小沢一郎の権威は地に堕ちる。つまり、「小沢新党」の創設は、普通に考えれば不可能であり、小沢一郎は自らがなしとげた「政治改革」によって手足を縛られているようなものである。

それが小選挙区制というものだ。そして、小沢チルドレンや小沢ガールズに代わって当選するのは、下野後、右翼色と新自由主義色をさらに強めた自民党候補たちである。彼らが行う悪政は、小泉純一郎や安倍晋三の時代よりさらにひどいものになることは疑う余地はない。自民党総裁は保守本流出身の谷垣禎一ではあるが、今でさえ党内の右翼バネや新自由主義バネを抑えきれない谷垣は、政権についたって右翼や新自由主義者、それに財界の喜ぶ政策しか行えないし、それさえ「手ぬるい」と批判されて、早々とより右翼色や新自由主義色の強い人物にとって代わられるだろう。私は、安倍晋三が復活するのではないかと警戒している。

これが、1990年代以来の「政治改革」の行き着く先なのだ。

私は、政治家では小沢一郎、菅直人、鳩山由紀夫の「民主党トロイカ」、学者では山口二郎や後房雄、マスコミでは田原総一朗や久米宏らが旗を振った1990年の「政治改革」こそ諸悪の根源だと考えている。だから、今、「親小沢」と「反小沢」が抗争を繰り広げているのを、冷ややかな目で見るだけだ。両陣営の人間とも、私から見れば「政治改革」を総括できない「同じ穴の狢」でしかない。

ついでにいうと、自民党内でもいろいろ権力抗争があり、現在は安倍晋三、麻生太郎らの極右勢力はどちらかというと不遇だが、彼らにせよ自民党の主流にせよ、新自由主義的な方向性の強い中川秀直や河野太郎らと同様、「小泉構造改革」を総括するのことのできない「同じ穴の狢」であるように見える。つまり、自民党は「小泉構造改革」、民主党は「政治改革」を総括しない限り、党を再生することはできないと私は見ている。現在の民主・自民の保守二大政党は、かたや90年代の「政治改革」を総括できず、かたや00年代の「小泉構造改革」を総括できず、ともに日本をぶっ壊していっている。

先月SNS (mixi) で立ち上げた「鍋党?再分配を重視する市民の会」は、私自身にとっては「小泉構造改革」に象徴され、その後自民党政権のみならず、小鳩・仙菅と続く民主党政権も継承している新自由主義に対する抵抗の意味合いを持っているが、来年のブログのもう一本の柱として、「政治改革の総括」というテーマを掲げ、衆議院の小選挙区比例代表並立制を改める声を盛り上げていきたいと考えている。

そのためにも、西岡武夫参院議長の参院改革案を支持し、与野党の政治家にこれを成立させることを強く求める次第である。

[PS]
首相・菅直人が、本エントリで「論外極右政党」と表現した「たちあがれ日本」に連立を打診していたことが報じられた。私の価値基準に照らすと、絶対に越えてはならない一線を菅直人は越えたことになる。今後は菅内閣の即時総辞職を求める立場で記事を書かざるを得ない。
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2010.12.24 08:38 | 選挙制度 | トラックバック(-) | コメント(12) | このエントリーを含むはてなブックマーク

西岡案がそのままなら、むしろ改善だと思います。定数もほとんど削減されていない上、完全比例代表制です。全国区ではないので、金がかかりすぎるということもなくなるでしょう。一つだけ難点をあげるとすれば、道州制志向が散見されることぐらいでしょうか。
 定数削減への地ならしだと考える向きもありますが、結果的には西岡案で良いと思います。

2010.12.24 10:25 URL | puyonyan #- [ 編集 ]

>衆院も比例代表制にすべき
賛成です。
小選挙区制では選択肢が無さ過ぎます。
私の衆院の選挙区は岡田克也の指定席なので、投票がアホらしくて(表現が不適切かな)・・・。
選挙区で岡田が当選、落選した自民候補は比例代表で復活当選、という茶番がつづいてましたから(今回は自民候補は復活当選ならず、でしたが)・・・。
これまでは共産党の候補に死に票を入れてましたが、今回は共産党候補は他の選挙区へ行ったため、入れる候補がなくなってしまい、初めて「白票」を投じる事態となってしまいました。

2010.12.24 13:12 URL | ウサギの耳アカ #- [ 編集 ]

改革には賛成であるが、この区割りは大変に大きすぎる、議員の空白地帯も出るだろう。また本来違う地域に存在する県を強引に他地域に編入しているところは無視できない。こういう地域にとっては民意が反映されにくく、投票率の低下を招く恐れがある区割りをもう少し小さくして、議員数を減らすべき
かなり問題のある区割りだと思う。

2010.12.24 14:20 URL | 寄り道者 #- [ 編集 ]

選挙制度では昔、故石川真澄氏が『週刊金曜日』で、大事なのは国会に国民の政治的意見の縮図を出来るだけ正確に作ることだ、といった趣旨のことを言っていたのを思い出します。またゾンビのように復活するとの例のセリフは、先に比例の方を開票してしまえばいいことだとの発言もあったように記憶しております。
個人名を記載できる比例代表であれば個人名を書きたいとの素朴な選挙民の要望にもこたえられるでしょう。“是が非でも政権交代”の熱が冷めた今の状況なら連立を促す比例代表の利点を訴えやすいかもしれません。
故石川氏の理想に少しは近づいているではないでしょうか。(石川氏の発言についてはうろ覚えのままです、違っていたらごめんなさい)

ところで、たちあがれ日本に連立を打診したとのニュースが…連立にしてもこれでは…
社民党の協力が得られないとなれば今度は極右政党と組む。理念の無い政権と言われても仕方がありませんね。

2010.12.24 21:35 URL | 北欧かぶれ50 #- [ 編集 ]

比例代表は最良の選挙制度だと思いますが若干懸念があります。55年体制の再現となることを危惧します。つまり巨大な保守政党と多くの少数政党の対立図式となり、結局、保守政権が永続することになるのではないか。時折少数政党の連立政権が生まれても、安保政策の矛盾を衝かれ、短命で終わるパターンが続く気がします。
保守派は現実的で利益を追いかけますので一本化しやすいのですが、リベラル派はどうしても理想主義的になり、左翼から中道左派まで細かい違いで分かれてしまいます。
国民の30%くらいの支持を得られ、一般庶民の利益を代弁する、労組等のバックを持たない政党が生まれればよいと思います。歳出と歳入の双方について経済成長から福祉までトータルで現実的な主張を持ち、イデオロギー色のない政党が望ましいでしょう。
いずれにしても、解散がなくネジレを作る参議院は、より民意を正確に反映する必要があり、その点では比例代表に特別の意義があると思います。
それから死票が大幅に減るので、社民の票は計算より増えると思います。死票を予想して他の政党に入れている人がかなりいるはずです。

政治改革はもともと政治と金の問題がテーマでした。それがいつの間に選挙制度改革にすり替えられて現在の小選挙区制ができました。当時、小選挙区制にしなければならない必然性などなく、それどころか、死票を増やし自民党の一党独裁を永続化するものとして批判されていました。結局、これは小沢氏等の権力掌握のための制度改革に過ぎなかったと思います。それなのにマスコミは改革派と守旧派に議員を色分けし、改革を推進する論調でした。あの時、どうして社会党が選挙制度改革に乗ったのか今でも不思議です。恐らくメディアが巻き起こした世論に押されてしまったのでしょうが、これを機に社会党は破滅の道を進むことになりました。
今回、ようやく政権を獲得した小沢氏ですが、その挙句、もともとのテーマだった政治と金の問題で、小沢氏が失脚しそうになっているのが皮肉です。

2010.12.24 23:32 URL | greenstone #- [ 編集 ]

ひとつ比例代表の懸念をあげるとすれば、多党化による政情不安定化でしょう。

人間の価値観がそれぞれである以上、議会で多数を占めようとするなら、大きな点で妥協せざるを得ないわけで。ともあれ、それが小党乱立したばあい、見つかるかどうか。
(ガラス細工の八党連立と呼ばれた細川・羽田内閣も選挙制度改定と同時に崩れちゃったわけで)

ただ、衆参の議院の質の違いをはっきりできるという点では、比例一本の意見に賛成します。
参院は比例一本、衆院は選挙区制を残しながらも比例中心にする、というのがベストな選択な気がするのですが、どうでしょう?

2010.12.25 01:06 URL | SPIRIT(スピリット) #kFq.b5lY [ 編集 ]

さて管理人様は「政治改革」を進め、現在の民主党政治の土台を作った知識人の批判をされているようですが、つい2年ほど前までは、左派言論人はおろか左派ブログに至るまで、民主党に期待・支持しなかったリベラルは皆無といっていい状態でした。
そうした勢力から自分たちの先見のなさを自己批判する言葉はほとんど聞かれません。

私は山口二郎氏の「民主党への支持を行った道義的責任」発言を潔いと思いますし、氏の言うところの「自民党の再分配は会員制の再分配」という言葉は言い得て妙だと思います。後房雄氏においても、河村市長を改革派と位置付けて支持したことを自己批判しています。
「君子豹変す」という言葉があるように、賢人は過ちを認め軌道修正することをためらいません。そのような知識人まで批判対象にすることを私はためらいます。それにふたりとも「社民主義実践」を目標にしてきた、それ自体は間違いであったとは思えません。ただ結果的に無能な勢力を応援したことが問題だったのです。
そういう私も、民主政権ができるまでは期待した者のひとりです。この政党を応援したことを今では恥じています。

私がもっとも嫌う自称「改革派」知識人は大前研一氏です。
彼こそ、90年代に「生活者」という言葉を連呼し、労働者までをも生産者と位置づけて軽視し、結果大企業ばかりを太らせ、賃金を下げ、地方を疲弊させ、中心街をシャッター街化させた元凶とも言えます。
そんな連中が俗悪なオヤジ系ネオリベ雑誌週刊ポストで、またまた無税国家なるカルト的改革を口にすることこそ批判すべきでしょう。

目標を同じくする勢力を、過去の支持勢力をネタに敵視してはまずいと思います。味方を減らします。
まず政策的に敵が誰なのか、そこからしっかりと見定めないと、根本主義で周囲に敵ばかり作っていては、弱小勢力で戦うのも覚悟があればいいでしょうが、小異を捨て大同につくことも勝つための手法も大切だと思います。

2010.12.25 02:10 URL | 飛び入りの凡人 #mQop/nM. [ 編集 ]

飛び入りの凡人 さん、

当ブログは、まだ福田康夫と小沢一郎の「大連立騒動」が起きる前の、2007年8月に、「石川真澄『戦後政治史・新版』を読んで思うこと」と題したエントリを上げました。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-426.html

このエントリで、石川氏が「政治改革」の欺瞞を喝破したことを評価する文章を書いたのを皮切りに、一貫して90年代の「政治改革」を批判し続けています。皮肉にも、石川氏の著書に手を加えたのが山口二郎氏だったわけですが、石川氏はリアルタイムで「政治改革」を批判していた人で、私は石川氏を支持していましたが、朝日新聞の主流は「政治改革」を支持する記者たちに占められ、新聞全体の論調はそちらに支配されました。

大前研一はもちろん論外で、彼の全盛期から私は大嫌いでしたし、大前についてはつい先日当ブログでも批判したはずです。

でも、山口二郎らの「政治改革」が「小異」であるとは私には思えません。現につい先日も、NHKの「日曜討論」で、山口氏は民主党の失政を一部の政治家(菅政権)の責任に帰して、「政治改革」の責任を不問に付す世論誘導を行っていました。しかも、山口氏は相対的に鳩山前内閣を持ち上げていたのです。山口氏は、「民主党への支持を行った道義的責任」は自己批判したかもしれませんが、「政治改革の旗を振った道義的責任」は自己批判していないのではないでしょうか。

2010.12.25 09:23 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

衆議院の選挙区制度を小選挙区・比例代表並立制(実質的には小選挙区に比重が置かれている)に「改革」する法案が成立したのが94年、細川連立政権の時でした。
小選挙区制度導入はそれまで自民党政権下で2度試みられましたがいずれも失敗。朝日はじめ大新聞が反対のキャンペーンを張ったことが大きな原因でした。しかし、3度目の正直となったこの時は大手新聞社やテレビ局の社長・論説委員長らを多数参加させた選挙制度審議会にこの案を提案させるというマスコミ抱き込み作戦が功を奏し、メディアの圧倒的な支持の下、反対意見を述べる人はバッシングに合うという状態でした。このことは、Kojitakenさんが挙げていられる故・石川真澄氏の「戦後政治史」や内橋克人氏の「悪夢のサイクル」に書かれています。

注目すべきは、自民党が2度試みながら果たせなかったことが非自民の細川連立政権がなしとげたということ。今、法人税減税や「動的防衛力」を堂々と掲げた新防衛大綱の決定など「自民党政権でもやらなかったこと」を民主党政権がやっていますね。これは偶然の一致などではありません。この皮肉な事実を直視することから始めないと日本の政治は決して良くはならないと思います。

鳩山一郎内閣以来、小選挙区制導入の目的は衆議院で憲法改正に必要な3分の2以上の改憲勢力を獲得することに変わりはありません。にもかかわらず「リベラル・護憲」を自認しながら、小選挙区制導入を「政権交代をしやすくするため」などと、今なお信じている人は多いです。はっきり言って相当おめでたいとしか言いようがないですが、こういう人たちの支持を得るためにも自民党ではだめで「リベラル」な顔ももつ新しい政治勢力が必要だったのです。民主党はこのような意図で作られた政党といっても過言ではないと思います。だから、理念も何もないのでしょう。

>飛び入りの凡人さん
>つい2年ほど前までは、左派言論人はおろか左派ブログに至るまで、民主党に期待・支持しなかったリベラルは皆無といっていい状態でした。
>そうした勢力から自分たちの先見のなさを自己批判する言葉はほとんど聞かれません。

政治改革を厳しく批判してきた内橋克人氏や法政大学教授の五十嵐仁氏なども昨年の政権交代を「歴史的な快挙」と讃えていました。しかし、だからと言って両氏を山口二郎氏ら政治改革を推進してきた学者たちと同一視するべきではないと思います。小選挙区制や二大政党制への反対の気持ちは変わらないけれど既成左翼がすっかり党勢を失った現状では、とりあえず民主党に希望を託すしかないという思いだったのでしょう。最も罪が深いのは「とりあえず民主党に希望を託すしかない」状況を作ることに積極的に関わった人たちではないでしょうか。

尚、山口氏は、「政治改革」の失敗が明らかになった90年代後半の橋本内閣時代くらいから以前の主張を変え、ドイツ型の選挙制度にするべきと言い出しました。また、かっては規制緩和論者であったのが、規制緩和を積極的に進めた小泉政権がもたらした惨状がはっきりすると同政権を批判したりしています。規制緩和も山口氏が支持した細川政権時代のスローガンでしたが、これに関しても、かって推進した自分の責任を認めるのではなく小泉政権批判にすりかえてしまっているのです。

2010.12.26 02:58 URL | ぽむ #mQop/nM. [ 編集 ]

前回コメントの追加です。

政治改革を厳しく批判してきた内橋克人氏や法政大学教授の五十嵐仁氏なども昨年の政権交代に期待を寄せたことは先に述べた通りです。少数派とはいえ民主党には反新自由主義的で護憲派の議員もいるから彼らを主流派にするためにもエールを送ろうという気持ちもあったのでしょう。しかし、元来二大政党制反対の彼らは民主党の一人勝ちではなく、民主党を左から牽制する社民・共産もそこそこの議席を得るような結果を望んだのですが、これはKojihtakenさんや私など「オーソドックスなリベラル左派(化石左翼?)」の多くも同じでした。しかし、結果は民主党の圧勝でした。

リベラル陣営が「政権交代」一色になる中で「中身が変わらない政権交代では意味がない」と批判していた共産党すら総選挙の少し前に行われた都議会選での敗北を機に方向転換、民主党政権には是々非々で臨むと選挙後の政権運営への協力も示唆しました。しかし、同党が退潮に歯止めをかけられなかっただけでなく、連立入りを明言していた社民党も政治的立場は右派とはいえ反構造改革を掲げた国民新党もふるいませんでした。そんな中、唯一健闘した少数政党がみんなの党だったのです。この傾向は橋下大阪知事・河村名古屋市長の人気で分かるように増大するばかりです。有権者の意識はもはや「オーソドックスなリベラル左派」が望むものとはあまりにもかけはなれてしまいました。私はこうした事態こそ推進した山口氏らの予想を越えた「政治改革」のもたらした最大の弊害だと思います。既成左翼が衰退したのはよく言われるように彼らの自己責任もありますが(特に結果的に小選挙区制導入に取り込まれた社会党の罪は重い)、少数勢力へと転落した彼らをメディアは異端者のように排除・無視し、有権者の選択肢から外れるようにしむけていったのです。また、長期にわたる新自由主義の蔓延でそれ以外の価値観・考え方を持てなくなった人も多くなってしまいました。政治家や政党を選ぶ基準も冷静に政策を検討するのでなく、メディアが担ぐ「威勢のいいことを言う人」がいいになってしまったのです。

他方、左派の一部が小沢一郎を反権力の英雄と持ち上げる「小沢一郎現象」に走ったことは周知の通りです。これも衰退した既成左翼への失望が一因ですが、従来保守二大政党制や改憲に反対してきた人たちがその推進者に希望を託すというのは異様な現象です。
西松事件以降の検察の捜査やマスコミ報道に強い疑念を表明しつつも、Kojitakenさんが小沢氏やいわゆる「小沢信者」批判を繰り返してきたのも小沢氏そのものへというより、小沢氏が関わった政治改革への批判がバックボーンにあるのでしょう。小沢氏を持ち上げることは政治改革の肯定・保守二大政党制の定着(その最悪の帰結は大連立)につながります。その動きが右派・保守派からではなく、「リベラル左派」を自認する側から出ていることに危機感を持たれたからではないのでしょうか。

2010.12.26 15:23 URL | ぽむ #mQop/nM. [ 編集 ]

「政治改革」に関する私の意見は、ほぼぽむさんのご指摘の通りです。

私が初めて選挙制度について学んだのは小学生の時で、父から買い与えられた『少年朝日年鑑』に、時の田中角栄首相が導入しようとした小選挙区制について、もし導入されたら自民党が圧倒的な議席を獲得することを朝日新聞が示してこれを潰したことが誇らしげに書かれていました。

亡父は保守的を通り越して、晩年には右翼的になった人間なのですが、なぜ子供の私に『少年朝日年鑑』を買い与えたのかは謎です。当時家では毎日新聞を購読していて、朝日から毎日に切り替えた直後の頃に「西山事件」が起きました。だから、田中角栄の小選挙区制の導入失敗や西山事件は、子供心に特に強く印象に残った政治に関する出来事でした。

その後、高校生の頃からまた朝日新聞を読むようになりましたが、当時ファンになったのが編集委員になったばかりの石川真澄記者だったわけです。学校の教師は社民主義者で、サッチャーを批判しており、その影響も受けました。規制緩和だの「小さな政府」だのがおかしいとは、その頃から今に至るまでずっと私の思想として一貫しています。

だから、その後朝日新聞が小選挙区制を軸とする政治改革を支持した時には、これが信じられませんでした。1993年から94年にかけては、仕事が特に多忙だった頃で、新聞を読む時間も少なくなっていましたが、それでも、毎週のサンプロで、田原総一朗が「政治改革推進派=正義、反対派=守旧派にして悪」とレッテルを張っているのを見て、何やってんだこいつら、と思っていました。何しろ、その少し前まで、小沢一郎といえば「金竹小」(こんちくしょう)の一人として、朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」で連日叩かれていた人物だったわけです。しかも、湾岸戦争当時自民党幹事長だった小沢一郎は、自衛隊の海外派遣に異様なまでの執念を燃やすなど、自民党の中でも特に右寄りの政治家、と見られていました。この小沢一郎観は新生党、新進党、自由党時代にも継承され、これらの党は自民党より「右」に位置するとみなされていたはずです。2003年に自由党が民主党と合流した時、小沢一郎は横路派と政策協定を結びましたが、これに驚いた記憶は鮮明です。

「政治改革」の議論が全盛だった頃に行われた、1993年の総選挙に話を戻すと、私は自民党にこそ投票しませんでしたが、政治改革推進派に反感を持っていたので、自民党の善戦を期待していたほどでした。実際、あの総選挙で、自民党は1議席増やしましたから、「ほら見ろ、政治改革なんか有権者に必ずしも支持されていないぞ」と私は思いました。ただ、小沢一郎らが離党していたために自民党は過半数をとれなかったし(要するに解散の時点で過半数を割っていたわけです)、選挙後すぐに後藤田正晴が倒れて入院してしまったために日本新党と連立工作を行う力量のある政治家が不在になって、その隙を小沢一郎に突かれ、いわばハプニングで細川連立政権が発足したわけです。

私は当時も今も「政治改革」には批判的であり、それが小沢一郎や小沢信者に対する批判のバックボーンになっているというぽむさんのご指摘は、まさしくその通りです。もちろん、菅直人や鳩山由紀夫も政治改革の推進者でしたが、なんといってももっとも強烈なパワーで政治改革を推進したのが小沢一郎でした。

その後、社民党や共産党が論外小政党扱いされるに至ったことは、もう書くまでもないでしょう。かつてのリベラル・左派が現状を当然視して、小沢一郎を支持する熱烈な声をあげている光景を、90年代前半の私に見せたら、気が狂っていたかもしれません。

2010.12.26 16:39 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

比例代表制の欠陥部分を検証せずに、諸手を挙げて西岡案に賛同するのは愚かなことです。

参議院だけでなく衆議院までも比例代表制にしたいと希望する国民からは、一切の参政権を剥奪しなければなりません。
二院制のこの国で、なぜに同じ選出原理をするのか、その浅はかさを猛省するためにも。

2010.12.27 01:45 URL | わくわく44 #- [ 編集 ]













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